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「宇宙飛行士の仕事力」

若田光一宇宙飛行士がISSの船長の役割を担い、活躍されています。一つのコミュニケーション・ミスが重大事件を引き起こしかねない宇宙では「誰がリーダーであるかを誇示する必要はない」。組織のあり方について、一つ先の未来モデルを示しているのかもしれません。

「宇宙飛行士の仕事力」p105と表紙
[宇宙飛行士の仕事力、林公代著、日経プレミアシリーズ、2014年]

■宇宙飛行士と管制官
本サイトで久しぶりに、宇宙もの書籍をご紹介します。宇宙ライター林公代氏の最新著。出版に際し4月22日に、東京の八重洲ブックセンターで「宇宙飛行士・管制官の仕事力に迫る!」というトークショーが開かれました。それも聴講してきましたので、本書とトークショーの内容を含めて少しだけメモをまとめてみました。

「宇宙飛行士の仕事力」目次
第1章 日本人初の「国際宇宙ステーション船長」誕生
なぜ船長に選ばれたのか
仕事は打ち上げ前に終わっている
一匹狼型チャレンジャーから協調型リーダーへ ほか
第2章 「1000分の3」の選抜試験
理想の宇宙飛行士8つの資質
覚悟をうながすチャレンジャー号事故の映像
ディスカッションで能力をあぶり出す
最後の合否を分けたもの ほか
第3章 「想定外」でも生きて帰るための訓練
最短4年半の訓練
本番より厳しいシミュレーション
リーダーの間違いを指摘できるか
ミスを極力減らす方法 ほか
第4章 仕事場は宇宙
「あうんの呼吸」の過信は禁物
短時間でチームワークを築くには
命令しないリーダーが一番 ほか
第5章 宇宙飛行士はつらいよ
大変なのに、つらそうに見えないわけ
宇宙飛行士の「引きこもり」事件
遠慮しすぎず、気にしすぎない ほか

■超現実の世界で通用するリーダー像
目次を見るだけでも、これが宇宙に関心のある人だけに役立つ話ではなく、一般の企業、組織、個人にとって多くの示唆があることがわかると思います。

地球上では、組織の中で少しくらいのコンフリクトがあっても、普通は当事者にとって逃げ場が全くないわけではありませんし、直に人の生命につながる場面は少ないでしょう。しかし宇宙では「ちょっとドアを出て外の空気を吸ってくるわ」とはいきません。また、ほんのちょっとのミスがクルー全員の命を危険にさらす可能性があります。この状態を、“生死と隣り合わせの中でごまかしのきかないミッションを遂行していく”という意味で、私はよく「超現実的な世界」と表現しています。

その超現実的な宇宙ミッションの世界にも、かつてのマーキュリー・アポロ計画/スプートニク・ボストーク計画の時代と今とでは、組織づくりに関して大きな考え方の変化があります。NASA(アメリカ航空宇宙局)もРоскосмос(ロシア連邦宇宙局)もそれぞれ失敗を重ねた上で、それぞれの長所を取り入れた運営システムに成長しています。JAXA宇宙飛行士の若田光一さんが日本人として初めて、かつ(軍出身でなく)文民出身として初めてISS(国際宇宙ステーション)の船長となったのは、若田さんの能力・人柄とともに、組織運営の考え方が変わってきた大きな流れの中にあると受け取ることが出来ます。

本書の中に「誰がリーダーであるかを誇示する必要はない。たとえるなら『透明な氷のような船長』でありたい」という若田さんの言葉が紹介されています。かといって、日本のくたびれた組織の管理職のように“いてもいなくても同じ”という存在ではもっと困ります。リーダーは一体何をする役目で、そのためにどんな考え方をもっていたらいよいのか。現代の一つのリーダー・モデルが本書の中で説明されているのではないかと感じられます。

林氏は4年前に「宇宙飛行士の育て方」という本を書かれていまして、その時も本ブログで紹介しようと思っていたのですが、書き逃していました。

■基礎訓練だけで1600時間強?
本書に、JAXA資料による「宇宙飛行士の訓練の流れ」(最短4.5年)と、そのうち基礎訓練(1.5年)の説明が記されています(冒頭の写真参照)。これによると、次のような訓練で構成されています(たぶんここに示されているもの以外にもカリキュラムがあるのだろうと推測します)。

・イントロダクション(163時間)
施設ツアーが105時間と多い
・基礎工学(45時間)
航空宇宙工学概論、電気・電子工学概論、計算機概論
・宇宙機システム・運用概要(53時間)
各国の宇宙機、ロケット等の概要
・ISS/きぼうのシステム(174時間)
ISS運用、ISSシステム、きぼうのシステム・運用訓練
・サイエンス(162時間)
宇宙科学研究、ライフサイエンス、微小重力科学、地球観測・宇宙観測
・基礎能力訓練(1031時間)
一般サバイバル技術訓練、体力訓練(104時間)、飛行機操縦訓練(240時間)、英語(200時間)、ロシア語(200時間)、メディア対応訓練、写真技術、水泳技術ほか

計算してみると計1600時間強。飛行機操縦、語学、および体力関連で全体の約1/2といったところでしょうか。項目を見るだけで我々一般人はため息をついてしまいそうです。もし私が候補生になったとしても、余裕を持って取り組めそうな時間は「水泳技術」(5時間)くらいしかなさそうです。ハァ…

