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「宇宙飛行士選抜試験 ファイナリストの消えない記憶」

[写真中央]の「宇宙飛行士選抜試験 ファイナリストの消えない記憶」(内山崇氏著)。2008年のJAXA試験で最終試験まで進んだ方の著書です。

astronaut select test2008

■「当事者」としての覚悟

書籍としては出版されたばかり(2020年12月)ですが、レポートされている最終試験が行われたのはもう13年も前になります。当時の宇宙飛行士選抜の様子はNHKでもレポートされましたし、漫画「宇宙兄弟」でも宇宙飛行士選抜の様子がたびたび表現されていますが、やはり当事者からの情報は興味深いことばかりです。

結局のところ、重要な役割を担う立場に立てるというのは、本気の経験や覚悟が大きな軸となって自らの内に組み立てられているかどうかにかかっているのでしょう。人間力そのものの重要さに圧倒されるばかりです。付け焼刃だけではなんともなりません。

「宇宙に行きたい」ではなく「宇宙で自分は何ができるか」をきちんと意識しているかどうか… 当事者としての意識がことのほか重要であることが、本書から深く伝わってきます。それは、宇宙飛行士に限られず、他の仕事や立場でも同じかもしれません。

■写真に並べた他の本について:

[写真右]「宇宙飛行士の育て方」(林公代氏著)は、この分野で著名なジャーナリストが2010年に書かれた本で、2008年試験については特に詳しく説明されています。

なお、著者の林公代氏は2014年にも「宇宙飛行士の仕事術」という著書を書かれており、その出版記念に今回の「宇宙飛行士選抜試験」著者である内山崇氏と二人で行われたトークショーをされたことがありました。その場で私も聴講していました。
本サイトの関連記事:
https://mir.biz/2014/05/0600-0105.html

[写真左中]「中年ドクター宇宙飛行士受験奮戦記」(白崎修一氏著)は、1998年宇宙飛行士選抜試験のファイナリストのお一人による体験記(この時の合格者は古川さん、星出さん、山崎さん)。日本における宇宙飛行士試験の内容が一般にも広く知られるようになった先駆けとなる情報だったかと思います。
https://mir.biz/2006/07/1716-1011.html

[写真左端の2冊]「ドラゴンフライ」(ブライアン・バロウ氏)は、かつて宇宙に浮かんでいたロシアの宇宙ステーション「ミール」を舞台としたノンフィクション。米露の宇宙飛行士が共同して事に当たる場面で、大変な困難があったことがわかります。
https://mir.biz/2006/09/0601-1248.html
https://mir.biz/2006/09/1510-4732.html
https://mir.biz/2006/10/1122-1350.html

「宇宙飛行士の仕事力」

若田光一宇宙飛行士がISSの船長の役割を担い、活躍されています。一つのコミュニケーション・ミスが重大事件を引き起こしかねない宇宙では「誰がリーダーであるかを誇示する必要はない」。組織のあり方について、一つ先の未来モデルを示しているのかもしれません。

「宇宙飛行士の仕事力」p105と表紙
[宇宙飛行士の仕事力、林公代著、日経プレミアシリーズ、2014年]

■宇宙飛行士と管制官
本サイトで久しぶりに、宇宙もの書籍をご紹介します。宇宙ライター林公代氏の最新著。出版に際し4月22日に、東京の八重洲ブックセンターで「宇宙飛行士・管制官の仕事力に迫る!」というトークショーが開かれました。それも聴講してきましたので、本書とトークショーの内容を含めて少しだけメモをまとめてみました。

「宇宙飛行士の仕事力」目次
第1章 日本人初の「国際宇宙ステーション船長」誕生
なぜ船長に選ばれたのか
仕事は打ち上げ前に終わっている
一匹狼型チャレンジャーから協調型リーダーへ ほか
第2章 「1000分の3」の選抜試験
理想の宇宙飛行士8つの資質
覚悟をうながすチャレンジャー号事故の映像
ディスカッションで能力をあぶり出す
最後の合否を分けたもの ほか
第3章 「想定外」でも生きて帰るための訓練
最短4年半の訓練
本番より厳しいシミュレーション
リーダーの間違いを指摘できるか
ミスを極力減らす方法 ほか
第4章 仕事場は宇宙
「あうんの呼吸」の過信は禁物
短時間でチームワークを築くには
命令しないリーダーが一番 ほか
第5章 宇宙飛行士はつらいよ
大変なのに、つらそうに見えないわけ
宇宙飛行士の「引きこもり」事件
遠慮しすぎず、気にしすぎない ほか

