「街づくり」タグアーカイブ

小笠原の空港予定地

小笠原返還50周年記念(2018年6月26日)を機会に、小笠原空港設立のニュースが少し報道されています。予定地は父島の「洲崎」という場所で、おそらく最後の唯一残った候補地でしょう。ただし仮に空港ができるとしても20年~30年先と言われています。

小笠原、洲崎D
〔小笠原の洲崎写真D(地図D)〕

■6日サイクルの島時間
小笠原諸島には現在空港はなく、観光客は片道24時間かけて船で訪れるしか手段がありません。これでも以前より速くなりました。繁忙期や船のドック入りの時期を除くと、6日に1往復するスケジュールが基本です。最も一般的な観光日程は「3泊6日」で、これを「1航海分」といった表現をします。3日じゃ足りないと帰りの船を1回見送る「2航海分」とるならば「9泊12日」です。もし1航海6日でも長すぎるとなれば「0泊3日」で、船内移動時間が計48時間なのに対し、現地滞在時間はわずか3~4時間! という日程しか組めません。

逆に島民が本土に出てくるとしたら最短「1泊4日」が可能ですが、普通は「7泊10日」が最短日程になるのでしょう。それ以上に重要なのは急病人が出た場合などの緊急搬送で、その場合は海上で離着陸できる自衛隊の飛行艇(US2など)が用いられます。急患対応は年間で30回程度行われているようです。

そんな状況に対応するため、小笠原諸島への空港設立がかつてから計画されていました。と同時に、何度も計画はとん挫しました。世界遺産になった今は、空港が作れる場所は本当に限られており、最後の最後に残った唯一の候補地が「洲崎」。じつはここ、戦争中に日本軍の滑走路があった場所です。

小笠原空港協議会資料1
〔父島洲崎の位置(小笠原空港協議会資料より 1)〕

■東京都「短い滑走路の空港案を検討」
小笠原空港協議会資料には次のように記載されています。

小笠原空港協議会資料2
〔空港の計画案の一つ(小笠原空港協議会資料より 2)〕

戦前の洲崎の滑走路の長さは500m程度のようです。実際、陸地だけでみるとそのくらいの長さしか取れません。昔はこのあたりに岩の洞穴(海蝕洞)があるとともに、岬の先野羊山と父島の間にわずかに海峡があったとされますが、そうした自然の造形物は同時期に変貌したようです。風情のありそうな海蝕洞は跡形もなく、海峡は埋め立てられて完全に陸続きになっています。そんな場所に1200m滑走路の建設が案として計画されています。

小笠原空港協議会資料3
〔空港予定地(小笠原空港協議会資料より 3)〕

この地図のように、予定されている滑走路は1200mといってもかなり海に出っ張ります。その分埋め立てることになるわけで、やはり自然環境への影響が気になるというのが現代の常識的な感覚かもしれません。そうした意見もあってのことか、もっと短い滑走路の飛行場にする検討余地があると、協議会の資料自身にみられます。6月29日に小池東京都知事から「環境に配慮して1000mより短い飛行場案を検討する」といった旨のスピーチがありましたが、それは都知事の案というより、検討項目の一つとしてあった案といったほうがよさそうです。

小笠原空港協議会資料4
〔洲崎計画案からの検討課題(小笠原空港協議会資料より 4)〕

■現予定地
次の図は父島西側の地図で、地図中央の岬のような場所が洲崎とその先にある野羊山です。1200mの滑走路予定地(推定)を赤い線で示しました。緑の線は、仮に滑走路を800mに短く抑えた場合に予想される部分を、勝手に書き込んでみた線です。

小笠原空港予定地の位置図
〔小笠原空港予定地の位置図〕

■現状写真
冒頭の写真は約2カ月前(2018年4月)に撮影した現場写真で、図中「D」から矢印の方向を写したものです。木立の先に二見湾、その先に烏帽子岩という小島が見えます。このあたりの左手前から右手奥にかけて滑走路が造成される計画です。

洲崎地区は、幕末に欧米人が住み始めた頃、ペリーが江戸への渡海途中で来島してきた頃には、島の中心街にしようとしていたこともあったようです。明治から昭和初期にかけて民家や畑もある場所でした。しかし戦後は、臨時の運転試験場として使われた以外はほとんど放置されてきたそうです。

