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年末の築地2009

年末の築地は元気です。場内場外とも賑わいをみせています。年々、訪れる一般客は増えていて、店や商店街も徐々にそうしたニーズに対応していることでしょう。市況の変調、市場設備の老朽化、新しい市場ビジョンなど、話題は尽きません。

市場写真4点
〔築地市場の風景4題〕

■“アメ横”化する? 築地界隈
昨年一昨年に続き、2009年もこの時期に築地中央卸売市場および築地場外商店街を見に行ってきました。商店の店先で景気を聞く限りでは「昨年より売り上げは上がっていない」とのことですが、ほかの商業地に比べるとこの賑わいはハンパではありません。もともとはプロが商売をする場であったこの地域に一般客が多数訪れるようになりました。様子がある日突然変わるというのではなく、年々少しずつ変化しているように思えます。

築地場内(中卸)と場外(商店街)において、
プロ向け(卸売):一般向け(小売)
の商売の軸足はどの程度の比率にあるのでしょうか。

売上高とか顧客数とかではなく、商売の重要度みたいなものをイメージしてみてみましょう。あくまでも個人的な印象ですが、次のように表現できそうです。
・10年前… 場内 10:0 、場外 9:1
・5年前… 場内 9:1 、場外 8:2
・今(日常)… 場内 9:1 、場外 7:3
・今(年末)… 場内 7:3 、場外 5:5

昨年の記事でも書きましたが、場内奥深くまで子供連れの家族が多数入り込んでいます(写真右上)。外国人客が多いのはいつものことですが、たとえば、場内の中卸人がマグロなどの解体をしている現場を家族で見学している(写真左上)なんて風景も全然珍しくありません。場内でさえこれですから、場外はもうアメ横状態です。

「年末は築地へ行こう!=場外市場で「安い魚」をゲット」(時事ドットコム)リンク切れ

中央卸売市場は30日が年内最終市となるため、場外市場の店もほとんどが同日で年内の営業を終えていたが、「近年は31日も多くの消費者が築地へやってくるため、店を開けるところが増えた」(同協議会事務局)と話す。

ある方に伺ったら「これまでも31日に店を開いているところは多数あった。でも31日は掃除とかが主で、本気で商売しているとはいえない。むしろ休市日に扱っている商品は“売れ残り品”の類かもしれず、アヤシイ」との意見も。確かに、市場ありきで考えればそうかもしれません。でも、いまや冷凍・チルドの技術も上がっているし、場内はともかく場外市場は生鮮より加工品の店が多いですから、大晦日まで真面目に商売をやろうとすれば、それは決して難しいことではないはず。一方、築地を“アメ横”視して訪れる一般客が多数いるのは確実なだけに、たぶん今後、大晦日の場外市場は地域全体で一般客対応の(本気の)商売が進むと予測します。

■年末に売れるはずのものが売れない
築地に限りませんが、経済状況の影響で生鮮品の市況は変調をきたしているようです。これまではいくら不況でも年末には必ず売れていた商品が、昨年くらいから動かないとの声が多数でています。

「デフレ裏付ける生鮮市況」(日本経済新聞2009/12/01朝刊)
「マグロ卸値が下落 冷凍メバチ、前週比13%安」(日本経済新聞2009/12/22朝刊)リンク切れ

歳末商戦を迎えた12月にマグロの価格が下がる「異例の事態」が2年連続で起こっている。

従来なら、歳末のように需要が集中する時期や供給が減る事態があれば、市場原理が働いて卸値が上昇し売上高も増えたとされます。しかし今はそれでも卸値が下がったり売れ行きが見込めないという異変に直面することが多く、その影響は昨年以上とのこと。卸の売り上げが伸びないとすれば、築地の業者がせっかく訪れる一般向けチャンスを見逃す選択肢はありません。もっとも、一般客向けの売り上げは卸以上にとらえどころが難しいかもしれませんが…

■老朽化する築地の設備
築地の豊洲移転はますます混迷しています。しかしながら、これも昨年の記事で触れましたが、築地の建物の老朽化は何とかしなければなりません。

「築地市場で事故続発、過密深刻化」(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/091225/tky0912251833009-n1.htm

先月から今月にかけ鉄板などが落下する事故が続発し、年末の緊急点検と修理に追われている。落下したのは約1メートル幅約8センチの薄い鉄板と、長さ約15センチ縦横約5センチのコンクリート片。