これ以外にも、さまざまな情報が盛り込まれています。

■必要十分な情報を、相手を見て伝える技術
4月22日に行われた八重洲ブックセンターでのイベントは、林公代氏ともう一人JAXA管制官内山崇氏のトークショーで、内山氏は現場で起こるあれこれを結構生々しく話されていていました。内山氏は、自身が宇宙飛行士選抜試験の最終選考まで残った経験があり、その後日本実験棟「きぼう」やHTV「こうのとり」の管制官として活躍されています。

面白い話はいくつもあったのですが、以下に少しだけ挙げてみます(私のメモに基づいて再構成したもので、本人の発言通りではありません)。

まず、主に“管制官”に求められるコミュニケーションの話:
・限られた時間内にコミュニケーションを完了させなければならないので、短い言葉で的確に伝える必要がある。まず結論を言ってから、その理由などを説明する。事前にさまざまな訓練やコミュニケーションをとっていれば、(複雑な背景なども)結論を言った段階ですぐに理解してもらえることもある
・伝えておけば安全だが、忙しい中で当たり前のことを伝えても、無駄になりうる。かといって「彼は言われなくてもわかっているだろう」と安心しすぎてしまうのも、後で問題が起こりかねない。プライオリティの判断はフライトディレクターにかかっていて、重大である
・完璧すぎるリーダーに対しては特にその線引が難しい。現場(ここでは宇宙飛行士)の側としては、たとえわかりきったことを伝えられても、広く聴く姿勢が必要だろう

■マニュアルでもカバーしきれない状況
ついで、マニュアルとルール、リスク管理の話。

・「こうのとり」のマニュアルは、実にその95%がトラブル対処法についての記載である
・運用にあたって、確固としたフライトルールがあり、それに沿っている。リスク回避に関しても、例えば「1つ壊れたときは fail operative」「2つ壊れたときは fail safe」といった指針があり、それに従う。マニュアルにその場合の対処法を示してある(のでその記述が大半を占めてしまう)
・とは言いながら、運用の世界では何ヵ所壊れようが、簡単にミッションをあきらめるというわけにもいかない。マニュアルには1つ2つ壊れた後の対処法まで書かれているが、その先、追加で何をしていくべきなのかをリアルタイムで決めていくことが求められる

人材育成、組織開発、キャリア形成、コミュニケーション論など、いろいろな視点から参考になろうかと思います。

「ライディング・ロケット」

“ぶっとび宇宙飛行士”の軽快な自伝。企業経営の立場からは、NASA組織の問題点についての生々しい描写が特に気になります。宇宙飛行士を目指す方にとっては、宇宙飛行士という仕事の実像について触れられる良い材料だと思われます。

ライディング・ロケット
「ライディング・ロケット」(上下巻 概観)
【マイク・ミュレイン(著)、金子浩(訳)、2008年刊(原著は2006年刊)、化学同人】

■下ネタ満載、本音も満載
この2月にJAXA(宇宙航空研究開発機構)が10年ぶりの宇宙飛行士選抜を発表して以来、当サイトに「宇宙飛行士」をキーワードにしてアクセスされる方が増えました。特に宇宙飛行士の選抜について書いた記事「中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記」をご覧になる方がどっと増えたのがここ数カ月の特徴です。その選抜時(10年前)の合格者である星出飛行士が乗り込むスペースシャトルSTS-124ミッションは、打ち上げがまもなくに迫っています。

本書「ライディング・ロケット」は、“著名な宇宙飛行士が書いた真面目な記録”というものからは程遠いユニークな本です。一言で言うと、下ネタ満載のとんでもない本(笑)。たとえば「コンドーム」という言葉が一体何回出てくるか、女性差別的発言が何回出てくるか…。さらには、宇宙空間でエイリアンと会って合体したとかいう冗談まで言い出す始末。真面目な記録の中にこうした下ネタが1つでもあると問題視されそうですが、上下巻で600ページ超(日本語訳版)、全42章にわたる長編の半分をこうした下ネタで確信犯的に埋め尽くしていれば、もうそこには違和感など持ちようがないのが面白いところです。

“ぶっとび”の理由は、物語の半分を占める下ネタばかりではありません。残りの半分には、下ネタと同じ軽いノリで書かれていながら、内容的にはNASAという組織内部の特定の人たちに向けた「辛辣な批判」が満載されています。しかし、辛辣な批判の数々も笑いの種と一緒くたになって語られていることが、これまた妙に悪い気分を読者に感じさせません。実にうまい味付けになっています。

■秘密主義が組織・メンバーの士気を損なう
1970年代から80年代にかけて、ジョンソン宇宙センターで絶大な権力を振るっていたジョージ・アビーという人物がいました(当時「搭乗員運用管理局長」)。この人については、宇宙ステーション・ミールを舞台にしたノンフィクション「ドラゴンフライ」でかなり辛辣に描写されていて、そのことを本サイトでも採り上げました(参考:「ドラゴンフライ」3-官僚組織化する宇宙機関)。しかしアビーを糾弾する度合いにかけては、本書の方がさらにスゴイ。著者ミュレインたちがアビーの命令の下で辛い思いをしていたときの、悲鳴のようなものが聞こえます。宇宙飛行士たちにとってNASAに棲息する元凶のような存在だったと…。

かいつまんで言うと、
・アビーは宇宙飛行士たちのミッションへの割り当てに関する権限を一人で持つなど、専制的に振る舞い、そのために多くの宇宙飛行士がアビーを蛇蝎のように嫌っていた
・アビーは自分がコントロールできないコミュニケーション・ルートが組織内に生まれることを極度に嫌い、結果として組織内に疑心暗鬼を生んだ
・アビーは飛行士割り当てのルールをほとんど示さず徹底した秘密主義をとり、その結果として宇宙飛行士の士気を損なっていった
などです。

