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豊洲市場はパラドックスを解けるか?

築地場外のテーマで2つエントリーを書きましたが、今度は卸売市場(場内)を少し考えてみます。築地市場、大田市場、豊洲市場(予定)の3者を比べてみます。

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手前が豊洲市場予定地(後方が晴海~都心)

今回あらためて確認してみたところ、東京都が築地市場の豊洲地区への移転の方向性を打ち出したのは平成11年度ということで、すでに7年も前のことでした。構想としてはもっと前から出ていたことでしょう。地元はもちろん当初から反対の立場が明確で、「築地市場移転に断固反対する会」というものもありました。

新市場のコンセプトがほぼ固まって構想が発表されたのは2003年頃。豊洲新市場の基本計画はここに資料があります。
http://www.shijou.metro.tokyo.jp/korekara/02/02.html
これによると、豊洲市場は概ね次の3ゾーンで構成されるとなっています。

1.流通ゾーン:温度管理された空間で取引と物流が完結するシステム
2.景観ゾーン:都民や地域住民が憩い散策できる快適な空間
3.賑わいゾーン:飲食・物販、オフィス等の商業・業務機能で構成する千客万来ゾーン

築地の今の場内市場は、言うまでもなく「狭くごちゃごちゃして猥雑」なイメージそのものの場です。しかしここには人と人の直接の取引がもたらす活気があります。そして築地場外とともに織り成す自然に出来上がった街の構造が賑わいをもたらしているといえるでしょう。

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築地市場

東京には、埋立地である大井埠頭の先、野鳥の住み着いている公園の隣に「大田市場」があります。ここは築地と反対に「広くシステマチック」と思わせる場です。商業地域とは場所的に完全に孤立しているため、一般の人が出入りすることはまずありません。築地に比べるとなんと空間に余裕があることか…(それでも大田市場の卸売業者の方に話を聴いたときは「手狭だ」といっていましたが)。もっとも、雑然としていない分、築地に比べると見た目の面白みは少ないと思われます。「人の賑わいがあふれる場」となることと「余裕を持ってプロが取引をする場」を作ることとは、一種のパラドックスのように思えます。

ただ、スペースは広くとも、有効な冷蔵ゾーンの少なさ(ようするに温度管理の難しさ)は、大きな問題のようです。また、業者が駐車場を荷物のより分けの場にしている(仕入れた品物を届け先別に分類したり店舗に納品しやすいように積み替えている)様子は、築地と共通な悩みといえそうです。このあたりの課題について、豊洲新市場の構想ではかなり配慮されているといえそうです。

ここで、豊洲新市場の3ゾーンの機能を築地と大田にあてはめて、無理やり評価してみました。

◆築地市場(場外含めた地域)
1.流通ゾーン:× …きちんと整備された機能は不十分
2.景観ゾーン:△ …整備された景観という意味では不十分だが「レトロ風」
3.賑わいゾーン:◎ …とくに場外や飲食店の賑わい、および銀座からの近さ

◆大田市場
1.流通ゾーン:○ …整備されています
2.景観ゾーン:× …個人的には野鳥公園はじめ大井埠頭は大変好きな場所だが、市場に限れば景観うんぬんの場所ではない
3.賑わいゾーン:× …プロ以外が来る場ではない

そして豊洲については、埋立地をこれから活用するという話です。大田型を踏襲してプロ向けに焦点を絞った市場を狙うという方向性もあったと思うのですが、結局
大田型の機能(1)+築地型の長所(3)+さらに景観も(2)
と、3つすべてを取り入れようというかなり欲張りな方向性を出しているように受け取れます。

構想の大きさは決して悪くないのでしょうが、個人的にはとくに(3)について、豊洲で受け入れられるものなのか懐疑的です。まだ具体的な形になっていないので言いすぎかもしれませんが、賑わいゾーンをここに「人工的に」作って成功するものなのでしょうか?

少し言い方を変えると、両者(築地と大田)の「良いとこ取り」を狙うものの、先に触れた「市場としての機能性」と「雑然としているからこその面白さ」が同居しにくいというパラドックスが解けずに一部失敗してしまうのではないか? とか思います。あえて無謀にも将来を予想してしまうと、

◆豊洲新市場
1.流通ゾーン:◎
2.景観ゾーン:△
3.賑わいゾーン:×

といった結果になっていくのではないか…、なんてことをちらりと考えます。

まだまだ今後情勢変化があると思います。が、たとえば築地周辺の商店街としては、とくに「3.賑わいゾーン」としての勝機は十分期待できそうです。

築地場外の半値市

雨にもかかわらず大変な人出でした。今回の半値市は、築地川公園の東側、“珍味店”が多数あるあたりや波除神社付近まで地域が広がっています。一部、人と傘に阻まれてしまいましたが、4年前(2002年2月)と現在(2006年5月)との差を比べられるような写真をいくつか撮ってみました。

