「ビジネスと社会の動き」カテゴリーアーカイブ

「商店街が地域の課題を解決」シンポジウム

商店街の活動から地域の活性化を考えようというシンポジウム(中小企業庁主催、2019/2/18)。主軸は「商店街活動にPDCAサイクルを持ち込んで、散発的な盛り上がりではなく、持続的・戦略的に実行できる姿に持ち込もう」というテーマです。

〔新たな商店街政策の在り方検討会 中間取りまとめ より〕

上記テーマを考える実用的なツールとして「運用シート」「マニュアル」が提案されています(資料url参照)。実際にこのシートとマニュアルを運用して活動している商店街の事例が、当事者から紹介されたほか、「新たな商店街政策の在り方検討会」の委員を中心にパネルディスカッションが行われました。

以下、参加者の発言メモの抜粋です。

■地域ごとに目指す先を言葉にせよ!

  • イベントをやり続けるだけでは商店街の活性化につながらない。何を目指しているのか、目標や戦略が必要
  • 従来は、商店街を「最寄型」「近隣型」「広域型」といった分類をしてしまっていたが、その枠組みは崩壊している。上から与えられる型ではなく、どんな地域づくりを目指すのかを自分たちで言葉にしないと、先に進まない
  • 総花的・全国どこでも似通ったキンタロウ飴状態のマスタープランを作ってもダメに決まっている
  • 計画を作っただけで固めてしまうのではなく、随時作りかえなければならない。そのためのPDCAである

■商店街はせっかくのチャンスを見逃している?

  • 商店街に人がいないといっても、地域のある場所(例えば認知症カフェ、学童クラブなど)には人が集まりすぎるほど集まっている例がある
  • 子育て世代の女性世代は、商店街に近いところに生活があっても、地域活動に参加する場がない。そうした女性たちを積極的に呼び込んだところ、すごい力を発揮した。
  • 子供たちが、とりわけ学童の段階で(学校の部活動に入り込む前に)商店街活動に関わる場がとても重要だ。

「勉強」ではなく、生活や遊びの延長線上で、幼い時から商店街に触れることの重要さがよくわかりますし、商店街側がさまざまなチャンスを逃していることが推測されます。

■ブレーキをかけてしまう組織や人たち
また、活動を進めようとしたときに壁となるのが、既存概念に縛られた人や組織ということでしょうか。

  • 有望な案を実行しようとすると、なぜか行政・自治体の中からブレーキがかかってしまう
  • 商店街活動で最も難しいのが、やる気のない個店がいることだ。そんな店は辞めてもらって新しい人に入ってきてほしい

パネルディスカッションではそんな率直な意見が飛び出していました。

※発言者略。例によって発言は実際の場で出た言葉のままではなく、後から適度にメモから切り出してまとめたものです(文責:松山)

中小企業庁「新たな商店街政策の在り方検討会」
webページの中間やや下
・中間取りまとめ(平成29年7月5日)
・「商店街の将来像を考えよう~まちが変わる、商店街を変える~(概要版)」(第2回配布資料より)

南硫黄島シンポジウム

2017年に行われた南硫黄島調査をうけ、調査隊の隊員諸氏が集まって発表を行うシンポジウムが開かれました(2019年1月13日)。日本最後の“完全な島”。 東京都の担当課長からの挨拶が万雷の拍手を呼びました。

南硫黄島模型
〔南硫黄島模型〕

山の話、海の話、霧の話、虫の話、鳥の話。小笠原諸島中でも最も海洋島らしく、かつ人の手が入っていない島として、南硫黄島が素晴らしいところであることがよくわかるシンポジウムでした。東京都、首都大学東京、NHKの3者の合同プロジェクトです。

南硫黄島シンポ
〔南硫黄島シンポジウム・パンフレットより〕

■日本で唯一の“自然島”?
小笠原や沖縄は多数の島で構成されますが、ほとんどの島は人の手が入っていて、自然の生態系が残された島はわずかしかありません。本質的に「島(海洋島)は、“欠如の生態系”で成り立っている」(川上和人氏、森林総合研究所、鳥類学者、今回の調査における研究コーディネーター、今回のシンポジウムの司会)とともに、大陸にはなく島でしかみられない貴重な生態系がある場所。しかしながら、外来の哺乳類(ネズミ、ネコなど)や爬虫類(トカゲなど)の侵入が、海鳥や固有種を絶滅に追いやってしまう歴史が繰り返されています。