著者については、宇宙飛行士になってから相当に長い間待たされた挙句、アビーからやっと初フライトの割り当てが言い渡されました。それはスペースシャトルの新しい機体ディスカバリー号の初フライトでした。そのときのことを、こんな風に表現しています。

「私たちは(アビーから)ディスカバリーの初飛行をまかせられた。ストックホルム症候群の人質のごとく、私たちは皆、平身低頭して(アビー)に感謝した」。

■問題解決の必要性がわかっていても、手をつけられない
こうした事例は、現代の企業組織でもときどき発生しているモデルとも言えるでしょう。

→トップが何らかの面(営業的な実績があるなど)で優秀な場合、権限を最大限発揮し、できる限り組織を自分の管理下で動かそうとしがちになります。
→多くの場合、組織内の横のコミュニケーションを(口ではともかく本心では)あまり好みません。
→これが組織に浸透してくると、トップ下の管理職までもがそれぞれ主導権を取り合い、権力のせめぎ合いが起こりがちになります。
→権力者に擦り寄り、おべんちゃらを言うメンバーが増える一方、互いに裏では悪口ばかり言う、ひねくれた組織風土ができてきます。
→仕事に対しても、本来の目的や効果より社内力学や諦めが前面に出てきて官僚化が進みます。

そんな事例は、いろいろな会社に関わっていると何度となく実際に目にされるものです。

本書および「ドラゴンフライ」のアビー評/NASA評はほぼ一致しています。つまりこの時代のNASA(少なくともジョンソン宇宙センターなどスペースシャトルのプロジェクトを企画・運営する組織)は、アビーの専制的管理体制の下、そんな危険な組織風土を持っていたことが確かなようです。きちんと問題点がしかるべきところに伝わらない、もしくは問題解決の必要性がわかっていても誰も手をつけられない…。本書からは、宇宙飛行士たちのそんなもどかしさと危機感が読み取れます。

そんな体制が1986年のチャレンジャー号事故と2003年のコロンビア号事故につながったことを、著者は、軽めのノリの文章でオブラートに包みながらも、“当事者として”説得力ある説明をしています。なにしろ、宇宙飛行士の割り当てが少し違っていただけで、著者自身が事故を起こしたチャレンジャーに乗り組んでいた可能性があったのです。現実は、著者の特に親しい同僚のうち何人かがこのチャレンジャー事故で亡くなっているのを目前に見ています。

さらに、チャレンジャー事故後再開されて間もなく著者が乗り組んだSTS-27ミッションでは、打ち上げ時に(後の)コロンビア事故と似たような損傷を受けていて、帰還時に700枚の耐熱パネルが剥がれていました。それを帰還前にクルーも地上も認識していたにも関わらず、“賭け”のようにして帰還(大気圏突入)を命令された経験がありました。後から考えると、このときコロンビア号のように空中分解せずにすんだのは、まさに幸運に助けられた結果だった模様です。

■優秀な人も、役職次第で害となる
アビーと並んでもう一人、著者を悩ましたとされるのが、アポロ時代のムーンウォーカーの一人ジョン・ヤングとのこと。ヤングは、ジェミニの時代から宇宙飛行の経験を積み、(失敗して命を失う危険がかなりあったとされる)スペースシャトルの初フライトにも船長として乗り組んだ、いわば全世界で最も経験を積んだ宇宙飛行士とも言える人です。本書が書かれたこの時期のヤングは「宇宙飛行士室長」で、現場を取りまとめる最高責任者のような役割を持っていたはずでした。

ヤングについては、「月の記憶」という本の中で、心をなかなか開かない気難しい男性であるような描写がありました(参考:「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」。「月の記憶」を読んだときはどうも腑に落ちないヤング評でしたが、本書を読むとさらに意固地な性格があったことがわかります。

ヤングの直接の命令で動いていた著者が、あまりのヤングの聴く耳の持たなさに閉口させられ、たびたびヤングの激怒の対象となり、敵視され、精神的に追い詰められてしまう…。本書にはそんな経緯がけっこう細かく描かれています。挙句、著者は理不尽なプレッシャーにより精神的にダメージを受け、意を決して精神科の医師を訪れるに至ります。
「ヤングとアビーのせいで頭がおかしくなりそうなんです」。

そこで精神科の医師からは、こんな言葉が返ってきました。
「同僚の宇宙飛行士のみなさんから(同じような話を)うかがってますよ」!

著者をはじめ宇宙飛行士の誰もが、ヤングの“宇宙船を操る技量や勇気”を高く評価してはいたのは事実のようです。しかし、管理職という役職としてのヤングの力量はかなり弱かったことがうかがえます。いくら優秀な人も、その人に合わない役職につけられると、本人も周囲も不幸になるという典型のようです。その他、組織やリーダーシップについて考えさせられるケースがいくつか紹介されていますので、興味のある方はぜひ本書を読んでみてください。

いずれヤングもアビーもそれぞれの役職を去ることになるのですが、それを惜しむものなどいないどころか、皆揃って祝杯をあげるほど喜んだそうです。アビーの送別パーティーが行われたときは、本人を前にしながら、暴君的振る舞いに対する痛烈な批判と皮肉が浴びせかけられるほどだったとのことです。

■宇宙飛行士としての条件?
それにしても、宇宙飛行士という仕事の先の見えなさ、NASA上層部に対する疑念…。

一方で、ほんの数回しか実経験できなくても、命を賭けた宇宙飛行ミッションという仕事の素晴らしさ…。

そのバランスの中で、著者のマイク・ミュレインは、時に危うい精神状態を保ちながら、時に許される範囲で精一杯の悪ふざけを興じながら、全体的には前向きの人生を送ってきたようです。