■超現実の世界で通用するリーダー像
目次を見るだけでも、これが宇宙に関心のある人だけに役立つ話ではなく、一般の企業、組織、個人にとって多くの示唆があることがわかると思います。

地球上では、組織の中で少しくらいのコンフリクトがあっても、普通は当事者にとって逃げ場が全くないわけではありませんし、直に人の生命につながる場面は少ないでしょう。しかし宇宙では「ちょっとドアを出て外の空気を吸ってくるわ」とはいきません。また、ほんのちょっとのミスがクルー全員の命を危険にさらす可能性があります。この状態を、“生死と隣り合わせの中でごまかしのきかないミッションを遂行していく”という意味で、私はよく「超現実的な世界」と表現しています。

その超現実的な宇宙ミッションの世界にも、かつてのマーキュリー・アポロ計画/スプートニク・ボストーク計画の時代と今とでは、組織づくりに関して大きな考え方の変化があります。NASA(アメリカ航空宇宙局)もРоскосмос(ロシア連邦宇宙局)もそれぞれ失敗を重ねた上で、それぞれの長所を取り入れた運営システムに成長しています。JAXA宇宙飛行士の若田光一さんが日本人として初めて、かつ(軍出身でなく)文民出身として初めてISS(国際宇宙ステーション)の船長となったのは、若田さんの能力・人柄とともに、組織運営の考え方が変わってきた大きな流れの中にあると受け取ることが出来ます。

本書の中に「誰がリーダーであるかを誇示する必要はない。たとえるなら『透明な氷のような船長』でありたい」という若田さんの言葉が紹介されています。かといって、日本のくたびれた組織の管理職のように“いてもいなくても同じ”という存在ではもっと困ります。リーダーは一体何をする役目で、そのためにどんな考え方をもっていたらいよいのか。現代の一つのリーダー・モデルが本書の中で説明されているのではないかと感じられます。

林氏は4年前に「宇宙飛行士の育て方」という本を書かれていまして、その時も本ブログで紹介しようと思っていたのですが、書き逃していました。

■基礎訓練だけで1600時間強?
本書に、JAXA資料による「宇宙飛行士の訓練の流れ」(最短4.5年)と、そのうち基礎訓練(1.5年)の説明が記されています(冒頭の写真参照)。これによると、次のような訓練で構成されています(たぶんここに示されているもの以外にもカリキュラムがあるのだろうと推測します)。

・イントロダクション(163時間)
施設ツアーが105時間と多い
・基礎工学(45時間)
航空宇宙工学概論、電気・電子工学概論、計算機概論
・宇宙機システム・運用概要(53時間)
各国の宇宙機、ロケット等の概要
・ISS/きぼうのシステム(174時間)
ISS運用、ISSシステム、きぼうのシステム・運用訓練
・サイエンス(162時間)
宇宙科学研究、ライフサイエンス、微小重力科学、地球観測・宇宙観測
・基礎能力訓練(1031時間)
一般サバイバル技術訓練、体力訓練(104時間)、飛行機操縦訓練(240時間)、英語(200時間)、ロシア語(200時間)、メディア対応訓練、写真技術、水泳技術ほか

計算してみると計1600時間強。飛行機操縦、語学、および体力関連で全体の約1/2といったところでしょうか。項目を見るだけで我々一般人はため息をついてしまいそうです。もし私が候補生になったとしても、余裕を持って取り組めそうな時間は「水泳技術」(5時間)くらいしかなさそうです。ハァ…

これ以外にも、さまざまな情報が盛り込まれています。

■必要十分な情報を、相手を見て伝える技術
4月22日に行われた八重洲ブックセンターでのイベントは、林公代氏ともう一人JAXA管制官内山崇氏のトークショーで、内山氏は現場で起こるあれこれを結構生々しく話されていていました。内山氏は、自身が宇宙飛行士選抜試験の最終選考まで残った経験があり、その後日本実験棟「きぼう」やHTV「こうのとり」の管制官として活躍されています。

