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「NASAを築いた人と技術」

大規模組織の内部に切り込んだ、一種のマネジメント事例として読みました。NASAといっても構成するセンターごとに生い立ちも組織文化も違うなど、興味深い記述があります。一般の組織運営でも役立つヒントが多数あるのではないでしょうか。

本書付録の組織図
〔本書付録にある詳細な「組織図」(有人宇宙船センター)。クリス・クラフトなどの名が見える〕
【佐藤靖(著)、2007年刊、東京大学出版会】

■天下のNASAだって、ただの人の集まりじゃないかっ
本サイトでは、これまでも宇宙機関に関連する話題を組織・人事的な視点から記事にしてきました(月の記憶ドラゴンフライ-1同-2同-3日本企業はNASAの危機管理に学べなど)。本書は、まさにNASAという組織の分析がテーマです。ただし現在のNASAの話でなく、1950年代後半から1970年くらいまでのアポロに代表される時代が対象です。副題は「巨大システム開発の技術文化」。

遠くからNASAのような組織をぼやっとみている限りでは、一枚板の強固でシステマチックな組織だと思えてしまいます。しかし本書ではまず、NASAを構成する各センター間に相違があることが明確にされています。さらに、ワシントンのNASA本部から持ち込まれる技術手法や送り込まれる管理者が各センターと盛んに軋轢をもたらし、時に変化し、時に挫折する様が丁寧に描かれています。

ようするにNASAといえども、我々の身近にころがっているそこらの会社と同じ未成熟な組織に過ぎないのでしょう。歴史的事実を示して説明されることで、そんな当たり前のことに今さらながら気付かされます。

本書の第1章から第4章で、NASAの4つの異なるセンター(マーシャル宇宙飛行センター、有人宇宙船センター、ジェット推進研究所、ゴダード宇宙飛行センター)についてまとめられています。第5章は日本の宇宙開発機関の話題です。

〔目次〕
序章 未踏技術への陣容
第1章 フォン・ブラウンのチーム学
第2章 アポロ宇宙飛行船開発
第3章 大学人の誇りと試練
第4章 科学者たちの選択
第5章 人間志向の技術文化
終章 システム工学の意味

■あちこちで反発を浴びる「システム工学」
第1章を単純化してみると…
・ロケット技術者の第一人者でありマーシャル宇宙飛行センターをまとめるリーダーとしても長けた能力を持つヴェルナー・フォン・ブラウンらが、
・NASA本部から持ち込まれる「システム工学」の考え方と対峙し、時に猛反発しながらも、
・フォン・ブラウンの卓越した判断力とチームの団結力を背景に、サターンV型ロケット(アポロ打ち上げに使ったロケット)開発プロジェクトを大成功させる。
・ただしフォン・ブラウンが退いた後は、予算縮小の波の中でチームは縮小(消滅?)していく。

第2章については…
・有人宇宙船センターは、ロバート・ギルルース、クリス・クラフトといったリーダーの下で“徒党的”ともいえる組織に成長していたが、
・NASA本部から送り込まれたジョセフ・シェイによって、(それまでとは水と油のような考え方である)システム工学の手法がもたらされ、
・既存メンバーと頻繁に衝突しながらも、有人宇宙飛行のための業務体系化に成功していく。
・アポロ1号火災事故を機にシェイが去ったこともあり、「人的解決」も「システム工学的解決」の要素も持ち合わせた組織作りが進み、アポロの成功につながっていく。

うーむ、概略としては少し下手なまとめ方だったかもしれません。詳細はぜひ本書を読んでみてください。リファレンスが非常に充実していますので、英語の資料にあたることができる方は、もっとずっと多彩な情報にたどり着くかもしれません。他の章でも、それぞれ興味深い記述があります。

■「属人的なノウハウ」と「脱人格化したシステム」
我々もいろいろなチームやプロジェクトに関わっていると、仕事の進め方で大きな違いがあることを経験します。特定の人のリーダーシップに引っ張られるチーム、仲間内ではツーカーで自動的に意図が伝達し事がうまく運ばれるチーム、常に細かく明示的なドキュメントを作ってそれを軸に仕事を進行させるチーム…。チームの仕事の運び方を認識していないと、実力のある人でも全然役に立たなかったり、険悪なチーム構成になってしまったりします。

それでいて、特定の組織文化に染まったメンバーだけで仕事を続け異分子の参加を避けていると、組織そのものが衰退したり、大きな失敗につながったりします。某老舗食品会社の製造日偽装事件など名の知れた企業の不祥事がここのところ次々明らかになっていますが、外部からの異分子が経営に参画していればもっと早く手を打てた事例かもしれません。あるいは異分子にあたる存在が、昨今の事件発覚(ひいては正常化)に一役買っているのかもしれません。

また、プロジェクトの初期に取り決めた仕様や契約がいつのまにか変わっていくことはままあります。状況変化に柔軟に対応できる人がいたからこそ成功したプロジェクト、きっちりドキュメントをまとめることをしなかったために崩壊したプロジェクト、各人の責任範囲を明確化した故に相互補完できず特定の人にしわ寄せがいったプロジェクト…。本書を読みながら、自分の過去の失敗が思い浮かんでくることもありました。

