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脳測定を技能向上・伝承に生かせないか

個人の頭の中に閉じ込められている技を他人に伝えたり、言葉にしにくいものをなんとか言葉にしていく…。脳科学を応用してそのプロセスをスマートに進めることはできないものでしょうか。

(今回の記事は、個人的な観測ばかり含めた内容です。紹介している本と記事の内容に強いつながりがあるとは言えませんので、その点ご容赦を)

言語習得に関連する書籍2点
〔日本語は論理的である、脳科学からの第二言語習得論〕

■個人を対象にした脳科学の応用
脳科学の社会への応用が進んでいることを「身体を測る 11-脳の非侵襲的測定」「脳測定とマーケティング」で触れました。ニューロ・マーケティングやニューロ・エコノミクスは普通、多数の人や組織を対象にして、社会の中で戦略・戦術を考える場面で応用されます。

一方、個人を対象とした分野にも脳科学はもちろん応用でき、“脳トレ”がその応用例にあたります。ただし、一足飛びに結果を求める脳トレにまがい物があふれていることは否定しようがありません。現実の科学ではもっと地味な研究が一歩一歩進められているところでしょう。本サイトのテーマからすると、例えば

(1) 個人のより客観的な心理アセスメント
(2) 技能技術の伝承や、暗黙知の形式知化

につながるきっかけを脳科学に期待したいところです。

■技の伝承をスムーズに進めたい
上記2つのテーマのうち(2)、つまり個人がどのように特定の技能を習得していけばよいか、あるいは言葉で伝えにくい技を人に伝承させていけばよいかについて、最近発表されてくる脳科学研究を役に立てることはできないものでしょうか。“ニューロ・ワーディング”(neuro-wording)とでも名付けましょう(つい今しがた、この原稿を書いている間にひねり出した完全な造語です)。

これは一つの問題意識を示しただけで、その確固たる手がかりが私(松山)にあるわけではありません。実際の企業内での人材育成、技術伝承の手法を考えるときには、作業標準・作業手順書の作成、計画的なOJT、小集団活動といった従来からある手法を用い、一歩一歩地道な改善に取り組むといった姿勢が求められます。画期的な“改革”のような手段は、まずありません。

だからこそ、脳科学の研究から、よりスムーズに技の高度化、客観化ができるヒントを得たいと考えています。自分は脳科学者でも臨床精神科医でも何でもないので、たんに“あったらいいな”という希望を述べているに過ぎませんが…

※ wordingは“言葉遣い、言い回し”といった意味ですが、ここではやや広い意味でとらえ、言語だけでなくビデオ映像や録音、再現可能な動きを含めたなんらかの客観的な表現手法を含めて指すことにします。つまり、無理すれば言葉にできなくはないが、手間とわかりやすさを勘案するとその一歩手前で止めておいた方が利用価値がある表現もwordingの対象として分類します。“可視化(見える化)”と似た概念かもしれません。

※ 一つだけむりやりこじつけてしまうと、前回の記事「高田瑞穂著「新釈現代文」」で示されている「内面的運動感覚」なるものを発揮することが、ニューロ・ワーディングを的確に進める原動力になるような… (^_^)v

■言語習得の研究に脳科学
地に足が着いていない観測ばかりを言っても仕方ないので、少し現実に戻り、言語技能の習得と脳の関係が研究されている書籍を2冊ほど紹介します。

「脳科学からの第二言語習得論の研究」NIRSによる脳活性化の研究
【大石晴美(著)、2006年、昭和堂】

一言で言うと「日本人が英語のリスニングとリーディングをしたときの脳血流の活性度合いを測った実験結果」を解説した専門書です。NIRS(光トポグラフィー)を中心にいくつもの実験がされていますが、その実験結果からは例えば次のようなことが見出せたとされています。

・上級学習者では、右脳側面より左脳側面の血液増加量の割合が多かった。これは左脳にある「ウェルニッケ野」が活発に活動していたことを示唆している
・(短期記憶をつかさどる)前頭葉と(言語野がある)左脳側面の血流増を比較すると、中上級学習者は前頭葉より左脳側面に反応が強かった。上級学習者となると言語野近辺に選択的に血流増加がみられた
・大きくみると、
学習し始めたばかりの初学者…無活性型(どこも反応が鈍い)
初学者~中級学習者…過剰活性型(脳のあちこちが反応している)
中級以上の学習者…選択的活性型(言語野に限って強く反応している)
上級…自動活性型(強く反応する部分はかえって少なくなっていく)