面白い話はいくつもあったのですが、以下に少しだけ挙げてみます(私のメモに基づいて再構成したもので、本人の発言通りではありません)。

まず、主に“管制官”に求められるコミュニケーションの話:
・限られた時間内にコミュニケーションを完了させなければならないので、短い言葉で的確に伝える必要がある。まず結論を言ってから、その理由などを説明する。事前にさまざまな訓練やコミュニケーションをとっていれば、(複雑な背景なども)結論を言った段階ですぐに理解してもらえることもある
・伝えておけば安全だが、忙しい中で当たり前のことを伝えても、無駄になりうる。かといって「彼は言われなくてもわかっているだろう」と安心しすぎてしまうのも、後で問題が起こりかねない。プライオリティの判断はフライトディレクターにかかっていて、重大である
・完璧すぎるリーダーに対しては特にその線引が難しい。現場(ここでは宇宙飛行士)の側としては、たとえわかりきったことを伝えられても、広く聴く姿勢が必要だろう

■マニュアルでもカバーしきれない状況
ついで、マニュアルとルール、リスク管理の話。

・「こうのとり」のマニュアルは、実にその95%がトラブル対処法についての記載である
・運用にあたって、確固としたフライトルールがあり、それに沿っている。リスク回避に関しても、例えば「1つ壊れたときは fail operative」「2つ壊れたときは fail safe」といった指針があり、それに従う。マニュアルにその場合の対処法を示してある(のでその記述が大半を占めてしまう)
・とは言いながら、運用の世界では何ヵ所壊れようが、簡単にミッションをあきらめるというわけにもいかない。マニュアルには1つ2つ壊れた後の対処法まで書かれているが、その先、追加で何をしていくべきなのかをリアルタイムで決めていくことが求められる

人材育成、組織開発、キャリア形成、コミュニケーション論など、いろいろな視点から参考になろうかと思います。

宇宙飛行士選抜(NHKスペシャルより)

NHKスペシャル「宇宙飛行士はこうして生まれた~密着・最終選抜試験~」。宇宙飛行士の選抜試験にテレビカメラが入ったのは初めてだそうです。閉鎖環境試験で個々の受験者が評価されていく様子など、興味深い番組でした。

Nスペ宇宙飛行士選抜
〔NHKスペシャル 宇宙飛行士選抜試験〕

■テレビカメラで見る選抜の様子
10年ぶりに行われたJAXAの宇宙飛行士選抜試験の内容が、NHKスペシャルで報道されました(NHKの番組宣伝ページ)。最終選考に残ったのは10人。うち2人、油井さんと大西さんが選抜されたことが先日報道されたばかりですが、その選抜の一端が画像で示されました。

前回(10年前)の宇宙飛行士選抜時の際、最終選抜まで残った白崎修一さんという方が大変興味深い本を著しています。本サイトでもその本を紹介「中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記」させていだたきました。その他「閉鎖空間の人間関係(NBonlineより)」など、宇宙飛行士選抜と一般企業でのマネジメントを絡めながらいくつか記事を書いてきました。

JAXAとしては、選抜で重視する内容が毎回変わってきていることでしょう。今回の選択では、宇宙ステーションでリーダーとなって働けるコマンダーの選抜を目指しているようで、番組でも閉鎖空間でのリーダーシップのとり方を評価している様子が特に強調されていました。

■最終選抜まで残ったのは10人
番組によると、今回の選抜は次のステップで行われたとのこと。

0 応募:理科系のバックグラウンドと実務経験 →963人が応募
1 英語力や仕事の実績審査 →230人に絞られる
2 物理や化学などの専門知識の審査 →50人に絞られる
3 医学検査、および面接 →10人に絞られる
4 閉鎖環境試験、NASAでの面接、最終面接 →2人合格

最終面接に残ったのは、パイロット4人(油井氏、大西氏、S氏、D氏)、医師2人(E氏、K1氏)、科学者・技術者4人(A氏、U氏、K2氏、Y氏)。正直、この人たちがすでに持っているキャリアの内容を聞くだけで、我々一般人はため息をついてしまいそうです。それほど超優秀な方々が選ばれています。おそらく、この段階になると誰でも十分に宇宙飛行士になる資質を持っている方ばかりなのでしょう。

■閉鎖試験で測られる資質
宇宙飛行士に必要な資質としては、次の4点ほどが説明されていました。

1 リーダーシップ
2 ストレス耐性
3 場を和ませる力
4 緊急対応力

これらを閉鎖環境の中で測るための試験は20種類以上行われたとのこと。うち
・ロボットの設計と製作
・折り紙(多数の鶴を折り続ける)
・特技の披露
などが映像で示されていました。その後米国NASAに出向いて行われた面接試験、日本での最終面接などが紹介されていました。