「経営はアートかサイエンスか」は長く議論されているテーマです。本書で使っている用語と少し意味が違うかもしれないことを承知で単純な表現をすると、
「属人的(≒アート的)手法」と「脱人格的(≒サイエンス的)手法」の衝突
が本書の重要な視点といえそうです。

本書については、宇宙開発の分野で有名な技術ジャーナリスト、松浦晋也氏のblogでも紹介されています。ご参考まで。
「NASAを築いた人と技術 巨大システム開発の技術文化」

「日本企業はNASAの危機管理に学べ」

「国際宇宙ステーション計画で、なんらかの悲劇的な事故が起きるのではないかと憂慮している」と著者は警鐘を鳴らしています。

日本企業はNASAの危機管理に学べ
「日本企業はNASAの危機管理に学べ!」
【澤岡昭(著)、2002年刊、扶桑社】

■宇宙プロジェクトにはやはり失敗も多い
以前の記事で採り上げた「組織行動の「まずい!!」学」と同じような「失敗学」の本といえます(こちらのほうが出版は先)。米国の宇宙機関の強さや賢さについてわかりやすく解説するとともに、宇宙からみの事故とそのマネジメント上での欠点について考察しています。

俎板の上に乗った素材は、アポロ1号爆発事故、アポロ13号の危機、スペースシャトル・チャレンジャー号事故、ミール・スペースシャトル計画のいざこざなど。事故の内容は他の書籍・報告書で繰り返し説明されている通りなので、この分野に精通している方にとって目新しい情報があふれているとは言いがたいかもしれませんが、日本の宇宙開発プロジェクトに実際に関わってきた著者としての視点はやはり参考になります。

テーマと、それぞれについて学ぶべき“教訓”(答)は、次に挙げる目次を見ることでほぼ推測できると思います。技術的・専門的な本ではありません。

〔目次〕
第1章 真実は現場に聞け―アポロ1号焼死事故は語る
第2章 情報は一元化すべし―アポロ13号奇跡の生還
第3章 組織優先の意思決定の落とし穴―チャレンジャー爆発の隠された原因
第4章 シミュレーションが危機を救う―NASAの「What if games」
第5章 ロシアの宇宙ステーション事故―政治的に決定された無謀な計画
第6章 国際宇宙ステーションの危機管理―救いのない憎しみとあきらめからの脱出
第7章 異文化混合から生まれたマニュアル―マニュアルを守るということ
第8章 閉鎖空間の危機管理―航空機事故に学ぶ機長の危機管理
第9章 決定的な要素 リーダーの資質―マスメディアの道化師にならないために
第10章 アメリカへの宇宙からの神託、火星へ―あこがれの国への回帰

■責任のありか
個人的には、「責任のありか」とリスクとの関係についての考察が参考になりました。

たとえば、日本以外の「すべての航空先進国では、操縦ミスに対してパイロットの責任は問わない」という点が何度か強調されています。誰でも責任問題がからむと、自らの立場を守る意識がどうしてもでてくる。こと航空機のパイロットについては、その弊害が大きいという意見です。

「事故によって生命の危機にさらされるのはパイロットとて同じであり、パイロットは最善を尽くすはず …(中略)… 同様の事故の再発を防ぐためには、操縦士の罪を追及するより、真実を知ることの方が優先されるべき」

一般企業の場合とは少し異なるかもしれませんが、たとえば何か不祥事が起こったとき、現場担当者個人にすべての責任を追いかぶせて真の原因を隠してしまい、また同じような不祥事が起こることを目にします。現場担当者が権限の範囲で精一杯活躍して結果的に失敗したときには、過剰な責任を現場に負わせないことも重要なのかと思われます。

■アポロ13号事故の責任
それと逆の例として紹介されているわけではないのですが、アポロ13号事故の際のNASA幹部の対応が対照的です。

アポロ13号のあの事故が発生した後、宇宙船のロケット噴射方法をめぐっていくつかの選択肢がありました(すぐに引き返す/スピードを上げて月を回って戻ってくる/時間をかけて月を回って戻ってくる、といった選択)。この選択はほぼ技術的な判断による(管理者ではなく現場が意思決定していく類の問題)といってよいでしょう。実際、最良と思われる選択肢を見極めたのは、実質的に管制官ジーン・クランツをリーダーとした現場担当者グループでした。

しかしこのとき、本来大所高所から方針を下す位置にいるNASA幹部がわざわざロケット帰還方法を決めるための会議を開き、最終的な意思決定をしたようです。上が下に意見を押し付けたという意味ではなく、むしろ最高幹部が決めたという形式をとった(≒その責任を幹部がとることを自ら明らかにした)ことで、クランツら現場の心理的負担を軽くし、任務の遂行をしやすくした、と筆者は推測しています。