洲崎の入り口部分までは、舗装道路が整備されています(写真A)。
小笠原、洲崎A
〔小笠原の洲崎写真A(地図A)〕

舗装道路が行き着いたところ、ちょうど滑走路予定地(真ん中)の脇に当たるところ(地図B)。
小笠原、洲崎B
〔小笠原の洲崎写真B(地図B)〕

写真Bの中央に右に入る小径があり。そこを曲がった場所(写真C)。位置的には、写真Cの道の左側が滑走路予定地で、この小径は滑走路の脇か誘導路か、そんな場所になるのでしょうか。
小笠原、洲崎C
〔小笠原の洲崎写真C(地図C)〕

写真Cを先に行くとわずかに左に曲がり、冒頭の写真Dの風景が現れます。さらに海岸まで到達すると写真Eのような風景があります。
小笠原、洲崎E
〔小笠原の洲崎写真E(地図E)〕

■周辺から見ると
滑走路予定地を周辺から見ると、どんな風景なのでしょうか。写真Fは、島の北側、大村市街地からほど船見山付近、いわゆる「ウェザーステーション」からの写真です。
小笠原、洲崎F
〔北側から洲崎方向。写真F(地図F)〕

写真Gは反対の南側、小港海岸の南、中山峠展望台を少し越えたあたりからの写真です。
小笠原、洲崎G
〔南側から洲崎方向。写真G(地図G)〕

写真Hは北東の二見港(正確には製氷海岸あたり)からの写真です。
小笠原、洲崎G
〔北東側から洲崎方向。写真H(地図H)〕

■賛否は昔からさまざま
なお、空港建設の是非は賛否ともずっと前から語られています。参考URLにある、平成20年に実施した「航空路に関する村民アンケート」1193件の自由記入意見もその一部でしょう。少し話題として採り上げられた今になって、あたかも初めて問題視されたかのような意見が外部からご親切に示されても、おそらく島民の方々や関係者の方々から“にわか意見”と受け取られるだけでしょう。

小笠原でわずかに見聞きした範囲では、島民は比較的冷静といいますか、これまで何度も計画がとん挫してきた過去の経験から「どうせ実現しない」、少なくとも「実感はない」と受け止めているような様子がみられます。もちろん私も明確な“にわか”にすぎませんので、「自然保護」も「観光促進」もどちらも軽々なことは言えない、と考えています。

(参考)
「航空路の開設に向けて」(小笠原村)
https://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/kikaku_seisaku/
小笠原航空路協議会議事録(東京都行政部)
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/05gyousei/06koukuuro.html

【追伸】
2018/7/12日報道より。小笠原空路で仏伊合弁の航空機メーカーATRが開発中のプロペラ機ATR42-600Sを想定しているとあります。現行モデルATR42-600のSTOL改良型で約50人乗り、滑走路長は800mで済むとのこと。小笠原空港の滑走路がその長さで良いかどうかはまた違う話かもしれませんが。。

“まちづくりとオープンデータ活用シンポ”より

まちづくりで、いわゆる“ビッグデータ”または広く標準的なデータに加え、それぞれの地域に密着した情報をいかに見える化し、実務に生かしていくかが求められています。「広域情報+ローカル情報」の組み合わせは、ものづくりIoTの現場や、人材アセスメント・評価での考え方と通じるところがありそうです。

グローバル・コンテンツとローカル・コンテキスト
〔グローバル・コンテンツとローカル・コンテキスト〕

「まちづくりとオープンデータ活用」シンポジウム(主催:Code for Suginami、杉並区産業商工会館にて、2017/9/22)を聴講しました。講演は、庄司昌彦GLOCOM准教授。その後のパネル・ディスカッションは、庄司准教授のほか、笹金光徳高千穂大学学長、杉並区役所の馬場氏、西武信金の山崎氏、モデレータとして新雅史東洋大学助教の5人。あまりまとまっていませんが、以下に気が付いたところを挙げてみました。

