「ビジネスと社会の動き」カテゴリーアーカイブ

銅板建築 4-洋品店からギャラリーへ変身

銅板建築の代表例として知られている築地の洋品店「若松屋」がギャラリーに変身しました。時代に応じて商売の形を変えることはビジネスの大原則の一つ。歴史のある銅板建築が、商売の変遷とともに活き活きと生き残ってほしいものです。

ぎゃらりー若松屋概観
〔生まれ変わった若松屋〕

■時代に応じた商売替え
東京築地にある銅板建築の店「若松屋」が、昨年12月に洋品店からギャラリーに衣替えしました。店名は「つきじTASSギャラリー若松屋」。店が生まれ変わってもう半年になります。先日訪れたときには銅板建築の建物の絵画などが展示されていて、店主の佐藤昌弘氏が暖かく話をしてくれました。

佐藤さんの説明およびいただいた説明書きによると、この店は江戸時代にできてから、
藍染屋→手甲脚絆屋→足袋屋→駄菓子屋→足袋屋→荒物屋→洋品店→ギャラリー
と展開していったそうです。銅板建築になったのはもちろん昭和のはじめですが、戦時中焼夷弾の被災を受けたとき、近所の人とパケツリレーをして被害を防いだとか。

この店に限らず、きちんと残っている銅板建築の家はどれも「歴史的建造物」です。そして、単なる見世物として残るのではなく、実用的な店舗(または住宅)として残ることに大きな意味があることでしょう。

※つきじTASSギャラリー若松屋:〒104-0045 中央区築地6-12-3
(同店のwebサイトはありませんが、web上には多数の記事があがっているようです)

■「所有権と使用権の分離」の仕組みを
銅板建築に限らず住宅兼店舗の場合、そこに居住している家族が商売(店舗)と一体になっているところが多いだけに、店を継ぐ方がいなくなると「商売替え」が難しくなります。閉店したままひっそりとしてしまったり、家ごと取り壊されたりします。商店街の衰退の一因も、こうしたところにあります。

しかし、時代に応じた商売は常に必要とされています。また、古い歴史を持ったヨーロッパの街によくみられるように、建物は何百年も利用され続けることでその街が豊かに感じられます。商売の中身は変わっても生き続ける“芯”のようなものが価値を高めているのでしょう。

そのためにも、店(建造物)とそれを運営する商売人が、ある意味「分離」される仕組みが必要かと思われます。つまり、「住んでいる人がそこで商売をする」ばかりでなく、「住んでいる人(または所有している人)が、商売人に店舗を貸す」という仕組みがもっと働けば、建築物や歴史が継承されながら商売も時代に応じて続いていく。そして街全体の価値が高まっていく…。

実際に「所有権と使用権の分離」を仕組みとして推進していることで有名なのが香川県の丸亀商店街です。空き店舗が増えることを防ぐため、商店街振興組合が地権者から預かった土地を管理し、街全体の再開発コンセプトのもとで新たなテナントの誘致に成功しています。

参考:
にぎわい商店街 丸亀町商店街(中小企業ビジネス支援サイト)
高松丸亀町商店街 再開発について:事業スキームの特徴

■銅板建築でメイド喫茶を!
東京の場合は、地震という名の破壊神ゴジラが時々現れるだけに、「歴史的」と呼ばれるまで生き残る市井の建造物は少ないのかもしれません。でもそれだけに、生き残った粋な建造物には長生きしてもらいたいものです。

たとえば銅板建築の店でメイド喫茶を開くとかいうのも、なかなかオツなものではないですか(笑)。

▽関連記事:
銅板建築 1-“昭和元年”が消えていく
銅板建築 2-古い店舗を活用し地元活性化
銅板建築 3-また1軒消えた!