著者は、自分を含め、女性に対して失礼なことばかりする粗野なパイロット仲間たち全員を「惑星AD(Arrested Development:発育不全)出身」と表現しています。宇宙飛行士とはいえ人格者とはかけ離れたような存在と自覚しているようです。特に自分のことは「本当は落第生なのに間違って宇宙飛行士に選ばれてしまったに違いない」といった表現をするほどです。その前提の下で、下ネタを飛ばし、毒舌を飛ばし、自虐的ギャグを飛ばし、でも誇りを失わず、真正面から宇宙飛行士の実像を描いた本書は魅力的です。

しかもこれだけの下ネタも下品にならず、これだけの批判的意見にも悪意が感じられないのは、おそらく著者の人柄によるのでしょう。また、あけすけに表現しているにも関わらず、書かれていることはおそらくすべて公表して問題ないものと判断していることをうかがわせます(たとえばミュレインが飛んだ3回のミッションのうち2回は軍事機密に関わる任務についていたため、シャトルでの仕事内容はまったくといってよいほど語られていません)。さらに、自分が宇宙に行けたのは「NASAのチームの肩に乗せてもらったから」であり、数え切れないほどの人々に「心からの尊敬と称讃の念」を抱いていることも口にしています。

下品になる一歩手前、ブラックになる一歩手前まで突っ込んでも度を越えない絶妙のバランス感覚をみると、やはりこの人も宇宙飛行士としてのライト・スタッフ=正しい資質を持った人なのだろうと推測されます。だからこそ(自らの自虐的表現とは裏腹に)宇宙飛行士選抜のプロセスを通過したこと、そして3度もの宇宙ミッションに参加できたのだろうことを納得させられます。たんに“ぶっとんだ”だけの人物、シニカルなだけ人物では、万が一“間違って選ばれた”のが事実としても重要な任務に複数回つけるものではありません。相当の覚悟とプロ意識、さらには意に沿わぬ上司や組織の命令とも折り合いをつけてやっていくだけの見識を持っていることが、宇宙飛行士として選ばれるために必要な条件だったに違いありません。

■宇宙飛行士になるという、じつに特殊な覚悟
本書の記述からは、宇宙飛行士の間には、自分たちと同様に厳しい訓練をし、難しい仕事をしてきた仲間であれば、それが女性であろうが研究者出身であろうがどんな国籍であろうが差別せず、同じ仲間として認める意識が確実にあることがみてとれます。一方そうでない人、いわゆる“お客さん飛行士”(世間の注目を得たりスポンサーを満足させたりするために、主に政治的な思惑から搭乗させるパートタイム宇宙飛行士。宇宙に理解を示している顔して同乗を画策する政治家や有名人や一部のペイロード・スペシャリスト)に対しては、「我々が宇宙に行く機会を奪っている奴等」として反感を持つと、本書の中に何度か描かれています。

そのうちの一つにSTS-95ミッションで77歳のジョン・グレン(マーキュリー計画「オリジナル7」の一人、米国3人目の宇宙飛行士、後に上院議員)が飛ぶことになったことにも触れられています。曰く、「(グレンは)ミッションに不可欠ではない人物。老年医学研究うんぬんはたわごと。例によって有力な政治家のための口実。グレンの個人的満足のためリクスを犯すなど正気の沙汰ではなかった…」と。

こうしたドロドロした話を読むと、“お客さん宇宙飛行士”が周囲から受けたであろう冷たい視線が推測できます。また、当初はペイロード・スペシャリストであった毛利さんが後にミッション・スペシャリストとして厳しい訓練をして再挑戦したことの意味も、その後の土井さん、若田さん、野口さんが苦労して宇宙飛行士仲間の信頼を築いていったことの価値も、(あくまでも連想にすぎませんが)本書から間接的に感じることができるかもしれません。

これから1年近くかけて行われるJAXAの宇宙飛行士試験を目指す方々には、それだけの覚悟と責任感と、そして仮に宇宙飛行士に選ばれたとしても何もできず無為に人生が終わる可能性があるという覚悟さえも求められることでしょう。でも…………、

そんな覚悟を持つ方がたくさん発掘されることもまた、社会から期待されていることでしょう。

「NASAを築いた人と技術」

大規模組織の内部に切り込んだ、一種のマネジメント事例として読みました。NASAといっても構成するセンターごとに生い立ちも組織文化も違うなど、興味深い記述があります。一般の組織運営でも役立つヒントが多数あるのではないでしょうか。

本書付録の組織図
〔本書付録にある詳細な「組織図」(有人宇宙船センター)。クリス・クラフトなどの名が見える〕
【佐藤靖(著)、2007年刊、東京大学出版会】

■天下のNASAだって、ただの人の集まりじゃないかっ
本サイトでは、これまでも宇宙機関に関連する話題を組織・人事的な視点から記事にしてきました(月の記憶ドラゴンフライ-1同-2同-3日本企業はNASAの危機管理に学べなど)。本書は、まさにNASAという組織の分析がテーマです。ただし現在のNASAの話でなく、1950年代後半から1970年くらいまでのアポロに代表される時代が対象です。副題は「巨大システム開発の技術文化」。

遠くからNASAのような組織をぼやっとみている限りでは、一枚板の強固でシステマチックな組織だと思えてしまいます。しかし本書ではまず、NASAを構成する各センター間に相違があることが明確にされています。さらに、ワシントンのNASA本部から持ち込まれる技術手法や送り込まれる管理者が各センターと盛んに軋轢をもたらし、時に変化し、時に挫折する様が丁寧に描かれています。