■オープンデータをまちづくりに生かすには

本シンポジウムのテーマは、地域社会(地方自治体)の衰退が課題となっている昨今、社会で役立つ調査結果や収集データを「オープンデータ」として整備し、それらをどのようにまちづくりに生かしていけばよいか、です。

なお、文章は話者の発言そのままではなく、筆者(松山)の解釈を含めた表現になっているところがありますので、ご容赦ください。

パネルディスカッションの様子
〔パネルディスカッションの様子〕

– 地域社会の衰退のスピードは変えられる。たとえば島根県海士町は、「島留学」や住民主導のまちづくりなどから、移住者が増えている。
– 日本の高齢者の25%は「友達が一人もいない」という。今後、人々が協調して活動する機会を増やすことが、重要な政策となるだろう。
– 「オープンデータ」とは、単に公開されたデータでなく、「開放(自由に使える)資料(イメージなどを含むさまざまなドキュメント)」である。
– 2016年末に施行された「官民データ活用推進基本法」において、都道府県におけるデータのオープン化計画づくりが義務とされた。

– 商店街の活性度や地域の元気度をどう測るか、「コミュニティカルテ」のようなものができないか研究している。
– 行政(杉並区)の情報政策課として、各部署に情報のオープン化を説得している(が、必ずしも理解が得られるとは限らない?)
– 金融機関はプライバシー情報が多いので、情報はほとんどがクローズドである。だが、金融庁森長官によって進められているディスクロージャーの動きから、銀行はどこもdiscloser誌(決算報告書のようなもの)を開示するようになった。

(参考)
「東京都オープンデータ推進 庁内ガイドライン」
http://opendata-portal.metro.tokyo.jp/www/contents/1491469912683/
「東京都オープンデータカタログサイト」
http://opendata-portal.metro.tokyo.jp/www/index.html
新雅史モデレータの興味深い著書
「商店街はなぜ滅びるのか」 facebook記事(2012年)

■局所的な文脈をいかに組み入れるか

いくつかのテーマのうち、講演者である庄司氏は「ビッグデータや広域で一律的に整備される標準データも必要だが、地域創生などには、それぞれの地域生活に密着した(地域企業が持っているような)ローカルデータが必要となる」という点を特に主張されていました。

中央からの発想、もしくはグローバルという視点を強く持ち出すと、ビッグデータや定量的な社会指標を重視しがちです。まちづくりの目標設定、たとえば補助金・助成金を受けるための目標設定などにおいて、地域の特性とはピントが外れた判断基準だけが一人歩きする危険があるわけです。しかし「想いやこだわりを地域や個店はしっかり持つべき。それなしにオープンデータ(広域・標準のデータ)を活用しようとしても、あまり意味がない」。

このあたりの考え方を自分なりに図式化してみたのが、冒頭の図の上部「まちづくり」として示した部分です。まちづくりにおける「広域・グローバル」データと「個別・ローカル」データのイメージとを対比させてみました。要素が必ずしも論理的に図式化されているわけではなく、概念的な項目と“RESAS”のような個別システム名が混じっています。あくまでもイメージに過ぎません。

個人的な意見になってしまうかもしれませんが、広域・グローバルな部分とは、膨大な「コンテンツ」として存在している、いわば客観的な“測定値”でしょう。一方、個別・ローカルな情報とは、外部から見れば理解しにくい「コンテキスト」(文脈)を含むもの。できるだけ客観化するに越したことはないのですが、必ずしも(普遍的に通用しそうな)客観性だけではなく、その地域、会社、グループ、個人といった粒度での主観性を併せ持つものだと思われます。

(参考)
RESAS:地域経済分析システム(内閣府 まち・ひと・しごと創生本部)」
https://resas.go.jp/

■ものづくり、ひとづくり、でもあてはまる枠組み

冒頭の図ですでに示しているように、筆者(松山)の感想としては、この枠組みはシンポジウムで論じられていた“まちづくり”の場面だけでなく、“ものづくり”(工場)、“ひとづくり”(人材育成)においても同じようなアナロジーができると思われます。

例えばものづくり企業のIT実践でも、米国的なビッグデータ構築や、ドイツ的なIndustry4.0標準化だけでなく、もう少しローカルな、個々の現場から上がってくる情報を組み合わせていくべきとの問題意識があり、日本の中小企業などが研究しています(IVI:インダストリアル・バリューチェーン・イニシアティブ など)。