トップのあり方と新銀行東京

新銀行東京の経営に関する責任は曖昧なまま、追加出資が行われました。こうしたケースをみるたびに、経営者(トップに立つ者)の責任のとり方はどうあるべきなのかという文脈で、思い出す時代劇があります。

前回の記事「数字をスケープゴートにするな」に続き新銀行東京を俎板にあげましたが、テーマはまったく違い、リーダーシップに関する話です。

新銀行東京新聞記事

■トップに立つ者の責任のとり方
古いドラマを持ち出して恐縮ですが、だいぶ前にNHKで「戦国武士の有給休暇」というコメディ・タッチの時代劇がありました(※注)。このドラマの中で今でも強烈に覚えているシーンが1つあります。
「トップに立つ者の責任のとり方とはこういうものだ」
ということを示されたようなシーンでした。

主演の小林薫さんが演じるのは戦国時代のとある地方国の武士(役名忘れました)。“有能で頼りになる実務家”といったところです。

国を経営するトップ、つまり社長(殿…中村梅雀さん)は、思いつきのように新方針や命令を打ち出します。それをミドル層(というより“実行部隊長”)にあたる小林さんが実行に移すだけでなく、次々に発生する難しい問題を解決し、さらにはトップの失敗の尻拭いをしていきます…。持ち前の頭脳と行動力で殿様から“役に立つ部下”と信頼されているため、ずっと休みがとれません。働き詰めに働いたので「お願いだから、しばしのお休み(有給休暇)をください」と嘆き、社長(殿)も「この仕事が終わったら…」と約束するのですが、戦国の世はその猶予を許さず、仕事に追われていく…。そんな、現代の会社勤めにはっきりとなぞらえたやり取りを想像できる楽しいドラマでした。

(※注)「戦国武士の有給休暇」(1994年、NHK)
脚本:ジェームス三木。出演:小林薫、中村梅雀、若村麻由美、阿部寛、佐藤慶、河合美智子、蟹江敬三、清水紘治、斎藤晴彦、夏川結衣ほか。(役名は、清水紘治さんが明智光秀だった以外全く覚えていません)

■たとえ「勝負は時の運」であっても
物語の中盤、織田信長の天下の元で、社長(殿)は盟友(隣国の殿)とともに、
「この乱世で自国が生き延びるためには、誰か実力者に頼らなければならぬ」
と思い至ります。その候補として考えたのが、羽柴秀吉と明智光秀。

社長(殿)は、悩みつつも、秀吉ではなく光秀に与し傘下に入ることを選びます。
最終盤、本能寺の変から山崎の戦いを経て、光秀は秀吉に討たれます。

光秀に与してしまったが故にこの国も秀吉軍の攻撃を受け、落城間近、万事休す。そのとき

「どうして秀吉ではなく光秀(につくこと)を選んでしまったのだろうか」
と嘆く社長(殿)に対し、重役らは「誰も将来のこと(光秀が討たれること)など予測はつかない。勝負は時の運なのだから、殿(が秀吉でなく光秀を選んだこと)に責任はない」

と慰めようとします。

しかし小林さんはきっぱり、次のように社長(殿)に向かって言い放ちます。

「確かに勝負は時の運かもしれない。
しかし、国を率いるトップが下した経営判断ではないか。
その結果に対して、トップ以外の誰が責任をとるというのだ。
たとえどんな合理的な判断であったとしても、
社長(殿)、あんたが責任をとって辞めるのが正道というものだ」
(正確なセリフではありません。記憶は相当に私の頭の中で脚色されています)

その言葉を聞いた社長(殿)は観念し、城を明け渡すことを決めます。小林さん演じる武士はその後も殿に忠義を尽くし、殿が落ち延びるのに付き従い、殿を守ることを誓います。後に殿とともに落ち着いた土地で農民となり、小林さんもやっと実質的にやっと“有給休暇”をとれる…、といった内容だったと記憶しています。
(このあたりのストーリーも、正確さはかなりあやしいかもしれません)

■トップが逃げてしまってはいけない
長々と時代劇ドラマの話になってしまいましたが、新銀行東京のこと。

新銀行東京のコンセプトは決して悪くないことは、各方面から評価されていると思います。しかしビジネスモデルは成立しませんでした。前回の話で触れた融資の「スコアリング・モデル」は不十分、実務スタッフの編成も(おそらく)不十分だったのだと思います。

かりに「時の運がなかっただけだ」と仮定しても、その責任を誰がとるべきなのか。今回のような400億円追加出資(ひいては長期的な敗戦処理)を行うならば、それとともに、
「たとえどんな合理的な判断であったとしても、
知事、あんたが責任をとって辞めるのが正道というものだ」
ということになるのではなかろうかと…。