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築地4丁目交差点の概観。左が4年前、右が現在です。

少しアングルが違いますが、交差点の角(真正面)にコンビニとファミレスができました。その分アーケード入り口にある商店街の「カンバン」の位置が画面右方向に移動していることがわかります。屋根の上の大きな看板も増え、派手になっています。

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商店街中ほどにあるカネシン水産さん(ちりめんじゃこ等)の店の様子です。数年前に高知県のアンテナショップ「コウチ・マーケット」を開き、ずいぶん様子が変わりました。

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牛肉の近江屋さんです。店の看板や牛の顔をした飾りなど店構えが洗練されただけでなく、商品も一般客が買いやすいものが増えたと思われます。

浜籐さんとか紀文さんとか、百貨店などでも小売展開している有名店も、築地場外の店を一般向けに改装しています。

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晴海通りの拡張のため、晴海通りに面している店が徐々に後方に移動してきましたが、最後まで残っていた昆布の吹田商店さんがある一画(築地4丁目交差点からすぐ東側)も近く工事に入るようです。吹田商店さんは5月末に一時移転(市場側の休憩所がある並び)し、晴海通りに戻るのは1年半後となるそうです。

交通博物館閉館

東京神田の旧万世橋駅にある交通博物館が明後日閉館されます。

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■万世橋駅のプラットフォーム
新聞などでもさかんに報道されていますが、閉館前で大変な混雑のようです。かくいう私も、4月某日に30年くらいぶりに行ってきました。普通は見ることができなかった旧万世橋駅の遺構見学ツアーにも参加しました。

万世橋駅は1912年にターミナル駅として開業しましたが、東京駅ができ、戦時中の1943年にはすでに使われなくなりました。今でも中央線に乗るとこの駅跡を通過することを多くの方がご存知だと思います。

これをプラットフォーム側から見たわけですが、次のような風景になっていました。1枚目(冒頭写真)は御茶ノ水側、次の2枚目は、ちょうど中央線が走ってきた場面は神田側に向けて撮った写真です。

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雨のために少し見にくいかと思いますが、この視点で中央線が通るのを見たのは、なかなか良い経験でしたね。

■駅舎内部
プラットフォームにつながる階段の様子が3枚目の写真。その下4枚目の写真は見学ツアーではなく交通博物館の館内から覗くことができるようになっていた別の階段です。もちろん私はこの駅に入ったことがあるわけではないのですが、子供の頃歩いたどこかの駅の記憶が呼び戻ってくるかのようでした。

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■屋上から
5枚目の写真は交通博物館の屋上から見た写真です。画面の右側に見える窓のようなところが、見学ツアーで入り込んだ(1、2枚目の写真をとった)場所です。写真の左奥が秋葉原です。

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さてこの駅の跡(というか博物館の跡)には、どんな商業施設ができるのでしょう。秋葉原のすぐ脇でもあり、圧倒的なスケールでの昭和テイストも持ち合わせ、かなり魅力的な場所だと思われます。

脱皮を目指す?築地周辺の商店

築地周辺の商店が、ここ数年で大きく変化していきそうです。

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[築地場外市場商店街]

■市場移転がもたらす影響
東京の築地中央卸売市場といえば、水産物と青果物を取り扱う都心の“台所”ともいえる市場で、とくに魚・水産関連では国内最大の“魚河岸”です。その築地の市場は、早ければ6年後の2012年(実際にはもう少し後になりそうですが)に豊洲に移転することが決定しています。昭和初期からの古い歴史のある築地市場は、中央卸売市場としての役割を終えることになります。その跡地に、誘致を目指している東京オリンピックのプレスセンターを作るとか、いくつかの構想があるようですね。

築地の場内で営業している多数の卸業者にとって、市場の移転とともに豊洲についていくか、はたまた別の営業方法を模索するか悩ましいところですが、築地市場の周辺の店もまた、大きな岐路に立たされているといえましょう。

ご存知のように築地市場の外には“場外市場”が大きく発展し、プロだけでなく一般消費者や観光客などが多数訪れる場にもなっています。卸売だけではない、別の機能を併せ持ったユニークな商店街として成り立っています。その場外からみて“本体”であったはずの市場が、いずれ移転してしまうわけです。場内の卸業者とは違う意味で、今後の展開を慎重に考えなければなりません。

■土日の人手が確実に増加
市場の移転が正式に発表されたのはまだついこの間のことですが、計画については5年以上前から繰り返し検討されていました。表向き「移転反対」を口にしながらも、ここで商売されている方々はずっと次の手を考えてこられたようです。

「今後、場外商店街はどのような位置づけに変わればよいのか…」
「卸売と小売の両面について、どちらをどのように重視していけばよいのか…」
「そもそも今の業態を続けることができるのか…」

その結論が出るのはまだ先でしょうが、すでにさまざまな試みがされていることも事実です。この商店街を4~5年Watch! してきた者の目からすると、すでに次のような変化が生まれていることが感じ取れます。

・プロの買出しが集まる早朝だけでなく、昼の時間の人出が確実に増えている
・平日だけでなく、土曜の人出が確実に増えている
・一般客が入りやすい店作りをする店舗が確実に増えている