ようするにNASAといえども、我々の身近にころがっているそこらの会社と同じ未成熟な組織に過ぎないのでしょう。歴史的事実を示して説明されることで、そんな当たり前のことに今さらながら気付かされます。

本書の第1章から第4章で、NASAの4つの異なるセンター(マーシャル宇宙飛行センター、有人宇宙船センター、ジェット推進研究所、ゴダード宇宙飛行センター)についてまとめられています。第5章は日本の宇宙開発機関の話題です。

〔目次〕
序章 未踏技術への陣容
第1章 フォン・ブラウンのチーム学
第2章 アポロ宇宙飛行船開発
第3章 大学人の誇りと試練
第4章 科学者たちの選択
第5章 人間志向の技術文化
終章 システム工学の意味

■あちこちで反発を浴びる「システム工学」
第1章を単純化してみると…
・ロケット技術者の第一人者でありマーシャル宇宙飛行センターをまとめるリーダーとしても長けた能力を持つヴェルナー・フォン・ブラウンらが、
・NASA本部から持ち込まれる「システム工学」の考え方と対峙し、時に猛反発しながらも、
・フォン・ブラウンの卓越した判断力とチームの団結力を背景に、サターンV型ロケット(アポロ打ち上げに使ったロケット)開発プロジェクトを大成功させる。
・ただしフォン・ブラウンが退いた後は、予算縮小の波の中でチームは縮小(消滅?)していく。

第2章については…
・有人宇宙船センターは、ロバート・ギルルース、クリス・クラフトといったリーダーの下で“徒党的”ともいえる組織に成長していたが、
・NASA本部から送り込まれたジョセフ・シェイによって、(それまでとは水と油のような考え方である)システム工学の手法がもたらされ、
・既存メンバーと頻繁に衝突しながらも、有人宇宙飛行のための業務体系化に成功していく。
・アポロ1号火災事故を機にシェイが去ったこともあり、「人的解決」も「システム工学的解決」の要素も持ち合わせた組織作りが進み、アポロの成功につながっていく。

うーむ、概略としては少し下手なまとめ方だったかもしれません。詳細はぜひ本書を読んでみてください。リファレンスが非常に充実していますので、英語の資料にあたることができる方は、もっとずっと多彩な情報にたどり着くかもしれません。他の章でも、それぞれ興味深い記述があります。

■「属人的なノウハウ」と「脱人格化したシステム」
我々もいろいろなチームやプロジェクトに関わっていると、仕事の進め方で大きな違いがあることを経験します。特定の人のリーダーシップに引っ張られるチーム、仲間内ではツーカーで自動的に意図が伝達し事がうまく運ばれるチーム、常に細かく明示的なドキュメントを作ってそれを軸に仕事を進行させるチーム…。チームの仕事の運び方を認識していないと、実力のある人でも全然役に立たなかったり、険悪なチーム構成になってしまったりします。

それでいて、特定の組織文化に染まったメンバーだけで仕事を続け異分子の参加を避けていると、組織そのものが衰退したり、大きな失敗につながったりします。某老舗食品会社の製造日偽装事件など名の知れた企業の不祥事がここのところ次々明らかになっていますが、外部からの異分子が経営に参画していればもっと早く手を打てた事例かもしれません。あるいは異分子にあたる存在が、昨今の事件発覚(ひいては正常化)に一役買っているのかもしれません。

また、プロジェクトの初期に取り決めた仕様や契約がいつのまにか変わっていくことはままあります。状況変化に柔軟に対応できる人がいたからこそ成功したプロジェクト、きっちりドキュメントをまとめることをしなかったために崩壊したプロジェクト、各人の責任範囲を明確化した故に相互補完できず特定の人にしわ寄せがいったプロジェクト…。本書を読みながら、自分の過去の失敗が思い浮かんでくることもありました。

「経営はアートかサイエンスか」は長く議論されているテーマです。本書で使っている用語と少し意味が違うかもしれないことを承知で単純な表現をすると、
「属人的(≒アート的)手法」と「脱人格的(≒サイエンス的)手法」の衝突
が本書の重要な視点といえそうです。

本書については、宇宙開発の分野で有名な技術ジャーナリスト、松浦晋也氏のblogでも紹介されています。ご参考まで。
「NASAを築いた人と技術 巨大システム開発の技術文化」

「日本企業はNASAの危機管理に学べ」

「国際宇宙ステーション計画で、なんらかの悲劇的な事故が起きるのではないかと憂慮している」と著者は警鐘を鳴らしています。

日本企業はNASAの危機管理に学べ
「日本企業はNASAの危機管理に学べ!」
【澤岡昭(著)、2002年刊、扶桑社】

■宇宙プロジェクトにはやはり失敗も多い
以前の記事で採り上げた「組織行動の「まずい!!」学」と同じような「失敗学」の本といえます(こちらのほうが出版は先)。米国の宇宙機関の強さや賢さについてわかりやすく解説するとともに、宇宙からみの事故とそのマネジメント上での欠点について考察しています。

俎板の上に乗った素材は、アポロ1号爆発事故、アポロ13号の危機、スペースシャトル・チャレンジャー号事故、ミール・スペースシャトル計画のいざこざなど。事故の内容は他の書籍・報告書で繰り返し説明されている通りなので、この分野に精通している方にとって目新しい情報があふれているとは言いがたいかもしれませんが、日本の宇宙開発プロジェクトに実際に関わってきた著者としての視点はやはり参考になります。

