ある時期の成功の代償として、長い間に組織が官僚的になる。宇宙機関に限らず、一般の組織でよく起こる現象なのでしょう。
「ドラゴンフライ ― ミール宇宙ステーション悪夢の真実」(上)(下)
【ブライアン・バロウ(著)、北村道雄(訳)、寺門和夫(監)、筑摩書房、2000年】
本書で描かれている問題発生の背景を簡単な図で表してみました(説明後述)。
■「組織を牛耳る影の支配者」
これまで2回の記事(「ドラゴンフライ」1、「ドラゴンフライ」2)で、ミール・スペースシャトル・ミッション(フェイズ1プログラム)に関わった宇宙飛行士たちの醜態を紹介しましたが、本書ではNASA上層部についても容赦していません。とくに「組織を牛耳る影の支配者」ジョージ・アビーという男の話がとくに“いやらしく”描かれています。
詳細は本書第2章を読んでいただくとして、概ね次のような成り行きがあったとされています。
・アビーは飛行士選抜に決定的な権限を持っていた
・アビーに気に入られるかどうかが飛行士たちにとって重大な問題となった
・アビーは陰険なやり方で気に入らない人や意見を排除していった
・スタッフは常にアビーの顔色を窺いながら仕事を進めるようになった
アビーはいったんNASAから排除されワシントンで職につきますが、そこでかえって政府中枢に取り入れられるチャンスを得ます。1992年にNASA長官の懐刀のような立場でNASAに戻り、政治的な力をさらに振るうようになります。
■“伝説の管制官”物申す!
アポロ時代のNASA地上管制官のジーン・クランツという名前をご存知の方は多いと思います。映画「アポロ13」ではエド・ハリスが演じていた実在の人物です。本書にもクランツの証言がところどころに出てきますが、とくに次の証言に注目できます。
「20年前に私たちが仕事をしていた頃、管理職についていたのは下からはいあがってきた者ばかりで、部下から尊敬されていた。問題を解決するためにときには激しい言葉の応酬もあったが、率直に議論ができた。でも今は雰囲気が違う。管理職をやっているのは誰かの都合のいいように選ばれた者たちで、下積みの経験もなく十分なコミュニケーションのもととなる健全な敬意も持ち合わせていない。もはや自由で率直な話し合いをできない」
そしてその元凶がアビーだとしています。アビー自身はアポロ時代の現場から昇進していった人間なのですが、結果としてはNASA官僚組織化の道を敷いてしまう主役を演じたのかもしれません。
■じゃあ、昔は本当によかったのか?
もっとも、ここではアビー1人が完全なヒール(悪役)のように描かれていますが、実際の責任の所在はもっと複雑だったと個人的には推測します。少なくとも、アビーのやり方はクランツをはじめとした先人たちを受け継いだ結果であることは明らかです。
例えば「宇宙飛行士の人選に強大な権限を持っていた」というのは、アポロ時代のディーク・スレイトンやアラン・シェパードのやり方そのものではないのでしょうか(参考:「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」)。また、成功者として位置づけられているジーン・クランツとスペースシャトル時代の管制官とで、プロとしての意識の差がそんなにあるとは思えません(“体育会的な熱意”には差があったかもしれませんが…)。
おそらく…。(アビー側からの釈明がないので)勝手な推測ですが、アビーは官僚組織の元凶と本書に書かれていることを相当に“的外れ”と受け取っているのではないでしょうか。あえてアビーの肩を持つと「あんたら先人の成功したやり方を踏襲し、かつ政府が指示する予算削減と折り合いをつけ、かつ属人的にならないシステム作りに尽力した結果なのだ」なんて反論したくなるかもしれません。
そしてこうした、当事者にとっては理不尽とも思える経緯こそが“官僚組織化”の本質なのではないかとも思います。過去の成功や安定は、長い時間をかけてシステマチックになるなかで、結局マイナス面をもたらしていくものなのでしょう。
■ロシア側にも多くの問題
ロシア宇宙局についてはNASAほど詳細に描かれていませんが、「NASAよりさらに強固な官僚的習慣があった」とされています。飛行士が目の前で大きな危険に遭遇したとき、管制側がその報告を「誇張した夢物語」としか受け取らず信じなかったなどいう、それこそ信じられないことが結構あったようです。そのほか、ロシアの官僚組織としての弱点、国の資本主義化に伴う問題点などが次のように語られています。
・ミールの技術的情報は必ずしもドキュメントになっておらず、関係者の頭の中だけに存在していたものが多かった。しかも、技術上の秘密を守ることに極めて用心深く、米側の問い合わせに応じないことも少なくなかった
・ロシアの宇宙服や宇宙ステーションの欠点は、矮小化されたり非公開だったりした