幸いけが人はなかったようですが、少し大きな地震がきたら簡単に落ちるところが出てきそうです。落下物を受け止める網を張ったり、モルタルによる補修工事をすることで対応しているそうですが、これは何とかしなければなりませんね。冒頭写真の左下はこの事故の対応個所ではないと思いますが、こんなふうに応急的と思われる対応個所はあちこちにありそうです。

築地再整備だ豊洲移転だと、政治的意図を背景にした人たちが不毛な戦いをしているようです。東京都議会でも主導権を握った民主党が「移転を強引に進める予算は計上するな」と要望を出しているようです。結局中央卸売市場という形態が(たぶん予想を超えて)大きく質的量的に変化していくのでしょうから、どちらに市場があっても官営である限りは衰退が約束されているようなものです。どうせなら、危機対応(早期決着)を優先させて、ジャンケンで決めてみてはいかがでしょうか。

農林水産省ではこの秋から「卸売市場の将来方向に関する研究会」なるものを精力的に進めているようです。
http://www.maff.go.jp/j/soushoku/ryutu/sizyou_kenkyu/index.html

ほかにも民間主導で、「市場流通ビジョンを考える会」といった組織が、これからの流通ビジョンをとりまとめようとしてるとの報道がありました。これらについて、詳細な情報が出てくるのを待ちたいところです。

*  *  *

最後に、冒頭写真の右下。築地場内で見た大きなマンボウの写真です。「写真料払ってね!」などと、店の人から冗談を飛ばされました。いつも刺激があり、面白い場所です。

▽関連情報
築地場外市場~変化こそ常道 築地市場現在地再整備案公表

年末の築地2008

世界金融危機はいち早く生鮮品卸売市場の取引に影響したと言われることがありますが、部外者には築地界隈はなかなか繁盛しているように見えます。NHKの特番やテレビ東京のアドマチなど、少しマニアックなテレビ番組も放映されました。

築地場外入口看板
〔築地場外市場商店街入口にかかる横断幕〕

■意気込みが見える場外市場の横断幕
昨年(年末の築地の街)に続き、年末の築地を徘徊しました。不況とはいえ、やはり結構賑わっていると感じられます。今年は中旬の平日に出掛けたのですが、外国人観光客はもちろん、一般消費者の姿がけっこうみられました。

前回の記事(市場長が書いた「築地といちば」)でも書きましたが、築地の豊洲移転問題は少し流れが変わったかのように感じられます。本当のところどう転ぶかわかりませんが、東京都の問題というより国の問題として、再度(卸売市場法のあり方など)根本問題から考え直すチャンスがくればよいと思っていますがどうでしょう。

もっとも、現実の生鮮品流通システムを間断なく維持しなければならないことを考えると、頭でっかちに理想だけを語っていても仕方ありません。いつか来る次の東京大震災までに間に合うのかどうか…

冒頭の写真のように、築地場外市場商店街の入り口に横断幕が掲げられていました。場外は場外として自立している商店街です。日本橋魚河岸が移転しても日本橋が賑わっているように、築地市場の移転の有無に関わらず今後もずっとここで商人たちは商売を続けていくことでしょう。市場本体はともかく、「築地」ブランドを受け継いでいく主力は今の場外市場商店街の方々になるのでしょう。

■築地を追求したテレビ番組
いわゆる「グルメ紹介」「安い買物紹介」のような番組で築地が取材対象になるのは日常茶飯事のことです。しかしこの12月は、築地に関するテレビ番組がいくつか続きました。マニアックとはまではいえないかもしれませんが、少し踏み込んだ興味深い番組が続いたようです。

12月中旬のテレビ東京のアドマチック天国は、テーマがずばり「築地場外」。市場本体には入らず、場外だけに絞っていました。ランキングは食べ物屋さんばかりですが、いくつか面白いエピソードが散りばめられていました。吹田商店さんの若旦那が話す「石川五右衛門の命日が書かれたお札」(を貼り忘れた年に限って、貼り忘れた場所から泥棒が入ってきたという話)は、「本当かいな?」とついつっこみたくなるところ(笑)