逆にものづくりの側から見ると、生産系の“どろどろしたデータ”は工場やラインの情報化で不可欠だという印象を持っていましたが、商業・マーケティング系でもやはり同じように「マクロで横並びになった情報」と「ミクロで文脈をさぐるような情報」の組み合わせが意識されていて、それがまちづくりというテーマで論じられるとこのシンポジウムのような議論につながってくるのかなと考えます。

さらに、当blogでは以前から何度も、ひとづくりを考える上で「アセスメント」(人事測定)と「イバリュエーション」(人事評価)の違いをテーマとしてきました。これも同じ枠組みで上の図に表現してみました。

(参考)
IVI:インダストリアル・バリューチェーン・イニシアティブ
https://www.iv-i.org/
人事測定と人事評価の違い
http://mir.biz/2006/07/0418-5333.html

■ローカルベンチマークの枠組みとのアナロジー

さらにさらに、中小企業の経営状況を分析するツールとして経済産業省が打ち出してきた「ローカルベンチマーク」(通称:「ロカベン」)の枠組みも、同じように比較できそうです。ローカルベンチマークは、従来単に同業種比較で経営指標を見比べ、どこが勝っているのどこが劣っているのと一律の判断をしがちだった反省を踏まえ、定量的な情報(6つの指標)のほかに、定性的な情報(4つの視点)をできるだけわかりやすく枠組みに示したものといえます。

ローカルベンチマーク
〔ローカルベンチマーク〕

(参考)
ローカルベンチマーク(経済産業省)
http://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/sangyokinyu/locaben/

最後にこんな記事をご紹介。コンテキストの必要性について述べた記事ですが、とても面白く読めます。
「紫式部は、なぜ源氏物語を書いたのか?」(池永寛明氏、日経新聞運営のサイトCOMEMO)

「今の日本は、コンテンツが中心で、「それはなぜか?」というコンテクスト(背景・文脈)を追いかけることが苦手な国になっている」
「「巨人の星」の星飛雄馬が1球投げるのに30分番組が終わるというような「長さ」がない」

銅板建築 4-洋品店からギャラリーへ変身

銅板建築の代表例として知られている築地の洋品店「若松屋」がギャラリーに変身しました。時代に応じて商売の形を変えることはビジネスの大原則の一つ。歴史のある銅板建築が、商売の変遷とともに活き活きと生き残ってほしいものです。

ぎゃらりー若松屋概観
〔生まれ変わった若松屋〕

■時代に応じた商売替え
東京築地にある銅板建築の店「若松屋」が、昨年12月に洋品店からギャラリーに衣替えしました。店名は「つきじTASSギャラリー若松屋」。店が生まれ変わってもう半年になります。先日訪れたときには銅板建築の建物の絵画などが展示されていて、店主の佐藤昌弘氏が暖かく話をしてくれました。

佐藤さんの説明およびいただいた説明書きによると、この店は江戸時代にできてから、
藍染屋→手甲脚絆屋→足袋屋→駄菓子屋→足袋屋→荒物屋→洋品店→ギャラリー
と展開していったそうです。銅板建築になったのはもちろん昭和のはじめですが、戦時中焼夷弾の被災を受けたとき、近所の人とパケツリレーをして被害を防いだとか。

この店に限らず、きちんと残っている銅板建築の家はどれも「歴史的建造物」です。そして、単なる見世物として残るのではなく、実用的な店舗(または住宅)として残ることに大きな意味があることでしょう。

※つきじTASSギャラリー若松屋:〒104-0045 中央区築地6-12-3
(同店のwebサイトはありませんが、web上には多数の記事があがっているようです)

■「所有権と使用権の分離」の仕組みを
銅板建築に限らず住宅兼店舗の場合、そこに居住している家族が商売(店舗)と一体になっているところが多いだけに、店を継ぐ方がいなくなると「商売替え」が難しくなります。閉店したままひっそりとしてしまったり、家ごと取り壊されたりします。商店街の衰退の一因も、こうしたところにあります。