「日本語は論理的である」
【月本洋(著)、2009年、講談社刊】

昔も今も「日本語は論理的でない」という誤解が時々語られますが、言語である以上、そんなことはまずありません。もし論理的でない日本語が蔓延しているとすれば、それは日本語の特性からくるものではなく、使う人の姿勢や教育の問題といえるでしょう。本書は、そのあたりを確かめながら、脳科学の視点から日本語の特性や教育論について解説している本です。脳測定の話が多数出てきます。

以前から研究結果として知られていたこと(角田仮説)をあらためてMEG(脳磁図計)などによる実験をした結果、次の事実が確認できたとされています。

・日本語(やポリネシアの言語)を母国語とする人は、母音を左脳で聴く
・英語人をはじめ他の多くの言語を母国語とする人は、母音を右脳で聴く

その他の検討と併せ、次のような考え方ができるとしています。

・人は発話開始時に最初に母音を「聴覚野」で聴く
・「自分と他人を分離して認識する」概念は右脳の聴覚野のすぐ隣で処理される
・右脳で母音を聴くと「自他分離」を処理する野が刺激され、人称代名詞などを多用しやすくなる
・左脳で母音を聴く日本人(やポリネシア人)はその逆に、自他の識別を示す言葉を積極的に使わない傾向がある

これが日本語で主格(主語)が省略されやすい仕組みだとしています。著者の主張については専門家からの異論も相当あるようですが、あくまで一つの仮説として考えるなら興味深い内容といえそうです。

■将棋名人の頭の中は
これらの研究とはまったく別のものですが、将棋の羽生善治名人を被験者の一人にして、脳活性の様子をfMRIで観察した研究がされています(理化学研究所脳科学総合研究センター)。fMRIに入ったままで詰め将棋などを解き、脳の反応を測定したものです。NHKの番組でも採り上げられたのでご存知の方も多いかもしれません。(NIRSではなく)fMRIなので脳の具体的個所や深部まで測定できています。結論として次のようなことが導けたとされています。

・アマチュア棋士は、前頭前野を中心に活性化がみられた
・プロの棋士は、脳のもっと深い大脳基底核尾状核が活性化した
・さらに羽生名人の場合に限っては、海馬にある嗅周皮質や脳幹にある網様体が活性化していた

ようするに何かを深く極めていく過程で、短期的な記憶→長期的な記憶→習慣的な行動や思考→本能的な行動や思考、へと脳内で主に働く部分が変化(高度化・自動化)していくことが示唆されます。常識と照らし合わせても十分納得できる仕組みでしょう。

*  *  *

言語技能や将棋の技能に限らず、高度な技を身に付けた人は、きっと頭の中の活性個所が初心者とも中級者とも異なることでしょう。また、技の伝承が得意な人は、理にかなった言葉の使い方や見せ方ができるものと推測します。

この分野についてもっと詳しい方に、ぜひご意見を伺いたいところです。

脳測定とマーケティング

言葉のアンケートに頼らざるを得なかった立場の人たちにとって、客観化された脳の反応は頼りにしたくなるはずのものです。科学者ではなくビジネスの立場、あるいは広告の立場から、いくつもの書籍が出版されてきています。

「買い物する脳」「脳科学から広告・ブランド論を考察する」
〔「買い物する脳」「脳科学から広告・ブランド論を考察する」〕

■ニューロマーケティングで消費者の本音はつかめるのか
広告というものは不思議なもので、テレビCMなり吊広告なりを「実際に見た」ことと「見たような気がする」ことと、違いがでます。また、意識の上で「好印象を受けた」ことと無意識の中で「拒否感を持つ」こととが同居していたりして、消費者の本音というものがなかなかアンケートなどではつかみにくいものです。

そんな消費者(視聴者、利用者)の反応を言葉ではなく身体の変化で確認することは、商品やサービス、ブランド、クリエイティブの質を測定する一つの重要な要素です。過去、(脳波を除けば)人の瞳孔の動き、脈拍・呼吸、皮膚の電気反応くらいしか物理的な測定ができる手段はなかったかもしれません。記事「身体を測る 11-脳の非侵襲的測定」で書いたように脳内の活動度を直接的に細かく測ることができる機械が発達し、広告やマーケティング関係者がこれらに目を向けないはずはありません。「ニューロマーケティング」と呼ばれています。