ようするに今、長い時間をかけて一つの巨大な商店街がゆっくりと、でも確実に舵を取って変わっていくその真っ只中にあるといえそうです。大きな流れからすれば「卸から小売へ」「プロ相手から一般客相手へ」マーケットの対象が移っているのでしょうが、一方で「卸売、プロ向け」の商売をいかにきちんと成り立たせるかが重要な課題となっています。他の一般の商店街とは違うユニークさこそが、築地場外商店街とその周辺の店を成功させる重要な要素となっているようです。

場外市場商店街では年2回、恒例となっている「半値市」が開かれます。その名の通り、いくつかの目玉商品が「通常の半値」で提供され、大変な活気があります。詳しくは
築地場外市場商店街 http://www.tsukiji.or.jp/

▽関連情報:
東京都中央卸売市場
▽追加記事:
築地場外の半値市
豊洲市場はパラドックスを解けるか?
豊洲卸売市場と財政問題

昭和レトロ 1-昭和風の外食店増える

「昭和テイストの店」が、外食産業にかなり広まってきました。
(正確に言うと「昭和」だけでなく「大正」「明治」もあるのですが、とりあえずここでは「昭和」風という言葉に代表してまとめさせていただきます)

アキバイチ
[秋葉原UDXビルにある店舗]

■日常生活に溶け込んだ“昭和レトロ”
もちろん、昭和風店構えの店はこれまでも多数ありました。ただ、これまではどちらかというと“奇をてらった”というか、少なくとも店構えだけでかなり目を引くことを目的に作られていたかと思います。街全体が昭和レトロを売りにしているところも少なくないわけですが、それは街というものの差別化をめざしたものといってよかったでしょう。日常集う場というより、特に意識して“訪れる”場であったかと思います。

しかし最近は、どうもそういった特別なものではなくなってきたようです。たとえば今注目されている秋葉原、この3月に開業したばかりの「秋葉原UDX」にある約30店舗のレストランのうち半数近くが昭和レトロ風、少なくとも「古い時代」を匂わせる店作りになっています。たとえば次のような店があります。

・須田町食堂(神田須田町にあった食堂-ホテルなどで知られている聚楽(じゅらく)が大正13年に創業した店-を再現したもの。経営はその聚楽さん本体で、新しい業態として成り立たせようとしてる様子がある)
・アキバ海岸(日本古来の煮込みカレーライス。“インド風ではない”とわざわざ謳っているところに、いかにも興味が惹かれる)
・築地食堂源ちゃん(海鮮丼と定食。築地仲買商でもあるサイプレスが経営。江戸前すしの「すし源」という店も展開している)

■まねるだけでは、すでに新味はない
秋葉原のこの場所は、確かにお祭り好きな人が多く集まる場所かもしれませんが、一方ではかなり日常的なロケーションといえます。そんなところに自然に浸透しているところをみると、昭和レトロは単なるブームではなく、ごくあたりまえの店舗フォーマットになったといってよいのでしょう。

逆に言うと、たんに昭和レトロをまねるだけでは新味さえない…。成功のためにはもう一歩踏み込んで、店舗設計をする時代になってきたといえそうです。

■新しい外食店フォーマットになる?
もっとも、よく考えると外食産業にはさまざまな“レトロ”があります。ステーキハウスなどによくある「古きよき時代のアメリカ」を模したアーリーアメリカン調の店。アイルランドの素朴な料理やビールと実にマッチしているアイリッシュ・バー。

さらにこの20年くらいでさまざまな海外の食文化が日本国内で評価され、さまざまなレストランのフォーマットが根付いてきたと思います。昭和レトロも(国内発の文化とはいえ)その一つと言ってしまえば、それだけのことかもしれません。

でも一方で、現代の日本は広い意味で「日本本来の文化」(の見直し、再評価)が意識されている時代とも言われます。そんな日本人の心理変化が、昭和レトロに目を向けさせているのかもしれません。

▽関連情報:
中小企業庁 「がんばる商店街77選」
…“昭和のまち作り”が評価されて選ばれた商店街が3個所もあります。
高畠市昭和縁結び通り/青梅市住江町商店街/豊後高田市昭和の町

ただしこれらが“観光客向けの顔”なのか、昭和レトロとして生活に根付いているものなのかとなると、少しずつ位置づけが異なることでしょう。

大分県豊後高田市 昭和の町
街元気-中心市街地活性化-大分県豊後高田市
山形県高畠市 昭和縁結び通り
・語ろ具 昭和の幻を再び。青梅にある昭和幻燈館で昭和にタイムスリップ!
・東京都港区 台場一丁目商店街

▽追加記事:
昭和レトロ 2-多店舗展開する居酒屋
昭和レトロ 3-多店舗展開する定食店
昭和レトロ 4-和惣菜と懐かしさの組み合わせ
昭和レトロ 5-新スポットの立ち飲みとバー