調べてみると、外来哺乳類の侵入が防げている島は日本では南硫黄島が唯一とのことです。北硫黄島もかつては未侵入だったようですが、すでにクマネズミが入って来ていて、生態系は荒れてしまったそうです。火山列島3島(北硫黄島、硫黄島、南硫黄島)のうち、平らな硫黄島(先の戦争での激戦地)はもちろん、北硫黄島も人が居住した歴史があります。

南硫黄島のみ人や動物が容易に上陸できない絶壁で囲まれています。今回行われた科学的な調査(生物が持つ同位体の検査)からも、南硫黄島のみが外来哺乳類未侵入だった根拠が見いだせたとのことで、その内容も発表されました。

■行政からの挨拶に心のこもった拍手が!
内容についてはこれ以上あまり紹介する言葉を持たないので、解説は他に譲ります(それでいいのか? 笑)。しかし何より、シンポジウムの最後にあった東京都の担当課長からの挨拶が万雷の拍手を呼びたことが印象的でした。

「これからもこうした調査を、全力で取り組みさせていただきます」

そう言葉を書いただけでは全く想いは伝わらないかと思います。限られた予算をこのプロジェクトに投入していくだけの価値があるという意味を、実感として感じられたシンポジウムの現場だったのです。

南硫黄島の学術調査は、前回の2007年から数えて10年ぶり。過去、1982年に行われた調査を含めてわずか3回目。今回初めてわかった自然、生態系の事実は数多くありますが、「こうした調査は繰り返し行い、モニタリングしなければいけない」ことが伝わってきます。

現地行動食
〔現地行動食〕

写真、パネル展は都庁ホールにて30日まで開かれています。NHKでも引き続き、いくつか南硫黄島に関連した番組が予定されています。

(参考:シンポジウムに参加された方のレポート)
行ってきました!「南硫黄島シンポジウム」

小笠原の空港予定地

小笠原返還50周年記念(2018年6月26日)を機会に、小笠原空港設立のニュースが少し報道されています。予定地は父島の「洲崎」という場所で、おそらく最後の唯一残った候補地でしょう。ただし仮に空港ができるとしても20年~30年先と言われています。

小笠原、洲崎D
〔小笠原の洲崎写真D(地図D)〕

■6日サイクルの島時間
小笠原諸島には現在空港はなく、観光客は片道24時間かけて船で訪れるしか手段がありません。これでも以前より速くなりました。繁忙期や船のドック入りの時期を除くと、6日に1往復するスケジュールが基本です。最も一般的な観光日程は「3泊6日」で、これを「1航海分」といった表現をします。3日じゃ足りないと帰りの船を1回見送る「2航海分」とるならば「9泊12日」です。もし1航海6日でも長すぎるとなれば「0泊3日」で、船内移動時間が計48時間なのに対し、現地滞在時間はわずか3~4時間! という日程しか組めません。

逆に島民が本土に出てくるとしたら最短「1泊4日」が可能ですが、普通は「7泊10日」が最短日程になるのでしょう。それ以上に重要なのは急病人が出た場合などの緊急搬送で、その場合は海上で離着陸できる自衛隊の飛行艇(US2など)が用いられます。急患対応は年間で30回程度行われているようです。

そんな状況に対応するため、小笠原諸島への空港設立がかつてから計画されていました。と同時に、何度も計画はとん挫しました。世界遺産になった今は、空港が作れる場所は本当に限られており、最後の最後に残った唯一の候補地が「洲崎」。じつはここ、戦争中に日本軍の滑走路があった場所です。

小笠原空港協議会資料1
〔父島洲崎の位置(小笠原空港協議会資料より 1)〕

■東京都「短い滑走路の空港案を検討」
小笠原空港協議会資料には次のように記載されています。

小笠原空港協議会資料2
〔空港の計画案の一つ(小笠原空港協議会資料より 2)〕

戦前の洲崎の滑走路の長さは500m程度のようです。実際、陸地だけでみるとそのくらいの長さしか取れません。昔はこのあたりに岩の洞穴(海蝕洞)があるとともに、岬の先野羊山と父島の間にわずかに海峡があったとされますが、そうした自然の造形物は同時期に変貌したようです。風情のありそうな海蝕洞は跡形もなく、海峡は埋め立てられて完全に陸続きになっています。そんな場所に1200m滑走路の建設が案として計画されています。

小笠原空港協議会資料3
〔空港予定地(小笠原空港協議会資料より 3)〕

この地図のように、予定されている滑走路は1200mといってもかなり海に出っ張ります。その分埋め立てることになるわけで、やはり自然環境への影響が気になるというのが現代の常識的な感覚かもしれません。そうした意見もあってのことか、もっと短い滑走路の飛行場にする検討余地があると、協議会の資料自身にみられます。6月29日に小池東京都知事から「環境に配慮して1000mより短い飛行場案を検討する」といった旨のスピーチがありましたが、それは都知事の案というより、検討項目の一つとしてあった案といったほうがよさそうです。