もちろん、どんなことも上が責任をとればよいというわけではありません。現場には現場の責任があるのはもちろんです。たとえば、アポロ13号の燃料タンク爆発が起こった時点から異常個所の把握とその重大さに気付くまで約1時間もかかっていました。その間無駄に電力資源が消費されたため、後の帰還までに残された電力が本当にギリギリになってしまいました。この責任の所在は、明らかに管制官であるクランツにあったということです。「もし、電力不足による帰還失敗という事態になっていたなら、この点についてクランツは責任を問われていたであろう」と著者は述べています。

■標準マニュアルの功績と、属人的な強さ
また本書では、標準マニュアル化の重要性について1つの章が設けられています。NASAという組織の強みとして、一つひとつの作業が事細かにマニュアル化されることとか、さまざまな出来事が記録として残され分析や後の意思決定に活かされることが、事実とともに語られています。

話は少し違いますが、本blogではコンビニという小売業態についてもテーマとして採り上げています。コンビニに限らず、こうしたチェーン店が多店舗となっても機能する原動力の一つに「マニュアル」の存在があります。つまり、ある一定の合理的なオペレーションを「標準手順」としてマニュアル化し、それを関係者が一定の価値観の基で共有する。それがあってこそ一定品質の商品・サービス提供できるわけで、現代のフランチャイズやレギュラー・チェーンが成立する重要な要素になっています。

米スペースシャトルの(打ち上げはともかく)宇宙実験が成功を収めているのは、まさにその手法が機能している結果なのでしょう、極端に言えば「NASAのどの宇宙飛行士が行っても、その能力の違いで成果が大きく異なることがないよう実験マニュアルと訓練がされている(最初から、そうしたマニュアルを着実に実行できる人が宇宙飛行士として選ばれている)」。そんなシステム作りがしっかりしていることが、組織としての強さであることは間違いありません。

しかしながらその一方で、属人的な仕事の進め方があったからこそうまくいった例が示されていることも興味深いところです。

人間関係つくりで失敗続きだったミール・スペースシャトル計画(「ドラゴンフライ」 1-宇宙飛行士の“問題児”たちなど参照)でしたが、NASA2人目の飛行士シャノン・ルシドはかなりの成功を収めました。ロシア飛行士との人間関係も良好で、各種の宇宙実験も比較的スムーズに進んだとされています。

ルシドの成功は、彼女の優秀さもさることながら、運用リーダーにガーステンマイヤーという柔軟な頭脳の持ち主がいて、彼が地球側(ロシアの地上サイト)で黒子となったことが重要な要因だったそうです。NASAのシステムやマニュアルによっていたというより、ガーステンマイヤー個人のいろいろな判断が、ロシア側ともルシドとも良好な関係を作り、適切に仕事の手当てをできたのかもしれません。

注目したい点の一つは、ガーステンマイヤーの仕事ぶりに支えられていたにも関わらず、その経緯やノウハウが他と共有される形になっていないことです。「彼がいかにしてルシドの黒子を務めたかについて一切記録を残していないので、それは謎として語り継がれている。その意味でも彼の仕事ぶりはNASA的とは言えず、彼のキャラクターのなせるわざであったのではないだろうか」と著者は推察しています。

■国際宇宙ステーションでもきっと危機が起こる
ミールに関する記録、特に事故原因や事故回避のいきさつ、人間関係などについての記録は、他のプロジェクトと比べるとかなり少ないそうです。そのため未だに不明な点が数多く残っているようです。これを明らかにして教訓にしない限り、いやそれを明らかにしてもなお、不測の事故は起こるのかもしれません。それが著者の「国際宇宙ステーション計画で起こりうるなんらかの悲劇的な事故への憂慮」につながっています。

なおスペースシャトル・コロンビア帰還失敗事故は本書が書かれた後に起こった事件でなので、本書には書かれていません。コロンビア号事故に関しては、後に同じ著者が「衝撃のスペースシャトル事故報告書」(中央労働災害防止協会刊)という書籍を出版しています。そこでは「NASAの危機管理が結果的にはお粗末であった」ことに触れているなど、また認識を改めなければならない様子もみられます。

タイトルからイメージされる「企業に役立つ危機管理の手引書」というより、もっと気軽な読み物と位置付けるのが良いでしょう。

「ドラゴンフライ」3-官僚組織化する宇宙機関

ある時期の成功の代償として、長い間に組織が官僚的になる。宇宙機関に限らず、一般の組織でよく起こる現象なのでしょう。

「ドラゴンフライ ― ミール宇宙ステーション悪夢の真実」(上)(下)
【ブライアン・バロウ(著)、北村道雄(訳)、寺門和夫(監)、筑摩書房、2000年】

本書で描かれている問題発生の背景を簡単な図で表してみました(説明後述)。
Dragonfly-org.gif

■「組織を牛耳る影の支配者」
これまで2回の記事(「ドラゴンフライ」1「ドラゴンフライ」2)で、ミール・スペースシャトル・ミッション(フェイズ1プログラム)に関わった宇宙飛行士たちの醜態を紹介しましたが、本書ではNASA上層部についても容赦していません。とくに「組織を牛耳る影の支配者」ジョージ・アビーという男の話がとくに“いやらしく”描かれています。