そして年末、NHKで放映された市場(場内)の紹介兼ドキュメント的な番組「築地市場大百科AtoZ」は、踏み込んだ話にもかかわらず肩を張らずに見られた良い番組でした。計2時間近くにわたり、築地の職人、技術、人の動きなどが採り上げられていました。プロから見れば“しょせん上辺だけの説明”と受け取れるのかもしれませんが、日本人でも普通はなかなか入り込めない市場の“ひだ”のような部分を垣間見られたことは、きっと築地はじめ各地の市場にとって、広報的な意味でプラスなのだろうと思われます。

テオドル・ベスターさん(テオドル・ベスター著「築地」 参照)が築地通の一人として出演していました。ロシアのチェリストで日本通だった故ロストロポービッチさんが感じた市場の“音”の話は雰囲気とともに心に沁みます。外国人が評価する日本文化という側面が強く出ていたようです。

2人のマグロせり人が上質のマグロ1本をめぐり駆け引きをする話は、この番組の見せ所だったでしょう。せり一つにもいくつもの深謀遠慮があることは興味深かったところです。ただし、この駆け引きのなかに卸売市場というシステムの“プラス面”だけでなく“マイナス面”を読み取った視聴者も少なくないと思います。生産者から消費者に商品が届く過程で中間流通業者が入ることのメリット(リスクヘッジなど)を感じることもできれば、プロでしかタッチできない流通過程での不透明さを感じる向きもあったかもしれません。

そんなこんなを含めた世界が、現在の日本の卸売市場というものなのでしょうか。

市場長が書いた「築地といちば」

築地卸売市場とその周辺の歴史、築地移転の話などが淡々と語られています。著者は築地市場に長く勤め市場長となった方。きわどい話はありませんが、築地の全体像がわかりやすく解説されています。

築地といちば
「築地」と「いちば」 築地市場の物語(左半分が表紙、右半分が裏表紙)
【森清杜(著)、2008年、都政新報社刊】

■当事者の連載記事を単行本化
卸売市場に関するネタは尽きません。最近も、外国人観光客のマナーの悪さから築地市場のマグロせり市場の見学が中止されたという報道、漁協と大手スーパーの直接取引きで卸売市場の存在意義が見直されている話、さらには中国韓国の水産市場が本格的に稼動をはじめ、築地はじめ日本の卸売市場の将来が危ぶまれている話などさまざま出てきてます。テーマは違っても、一つ確実なのは、従来の日本の卸売市場システムは思った以上に急速な変化を迫られていることでしょうか。

本書の著者は第18代築地市場長とのこと。「都政新報」に連載した記事の単行本化です。といっても、現在の築地市場の話はわずかで、近隣する明石町(聖路加国際病院の周辺)や佃島、築地以前に魚市場があった日本橋を含む歴史の振り返りが主になっています。旧海軍施設、立教大学や雙葉学園といったミッションスクールなどなどの歴史話がページの多くを占めます。

他の資料にも書かれていることも多いでしょう。著者が責任のある役職、つまり当事者であるためか、あたりさわりのない事柄・事実を中心にまとめている形です。ある意味「公式的な見解」と受け取れるものかもしれません。でもそれはそれで、この地域の歴史や成り行きが短く端的に説明されていて興味がもてます。

なお、表紙・裏表紙は築地にある民家のイラスト(冒頭写真)で、当サイトでも紹介している銅板建築の家(→ 銅板建築 14_築地の「C-020」)です。市場からも場外からも離れている場所の建物なので「いちば」と直接的なつながりはありませんが、趣があります。

■築地移転の“おもて話”
やはり最も気になるのは、平成に入る頃からの築地移転問題でしょうか。最終章(第9章)にそのあたりの経緯が少し語られています。たとえば次のような事実が淡々と挙げられています。

・1990年。築地の現在地で再整備することに優位性があると判断されました。計画では2002年に全面衣替えが終わるとのこと。

しかし新しい卸売場建設に向けた工事が本格化する予定だった95年になって「移転の可否について再検討」と意見が表にでてきます。市場財政逼迫がその一つの理由ですが、主に青果部門からの臨海地区への移転意見が強かったとされています。全体的に、
青果部門は概ね移転派、水産部門でも卸売業者は移転派。
これに対し、
水産部門の中卸業者と買出人が現在地再整備派
という図式だったようです(今もそうかな?)。