小笠原空港協議会資料4
〔洲崎計画案からの検討課題(小笠原空港協議会資料より 4)〕

■現予定地
次の図は父島西側の地図で、地図中央の岬のような場所が洲崎とその先にある野羊山です。1200mの滑走路予定地(推定)を赤い線で示しました。緑の線は、仮に滑走路を800mに短く抑えた場合に予想される部分を、勝手に書き込んでみた線です。

小笠原空港予定地の位置図
〔小笠原空港予定地の位置図〕

■現状写真
冒頭の写真は約2カ月前(2018年4月)に撮影した現場写真で、図中「D」から矢印の方向を写したものです。木立の先に二見湾、その先に烏帽子岩という小島が見えます。このあたりの左手前から右手奥にかけて滑走路が造成される計画です。

洲崎地区は、幕末に欧米人が住み始めた頃、ペリーが江戸への渡海途中で来島してきた頃には、島の中心街にしようとしていたこともあったようです。明治から昭和初期にかけて民家や畑もある場所でした。しかし戦後は、臨時の運転試験場として使われた以外はほとんど放置されてきたそうです。

洲崎の入り口部分までは、舗装道路が整備されています(写真A)。
小笠原、洲崎A
〔小笠原の洲崎写真A(地図A)〕

舗装道路が行き着いたところ、ちょうど滑走路予定地(真ん中)の脇に当たるところ(地図B)。
小笠原、洲崎B
〔小笠原の洲崎写真B(地図B)〕

写真Bの中央に右に入る小径があり。そこを曲がった場所(写真C)。位置的には、写真Cの道の左側が滑走路予定地で、この小径は滑走路の脇か誘導路か、そんな場所になるのでしょうか。
小笠原、洲崎C
〔小笠原の洲崎写真C(地図C)〕

写真Cを先に行くとわずかに左に曲がり、冒頭の写真Dの風景が現れます。さらに海岸まで到達すると写真Eのような風景があります。
小笠原、洲崎E
〔小笠原の洲崎写真E(地図E)〕

■周辺から見ると
滑走路予定地を周辺から見ると、どんな風景なのでしょうか。写真Fは、島の北側、大村市街地からほど船見山付近、いわゆる「ウェザーステーション」からの写真です。
小笠原、洲崎F
〔北側から洲崎方向。写真F(地図F)〕

写真Gは反対の南側、小港海岸の南、中山峠展望台を少し越えたあたりからの写真です。
小笠原、洲崎G
〔南側から洲崎方向。写真G(地図G)〕

写真Hは北東の二見港(正確には製氷海岸あたり)からの写真です。
小笠原、洲崎G
〔北東側から洲崎方向。写真H(地図H)〕

■賛否は昔からさまざま
なお、空港建設の是非は賛否ともずっと前から語られています。参考URLにある、平成20年に実施した「航空路に関する村民アンケート」1193件の自由記入意見もその一部でしょう。少し話題として採り上げられた今になって、あたかも初めて問題視されたかのような意見が外部からご親切に示されても、おそらく島民の方々や関係者の方々から“にわか意見”と受け取られるだけでしょう。

小笠原でわずかに見聞きした範囲では、島民は比較的冷静といいますか、これまで何度も計画がとん挫してきた過去の経験から「どうせ実現しない」、少なくとも「実感はない」と受け止めているような様子がみられます。もちろん私も明確な“にわか”にすぎませんので、「自然保護」も「観光促進」もどちらも軽々なことは言えない、と考えています。

(参考)
「航空路の開設に向けて」(小笠原村)
https://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/kikaku_seisaku/
小笠原航空路協議会議事録(東京都行政部)
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/05gyousei/06koukuuro.html

【追伸】
2018/7/12日報道より。小笠原空路で仏伊合弁の航空機メーカーATRが開発中のプロペラ機ATR42-600Sを想定しているとあります。現行モデルATR42-600のSTOL改良型で約50人乗り、滑走路長は800mで済むとのこと。小笠原空港の滑走路がその長さで良いかどうかはまた違う話かもしれませんが。。