正直いってテレビで紹介された試験の内容はごく一部に過ぎません。先に触れた白崎さんの本「中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記」の方が詳しいと思われます。しかし、実際に映像でこれらの様子が見られるのは、やはりインパクトがあります。

そして最後に受験者に問われるのはやはり「覚悟」だとのこと。これはたぶん宇宙飛行士だけでなく、他の職業でも基本的な同じことなのだろうと推測します。

閉鎖空間の人間関係(NBonlineより)

宇宙飛行士の閉鎖空間実験に実際に関わっているJAXAの専門家へのインタビューが掲載されています。実験とはいえ、途中で人間関係の重大なトラブルが発生してしまった例などが語られています。

NBonline画面
〔日経ビジネスオンライン当該記事の冒頭画面〕

■専門家が語る、宇宙空間のストレス
日経BP社のサイトNBonline(日経ビジネスオンライン)に掲載された、JAXA(宇宙航空研究開発機構)井上夏彦氏のインタビューを興味深く読みました。

シリーズ「ストレス革命~ビジネスパーソン再熱化計画」
閉鎖空間のストレス・マネジメント術~井上夏彦氏 前編後編
(冒頭ページ以外は、会員登録した人のみが読める)

当サイトではこれまで、宇宙飛行士の人間関係の話(a)、ストレスなどの身体測定の話(b)、組織とリーダーシップの話(c)などをいくつも書いてきました。

(a)「ドラゴンフライ」2-宇宙空間で危険な諍い「中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記」
(b)身体を測る 09-ストレスの強さを測る身体を測る 05-健康状態がわかる睡眠シート
(c)フォロワーシップ(follower ship)「組織行動の「まずい!!」学」

なんだかテーマに脈絡がなく書き散らかしているサイトと思われるかもしれません。が、記事を書いている方としては無関係にテーマを選んでいるというわけでは必ずしもなく、かなり共通した問題意識の下にあります。今回ご紹介するインタビューはその問題意識の“ど真ん中にヒット”しているかのような記事でした。

■われわれの普段のイライラなど、たかが知れたもの
インダビューイーの井上氏は、宇宙飛行士の精神心理支援のプログラムを作成しているとのこと。記事には、ミール宇宙ステーションの事例ほか、日豪加露の模擬的な閉鎖環境実験のなかで起こったトラブルの話が簡単に語られています。「文化の違いからくる誤解」「リーダーやフォロワーのあるべき姿」「宇宙飛行士のストレスの客観的な計測」「精神的支援の具体策」「クルー・リソース・マネジメント」などが少しずつ語られています。現在行われている新しい宇宙飛行士選抜の話にも少しだけ触れています。

また、国際宇宙ステーションに搭乗する宇宙飛行士が持つべき精神心理的スキルが、「異文化適応ができる」「リーダーシップ、フォロワーシップがある」など8項目にまとめられて明示されています。この8項目は、一般の組織においても大変役立つ指針のように思われます。

記事自体は前後編併せてもさほど長いものではなく、また一般向けに語られているので、本当に専門的といえそうな事象説明まではありません。少し物足りないので、できれば何か別の機会に、このテーマで掘り下げた記事か何かがあればと、勝手に希望したいところです。

普段の生活で、われわれは他人との協業、折衝、コミュニケーションを通じ、うまく折り合いやペースが合わず、時にイライラし、ストレスを感じるものです。しかしそんなもの、周囲にウマが合わない人がいたとしても、閉鎖空間での多国的な文化の衝突に比べれば、“たかが知れたもの”。しかも、日常生活ではちょっとした諍いで生命の危険にさらされることもまれなので、宇宙空間より“ずっと安全” !

そんな当たり前のことを認識するだけで、何よりわれわれのストレス対策になるような気が… しませんか?