詳細は本書第2章を読んでいただくとして、概ね次のような成り行きがあったとされています。

・アビーは飛行士選抜に決定的な権限を持っていた
・アビーに気に入られるかどうかが飛行士たちにとって重大な問題となった
・アビーは陰険なやり方で気に入らない人や意見を排除していった
・スタッフは常にアビーの顔色を窺いながら仕事を進めるようになった

アビーはいったんNASAから排除されワシントンで職につきますが、そこでかえって政府中枢に取り入れられるチャンスを得ます。1992年にNASA長官の懐刀のような立場でNASAに戻り、政治的な力をさらに振るうようになります。

■“伝説の管制官”物申す!
アポロ時代のNASA地上管制官のジーン・クランツという名前をご存知の方は多いと思います。映画「アポロ13」ではエド・ハリスが演じていた実在の人物です。本書にもクランツの証言がところどころに出てきますが、とくに次の証言に注目できます。

「20年前に私たちが仕事をしていた頃、管理職についていたのは下からはいあがってきた者ばかりで、部下から尊敬されていた。問題を解決するためにときには激しい言葉の応酬もあったが、率直に議論ができた。でも今は雰囲気が違う。管理職をやっているのは誰かの都合のいいように選ばれた者たちで、下積みの経験もなく十分なコミュニケーションのもととなる健全な敬意も持ち合わせていない。もはや自由で率直な話し合いをできない」

そしてその元凶がアビーだとしています。アビー自身はアポロ時代の現場から昇進していった人間なのですが、結果としてはNASA官僚組織化の道を敷いてしまう主役を演じたのかもしれません。

■じゃあ、昔は本当によかったのか?
もっとも、ここではアビー1人が完全なヒール(悪役)のように描かれていますが、実際の責任の所在はもっと複雑だったと個人的には推測します。少なくとも、アビーのやり方はクランツをはじめとした先人たちを受け継いだ結果であることは明らかです。

例えば「宇宙飛行士の人選に強大な権限を持っていた」というのは、アポロ時代のディーク・スレイトンやアラン・シェパードのやり方そのものではないのでしょうか(参考:「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」)。また、成功者として位置づけられているジーン・クランツとスペースシャトル時代の管制官とで、プロとしての意識の差がそんなにあるとは思えません(“体育会的な熱意”には差があったかもしれませんが…)。

おそらく…。(アビー側からの釈明がないので)勝手な推測ですが、アビーは官僚組織の元凶と本書に書かれていることを相当に“的外れ”と受け取っているのではないでしょうか。あえてアビーの肩を持つと「あんたら先人の成功したやり方を踏襲し、かつ政府が指示する予算削減と折り合いをつけ、かつ属人的にならないシステム作りに尽力した結果なのだ」なんて反論したくなるかもしれません。

そしてこうした、当事者にとっては理不尽とも思える経緯こそが“官僚組織化”の本質なのではないかとも思います。過去の成功や安定は、長い時間をかけてシステマチックになるなかで、結局マイナス面をもたらしていくものなのでしょう。

■ロシア側にも多くの問題
ロシア宇宙局についてはNASAほど詳細に描かれていませんが、「NASAよりさらに強固な官僚的習慣があった」とされています。飛行士が目の前で大きな危険に遭遇したとき、管制側がその報告を「誇張した夢物語」としか受け取らず信じなかったなどいう、それこそ信じられないことが結構あったようです。そのほか、ロシアの官僚組織としての弱点、国の資本主義化に伴う問題点などが次のように語られています。

・ミールの技術的情報は必ずしもドキュメントになっておらず、関係者の頭の中だけに存在していたものが多かった。しかも、技術上の秘密を守ることに極めて用心深く、米側の問い合わせに応じないことも少なくなかった
・ロシアの宇宙服や宇宙ステーションの欠点は、矮小化されたり非公開だったりした
・予算が削られる中、ミール維持のためにさまざまな方法で商売をしなければならなかった。
→CMの撮影優先や“お客さん”の招待(例えば日本のテレビ局の記者搭乗)など
・ロシアでも宇宙に飛び立つための「契約書」を飛行士と交わすようになった。
→実験の回数、船外活動の回数、失敗をした場合の罰金の取り決めができた。
→その結果宇宙飛行士は宇宙で都合の悪い情報を地上に伝えなくなるようになったり、準備不足の船外活動を強行したりするようになった

そのほか、ソビエト連邦の崩壊と民主化が組織を取り巻く環境に大きな影響を与えていたことがわかります。ミールの技術を実質的に引き継いでいたエネルギア社は民間企業へと転換しました。それまで“国内”だったウクライナ(ミールの自動ドッキング・システムを作っていた会社がありました)やカザフスタン(ロケットの打ち上げがされるバイコヌール宇宙基地があります)が外国となり、それぞれ複雑な交渉を必要とするようになっていきました。

■米ロの文化の違い
遡って1960年代米ソ宇宙先陣合戦の頃から、ソ連の宇宙計画全体に流れる人命軽視の空気に対して、アメリカ側は常に不安を持っていたとされています。実際、NASAは何か重大な(とくに人命に関連する)問題であれば、きちんとその原因を追求しその対応策を施すという姿勢があります。成功しているかどうかは別にして、たしかにチャレンジャー事故後は3年間、コロンビア事故後は2年半、スペースシャトル計画を中断してでも問題解決に時間を割いています。