“まちづくりとオープンデータ活用シンポ”より

まちづくりで、いわゆる“ビッグデータ”または広く標準的なデータに加え、それぞれの地域に密着した情報をいかに見える化し、実務に生かしていくかが求められています。「広域情報+ローカル情報」の組み合わせは、ものづくりIoTの現場や、人材アセスメント・評価での考え方と通じるところがありそうです。

グローバル・コンテンツとローカル・コンテキスト
〔グローバル・コンテンツとローカル・コンテキスト〕

「まちづくりとオープンデータ活用」シンポジウム(主催:Code for Suginami、杉並区産業商工会館にて、2017/9/22)を聴講しました。講演は、庄司昌彦GLOCOM准教授。その後のパネル・ディスカッションは、庄司准教授のほか、笹金光徳高千穂大学学長、杉並区役所の馬場氏、西武信金の山崎氏、モデレータとして新雅史東洋大学助教の5人。あまりまとまっていませんが、以下に気が付いたところを挙げてみました。

■オープンデータをまちづくりに生かすには

本シンポジウムのテーマは、地域社会(地方自治体)の衰退が課題となっている昨今、社会で役立つ調査結果や収集データを「オープンデータ」として整備し、それらをどのようにまちづくりに生かしていけばよいか、です。

なお、文章は話者の発言そのままではなく、筆者(松山)の解釈を含めた表現になっているところがありますので、ご容赦ください。

パネルディスカッションの様子
〔パネルディスカッションの様子〕

– 地域社会の衰退のスピードは変えられる。たとえば島根県海士町は、「島留学」や住民主導のまちづくりなどから、移住者が増えている。
– 日本の高齢者の25%は「友達が一人もいない」という。今後、人々が協調して活動する機会を増やすことが、重要な政策となるだろう。
– 「オープンデータ」とは、単に公開されたデータでなく、「開放(自由に使える)資料(イメージなどを含むさまざまなドキュメント)」である。
– 2016年末に施行された「官民データ活用推進基本法」において、都道府県におけるデータのオープン化計画づくりが義務とされた。

– 商店街の活性度や地域の元気度をどう測るか、「コミュニティカルテ」のようなものができないか研究している。
– 行政(杉並区)の情報政策課として、各部署に情報のオープン化を説得している(が、必ずしも理解が得られるとは限らない?)
– 金融機関はプライバシー情報が多いので、情報はほとんどがクローズドである。だが、金融庁森長官によって進められているディスクロージャーの動きから、銀行はどこもdiscloser誌(決算報告書のようなもの)を開示するようになった。

(参考)
「東京都オープンデータ推進 庁内ガイドライン」
http://opendata-portal.metro.tokyo.jp/www/contents/1491469912683/
「東京都オープンデータカタログサイト」
http://opendata-portal.metro.tokyo.jp/www/index.html
新雅史モデレータの興味深い著書
「商店街はなぜ滅びるのか」 facebook記事(2012年)

■局所的な文脈をいかに組み入れるか

いくつかのテーマのうち、講演者である庄司氏は「ビッグデータや広域で一律的に整備される標準データも必要だが、地域創生などには、それぞれの地域生活に密着した(地域企業が持っているような)ローカルデータが必要となる」という点を特に主張されていました。

中央からの発想、もしくはグローバルという視点を強く持ち出すと、ビッグデータや定量的な社会指標を重視しがちです。まちづくりの目標設定、たとえば補助金・助成金を受けるための目標設定などにおいて、地域の特性とはピントが外れた判断基準だけが一人歩きする危険があるわけです。しかし「想いやこだわりを地域や個店はしっかり持つべき。それなしにオープンデータ(広域・標準のデータ)を活用しようとしても、あまり意味がない」。

このあたりの考え方を自分なりに図式化してみたのが、冒頭の図の上部「まちづくり」として示した部分です。まちづくりにおける「広域・グローバル」データと「個別・ローカル」データのイメージとを対比させてみました。要素が必ずしも論理的に図式化されているわけではなく、概念的な項目と“RESAS”のような個別システム名が混じっています。あくまでもイメージに過ぎません。

個人的な意見になってしまうかもしれませんが、広域・グローバルな部分とは、膨大な「コンテンツ」として存在している、いわば客観的な“測定値”でしょう。一方、個別・ローカルな情報とは、外部から見れば理解しにくい「コンテキスト」(文脈)を含むもの。できるだけ客観化するに越したことはないのですが、必ずしも(普遍的に通用しそうな)客観性だけではなく、その地域、会社、グループ、個人といった粒度での主観性を併せ持つものだと思われます。