「ライディング・ロケット」

“ぶっとび宇宙飛行士”の軽快な自伝。企業経営の立場からは、NASA組織の問題点についての生々しい描写が特に気になります。宇宙飛行士を目指す方にとっては、宇宙飛行士という仕事の実像について触れられる良い材料だと思われます。

ライディング・ロケット
「ライディング・ロケット」(上下巻 概観)
【マイク・ミュレイン(著)、金子浩(訳)、2008年刊(原著は2006年刊)、化学同人】

■下ネタ満載、本音も満載
この2月にJAXA(宇宙航空研究開発機構)が10年ぶりの宇宙飛行士選抜を発表して以来、当サイトに「宇宙飛行士」をキーワードにしてアクセスされる方が増えました。特に宇宙飛行士の選抜について書いた記事「中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記」をご覧になる方がどっと増えたのがここ数カ月の特徴です。その選抜時(10年前)の合格者である星出飛行士が乗り込むスペースシャトルSTS-124ミッションは、打ち上げがまもなくに迫っています。

本書「ライディング・ロケット」は、“著名な宇宙飛行士が書いた真面目な記録”というものからは程遠いユニークな本です。一言で言うと、下ネタ満載のとんでもない本(笑)。たとえば「コンドーム」という言葉が一体何回出てくるか、女性差別的発言が何回出てくるか…。さらには、宇宙空間でエイリアンと会って合体したとかいう冗談まで言い出す始末。真面目な記録の中にこうした下ネタが1つでもあると問題視されそうですが、上下巻で600ページ超(日本語訳版)、全42章にわたる長編の半分をこうした下ネタで確信犯的に埋め尽くしていれば、もうそこには違和感など持ちようがないのが面白いところです。

“ぶっとび”の理由は、物語の半分を占める下ネタばかりではありません。残りの半分には、下ネタと同じ軽いノリで書かれていながら、内容的にはNASAという組織内部の特定の人たちに向けた「辛辣な批判」が満載されています。しかし、辛辣な批判の数々も笑いの種と一緒くたになって語られていることが、これまた妙に悪い気分を読者に感じさせません。実にうまい味付けになっています。

■秘密主義が組織・メンバーの士気を損なう
1970年代から80年代にかけて、ジョンソン宇宙センターで絶大な権力を振るっていたジョージ・アビーという人物がいました(当時「搭乗員運用管理局長」)。この人については、宇宙ステーション・ミールを舞台にしたノンフィクション「ドラゴンフライ」でかなり辛辣に描写されていて、そのことを本サイトでも採り上げました(参考:「ドラゴンフライ」3-官僚組織化する宇宙機関)。しかしアビーを糾弾する度合いにかけては、本書の方がさらにスゴイ。著者ミュレインたちがアビーの命令の下で辛い思いをしていたときの、悲鳴のようなものが聞こえます。宇宙飛行士たちにとってNASAに棲息する元凶のような存在だったと…。

かいつまんで言うと、
・アビーは宇宙飛行士たちのミッションへの割り当てに関する権限を一人で持つなど、専制的に振る舞い、そのために多くの宇宙飛行士がアビーを蛇蝎のように嫌っていた
・アビーは自分がコントロールできないコミュニケーション・ルートが組織内に生まれることを極度に嫌い、結果として組織内に疑心暗鬼を生んだ
・アビーは飛行士割り当てのルールをほとんど示さず徹底した秘密主義をとり、その結果として宇宙飛行士の士気を損なっていった
などです。

著者については、宇宙飛行士になってから相当に長い間待たされた挙句、アビーからやっと初フライトの割り当てが言い渡されました。それはスペースシャトルの新しい機体ディスカバリー号の初フライトでした。そのときのことを、こんな風に表現しています。

「私たちは(アビーから)ディスカバリーの初飛行をまかせられた。ストックホルム症候群の人質のごとく、私たちは皆、平身低頭して(アビー)に感謝した」。

■問題解決の必要性がわかっていても、手をつけられない
こうした事例は、現代の企業組織でもときどき発生しているモデルとも言えるでしょう。

→トップが何らかの面(営業的な実績があるなど)で優秀な場合、権限を最大限発揮し、できる限り組織を自分の管理下で動かそうとしがちになります。
→多くの場合、組織内の横のコミュニケーションを(口ではともかく本心では)あまり好みません。
→これが組織に浸透してくると、トップ下の管理職までもがそれぞれ主導権を取り合い、権力のせめぎ合いが起こりがちになります。
→権力者に擦り寄り、おべんちゃらを言うメンバーが増える一方、互いに裏では悪口ばかり言う、ひねくれた組織風土ができてきます。
→仕事に対しても、本来の目的や効果より社内力学や諦めが前面に出てきて官僚化が進みます。