冒頭の2冊はいずれもこの分野に関するテーマの本です。

■日本の広告代理店も関わるビジネスの本
左の本は、ニューロマーケティングをビジネスにしている米国の会社の経営者が書いたものです。研究者ではなく当該ビジネスに携わっている方自身の著なので、当然ながら自社PR的要素が頻繁にでてきますが、内容としては理解しやすい事例が多数挙げられています。

たとえば買い物をするときにはミラー・ニューロンという脳の一部が反応し、ドーパミンに促されて「つい買ってしまう」ということになるのだとされています。会社のロゴより、商品を連想させる画像を見せることの方がよりその商品への購買意欲をかきたてるとのことです。また、携帯(ノキア)の有名な着信音が、ブランドと良い相乗効果を起こすというより、むしろ否定的な反応を強く起こしたという結果は、興味深いところです。タイミング悪くかかってきた電話などの経験と着信音が結び付けられてしまい、かえって不快感を呼び起こされてしまうとの分析です。

「買い物する脳 驚くべきニューロマーケティングの世界」
【マーティン・リンストローム(著)、千葉敏生(訳)、2008年、早川書房】

この著者の会社は、日本では大手広告代理店の博報堂が提携しています。fMRIと脳波計(EEG)を用いたニューロマーケティングのビジネスを広げようという目論見のようです。

■無意識的なプロセスを喚起する広告とは
右の本は、国内のアートディレクターによりまとめられたものです。広告人的な表現も交じっているためか言葉の定義が多いためか全体的に少し読みにくい感触がありますが、従来型マーケティングに携わってきた人に新たなヒントが示されるかもしれません。

たとえば日本の広告界では「広告を確かに見たか」といった意識的な注目率をチェックはしても、人の「情動」に深く関わっている無意識的な認知プロセスは無視されがちだとこと。その「無意識的な認知プロセス」はほんの数ミリ秒という短い時間で形成される、といった仕組みが解説されています。採り上げられている広告のほとんどはかつて著者が制作したもので、いくつか実際の広告効果が提示されています。

「脳科学から広告・ブランド論を考察する」
【山田理英(著)、2007年、評言社】

この2冊に限らずニューロマーケティングについては、医学的な知識がないと理解しにくい説明や著者の基本的な考え方によって互いに矛盾するような解説もあります。まだまだこれから解明されていく要素が多いのでしょう。いくつかの仮説はこれまでは検証不可能だったかもしれませんが、脳科学のツールの進歩により証明できるようになっていくのかもしれません。

■仮説を客観的に検証できるかも
もっとも、科学者ではない立場から書かれているこれらの主張や活動は、真摯な脳科学者にとって“噴飯モノ”のところも多いでしょう。前回の記事で触れた“神話”もどきがあちこちに垣間見られるからです。

しかしビジネスや広告の現場にいる人にとっての価値観は科学者とは異なります。いくら科学的に正しいことであっても実務から離れた真実はほとんど役に立ちません。一方科学的には曖昧だったり矛盾したところやいいとこ取りがあったりしても、現場で役立つ道具には大きな価値があります。本質的に両者が異なるということはないはずですが、現実にはどちらの見方をするかでとてつもなく大きな溝があるといわざるをえません。

広告に対する脳の反応パターンを単純に測っても、何も見出すことができないか、少なくとも無限に近い選択肢から何かを発見するかのような意味のない研究になってしまうでしょう。しかし一方で、あらかじめ何らかのマーケティング仮説または調査の手がかりを持ち、それを検証するために脳の反応を調べるということであれば、ニューロマーケティングの手法を用いることで有効な判断ができるのではないかと考えられます。

テストの開発、実施、利用、管理にかかわる基準

そもそも「人を測定するためのテスト」とはどのようなもので、どのように行われるべきものなのでしょうか。「テスト基準」なるものが2006年4月に公開されていますので、興味がある方はぜひ読んでみて下さい。

「テストの開発、実施、利用、管理にかかわる基準」
日本テスト学会 http://www.jartest.jp/ から入って http://www.jartest.jp/testsite/testkijyun/testkijyun3.htm
直接テスト実施にかかわりがなくても、人事管理関連の仕事をされている方には基礎知識として役に立つでしょう。「基準」というくらいですから、考え方や手順を用語の定義をはっきりさせながら構造的にきっちりと表現しているのですが、ここではできるだけ「基準」に示されたとおりの用語を使いながらも、少し簡略化した書き方でアウトラインをご紹介します。

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■テストの開発から実施すべての流れ
そもそもテストとは何かというと、「能力,学力,性格,行動などの個人や集団の特性を測定するための用具」(0.2節)です。本blogの視点で言うと、アセスメント(人事測定)に欠かせないツールと位置づけられます。