一方ロシアは、何か事故が発生しても、外から見た目では何かよくわからない程度の改良を施したようなイメージで、ケロリとした顔をしてまた宇宙に飛び立っていくかのようにみえます。これが、NASAの宇宙飛行士たちに「ロシアは人命を軽視している」という不安を常に持たせることとなったようです。

「双方の考え方に絶えず断絶があった」のは、容易に想像できます。そして米ロ双方の組織風土や環境の変化や文化の違いが、フェイズ1プログラムのいざこざにつながっていったといえそうです。原因の一つひとつは“遠因”かもしれませんが、かなり本質的な原因として位置づけられるでしょう。

■官僚化による現場サポート機能の不全
望ましいサポート体制として、冒頭の図のような流れが考えられます。

・クルーが(事前準備も含め)何か問題に直面したとき、地上スタッフへ素早く状況報告や問題解決の依頼をする
・管制官など地上スタッフは必要十分な情報をクルーに提供し、現場段階で処置できるものは対応する
・組織的な(上層部の判断が必要な)対応が必要な問題については、それを組織に素直に依頼する
・組織としては、なるべく現場の負担軽減につながるようサポートする

しかし本書に描かれている数々のアクシデントおよびインシデントからは、次のような構図が見て取れます。

・組織から地上スタッフに、方針徹底などの強い命令が下される
・それを受けた地上スタッフは、クルーにあれこれ指示する。結果的に現場(宇宙)での活動そのものを制約していく
・クルーは身動きが取れなくなっても、正確な状況を報告できない。または報告しても解決されなかったり、地上からの情報提供が不十分であることが続いたりして、状況報告そのものをあきらめてしまう(自ら解決するしかないと考えるようになる)
・地上スタッフも上下から板ばさみになり、責任逃れが先にたつなどして、組織に対して有効な働きかけができなくなる

結局、クルーと地上スタッフ、その後ろの組織の3者間で誤解を生じ、深刻な対立関係を生むことになります。本書ではこれについて、関係者の次のような証言が紹介されています。

「ほとんどの場合、問題の出所は組織だ。クルーや地上チームが組織の上層部にサポートしてもらえていない。問題の80%はこうしたことから起こる」

宇宙飛行プログラムに限らず、一般企業でよく発生する構図ですね。その意味でも、本書で描かれている組織問題の数々は、我々組織人にさまざまな示唆を与えてくれるような気がします。

この本が書かれた後の話になりますが、NASAの組織的な問題点は、スペースシャトル・コロンビア号の事故にも確実に関連しているでしょう。また、現在進められているISS(国際宇宙ステーション)では、日本をはじめ数カ国の共同ミッションとなっています。米ロ2カ国であってもそれぞれの責任範囲が定まっているとそこに他者が口を出しにくくなることが本書から読み取れますが、本書に描かれているような危機的経験をぜひ教訓にして、ISSで同じような深刻な問題が起きないよう期待したいところです。

「ドラゴンフライ」の書評(+α)を3回に分けて長々と書きましたが、書評としてはこれで終わりです。でも、ここで出てきたテーマ(組織、人材、宇宙など)について、今後もいろいろ触れるつもりでいます。

「ドラゴンフライ」2-宇宙空間で危険な諍い

宇宙ステーションで起こるいくつもの争いを冷静に見てみると、それは現実社会(企業社会)で起こる人間関係の縮図のような気がしてきます。

DragonFly2a-s.jpg
「ドラゴンフライ ― ミール宇宙ステーション悪夢の真実」(上)(下)
【ブライアン・バロウ(著)、北村道雄(訳)、寺門和夫(監)、筑摩書房、2000年】

「ドラゴンフライ」1-宇宙飛行士の“問題児”たち の続きとして、宇宙ステーションでの人間関係について少しご紹介します。

宇宙飛行士個人の諍いについてあげつらうつもりは毛頭なかったのですが、やはり気になる話題がたくさん出てきます。あらためてこの本を読んでみると、宇宙ステーションという特殊な閉鎖空間の話というより、我々のごく日常的な生活の中で起こる問題が分かりやすい形で切り出されたきた話のように思えます。

■問題に慣れると問題の存在を忘れるようになる
米側の宇宙飛行士は、ミールに入ってすぐ、船内が相当ひどく散らかっていたことに驚かされました。それまでの宇宙生活でたまった残骸(小型コンピュータ、事務用品、道具、音楽テープなど)が、無重力の部屋のあちこちにあったそうです。

また、ミールのモジュールとモジュールが何本もの太いケーブル(換気チューブとか通信ケーブルとか)で無造作に結んであるため、モジュールの間のハッチを閉めることができなくなっているところがありました。万が一あるモジュールで機体破損などの事故が起こった時、他のモジュールまで波及し全滅しないように、途中のハッチを完全に閉めて隔離しなければなりません。ハッチを閉めるためには、数多くのケーブルを無理やり切断することになります(事実、貨物船プログレス衝突事故でまさにその通りの事態が起こった)。