そんな事例は、いろいろな会社に関わっていると何度となく実際に目にされるものです。

本書および「ドラゴンフライ」のアビー評/NASA評はほぼ一致しています。つまりこの時代のNASA(少なくともジョンソン宇宙センターなどスペースシャトルのプロジェクトを企画・運営する組織)は、アビーの専制的管理体制の下、そんな危険な組織風土を持っていたことが確かなようです。きちんと問題点がしかるべきところに伝わらない、もしくは問題解決の必要性がわかっていても誰も手をつけられない…。本書からは、宇宙飛行士たちのそんなもどかしさと危機感が読み取れます。

そんな体制が1986年のチャレンジャー号事故と2003年のコロンビア号事故につながったことを、著者は、軽めのノリの文章でオブラートに包みながらも、“当事者として”説得力ある説明をしています。なにしろ、宇宙飛行士の割り当てが少し違っていただけで、著者自身が事故を起こしたチャレンジャーに乗り組んでいた可能性があったのです。現実は、著者の特に親しい同僚のうち何人かがこのチャレンジャー事故で亡くなっているのを目前に見ています。

さらに、チャレンジャー事故後再開されて間もなく著者が乗り組んだSTS-27ミッションでは、打ち上げ時に(後の)コロンビア事故と似たような損傷を受けていて、帰還時に700枚の耐熱パネルが剥がれていました。それを帰還前にクルーも地上も認識していたにも関わらず、“賭け”のようにして帰還(大気圏突入)を命令された経験がありました。後から考えると、このときコロンビア号のように空中分解せずにすんだのは、まさに幸運に助けられた結果だった模様です。

■優秀な人も、役職次第で害となる
アビーと並んでもう一人、著者を悩ましたとされるのが、アポロ時代のムーンウォーカーの一人ジョン・ヤングとのこと。ヤングは、ジェミニの時代から宇宙飛行の経験を積み、(失敗して命を失う危険がかなりあったとされる)スペースシャトルの初フライトにも船長として乗り組んだ、いわば全世界で最も経験を積んだ宇宙飛行士とも言える人です。本書が書かれたこの時期のヤングは「宇宙飛行士室長」で、現場を取りまとめる最高責任者のような役割を持っていたはずでした。

ヤングについては、「月の記憶」という本の中で、心をなかなか開かない気難しい男性であるような描写がありました(参考:「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」。「月の記憶」を読んだときはどうも腑に落ちないヤング評でしたが、本書を読むとさらに意固地な性格があったことがわかります。

ヤングの直接の命令で動いていた著者が、あまりのヤングの聴く耳の持たなさに閉口させられ、たびたびヤングの激怒の対象となり、敵視され、精神的に追い詰められてしまう…。本書にはそんな経緯がけっこう細かく描かれています。挙句、著者は理不尽なプレッシャーにより精神的にダメージを受け、意を決して精神科の医師を訪れるに至ります。
「ヤングとアビーのせいで頭がおかしくなりそうなんです」。

そこで精神科の医師からは、こんな言葉が返ってきました。
「同僚の宇宙飛行士のみなさんから(同じような話を)うかがってますよ」!

著者をはじめ宇宙飛行士の誰もが、ヤングの“宇宙船を操る技量や勇気”を高く評価してはいたのは事実のようです。しかし、管理職という役職としてのヤングの力量はかなり弱かったことがうかがえます。いくら優秀な人も、その人に合わない役職につけられると、本人も周囲も不幸になるという典型のようです。その他、組織やリーダーシップについて考えさせられるケースがいくつか紹介されていますので、興味のある方はぜひ本書を読んでみてください。

いずれヤングもアビーもそれぞれの役職を去ることになるのですが、それを惜しむものなどいないどころか、皆揃って祝杯をあげるほど喜んだそうです。アビーの送別パーティーが行われたときは、本人を前にしながら、暴君的振る舞いに対する痛烈な批判と皮肉が浴びせかけられるほどだったとのことです。

■宇宙飛行士としての条件?
それにしても、宇宙飛行士という仕事の先の見えなさ、NASA上層部に対する疑念…。

一方で、ほんの数回しか実経験できなくても、命を賭けた宇宙飛行ミッションという仕事の素晴らしさ…。

そのバランスの中で、著者のマイク・ミュレインは、時に危うい精神状態を保ちながら、時に許される範囲で精一杯の悪ふざけを興じながら、全体的には前向きの人生を送ってきたようです。