さらに
・96年1月に当時の市場長が「再整備見直し」を表明(この時点で、晴海、豊洲、大井埠頭など5カ所の空き地を検討しはじめる)。
・96年4月、東京都卸売市場審議会は現在地再整備を了承し移転論議に終止符を打った、はずだったが、
・96年11月、東京都が大幅な計画変更を示し「計画が10年前まで戻った」。
・97年11月、あらためて日程が決定し2000年本格着工と決められたが、その後
・97年12月、またもや「移転も視野に入れた検討」が言い出され、この時点で豊洲移転の検討が移転の第一候補となった
とのこと。

「現在地再整備」の決断がたびたび下されても、後から移転に話が決まっていったのはなぜなのでしょう。理由は、本書にもありますが、どうもあまりすっきりしません(※1)。

・現在地開発では仮設営業の期間が長くなるので仲卸業者にとっても条件が厳しい
・工事完成まで20年とか長期の時間がかかる
・青果部門が「現在再開発は無理」と統一見解を出した
・水産仲卸が出した(現在地再開発の)独自案は「将来のあるべき姿が明確でない」と(移転派が)批判
・99年、新しい都知事が就任後初めて築地を視察したとき「古い、狭い、危ない。時代錯誤」などけちょんけちょんに言い放った

築地移転の話は、
・2001年2月 石原都知事が豊洲移転の考えを都議会本会議で正式に表明
…というあたりで記述は終わってしまっているのが少し残念です。

■市場長が変わると方針も変わりうる?
そのほか、あまり知られていない情報もありました。たとえば築地場外市場の再開発案。

「再整備工事が本格化する中で、築地場外市場の再開発案も出され、中央区が5.7ヘクタールで高層ビル化し、生鮮食料品店舗を中心におよそ600店舗を収容し、住宅や駐車場、事務所スペースを確保する計画が持ち上がっている」 …もう過去の話です。

本書の記述ではなく別の情報(ネット上のblogなど)によると、95年に新しい市場長が就任したときから急に「現在地再整備」から「移転」に方針が変わっていったなどといった“裏話”があります。どうもそのあたりにドロドロした政治的駆け引きなどがあったようですが、本書ではさすがにその実態について何も語られていません。立場としては、書けることに限界があるのでしょう。

でも本書の語り口は、淡々としているだけにかえって嫌味は感じさせません。かつて市場長が変わったことで方針転換があったとすれば、また市場長が変わったことで新たな考え方が展開されていく可能性があると(勝手に)受け取ることが出来ます。

個人的な感想としては、市場が築地に残るか豊洲に移転するかはどちらでもたいした問題ではないと考えています(※2参照)。でも現在の卸売市場のあり方、卸売市場法の存在意義などは再検討するに値するはずです。これは国全体の制度の問題かもしれませんが、もしかしたら2009年は卸売市場の仕組みが大きく変わっていく年になるかもしれません。

※1 公式には、たとえば次のような情報が東京都の卸売市場の情報サイトに公開されています
資料4-2 現在地再整備が実現困難な理由

そのなかでは、次の7点が指摘されています。
1. 工事期間 ⇒ 完成まで最低でも20年程度は必要
2. 建設費用 ⇒ 割高となる
3. 営業活動への影響 ⇒ 支障が極めて大きい
4. アスベスト対策 ⇒ 工事期間がさらに延び、営業にも深刻な影響
5. 完成後の市場機能 ⇒ 基幹市場としての機能配備が不十分
6. 財源 ⇒ 中央卸売市場会計が保有する資金では不足
7. その他、工事の進捗に影響を及ぼす要因

※2 過去記事
非関税障壁か、守るべき制度か(「築地」その3)
官営化する卸売市場(「神田市場史」より)
など

年末の築地の街

築地はどんどん変わっています。場外市場は中層ビルが増えるとともに、路面に面した店舗は入りやすくなりました。場内は店の看板も昔と様変わりし、商品の単品売りも増えています。年末の休日ということもあってか、子ども連れ一般客も目立ちました。

新しくなった吹田商店
〔新しくなった吹田商店〕

■近代化のなかに特徴を出した店舗作り
1年半ほど前に「脱皮を目指す?築地周辺の商店」および「築地場外の半値市」という記事を書きました。「半値市」の記事で晴海通りに面した吹田商店さん(昆布の専門店)の建物が建て替え工事に入ると書きましたが、その吹田商店さんの店舗は10月に新装開店しています。写真のように、店舗というよりその一角が一つの大きなビルに変貌しています。