また、本サイトの以前の記事で築地卸売市場の豊洲移転に触れたとき、
「卸売市場の移転は、知事1人の思惑では動かない。さまざまな関係者や社会の動きがあって初めて成立する。だから知事が誰になろうと、そう違いはないだろう」
といった意味のことを書きました(「かつての市場移転(「神田市場史」より)」)。

今回新銀行東京問題では、なぜか件の知事が似たような言い回しをしています。
「私の一存で進めてきたかのような意見はまったくあたらない。膨大な組織の中で、私1人が発想して行政が動くわけではない」。

しかし築地の豊洲移転問題と新銀行東京とは質が全く異なるものです。生鮮品の卸売市場はすでに社会に根付いた欠くべからざるシステムの一端であり、多数の関係者が昔から動かしています。しかし新銀行東京は、3年ほど前に新たに生まれた(もともとなかった)一事業です。その事業を発案し、リーダーシップを発揮して作ろうとした知事が「自分だけの仕業ではない」という逃げ口上をうつのは、いくらなんでもありえない。

百歩譲って、かりに「膨大な組織が発想して初めて行政が動いたもの」だったとしても、その責任をとることこそがトップの仕事なのではないか。そのようにしか思えないのですが、いかがでしょうか。

■“反面教師”を目の当たりにして
本サイトの記事は、経営にまつわる一般的な話題を提供することを主眼においており、特定の人や組織に対する問題提起や、政治に関わる意見を表に出す意図はまったくありません。今回の記事はたまたま都政を例として出したので少しキナ臭い意味も含んだ内容を持ってしまいましたが、一般の企業経営においても、とるべき責任をとらないトップの事例は、相当数あるのではないかと推測します。

経営者・マネジャー・ビジネスパーソンにとってまさに「反面教師」が実例として目の前にあるわけです。トップとは何か、リーダーシップとは何かを考える際、東京都の事例も先にあげたNHK時代劇のセリフも、きっと参考になるのではないでしょうか。そんな意味でまとめさせていただきました。

数字をスケープゴートにするな

新銀行東京への東京都からの追加出資が、すったもんだの末決まりました。この銀行が失敗した原因の一つに、財務など数字だけで融資の可否を半自動的に判断する、いわゆる「スコアリング・モデル」の導入が挙げられているようですが、マスコミなどの論調でどうしても解せないところがありました。

数字の補完方法
〔定量情報を補完する2つの方向〕

■数字が悪役?
この件(スコアリング・モデル)についての新聞・雑誌・テレビの反応は、判を押したような意見ばかりです。突き詰めていうと次のようになります。

「数字だけでは見えないことがたくさんあるのに、数字だけで融資判断できると考えたのが間違い。もっと物事の本質、融資対象企業の現状を把握して融資を決定すべきものだったはず…」

いわば“数字過信説”とでもいいましょうか。

耳にたこができるほどよく出てくるのは、企業への融資を判断するとき、
「銀行は、その企業のトイレがきれいに掃除されているかとか、経営者が豪華な車に無駄に費やしていないかとかいった、数字に現れないところから判断する」

といった例です。そうした基本的な判断をやっていないから新銀行東京がうまくいかなかったかのような説明は、一見納得できるものかもしれません。

しかしながら、この説明に違和感を持つ人も少なくないはずです。

■数字で見えない部分をどう補うのか
金融機関で使われるスコアリング・モデルに限らず、世の中にあるさまざまな「数字」(定量化されたデータ)は、その対象の持つ性質すべてを一言で表現できるものではありません。数字とは、いわば「鋭い切り口で切り取った一面の性質」を見せているからこそ意味があるのであって、数字の表面だけでは見えない定性的性質が別にあるのは当然。そんな当たり前のことをいまさらもっともらしく論評されたところで、何の解決につながるのでしょうか。

数字では見えないものがあるとき、そこから発生するリスクをどうやって補うのか。大きく異なる2つの方向性があるといえましょう。

(1) 「対象」となるもの1つ1つに間近に迫って詳しく観測し、定性的な性質(ようするに数字で見えない性質)を含めて掴み取り、個々のリスクを最小限に抑える
(2) 多数の対象の集合を全体として捉え、数学的(主として確率論的)に判断し、リスク分散させる