しかし、時代に応じた商売は常に必要とされています。また、古い歴史を持ったヨーロッパの街によくみられるように、建物は何百年も利用され続けることでその街が豊かに感じられます。商売の中身は変わっても生き続ける“芯”のようなものが価値を高めているのでしょう。

そのためにも、店(建造物)とそれを運営する商売人が、ある意味「分離」される仕組みが必要かと思われます。つまり、「住んでいる人がそこで商売をする」ばかりでなく、「住んでいる人(または所有している人)が、商売人に店舗を貸す」という仕組みがもっと働けば、建築物や歴史が継承されながら商売も時代に応じて続いていく。そして街全体の価値が高まっていく…。

実際に「所有権と使用権の分離」を仕組みとして推進していることで有名なのが香川県の丸亀商店街です。空き店舗が増えることを防ぐため、商店街振興組合が地権者から預かった土地を管理し、街全体の再開発コンセプトのもとで新たなテナントの誘致に成功しています。

参考:
にぎわい商店街 丸亀町商店街(中小企業ビジネス支援サイト)
高松丸亀町商店街 再開発について:事業スキームの特徴

■銅板建築でメイド喫茶を!
東京の場合は、地震という名の破壊神ゴジラが時々現れるだけに、「歴史的」と呼ばれるまで生き残る市井の建造物は少ないのかもしれません。でもそれだけに、生き残った粋な建造物には長生きしてもらいたいものです。

たとえば銅板建築の店でメイド喫茶を開くとかいうのも、なかなかオツなものではないですか(笑)。

▽関連記事:
銅板建築 1-“昭和元年”が消えていく
銅板建築 2-古い店舗を活用し地元活性化
銅板建築 3-また1軒消えた!

豊洲卸売市場と財政問題

施設を充実させれば費用がかかります。取扱高が右上がりで拡大する時代ではない今、どうしても利用料金に影響を与えざるを得ません。


豊洲中央卸売市場の第5街区予定地
(ここは青果卸が中心で、ほぼ2階建て。ゆりかもめから見て卸売市場の手前側に“千客万来施設”が入る)

■市場内の温度管理に万全を期す
前の記事「ららぽーと豊洲と新中央卸売市場の計画」では、卸売市場そのものではなく一般向け商業施設についての話ばかりしていました。でももちろんこの移転計画は、付帯される商業施設よりも卸売市場本体をいかに整備するかということが主眼です。

築地の中央卸売市場が豊洲に移転する理由は、大雑把にいえば次の3点といってよいでしょうか。
・施設老朽化への対応
・手狭感(敷地拡大の必要性)
・衛生面や運用面(保管、物流など)改善の必要性

もともと江戸時代から大正時代まで、主要な魚市場は日本橋にありました。関東大震災で日本橋の河岸が被害を受け昭和初期に築地に市場が移転したときも、その移転の理由は上の3点とほぼ同じだったと思います。一定の時代ごとに都が“遷都”されていくようなものかもしれません。

現時点では特に「温度管理のできる施設」を求める声が強く、そのため新市場では大がかりな空調設備が導入されることになるでしょう。衛生管理のために高床式も採り入れられるようです。その分、設備投資も膨むことは避けられません。

■東京オリンピックとも関係ある? 市場財政の行方
以下東京都に限った話ですが、昭和46年度以降、卸売市場の経常収支はほとんどずっと赤字続きでした。1990年代半ばからの赤字幅は大きく、2005年の段階で累積欠損金が約200億円まで膨んでしまいました。

ただしこの間、旧江東市場および旧神田市場の閉鎖に伴い土地などを民間に放出した後にだけ、一時的に黒字化しています。そのあたりの事情は東京都の次の資料で説明されています(読んだだけではどうも釈然としないところもありますが…)。

「市場財政白書(2002年)」http://www.shijou.metro.tokyo.jp/gyoei/02/02.html

旧神田市場といえば、「昭和レトロ(1) ― 昭和風の外食店増える」で触れた「秋葉原UDX」ビルなどが今あるところです。この飲食街の名「アキバ ICHI(市)」は、かつてあった神田「市」場から名付けられています。