テストが現実に役立つものとなるためには、受検者質問項目に応えた回答から直接得点化された素点を、意味ある数値である尺度得点に変換するプロセスすべてについて考えなければなりません。たんに「それらしきテスト問題を作ればよい」というものではないのです。

開発する者としては、次の流れを確実に視野に入れることが必要です。

●基本設計
●測定内容の定義
●テスト形式(質問形式、回答形式)の設計
●採点手続の設計
●尺度の構成、標準化、共通尺度化
●尺度得点の信頼性と妥当性の確認
●メンテナンス、改訂

利用者や実施者としては、次のような流れを踏まえていなければなりません。
●テストの選択
●テスト実施の準備、受検者への説明
●実施および受検にかかわるさまざまな配慮
●採点
●結果の分析、解釈、検証
●受検者への結果報告
●記録の保管と再利用

これらほとんどの要素について、項目別にそれぞれ2~3行の短い記述ですが、考え方の基本となる事柄がまとめられています。また、コンピュータを利用したテストのあり方についても少し触れられています。「基準」から導かれる詳細な「ガイドライン」は、現在開発中のようです。

■実際の企業の現場では
実際のビジネス・人事政策の現場では、こんな理想的な準備はなかなかできないのが現実です。多くの場合は“走りながら考える体制”をとらざるを得ないことが多く、しかも走ってしまった方向からやり直しがきかずに、仕方なく荒野を走り続けなければならないといったことも起こります。

その過程で、前回の記事でも書いたような「日本の企業社会では本能的に受け入れがたいもの」にもぶつかります。たとえば、わざわざ複雑な要素を欲張って取り込もうとする思惑が測定の切り口を鈍らせたり、独特なテスト問題作りに精を出しすぎて尺度の共通化を難しくしたりします。

特にビジネス系の各種アセスメント・テスト、アチーブメント・テストがうまく機能しないことがある原因の一つは、やはりこの「テスト基準」に示されたような長期的なテストのあり方が必ずしも十分に社会に認識されていない点にあるのでは…。

だからこそ、こうした「テスト基準」が社会に浸透することで、企業の人事政策でももう少し客観的な測定論、測定技術に目が向けられることを期待したいと考えていますが、いかがなものでしょう。

■測定技術はまだ向上できる
この基準を作成、発表した日本テスト学会の理事長は、前回ご紹介した書籍「テストの科学」の著者でもある池田央氏です。

また、今回の「テスト基準」や日本テスト学会と直接関係ない追加情報ですが、比較的最近の池田先生の興味深いインタビューが次にあります。

「NAPE(全米学力調査)に学ぶ学力調査の技術」
(ベネッセ教育情報サイト BERD No.3(2006年3月発刊)
BERD http://benesse.jp/berd/center/open/berd/index.html から入って
バックナンバーのNo.4、http://benesse.jp/berd/center/open/berd/2006/03/pdf/03berd_05.pdf
副題に「測定技術の進歩が未来の学力を提起する」とあるように、人の特性を測定する「テスト」の過去、現在、未来について、わかりやすいインタビューとしてまとまっています。サイトの性格上、主に学校教育を想定した議論のようですが、社会人の能力測定についても相当に当てはまる考え方だと思われます。ご参考まで。

「テストの科学」

人の資質や能力を測る「テスト問題」。いくら作り手が「良い」と思われる問題を作っても、測定としては無意味な場合があるのです。

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「テストの科学 ― 試験にかかわるすべての人に」
【池田央(著)、1992年刊、日本文化科学社】

■きちんとしたテストを作る方法
アチーブメントテストでも心理測定テストでも、テストを行うからにはその目的にできるだけ沿った質問項目を作成したいものです。そんな仕事に関わる人には必読の書物の一つでしょう。本書はすでに14年も前に出版された書籍(さらのその前身だった新書版は1978年刊)。著者は、心理・教育測定の第一人者です。

たとえば一人の人の体重を測るとしましょう。仮にある時の身体の厳密な質量60.0kgの人が普通の状態で正確な体重計に乗れば、「60.0」(kg)という数字が測定されるはずです。しかしながら

・測定に使う体重計によってばらつきが出るかもしれない
・測定を行う時間によっても当然に体重のぶれがあるでしょう
・測定を行う場所によっても計測値に違いが出てくるかもしれません(※)