テーマと、それぞれについて学ぶべき“教訓”(答)は、次に挙げる目次を見ることでほぼ推測できると思います。技術的・専門的な本ではありません。

〔目次〕
第1章 真実は現場に聞け―アポロ1号焼死事故は語る
第2章 情報は一元化すべし―アポロ13号奇跡の生還
第3章 組織優先の意思決定の落とし穴―チャレンジャー爆発の隠された原因
第4章 シミュレーションが危機を救う―NASAの「What if games」
第5章 ロシアの宇宙ステーション事故―政治的に決定された無謀な計画
第6章 国際宇宙ステーションの危機管理―救いのない憎しみとあきらめからの脱出
第7章 異文化混合から生まれたマニュアル―マニュアルを守るということ
第8章 閉鎖空間の危機管理―航空機事故に学ぶ機長の危機管理
第9章 決定的な要素 リーダーの資質―マスメディアの道化師にならないために
第10章 アメリカへの宇宙からの神託、火星へ―あこがれの国への回帰

■責任のありか
個人的には、「責任のありか」とリスクとの関係についての考察が参考になりました。

たとえば、日本以外の「すべての航空先進国では、操縦ミスに対してパイロットの責任は問わない」という点が何度か強調されています。誰でも責任問題がからむと、自らの立場を守る意識がどうしてもでてくる。こと航空機のパイロットについては、その弊害が大きいという意見です。

「事故によって生命の危機にさらされるのはパイロットとて同じであり、パイロットは最善を尽くすはず …(中略)… 同様の事故の再発を防ぐためには、操縦士の罪を追及するより、真実を知ることの方が優先されるべき」

一般企業の場合とは少し異なるかもしれませんが、たとえば何か不祥事が起こったとき、現場担当者個人にすべての責任を追いかぶせて真の原因を隠してしまい、また同じような不祥事が起こることを目にします。現場担当者が権限の範囲で精一杯活躍して結果的に失敗したときには、過剰な責任を現場に負わせないことも重要なのかと思われます。

■アポロ13号事故の責任
それと逆の例として紹介されているわけではないのですが、アポロ13号事故の際のNASA幹部の対応が対照的です。

アポロ13号のあの事故が発生した後、宇宙船のロケット噴射方法をめぐっていくつかの選択肢がありました(すぐに引き返す/スピードを上げて月を回って戻ってくる/時間をかけて月を回って戻ってくる、といった選択)。この選択はほぼ技術的な判断による(管理者ではなく現場が意思決定していく類の問題)といってよいでしょう。実際、最良と思われる選択肢を見極めたのは、実質的に管制官ジーン・クランツをリーダーとした現場担当者グループでした。

しかしこのとき、本来大所高所から方針を下す位置にいるNASA幹部がわざわざロケット帰還方法を決めるための会議を開き、最終的な意思決定をしたようです。上が下に意見を押し付けたという意味ではなく、むしろ最高幹部が決めたという形式をとった(≒その責任を幹部がとることを自ら明らかにした)ことで、クランツら現場の心理的負担を軽くし、任務の遂行をしやすくした、と筆者は推測しています。

もちろん、どんなことも上が責任をとればよいというわけではありません。現場には現場の責任があるのはもちろんです。たとえば、アポロ13号の燃料タンク爆発が起こった時点から異常個所の把握とその重大さに気付くまで約1時間もかかっていました。その間無駄に電力資源が消費されたため、後の帰還までに残された電力が本当にギリギリになってしまいました。この責任の所在は、明らかに管制官であるクランツにあったということです。「もし、電力不足による帰還失敗という事態になっていたなら、この点についてクランツは責任を問われていたであろう」と著者は述べています。

■標準マニュアルの功績と、属人的な強さ
また本書では、標準マニュアル化の重要性について1つの章が設けられています。NASAという組織の強みとして、一つひとつの作業が事細かにマニュアル化されることとか、さまざまな出来事が記録として残され分析や後の意思決定に活かされることが、事実とともに語られています。

話は少し違いますが、本blogではコンビニという小売業態についてもテーマとして採り上げています。コンビニに限らず、こうしたチェーン店が多店舗となっても機能する原動力の一つに「マニュアル」の存在があります。つまり、ある一定の合理的なオペレーションを「標準手順」としてマニュアル化し、それを関係者が一定の価値観の基で共有する。それがあってこそ一定品質の商品・サービス提供できるわけで、現代のフランチャイズやレギュラー・チェーンが成立する重要な要素になっています。

米スペースシャトルの(打ち上げはともかく)宇宙実験が成功を収めているのは、まさにその手法が機能している結果なのでしょう、極端に言えば「NASAのどの宇宙飛行士が行っても、その能力の違いで成果が大きく異なることがないよう実験マニュアルと訓練がされている(最初から、そうしたマニュアルを着実に実行できる人が宇宙飛行士として選ばれている)」。そんなシステム作りがしっかりしていることが、組織としての強さであることは間違いありません。

しかしながらその一方で、属人的な仕事の進め方があったからこそうまくいった例が示されていることも興味深いところです。

人間関係つくりで失敗続きだったミール・スペースシャトル計画(「ドラゴンフライ」 1-宇宙飛行士の“問題児”たちなど参照)でしたが、NASA2人目の飛行士シャノン・ルシドはかなりの成功を収めました。ロシア飛行士との人間関係も良好で、各種の宇宙実験も比較的スムーズに進んだとされています。

ルシドの成功は、彼女の優秀さもさることながら、運用リーダーにガーステンマイヤーという柔軟な頭脳の持ち主がいて、彼が地球側(ロシアの地上サイト)で黒子となったことが重要な要因だったそうです。NASAのシステムやマニュアルによっていたというより、ガーステンマイヤー個人のいろいろな判断が、ロシア側ともルシドとも良好な関係を作り、適切に仕事の手当てをできたのかもしれません。