そんな安全上の不安を米側の宇宙飛行士が口にしても、ロシア側の反応はいつも同じで「一応耳を傾けはするが、結局そのまま無視」だったされています。NASAも結局は同じような反応でした。

このあたりの反応(一応耳を傾けはするが、結局そのまま無視)は、ビジネスパーソンなら、というより社会の中でなんらかの組織・グループで活動をした経験のある人なら誰でも、かなりはっきりイメージできるのではないでしょうか。問題を指摘しても、その問題に慣れてしまうと誰も解決しようとしなくなる…。

■優秀な飛行士も、時と場合により問題児になる
ミール・ミッション(フェイズ1)の米側飛行士7人のうち「問題を起こした数人は“問題児”」と前回書きましたが、ジェリー・リネンジャーなどと違い、ジョン・ブラハはNASAではかなり優秀な宇宙飛行士の一人だったようです。それでも彼のミール・ミッションの4カ月は、本書の記述をそのまま受け取れば失敗だったと思わざるを得ません。

ブラハは体力、精神力とも優れ、それ以前のスペースシャトルで船長まで務めたベテラン宇宙飛行士でした。話によると几帳面すぎるほどしっかりと仕事をするタイプの人だったようです。“でも”というべきなのか、“だから”というべきなのか、ミール・ミッションの混乱した仕事の進め方には耐えられませんでした。

彼自身、有能だとはいえ「他の人に、はなはだしく依存する性格がある」ことが、ロシア側が行った性格検査(アセスメント・テスト)から事前に見て取れたといいます。その詳細までは書かれていませんが、推察するに「箸の上げ下ろしも部下や秘書がやってくれるような条件の上で本来の力を発揮できる“お殿様”的リーダー」だったのかもしれません。

そんな人、我々のまわりにもたくさんいますね。「大企業の社長は務まるかもしれないが、実働メンバーの立場になると何一つできない」「公の場では威張っているが、家庭では家人なしにお茶さえ自分で入れることができない」なんていうタイプの人が…。

また、ちょっとしたコミュニケーションのミスで、ミールのロシア人船長ワレリー・コルズンと怒鳴りあいになったそうです。無駄に30分くらいの時間を費やすことになってしまい「あんたのせいで35分も時間を無駄にした…」などと怒り狂ったといいます。こんな人(先輩)も現実の企業世界にいますよね。とくに有能とされる人に多く…。

そんなブラハが、時にはワレリー船長から「アメリカ人なら幼い孫にしか使わないような口調で命令された」といいます。長い共同生活がずっとその調子では、自らのペースをつかみようもありません。

■「まさか私が鬱病になるなんて…」
そんなロシア人に悩まされるよりもっとブラハを苛立たせたのが、米側のサポート体制だったといいます。訓練期間中、ロシア語の習得に費やされた時間はわずか4カ月しかありませんでした。仕事のマニュアルをめぐって、出発前から繰り返しヒューストンと対立します。「何かを求めても結局実現されないやりとり」が繰り返されるとどうなるか。“被包囲心理”、つまり「周りは敵ばかりだから、何もかも自分でやらなければならない」という心理状態が強くなり、結果的に気持ちがどんどん内へ向かうことになります。

それでいて、ヒューストンはブラハを完全に自分たちのコントロール下に置くことを疑わず、運用管理者にそれを求めます。両者の認識の違いは広がるばかり。ついにブラハは、ミール内で鬱病にまで陥ってしまいました。

「つねづね自分のことを、物事を前向きに考え、ほかのクルーが気落ちしているときに元気づけてやるタイプの人間だと思っていた。その自分が鬱病にかかるなんて理解しがたいことだった」(上巻p.188。文面は多少変更)。そんな告白を他人事ではないと感じる方もまた、少なくないでしょう。

■現場を知らない本部管理職にコントロールされる恐怖
この経過を現実のビジネス社会になぞらえ、勝手に次のような喩え話にしてみました。

・本社が、支店の営業力向上のため、本社の有能な「幹部」を支店に派遣する
・その「幹部」は、支店では営業現場の最前線で力を揮うことが期待されている
・「幹部」は有能だが、周囲に部下の手足があってこそ力を機能するタイプの人である
・しかし実際には「幹部」に手足となる部下はなく、仕事の手順書もなく、支店の文化も非常に異なる
・「幹部」は支店の現場が頼れないと悟り、本社に手順書などの作成を要望する
・しかし本社はその要望の真の意味が分からず、本社の認識を基本に「幹部」に指示を出し続ける

・「幹部」は本社もあてにならないことを知り、自分流の仕事の進め方に頼る。そして1週間に7日懸命に働こうとする。いちいち細かい動きを本部に伝えても無駄と感じられて、報告も滞る
・しかし本社は、本社の方針に沿って「幹部」に成果をあげてもらわなければならないから、監視役をたてて「幹部」を完全なコントロール下に置こうとする
・せっかく苦労して「幹部」が支店の営業現場に即した仕事の進め方を実行しようとしても、本部は認めず足を引っ張るような結果となる。
・「幹部」は自らを否定されたような立場になる
・本社との溝も、支店の他のメンバーとの溝も、いずれも深まるばかり。しかしそれでも我慢して続けなければならない立場に追いやられる