(※ 厳密に言えば、体重計で測る数値は「質量」ではなく「重さ」です。重力が1Gの場所で体重計に乗ったときには「60.0」(kg)と測定されますが、重力が1/6Gの月の表面で同じ人が同じ体重計に乗れば、そこで測定される数値は「10.0」(kg)となります)

このように体重でさえも、測定する装置および測定する条件が異なれば、測定値は異なってきてしまう可能性があります。ましてや人の特性や能力の測定を行うツールである「テスト」に携わる場合、そのブレとうまく付き合う技術が必要となるわけです。ブレをなくすことはできませんが、ブレを少なくするための努力はしなければなりません。

■テストのブレを防ぐ方法
あるテストを同じ人が複数回受けたとき、被験者の特性が変わらない限り、理論的には同じ測定結果(評点)が出てくるはずです。しかし当然ながら、与えられる課題が違えば評点は異なってくるでしょう。また記述式など客観テストではない場合、同じ解答であっても、採点者が異なれば異なる評点が付けられる可能性が高いでしょう。

そんないろいろな「ブレ」をもたらす要因のうち、どの要因は回避する必要があるのか、どの要因は必要最小限のブレとして許容する必要があるのかなど、著者の長い研究からわかりやすく導いています。

目的によってその結論は一意に決めることはできませんが、測定の信頼性を重視したとき、概ね次のようなことが言えるとしています。

(a) 「問題内容の違い」より「評価者の違い」が大きなブレをもたらす可能性が高い
(b) 問題の絶対「数」が少ないと、大きなブレをもたらす可能性が高い
(c) 一つの問題に複数の評価要素を同時に含めようとすると、測定目的がブレやすい
(d) 問題の「形式」が揃っていないと、本来の目的と異なる要素が紛れ込みやすい

これらの帰結として「択一式の問題を数多く集めた客観テスト」が、測定ツールとして大変優秀であることを論理的に説明しています。

■テストについてのかたくなな“神話”
当社(というか、この評を書いている私)もこれまで何度か、社会人向けの能力測定テストの開発や、特定企業における評価・育成システム構築に携わってきた経験があります。その経験から言うと、一般に次のような意見が(少なくとも社会人向け教育の世界では)一般的です。

(1) 択一式ではまぐれで良い点を取る人が出てくるかもしれないから、論文のような書かせるテストのほうがよいだろう…
(2) 機械的な採点じゃあてにならない。やっぱり人が直接採点しなければ…
(3) 人のさまざまな能力をみたいのだから、1つの問題にさまざまな評価要素を盛り込んだ良い問題を作ってくれ…
(4) 問題の内容によっていろいろな問題形式を作ればよいではないか。問題に書かれた要件を良く読まないのは受験者に責任がある…

上の(a)~(d)を踏まえて考えると、(1)~(4)はすべて間違った考え方だということになります。つまり、

(1′) 得点のブレが出ないためには、論文より客観式テストがよい
(2′) あてになる得点を導くには、うまく客観式テストを積み上げるのがよい
(3′) 人の能力を目的通り測定するには、評価要素を絞って問題作りをするのがよい
(4′) 人の能力を正確に測定するには、できるだけ問題の形式も揃えたほうがよい

ということです。しかしながらこれらの考え方は、日本社会での「社会人教育」とか「検定試験」とかに携わっている人たちには本能的に受け入れがたいものがあるようです。「論理的でない神話がはびこっている」などと言うと、私の愚痴になってしまうのでしょうか。

個人的に少し付け加えると、やはり
→ テストという「測定=アセスメント」のステップと、最終的に「評価=イバリュエーション」するためのステップを同一視しない
ことに重要なカギがあると考えています(人事測定と人事評価の違い参照)。もう一つ、
→ 測定に役立つ問題作りと、教育・育成に役立ちそうな問題作りとを同一視しない
という視点も大事だと考えていますが、どうでしょうか。

少し私の個人的な意見が先にたってしまいました。理論のいろいろなバックグラウンドやテスト問題の実践的な開発方法などは、本書にわかりやすく説明されています。また、テストのあり方だけでなく、偏差値の話、日本の風土の話など、もう少し広いテーマに言及していますので、ぜひ参考にされてください。

おすすめです。

目次
1章 学力測定の難しさ
2章 評点システムの検討
3章 細目積み上げ方式のすすめ
4章 客観テストの設計
5章 よい問題を作るために
6章 偏差値について
7章 採点と決定のモデル
8章 テストと日本の風土
9章 未来のテストに向けて