・予算が削られる中、ミール維持のためにさまざまな方法で商売をしなければならなかった。
→CMの撮影優先や“お客さん”の招待(例えば日本のテレビ局の記者搭乗)など
・ロシアでも宇宙に飛び立つための「契約書」を飛行士と交わすようになった。
→実験の回数、船外活動の回数、失敗をした場合の罰金の取り決めができた。
→その結果宇宙飛行士は宇宙で都合の悪い情報を地上に伝えなくなるようになったり、準備不足の船外活動を強行したりするようになった
そのほか、ソビエト連邦の崩壊と民主化が組織を取り巻く環境に大きな影響を与えていたことがわかります。ミールの技術を実質的に引き継いでいたエネルギア社は民間企業へと転換しました。それまで“国内”だったウクライナ(ミールの自動ドッキング・システムを作っていた会社がありました)やカザフスタン(ロケットの打ち上げがされるバイコヌール宇宙基地があります)が外国となり、それぞれ複雑な交渉を必要とするようになっていきました。
■米ロの文化の違い
遡って1960年代米ソ宇宙先陣合戦の頃から、ソ連の宇宙計画全体に流れる人命軽視の空気に対して、アメリカ側は常に不安を持っていたとされています。実際、NASAは何か重大な(とくに人命に関連する)問題であれば、きちんとその原因を追求しその対応策を施すという姿勢があります。成功しているかどうかは別にして、たしかにチャレンジャー事故後は3年間、コロンビア事故後は2年半、スペースシャトル計画を中断してでも問題解決に時間を割いています。
一方ロシアは、何か事故が発生しても、外から見た目では何かよくわからない程度の改良を施したようなイメージで、ケロリとした顔をしてまた宇宙に飛び立っていくかのようにみえます。これが、NASAの宇宙飛行士たちに「ロシアは人命を軽視している」という不安を常に持たせることとなったようです。
「双方の考え方に絶えず断絶があった」のは、容易に想像できます。そして米ロ双方の組織風土や環境の変化や文化の違いが、フェイズ1プログラムのいざこざにつながっていったといえそうです。原因の一つひとつは“遠因”かもしれませんが、かなり本質的な原因として位置づけられるでしょう。
■官僚化による現場サポート機能の不全
望ましいサポート体制として、冒頭の図のような流れが考えられます。
・クルーが(事前準備も含め)何か問題に直面したとき、地上スタッフへ素早く状況報告や問題解決の依頼をする
・管制官など地上スタッフは必要十分な情報をクルーに提供し、現場段階で処置できるものは対応する
・組織的な(上層部の判断が必要な)対応が必要な問題については、それを組織に素直に依頼する
・組織としては、なるべく現場の負担軽減につながるようサポートする
しかし本書に描かれている数々のアクシデントおよびインシデントからは、次のような構図が見て取れます。
・組織から地上スタッフに、方針徹底などの強い命令が下される
・それを受けた地上スタッフは、クルーにあれこれ指示する。結果的に現場(宇宙)での活動そのものを制約していく
・クルーは身動きが取れなくなっても、正確な状況を報告できない。または報告しても解決されなかったり、地上からの情報提供が不十分であることが続いたりして、状況報告そのものをあきらめてしまう(自ら解決するしかないと考えるようになる)
・地上スタッフも上下から板ばさみになり、責任逃れが先にたつなどして、組織に対して有効な働きかけができなくなる
結局、クルーと地上スタッフ、その後ろの組織の3者間で誤解を生じ、深刻な対立関係を生むことになります。本書ではこれについて、関係者の次のような証言が紹介されています。
「ほとんどの場合、問題の出所は組織だ。クルーや地上チームが組織の上層部にサポートしてもらえていない。問題の80%はこうしたことから起こる」
宇宙飛行プログラムに限らず、一般企業でよく発生する構図ですね。その意味でも、本書で描かれている組織問題の数々は、我々組織人にさまざまな示唆を与えてくれるような気がします。
この本が書かれた後の話になりますが、NASAの組織的な問題点は、スペースシャトル・コロンビア号の事故にも確実に関連しているでしょう。また、現在進められているISS(国際宇宙ステーション)では、日本をはじめ数カ国の共同ミッションとなっています。米ロ2カ国であってもそれぞれの責任範囲が定まっているとそこに他者が口を出しにくくなることが本書から読み取れますが、本書に描かれているような危機的経験をぜひ教訓にして、ISSで同じような深刻な問題が起きないよう期待したいところです。
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「ドラゴンフライ」の書評(+α)を3回に分けて長々と書きましたが、書評としてはこれで終わりです。でも、ここで出てきたテーマ(組織、人材、宇宙など)について、今後もいろいろ触れるつもりでいます。