営業・マーケティング分野に置き換えて考えてみましょう。営業担当者が1件1件の得意先にきめ細かく営業をかけ、得意先の事情を十二分に判断したうえでそれぞれにカスタマイズされた提案をもちかける…、というのが(1)にあたります。「御用聞き営業」と呼ぶと少し語弊がありそうですが、まあ、その類の方法です。

一方(2)は、近年のCRMシステムやデータベース・マーケティングといった手法の中にみられるやり方です。例えば多数の顧客に対し、その属性や過去の購入履歴、頻度などの記録を顧客データベースとして備え、その情報を軸にして自動的にDMをうったり、購買につながりやすいシナリオを描いたりして、それに沿った定型的な提案をする…、というやり方です。

(1)はリスク管理の“王道”かもしれませんが、1つ1つの対象(ここでは取引先)の性質を観察、分析するための人的資源確保や教育システム維持にコストがかかります。一方(2)は、対象の数が多数であっても、いや多数であるからこそ、システマチックに低コストで一定の利益を確保できるという見込みを立たせることが可能になります。

■リレーションシップ・バンキングとスコアリング・モデル
金融機関に話を戻すと、上記(1)が多くの銀行の伝統的な手法として定着しています。時には銀行の担当者が、融資対象企業の経営者とともに資金だけでなく経営全般のやりくりに頭を悩まし、あるいはその会社の社員といっしょに汗をかいて問題解決を進める。そんな涙ぐましい努力を重ね、その企業の体力を見極めていこうというやり方です。こうした、地域の企業と密着してきめ細かく融資判断を行う伝統的な手法は、今は「リレーションシップ・バンキング」と呼ばれているようです。

そして問題の「スコアリング・モデル」が上記(2)に該当します。やり方からいってリテール・バンキングをある程度の規模で展開する際に有効な手法といえそうです。身近な例でいえば、消費者金融やクレジット会社の一般向け融資システムがこれに相当するのでしょう。米国系金融機関ではスコアリング・モデルが中小企業の貸し出し業務に力を発揮しているとされていますが、それを日本で実践しようとしたのが新銀行東京の一つのコンセプトだったと理解しています。企業からみても、銀行の担当者と無駄に付き合わなければならないようなステップを踏む必要がなく、合理的です。

ようするにスコアリング・モデルとリレーションシップ・バンキングとはそもそもの方針が逆なわけです。システム面からして異なるモデルです。なのに、金融庁や銀行関係者とかからも、両者の方向を混ぜ合わせるような提案、提言があったりします。逆方向のコンセプトを足して2で割れば、答はゼロ。失敗が約束されているようなものでしょう。

今回の新銀行東京の問題では、相当の識者や経済誌でさえ、上に書いたような「数字を過信して手抜きしてはいかんよ」といった“数字過信説”を唱えていました。問題は、数字を過信したとか数字がいかんとかいう話ではなく、むしろ「数字で十分に考えることができなかったところ」(きちんとしたスコアリング・モデルをビジネスとして確立できなかったこと)にあると思うわけです。

(…と思っていたら、専門家の立場から、「スコアリング方式の本質が、全く勘違いされている」という記事が日経ビジネス・オンラインに出ていました。
見当はずれの新銀行東京批判
まさにこれ。こういう解説がされるのを待っていました)

■実質的な精算に向かっている?
都民の税金400億円が出資金として注入されたことで新銀行東京は一応救済されたことになっているようです。しかし融資残高が大幅削減されることなどから、もはやスコアリング・モデルが成立する前提が崩れているように思われます。実質的に同銀行は清算に向かっていると考えるのが自然なのでしょう。

落とし前のつけ方として、今すぐ破綻させるのが良いのか、400億円をどぶに捨てても敗戦処理をするのがよいのかは、金融の専門家でない私には判断できません。でも、専門家の方々も予測しているように、今回の400億円はそのまま無駄になる可能性が高いと、都民の一人として今のうちからあきらめておくのが精神衛生上よさそうですね (苦笑)。