真面目な人であればあるほど、精神に支障をきたすことになりそうです。そんな話も、この現実のビジネス社会でたくさんありますね…。

■短距離走のつもりで長距離走は走れない
NASAの地上管制官への不信感もあり、ブラハが次の“問題児”リネンジャーに引き継ぎをするとき「地上からの支援はあてにするな。ここで頼りになるのは自分だけだ」とか警告していたそうです。それが今度はリネンジャーの“唯我独尊”を助長してしまうのですから、まさに悪循環です。

ブラハについては、一緒に訓練を受け気心の知れたロシア人クルーたちとはむしろ良い人間関係を作ることができたとしています。ブラハがもとから“問題児”だったのでは決してなく、ミール・ミッションという仕事のシステムとか、与えられた職務内容とかが、とことんブラハに適合しなかったために生じた摩擦といったほうがよいのでしょうか。ブラハに限らず、ミール・ミッションに関するNASAの人選や育成方法は失敗続きでした(誰もミール・ミッションに参加したがらず、他に人選の余地がなかったという現実があったにせよ)。

少し違う視点から見ると、シャトルの1~2週間という「短距離走」と、ミールの3~4ヵ月という「長距離走」の違いということもできるようです。短距離走しか参加したことのない米宇宙飛行士が、同じ流儀で長距離走に参加しようとしてもだめでしょう。短距離走者の育成・コーチ・コントロールしかしたことのないNASAが、配下の選手を長距離走の選手になるべく無理やり選抜・コーチ・コントロールしようとしても失敗するでしょう。ペース配分や考え方自体が、相当に異なっていたのかもしれません。


それはそうと、今まさにスペース・シャトル(STS-115)によるISS(国際宇宙ステーション)組み立てミッションが進んでいます。
また、近い将来ISSに搭乗する予定の若田宇宙飛行士が、ISSでの滞在を念頭に、米国の潜水艦に滞在して閉鎖空間での長期間生活訓練を受けていると伝えられています。若田さんはすでに何度か閉鎖環境テスト(「中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記」でもちらと書きました)を受けたはずですし、実際の宇宙飛行も経験済みです。さらにロシア語も習得済み。ロシアの星の街・訓練センターでの訓練も経験済み。なのになぜまた今さら閉鎖生活訓練を受けるのだろうと、初めは少し疑問を持ちました。

でも本書に書かれているようなスペースシャトルと宇宙ステーションの決定的な違いを読むと、あらためてはっきりその背景や意味が納得できるような気がします。

「ドラゴンフライ」1-宇宙飛行士の“問題児”たち

あまり広く知られていませんが、宇宙飛行士同士の軋轢と宇宙機関の組織体質のひどさが、宇宙ステーション計画をぶち壊しそうにしたことが過去にありました。


「ドラゴンフライ ― ミール宇宙ステーション悪夢の真実」(上)(下)
【ブライアン・バロウ(著)、北村道雄(訳)、寺門和夫(監)、筑摩書房、2000年】

■宇宙ミッションをめぐるドロドロの物語
なぜこのblogは宇宙モノばかり採り上げるのかと言われそうですが、経営マネジメントの観点からも、当社の社名(ミール研究所)との関わりからも(笑)、やはりこの本に触れないわけにはいきません。この本には、NASA(アメリカ航空宇宙局)やRSA(ロシア宇宙庁)や宇宙飛行士個人の恥部とも受け取れる驚くべき告発が満載されています。あまりに生々しく、にわかに信じられないような(そのまま信じてしまっては物事の半面しかわからないだろうと感じられるような)記述もありますが、組織のあり方を考えるには良い題材となるノンフィクションです。

ミール・ミッション(正確に言えば「フェイズ1」)で実際にミールに滞在したNASAの飛行士は次の7人でした。

ノーマン・サガード  1995.3-1995.7
シャノン・ルシッド(女性) 1996.3-1996.9
ジョン・ブラハ  1996.9-1997.1
ジェリー・リネンジャー  1997.1-1997.5
マイケル・フォール  1997.5-1997.9
デビッド・ウルフ  1997.9-1998.1
アンディ・トーマス  1998.1-1998.6

■NASAはミール・ミッションを軽視していた
本書によると、このうちまともにロシア側クルーやNASAと良好な関係で仕事を継続できたのは、ベテラン女性宇宙飛行士のルシッドくらいだったのでしょうか(それでも相当に苦労したことが描かれていますし、次任者ブラハとの友情は完全に壊れてしまったようですが…)。フォールも相当良い適任といえる人材だったようですが、なにせその時期(1997年)は、貨物船プログレスのミール衝突などミールに危機的な事故が続きました。