注目したい点の一つは、ガーステンマイヤーの仕事ぶりに支えられていたにも関わらず、その経緯やノウハウが他と共有される形になっていないことです。「彼がいかにしてルシドの黒子を務めたかについて一切記録を残していないので、それは謎として語り継がれている。その意味でも彼の仕事ぶりはNASA的とは言えず、彼のキャラクターのなせるわざであったのではないだろうか」と著者は推察しています。

■国際宇宙ステーションでもきっと危機が起こる
ミールに関する記録、特に事故原因や事故回避のいきさつ、人間関係などについての記録は、他のプロジェクトと比べるとかなり少ないそうです。そのため未だに不明な点が数多く残っているようです。これを明らかにして教訓にしない限り、いやそれを明らかにしてもなお、不測の事故は起こるのかもしれません。それが著者の「国際宇宙ステーション計画で起こりうるなんらかの悲劇的な事故への憂慮」につながっています。

なおスペースシャトル・コロンビア帰還失敗事故は本書が書かれた後に起こった事件でなので、本書には書かれていません。コロンビア号事故に関しては、後に同じ著者が「衝撃のスペースシャトル事故報告書」(中央労働災害防止協会刊)という書籍を出版しています。そこでは「NASAの危機管理が結果的にはお粗末であった」ことに触れているなど、また認識を改めなければならない様子もみられます。

タイトルからイメージされる「企業に役立つ危機管理の手引書」というより、もっと気軽な読み物と位置付けるのが良いでしょう。

「ドラゴンフライ」3-官僚組織化する宇宙機関

ある時期の成功の代償として、長い間に組織が官僚的になる。宇宙機関に限らず、一般の組織でよく起こる現象なのでしょう。

「ドラゴンフライ ― ミール宇宙ステーション悪夢の真実」(上)(下)
【ブライアン・バロウ(著)、北村道雄(訳)、寺門和夫(監)、筑摩書房、2000年】

本書で描かれている問題発生の背景を簡単な図で表してみました(説明後述)。
Dragonfly-org.gif

■「組織を牛耳る影の支配者」
これまで2回の記事(「ドラゴンフライ」1「ドラゴンフライ」2)で、ミール・スペースシャトル・ミッション(フェイズ1プログラム)に関わった宇宙飛行士たちの醜態を紹介しましたが、本書ではNASA上層部についても容赦していません。とくに「組織を牛耳る影の支配者」ジョージ・アビーという男の話がとくに“いやらしく”描かれています。

詳細は本書第2章を読んでいただくとして、概ね次のような成り行きがあったとされています。

・アビーは飛行士選抜に決定的な権限を持っていた
・アビーに気に入られるかどうかが飛行士たちにとって重大な問題となった
・アビーは陰険なやり方で気に入らない人や意見を排除していった
・スタッフは常にアビーの顔色を窺いながら仕事を進めるようになった

アビーはいったんNASAから排除されワシントンで職につきますが、そこでかえって政府中枢に取り入れられるチャンスを得ます。1992年にNASA長官の懐刀のような立場でNASAに戻り、政治的な力をさらに振るうようになります。

■“伝説の管制官”物申す!
アポロ時代のNASA地上管制官のジーン・クランツという名前をご存知の方は多いと思います。映画「アポロ13」ではエド・ハリスが演じていた実在の人物です。本書にもクランツの証言がところどころに出てきますが、とくに次の証言に注目できます。

「20年前に私たちが仕事をしていた頃、管理職についていたのは下からはいあがってきた者ばかりで、部下から尊敬されていた。問題を解決するためにときには激しい言葉の応酬もあったが、率直に議論ができた。でも今は雰囲気が違う。管理職をやっているのは誰かの都合のいいように選ばれた者たちで、下積みの経験もなく十分なコミュニケーションのもととなる健全な敬意も持ち合わせていない。もはや自由で率直な話し合いをできない」

そしてその元凶がアビーだとしています。アビー自身はアポロ時代の現場から昇進していった人間なのですが、結果としてはNASA官僚組織化の道を敷いてしまう主役を演じたのかもしれません。

■じゃあ、昔は本当によかったのか?
もっとも、ここではアビー1人が完全なヒール(悪役)のように描かれていますが、実際の責任の所在はもっと複雑だったと個人的には推測します。少なくとも、アビーのやり方はクランツをはじめとした先人たちを受け継いだ結果であることは明らかです。

例えば「宇宙飛行士の人選に強大な権限を持っていた」というのは、アポロ時代のディーク・スレイトンやアラン・シェパードのやり方そのものではないのでしょうか(参考:「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」)。また、成功者として位置づけられているジーン・クランツとスペースシャトル時代の管制官とで、プロとしての意識の差がそんなにあるとは思えません(“体育会的な熱意”には差があったかもしれませんが…)。

おそらく…。(アビー側からの釈明がないので)勝手な推測ですが、アビーは官僚組織の元凶と本書に書かれていることを相当に“的外れ”と受け取っているのではないでしょうか。あえてアビーの肩を持つと「あんたら先人の成功したやり方を踏襲し、かつ政府が指示する予算削減と折り合いをつけ、かつ属人的にならないシステム作りに尽力した結果なのだ」なんて反論したくなるかもしれません。

そしてこうした、当事者にとっては理不尽とも思える経緯こそが“官僚組織化”の本質なのではないかとも思います。過去の成功や安定は、長い時間をかけてシステマチックになるなかで、結局マイナス面をもたらしていくものなのでしょう。