*   *   *

なお、この銀行事業を推進した実質的なリーダーの言動と判断については、失望するばかりです。リーダーシップという観点から、これに関連した話題を次の記事で続けます。
(参考)
「新銀行東京調査委員会調査報告書(概要)」

恵方巻商戦は定着したのか

今年も恵方巻商戦が華やかでした。1年前に「「恵方巻」商標は登録ならず…」という記事を書きましたが、その後大きな変化はないようです。各社知恵を出して付加価値をつけた恵方巻商品を出しているようですが、少し迷走している気がしないでもありません。

恵方巻パンフ2008年
〔コンビニの恵方巻パンフ、2008年〕

■昨年とほとんど変わらないパンフ
ちょうど1年前に「「恵方巻」商標は登録ならず。安心して使えそう」という記事を書きました。「恵方巻」商標(区分30 すし)が出願されたが、登録されなかったこと。出願は寿司関連の業界団体と関連のある企業が防御的な立場から出願したもので、「特定企業などに独占させない」が目的だったこと。結果的にその目的が達せられ、この言葉を誰もが安心して使えるようになったことを説明しました。

今年の節分もまた、いろいろな企業が恵方巻のお客さん獲得に奔走しています。1年経って何か変わったかというと、商品名がらみではほとんど変わりないようですね。「恵方巻」と呼ぼうが「まるかぶり寿司」と呼ぼうが、いまさらあまり大きな問題ではないのでしょう。コンビニ各社についていえば、エーエム・ピーエムが商品の名称を「まるかぶり寿司(恵方巻)」から「恵方巻」に変えたことくらいです。昨年のパンフと今年のものを比べてみても、ほとんど違いがないようです。

そもそもコンビニ各社の恵方巻パンフは、キャッチコピーばかりでなく、パンフの体裁や写真の撮り方までもほとんど昨年と同じ。“面倒なので昨年のやり方をそのまま踏襲しました”という雰囲気です。営業的にもルーチン化しているのでしょう。

商標登録に関して、昨年ご紹介したものほかに、次のようなものがあるようです。

・「恵方巻き」(区分30 菓子)
出願人は岡山の源吉兆庵という和菓子の製造販売の会社のようです。昨年紹介した「恵方巻」商標が拒絶された2007年1月16日のすぐ翌日、1月17日に出願しているあたりに何らかの意図も感じさせますが、これも昨12月21日に拒絶査定がでています。

・「丸かぶり」(区分29、区分30)
ミツカングループが権利者で、登録は2006年に成立しています。多数の商品ジャンルが対象になっているようですが、「すしを除く」とのことです(※)。

(※) どうもこの件は、「すし」についてのみ、異議申立の審査を通じて商標登録が取り消されたようです。
参考:商標審決データベース

■ロールケーキ増える
コンビニ商品で変わったという意味では、各社の商品種が増えています。傾向は次の2点。

・“上”ランク
ファミリーマートの「上恵方巻」、サークルKサンクスの「極(きわみ)の恵方寿司」、ローソンの「ふっくら煮穴子の上海鮮丸かぶり寿司」。いずれも高級なバージョンです。昨年までに各社からほぼ出揃っていたハーフサイズの「海鮮恵方巻」や通常の「恵方巻」とあわせ、“上” “中” “下”のようなランク付けが定着したということなのでしょうか。

・甘党向きのケーキ
昨年セブン・イレブンとスリーエフが恵方巻と似たロールケーキを発売しましたが、今年はローソンとサークルKサンクスが追いかけ、同じような「節分ロールケーキ」を発売しています。スリーエフについては、昨年の「丸かぶりロール」に加え「プレミアム丸かぶりロール」なる“ケーキの上”バージョンが加わり2種類出しています。

■太巻きでなくなりつつある?
なおセブン・イレブンは恵方巻にあたるものは昨年と価格も商品名もまったく同じですが、「節分手巻寿司3本」というハーフサイズよりさらにわずかに小ぶりの普通の巻き寿司がパンフに加わっています。普通すぎて恵方巻と名付けるほどでもないのでしょうか。であれば、わざわざ「恵方巻」と名付けられていなくても、通常の巻寿司なり何なりを食べればよいような。