著者は、自分を含め、女性に対して失礼なことばかりする粗野なパイロット仲間たち全員を「惑星AD(Arrested Development:発育不全)出身」と表現しています。宇宙飛行士とはいえ人格者とはかけ離れたような存在と自覚しているようです。特に自分のことは「本当は落第生なのに間違って宇宙飛行士に選ばれてしまったに違いない」といった表現をするほどです。その前提の下で、下ネタを飛ばし、毒舌を飛ばし、自虐的ギャグを飛ばし、でも誇りを失わず、真正面から宇宙飛行士の実像を描いた本書は魅力的です。

しかもこれだけの下ネタも下品にならず、これだけの批判的意見にも悪意が感じられないのは、おそらく著者の人柄によるのでしょう。また、あけすけに表現しているにも関わらず、書かれていることはおそらくすべて公表して問題ないものと判断していることをうかがわせます(たとえばミュレインが飛んだ3回のミッションのうち2回は軍事機密に関わる任務についていたため、シャトルでの仕事内容はまったくといってよいほど語られていません)。さらに、自分が宇宙に行けたのは「NASAのチームの肩に乗せてもらったから」であり、数え切れないほどの人々に「心からの尊敬と称讃の念」を抱いていることも口にしています。

下品になる一歩手前、ブラックになる一歩手前まで突っ込んでも度を越えない絶妙のバランス感覚をみると、やはりこの人も宇宙飛行士としてのライト・スタッフ=正しい資質を持った人なのだろうと推測されます。だからこそ(自らの自虐的表現とは裏腹に)宇宙飛行士選抜のプロセスを通過したこと、そして3度もの宇宙ミッションに参加できたのだろうことを納得させられます。たんに“ぶっとんだ”だけの人物、シニカルなだけ人物では、万が一“間違って選ばれた”のが事実としても重要な任務に複数回つけるものではありません。相当の覚悟とプロ意識、さらには意に沿わぬ上司や組織の命令とも折り合いをつけてやっていくだけの見識を持っていることが、宇宙飛行士として選ばれるために必要な条件だったに違いありません。

■宇宙飛行士になるという、じつに特殊な覚悟
本書の記述からは、宇宙飛行士の間には、自分たちと同様に厳しい訓練をし、難しい仕事をしてきた仲間であれば、それが女性であろうが研究者出身であろうがどんな国籍であろうが差別せず、同じ仲間として認める意識が確実にあることがみてとれます。一方そうでない人、いわゆる“お客さん飛行士”(世間の注目を得たりスポンサーを満足させたりするために、主に政治的な思惑から搭乗させるパートタイム宇宙飛行士。宇宙に理解を示している顔して同乗を画策する政治家や有名人や一部のペイロード・スペシャリスト)に対しては、「我々が宇宙に行く機会を奪っている奴等」として反感を持つと、本書の中に何度か描かれています。

そのうちの一つにSTS-95ミッションで77歳のジョン・グレン(マーキュリー計画「オリジナル7」の一人、米国3人目の宇宙飛行士、後に上院議員)が飛ぶことになったことにも触れられています。曰く、「(グレンは)ミッションに不可欠ではない人物。老年医学研究うんぬんはたわごと。例によって有力な政治家のための口実。グレンの個人的満足のためリクスを犯すなど正気の沙汰ではなかった…」と。

こうしたドロドロした話を読むと、“お客さん宇宙飛行士”が周囲から受けたであろう冷たい視線が推測できます。また、当初はペイロード・スペシャリストであった毛利さんが後にミッション・スペシャリストとして厳しい訓練をして再挑戦したことの意味も、その後の土井さん、若田さん、野口さんが苦労して宇宙飛行士仲間の信頼を築いていったことの価値も、(あくまでも連想にすぎませんが)本書から間接的に感じることができるかもしれません。

これから1年近くかけて行われるJAXAの宇宙飛行士試験を目指す方々には、それだけの覚悟と責任感と、そして仮に宇宙飛行士に選ばれたとしても何もできず無為に人生が終わる可能性があるという覚悟さえも求められることでしょう。でも…………、

そんな覚悟を持つ方がたくさん発掘されることもまた、社会から期待されていることでしょう。