1年半前(06年5月)の写真と今回(07年12月)の写真と見比べてみてください。アングルが逆なので少しわかりにくいかもしれませんが、晴海通り沿いを中心に築地場外市場は古い街並みから中層のビル群へと変わっています。今回の写真右上にも見えるように、屋上には大きな看板が増えています。一言で言えば“近代化”が進んでいます。

と同時に、店舗作りとしては、むしろ古くから馴染んでいる店構えの雰囲気を踏襲していることがわかります。吹田商店さんの場合は、店正面の看板や構成が過去のものとほぼ同じ。店内も、旧店舗で使われていた部材の一部をそのまま再利用したそうです。昔の大福帳(?)を吊るすなどして雰囲気を出し“レトロ感”が感じられます。

落ち着いた店内の様子
〔落ち着いた店内の様子〕

ここ数年の間に改築された他の店舗にも言えますが、概して1階の店舗は間口が広まったとともに、老舗としての落ち着いた雰囲気を保っています。一般客が入りやすくなっているのは確かです。

■場内も様変わり、子ども連れ一般客も
変わったのは場外だけではありません。場内の店舗も少し見ない間にずいぶんきれいになったようです。以前は玄人専門の生鮮市場らしく、“わかる人だけわかればよい”といった雰囲気が満ち溢れていました。今ももちろん従来と変わらず骨太な店舗の集合であることに間違いはないのですが、一部の中卸業者の看板デザインは相当きれいになっています。写真のように、ファサード(前面)にインターネットのURLが書かれている店もあります。

築地場内の看板
〔築地場内の看板〕

商品も、思った以上に小分けされたロットで用意されていました。訪れた日が年末の休日(臨時開場日)、つまり場内・場外とも年の瀬で一般の買い物客が最も増える時期だったので当然なのかもしれませんが、それにしても「1匹100円」とか「1箱1000円」といった単位で魚があちこちに並んでいたようです。

お客さんで特に目についたのが親子連れです。市場場内の奥の方にさえも、小さい子ども連れの家族が多数みられました。ターレットが走り回る場内に小さな子がいると危なくて心配になりますが、あるいはこうした現場を小さいうちに見ていると、市場の活気を肌で感じたり、魚を食べることに親近感を持ったりするものなのかもしれないとふと思います。

築地市場本体の建物は、天井の様子(写真右上)からもわかるように、相当に老朽化しているのでしょう。しかし個々の店作りを見ていると、それぞれの商人らしさや活力があり、やはり「一つの商店街として生きている」と感じられるところです。市場本体の豊洲移転問題がどう決着していくか不透明ですが、どう転んだとしても、官の無意味な政策のごり押しにより商人の活力が圧迫されないことを願いたいところです。

「魚河岸野郎 – カジキ日和」

サイト紹介。当サイトでもたびたび築地の話を書かせていただいていますが、当方など及びもつかない本格的な築地事情の専門サイトです。築地の歴史が連載されていたblogは「打止め」となったようですが、続きをぜひ期待したいところです。

カジキ日和 画面
〔サイト「カジキ日和」の画面〕

■89回にわたる築地昔物語
この「カジキ日和」というblogの存在をどこかで触れたいと思っていましたが、運営の都合なのか、とりあえず更新が「打止め」になった模様です。元のサイトは継続されています。

築地の魚河岸野郎 http://www.uogashiyarou.co.jp/
魚河岸野郎 http://www.sakanaya.co.jp/

発信人はこの世界で知る人ぞ知る方なので、魚河岸関連のお仕事をされている方なら多くの方がご存知かもしれません。「昔がたり」だけでも89回続いていました。

築地魚河岸昔がたり(89) つかのまの繁栄

さまざまな文献、またご自身が先達から直接見聞きした事柄を踏まえて、実に面白く、生き生きとした築地の歴史が描かれています。「昔がたり」以外の情報も多数あります。ここの情報が今後どのような形で記事がまとめられるのか、このまま記事は残るのか、わかりません。ご興味のある方はぜひ訪れてみてください。

こうした話が、新しい装いでこの先も続くことが期待されます(一読者として強く期待しています)。