市場で受け入れられる恵方巻を追求したら、ケーキになってしまったり、短くなったり、細くなったり…。コンビニではなくダイエーの話ですが、今年出した恵方巻は「京都の清水寺で祈祷した海苔」を使っていることを売りにしているとか…。付加価値のつけ方もいろいろあるようですが、少し迷走している気がしないでもありません。

ともあれ、今年も恵方巻商戦の前線では、ノルマを達成するために何本も買い、数日間恵方巻を食べ続ける人がいることでしょう。まぁ、イベント物となれば、恵方巻に限らない話かもしれませんが。

年末の築地の街

築地はどんどん変わっています。場外市場は中層ビルが増えるとともに、路面に面した店舗は入りやすくなりました。場内は店の看板も昔と様変わりし、商品の単品売りも増えています。年末の休日ということもあってか、子ども連れ一般客も目立ちました。

新しくなった吹田商店
〔新しくなった吹田商店〕

■近代化のなかに特徴を出した店舗作り
1年半ほど前に「脱皮を目指す?築地周辺の商店」および「築地場外の半値市」という記事を書きました。「半値市」の記事で晴海通りに面した吹田商店さん(昆布の専門店)の建物が建て替え工事に入ると書きましたが、その吹田商店さんの店舗は10月に新装開店しています。写真のように、店舗というよりその一角が一つの大きなビルに変貌しています。

1年半前(06年5月)の写真と今回(07年12月)の写真と見比べてみてください。アングルが逆なので少しわかりにくいかもしれませんが、晴海通り沿いを中心に築地場外市場は古い街並みから中層のビル群へと変わっています。今回の写真右上にも見えるように、屋上には大きな看板が増えています。一言で言えば“近代化”が進んでいます。

と同時に、店舗作りとしては、むしろ古くから馴染んでいる店構えの雰囲気を踏襲していることがわかります。吹田商店さんの場合は、店正面の看板や構成が過去のものとほぼ同じ。店内も、旧店舗で使われていた部材の一部をそのまま再利用したそうです。昔の大福帳(?)を吊るすなどして雰囲気を出し“レトロ感”が感じられます。

落ち着いた店内の様子
〔落ち着いた店内の様子〕

ここ数年の間に改築された他の店舗にも言えますが、概して1階の店舗は間口が広まったとともに、老舗としての落ち着いた雰囲気を保っています。一般客が入りやすくなっているのは確かです。

■場内も様変わり、子ども連れ一般客も
変わったのは場外だけではありません。場内の店舗も少し見ない間にずいぶんきれいになったようです。以前は玄人専門の生鮮市場らしく、“わかる人だけわかればよい”といった雰囲気が満ち溢れていました。今ももちろん従来と変わらず骨太な店舗の集合であることに間違いはないのですが、一部の中卸業者の看板デザインは相当きれいになっています。写真のように、ファサード(前面)にインターネットのURLが書かれている店もあります。

築地場内の看板
〔築地場内の看板〕

商品も、思った以上に小分けされたロットで用意されていました。訪れた日が年末の休日(臨時開場日)、つまり場内・場外とも年の瀬で一般の買い物客が最も増える時期だったので当然なのかもしれませんが、それにしても「1匹100円」とか「1箱1000円」といった単位で魚があちこちに並んでいたようです。

お客さんで特に目についたのが親子連れです。市場場内の奥の方にさえも、小さい子ども連れの家族が多数みられました。ターレットが走り回る場内に小さな子がいると危なくて心配になりますが、あるいはこうした現場を小さいうちに見ていると、市場の活気を肌で感じたり、魚を食べることに親近感を持ったりするものなのかもしれないとふと思います。

築地市場本体の建物は、天井の様子(写真右上)からもわかるように、相当に老朽化しているのでしょう。しかし個々の店作りを見ていると、それぞれの商人らしさや活力があり、やはり「一つの商店街として生きている」と感じられるところです。市場本体の豊洲移転問題がどう決着していくか不透明ですが、どう転んだとしても、官の無意味な政策のごり押しにより商人の活力が圧迫されないことを願いたいところです。