(参考)
RESAS:地域経済分析システム(内閣府 まち・ひと・しごと創生本部)」
https://resas.go.jp/

■ものづくり、ひとづくり、でもあてはまる枠組み

冒頭の図ですでに示しているように、筆者(松山)の感想としては、この枠組みはシンポジウムで論じられていた“まちづくり”の場面だけでなく、“ものづくり”(工場)、“ひとづくり”(人材育成)においても同じようなアナロジーができると思われます。

例えばものづくり企業のIT実践でも、米国的なビッグデータ構築や、ドイツ的なIndustry4.0標準化だけでなく、もう少しローカルな、個々の現場から上がってくる情報を組み合わせていくべきとの問題意識があり、日本の中小企業などが研究しています(IVI:インダストリアル・バリューチェーン・イニシアティブ など)。

逆にものづくりの側から見ると、生産系の“どろどろしたデータ”は工場やラインの情報化で不可欠だという印象を持っていましたが、商業・マーケティング系でもやはり同じように「マクロで横並びになった情報」と「ミクロで文脈をさぐるような情報」の組み合わせが意識されていて、それがまちづくりというテーマで論じられるとこのシンポジウムのような議論につながってくるのかなと考えます。

さらに、当blogでは以前から何度も、ひとづくりを考える上で「アセスメント」(人事測定)と「イバリュエーション」(人事評価)の違いをテーマとしてきました。これも同じ枠組みで上の図に表現してみました。

(参考)
IVI:インダストリアル・バリューチェーン・イニシアティブ
https://www.iv-i.org/
人事測定と人事評価の違い
http://mir.biz/2006/07/0418-5333.html

■ローカルベンチマークの枠組みとのアナロジー

さらにさらに、中小企業の経営状況を分析するツールとして経済産業省が打ち出してきた「ローカルベンチマーク」(通称:「ロカベン」)の枠組みも、同じように比較できそうです。ローカルベンチマークは、従来単に同業種比較で経営指標を見比べ、どこが勝っているのどこが劣っているのと一律の判断をしがちだった反省を踏まえ、定量的な情報(6つの指標)のほかに、定性的な情報(4つの視点)をできるだけわかりやすく枠組みに示したものといえます。

ローカルベンチマーク
〔ローカルベンチマーク〕

(参考)
ローカルベンチマーク(経済産業省)
http://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/sangyokinyu/locaben/

最後にこんな記事をご紹介。コンテキストの必要性について述べた記事ですが、とても面白く読めます。
「紫式部は、なぜ源氏物語を書いたのか?」(池永寛明氏、日経新聞運営のサイトCOMEMO)

「今の日本は、コンテンツが中心で、「それはなぜか?」というコンテクスト(背景・文脈)を追いかけることが苦手な国になっている」
「「巨人の星」の星飛雄馬が1球投げるのに30分番組が終わるというような「長さ」がない」

“Samurai Island Expo ’16” より

サムライ・インキュベート社が品川の天王洲アイルで開催した『Samurai Island Expo ’16』に(ただの1聴衆者として)参加してきました。ビジネスのスタートアップ、IT技術をテコにした起業を考えようとする2日間のイベントです。

SIEセッション様子
〔カンファレンス・セッションの様子〕

起業して間もないベンチャー企業、起業を支援する企業、投資家、さらには起業準備中の若者などが集まり、それぞれの立場で有望なテーマやトレンド、自社PRなどが行われていました。カンファレンス・セッションが2トラックと、屋外ブースが天王洲アイルの広場にずらり。海外からの講演者、参加者も目立っていました。

セッションは、フィンテック(金融)、VR(バーチャルリアリティ)、AI(人工知能)、スポーツ(とテクノロジー)、宇宙、アグリテック(農業)、バイオテック、ドローンといったテーマのほか、イスラエル、イタリア、フランス、シリコンバレー、ロシア、京都といった地域を切り口にしたものなど。共通するのは、IT技術をテコに、旧来型ビジネスを凌駕していく新ビジネスを立ち上げた(または立ち上げようとしている)事業家や投資家、ビジネスの動きです。

SIEプログラムの一部
〔プログラム(の一部)〕

講演者からの本音の意見の数々…
“砂かぶり席”のような座布団の座席レイアウト…
まだるっこしいプレゼン資料の配布など一切なし…
英語のスピーチであっても通訳なし…

“なんとか庁”や“財団法人○○”といった組織が主催する形式ばったセミナーと比べると熱気が100倍ほどは違うでしょうか。個々のセッションについては、面白いものと興味薄なものがもちろんありましたが、当事者の現場感覚を肌で感じることがより貴重なことかもしれません。

SIE
〔屋外でのピッチ(事業紹介)〕