■ロシア側にも多くの問題
ロシア宇宙局についてはNASAほど詳細に描かれていませんが、「NASAよりさらに強固な官僚的習慣があった」とされています。飛行士が目の前で大きな危険に遭遇したとき、管制側がその報告を「誇張した夢物語」としか受け取らず信じなかったなどいう、それこそ信じられないことが結構あったようです。そのほか、ロシアの官僚組織としての弱点、国の資本主義化に伴う問題点などが次のように語られています。

・ミールの技術的情報は必ずしもドキュメントになっておらず、関係者の頭の中だけに存在していたものが多かった。しかも、技術上の秘密を守ることに極めて用心深く、米側の問い合わせに応じないことも少なくなかった
・ロシアの宇宙服や宇宙ステーションの欠点は、矮小化されたり非公開だったりした
・予算が削られる中、ミール維持のためにさまざまな方法で商売をしなければならなかった。
→CMの撮影優先や“お客さん”の招待(例えば日本のテレビ局の記者搭乗)など
・ロシアでも宇宙に飛び立つための「契約書」を飛行士と交わすようになった。
→実験の回数、船外活動の回数、失敗をした場合の罰金の取り決めができた。
→その結果宇宙飛行士は宇宙で都合の悪い情報を地上に伝えなくなるようになったり、準備不足の船外活動を強行したりするようになった

そのほか、ソビエト連邦の崩壊と民主化が組織を取り巻く環境に大きな影響を与えていたことがわかります。ミールの技術を実質的に引き継いでいたエネルギア社は民間企業へと転換しました。それまで“国内”だったウクライナ(ミールの自動ドッキング・システムを作っていた会社がありました)やカザフスタン(ロケットの打ち上げがされるバイコヌール宇宙基地があります)が外国となり、それぞれ複雑な交渉を必要とするようになっていきました。

■米ロの文化の違い
遡って1960年代米ソ宇宙先陣合戦の頃から、ソ連の宇宙計画全体に流れる人命軽視の空気に対して、アメリカ側は常に不安を持っていたとされています。実際、NASAは何か重大な(とくに人命に関連する)問題であれば、きちんとその原因を追求しその対応策を施すという姿勢があります。成功しているかどうかは別にして、たしかにチャレンジャー事故後は3年間、コロンビア事故後は2年半、スペースシャトル計画を中断してでも問題解決に時間を割いています。

一方ロシアは、何か事故が発生しても、外から見た目では何かよくわからない程度の改良を施したようなイメージで、ケロリとした顔をしてまた宇宙に飛び立っていくかのようにみえます。これが、NASAの宇宙飛行士たちに「ロシアは人命を軽視している」という不安を常に持たせることとなったようです。

「双方の考え方に絶えず断絶があった」のは、容易に想像できます。そして米ロ双方の組織風土や環境の変化や文化の違いが、フェイズ1プログラムのいざこざにつながっていったといえそうです。原因の一つひとつは“遠因”かもしれませんが、かなり本質的な原因として位置づけられるでしょう。

■官僚化による現場サポート機能の不全
望ましいサポート体制として、冒頭の図のような流れが考えられます。

・クルーが(事前準備も含め)何か問題に直面したとき、地上スタッフへ素早く状況報告や問題解決の依頼をする
・管制官など地上スタッフは必要十分な情報をクルーに提供し、現場段階で処置できるものは対応する
・組織的な(上層部の判断が必要な)対応が必要な問題については、それを組織に素直に依頼する
・組織としては、なるべく現場の負担軽減につながるようサポートする

しかし本書に描かれている数々のアクシデントおよびインシデントからは、次のような構図が見て取れます。

・組織から地上スタッフに、方針徹底などの強い命令が下される
・それを受けた地上スタッフは、クルーにあれこれ指示する。結果的に現場(宇宙)での活動そのものを制約していく
・クルーは身動きが取れなくなっても、正確な状況を報告できない。または報告しても解決されなかったり、地上からの情報提供が不十分であることが続いたりして、状況報告そのものをあきらめてしまう(自ら解決するしかないと考えるようになる)
・地上スタッフも上下から板ばさみになり、責任逃れが先にたつなどして、組織に対して有効な働きかけができなくなる

結局、クルーと地上スタッフ、その後ろの組織の3者間で誤解を生じ、深刻な対立関係を生むことになります。本書ではこれについて、関係者の次のような証言が紹介されています。

「ほとんどの場合、問題の出所は組織だ。クルーや地上チームが組織の上層部にサポートしてもらえていない。問題の80%はこうしたことから起こる」

宇宙飛行プログラムに限らず、一般企業でよく発生する構図ですね。その意味でも、本書で描かれている組織問題の数々は、我々組織人にさまざまな示唆を与えてくれるような気がします。

この本が書かれた後の話になりますが、NASAの組織的な問題点は、スペースシャトル・コロンビア号の事故にも確実に関連しているでしょう。また、現在進められているISS(国際宇宙ステーション)では、日本をはじめ数カ国の共同ミッションとなっています。米ロ2カ国であってもそれぞれの責任範囲が定まっているとそこに他者が口を出しにくくなることが本書から読み取れますが、本書に描かれているような危機的経験をぜひ教訓にして、ISSで同じような深刻な問題が起きないよう期待したいところです。

「ドラゴンフライ」の書評(+α)を3回に分けて長々と書きましたが、書評としてはこれで終わりです。でも、ここで出てきたテーマ(組織、人材、宇宙など)について、今後もいろいろ触れるつもりでいます。