最初のサガードは、ロシア側のキャプテン、デジュロフの権威主義と調子が合いません。プラハ、リネンジャー、ウルフは、それぞれとんでもない問題 ―人間関係上の問題― をミールの中で起こしています。しかも、それらは予測不可能な問題だったのではなく、ミッションに行く前から明確に懸念されていたことでした。

端的に言えば、
・彼らは宇宙飛行士としての資質に欠いた“問題児”ばかりだった
ということになるのでしょう。

もう少しその背景を挙げると、
・NASAはミール・ミッションを完全に軽視していた
・ミールに参加しようという飛行士はほとんどいなかった
・そのためNASAは他に使いようのない問題児飛行士ばかりを仕方なくあてがった
・しかもNASAとRSAでは、仕事の進め方や考え方、文化に大きな隔たりがあった
・それでいてNASAとRSAは責任分担の面で互いに譲らず、軋轢を招いた
などといったマイナス要因の数知れない積み重ねがあったようです。

■火災の危機に直面しても…
特にリネンジャーは相当に問題があったようです。彼はミール・ミッションの前にスペースシャトルSTS-64に搭乗していましたが、この時の仲間からもすでに「謙虚さがなく聴く耳を持たない。最悪の新米」と反発されていました。ロシア「星の街」(Звезда Город)の訓練センターでも、さんざん不満をぶちまけては周囲を困らせていたそうです。ロシアの環境不備に文句を言いまくり、仲間たちと交流を持つことも避け、サポートしてくれる医師や管制センターの担当者に一切感謝することもなく、時には敵意さえみせる。ロシア人医師に要求された検査を拒むようなことさえあったらしいです(リネンジャー自身が医師だったので、ロシア側のやっていることを「無意味」と判断し、かえって見下していたようだとのこと)。

そんな彼がミールに乗るとどうなるか。搭乗前から懸念されていたというレベルの話ではなく、ロシア側は「彼はチームプレーができないので、皆と一緒に働くのは無理だ」とはっきり表明し、リネンジャーを拒否しようとしていました。それでもNASAは「米側が飛べるといったら、ロシア側がなんと言おうと飛べるのだ」と言い張って受け入れません。「NASAの管理下にある者についてロシア側が口を出すな」「合意事項にない検査は受ける必要ない」といった主張を繰り返したとのことです。結局、リネンジャーはミールへと送り込まれることになりました。

結果は予想通り、「彼にとって」というより、「彼と一緒にすごさざるを得なかったロシア人宇宙飛行士にとって」とんでもなく大変なミッションと化してしまいました。あまりに醜くて、具体的な内容をいちいち挙げにくいほどです(詳細はぜひ本書を読んでみてください)。

悪いことに、リネンジャーがミールに滞在している間に、ミールの存亡に関わるような重大な危機、火災事故が起こっています。あわやミールそのものを捨てて脱出しなければならないか、もしくはクルーが全員死ぬことになるかといった大変な危機に直面するわけですが、それを寸でのところでロシア人クルー2人がなんとかくいとめます。しかしそんな危機にいたってさえも、リネンジャーは危機回避やその後の修理を手伝おうとしないばかりか、「問題の大きさをNASAは理解していない…」といった文句(抗議)を繰り返したとされています。

リネンジャーと宇宙空間で何カ月も同居するという“苦行”を強いられた2人のロシア人宇宙飛行士は疲労困憊し、帰還してからもその不満をロシア当局者にぶつけ、二度と宇宙に出ることはなくなってしまいました。人命が失われるような悲劇はぎりぎり回避できたかもしれませんが、やはり事の成り行き全体をみると“悲劇”に近いものだったのではないでしょうか。

■後のスペースシャトル事故にもつながる宇宙機関の体質
ここには、当事者であるリネンジャーのメンバーシップ(フォロワー・シップ)意識欠如はもちろん、NASAの組織としての臨機応変の判断もなかったことが明らかです。本書の物語のずっと後、スペースシャトル・コロンビア号の事故でNASAの官僚的組織体質が大きな原因だったという報告がされましたが、その組織体質に潜む問題点はこの時にはっきり表面化していたことがみてとれます(NASAの体質についてはいずれ別に記事に書く予定です)。

なお、リネンジャーは別の著書(自著)があり、タイトルはなんと「宇宙で気がついた人生で一番大切なこと 宇宙飛行士からの、家族への手紙」とのこと。コミュニケーションで問題があった彼がそんな本を書いていることに軽い驚きもあります。その本では「すでに、ヒーローなんかではなく一労働者に過ぎない」とか言い訳を言っているようです。

こんな本を読んでしまうと、別の記事「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」で触れたような、宇宙飛行士の人格や宇宙機関の持つ人材管理(Human Resource Management)システムのすばらしさは幻想だったのかとさえ感じそうです。

まあ、どんな組織もどんな人間も、いろいろな矛盾を抱えながら、進んだり後退したりしながら、長期的にみれば少しずつ進歩しているものだと信じていますが…。

それにリネンジャーのような状況に相応しくない言動についても、よく考えると一般人である私たちが仕事の場でつい口にしている文句のようにも思えます。我々自身が、そこに潜む危険に気付かなければならないのかもしれません。