結局、土地という自らの身体(財産)を切り売りすることで一時的にしのいできた市場財政ともいえます。今回も、がめつい言い方をすれば、できるだけ築地の土地を高値で売り抜けて、豊洲の土地・設備の整備もできるだけ民間にゆだね(投資支出を最小限にして)、あわよくば市場財政を立て直すきっかけにしたいという考え方も成り立ちそうです。

そんな背景を考えると、東京オリンピックで築地をプレスセンターにするという計画も、その後どこぞの放送局に入ってもらいたいとかいう都知事の希望的観測も、たんなる思い付きではない、東京都の中長期的な経営建て直しの一環だということに行き着きます(もちろん単純に市場財政のためだけではなく、いろいろな側面があるのでしょうが、ここでは触れません)。

■豊洲市場の使用料は高くなるらしい
累積欠損金という負のストックにどうケリをつけていくのか、資産切り売りだけで解決するとは思えませんが、同時にフロー(経常赤字)についても手を打たなければ結局また将来の市場財政はにっちもさっちもいかなくなります。そこで出てきたのが「市場使用料の値上げ」です。

いままで中央卸売市場の使用料は、全市場同額が基本でした。簡単にいえば、黒字市場(築地や大田)が赤字市場分を補ってきたということになります。そこで最近になって、たとえば赤字の市場では使用料を値上げできるよう法律改正が行われ、市場別に料金設定ができる制度へと変更されました。

ところが都内“値上げ第1号”が、どうも豊洲新市場になってしまいそうだと報道されています。「温度管理ができる近代設備を用意したのだから、つまり付加価値をつけた市場なのだから、そのコストも利用者が負担してください」、という理屈になるのでしょう。それはそれでもっともなことでしょう。

しかしその結果、築地から豊洲に移る中卸業者などは数が減ることになるでしょう。もっとも、赤字で今後経営的についていけない業者を振り落とす狙いがあるとも噂されていますので、市場を経営する側からするとそれも狙い通りかもしれません。

そこまでして新しい中央卸売市場が必要なのか、という素朴な疑問もあります。でも、官営の卸売市場がどんな厳しい立場にあるかなどは、もちろん関係者はよくわかっているはずです。市場整備計画に伴う資料を読むと、今後の生鮮品流通の仕組みがどうなっていくのかも、さかんに議論されているようです。専門家の方々の英知がぜひプラスの方向で現実になっていくことを期待したいところです。

ららぽーと豊洲と新中央卸売市場の計画

ららぽーと豊洲の開業と新築高層マンションの増加がきっかけで、豊洲が注目されています。一方中央卸売市場の豊洲移転も2012年開業を目指し具体的になってきました。

ToyosuView02.jpg
まだほとんど空き地状態の豊洲新中央卸売市場予定地[撮影:2006年8月]

■新市場の基本設計決定
「基本設計が決定された」との報道がありました。とは言ってもこれまでに公表されていたプランの認証のようなものかもしれませんが、行政の情報として2006/10/13付けで第12回新市場建設協議会資料が掲載されています(中身は配置図などが中心で、特に一般向けに目を引くドキュメントではありません)。

このプロジェクトの中心はあくまでも卸売市場の機能整備ですが、例の「先客万来ゾーン」(一般消費者も訪れる賑わいゾーン)について先に考えてみます。近くにららぽーと豊洲という強力な賑わいゾーンが現実化したわけですが、それが豊洲新市場の賑わいゾーンをイメージしやすくしているような気がします。

参考:豊洲市場はパラドックスを解けるか?

数年前から行われている議論の中では、
・消費者と市場業者が交流するための施設が必要
という声とともに
・「千客万来」とは市場本来の生鮮食品の流通業務が評価された結果であって、市場本来の機能とは別に消費者のための施設を設けることが必要なのか疑問
という否定的な意見も確かにあったようです。

しかし結局、「買出人にとって魅力のある市場を作りたい」という狙いから、賑わいゾーンを設ける方向で議論は進んできました。「日々新しいものが発見できるとか、買出人に来てもらうような仕掛けが必要ではありませんか ~(中略)~ だったらこれを千客万来ゾーンの中に入れて、一緒にやった方がよりメリットが出ると思っています」(資料2003年「第9回新市場建設基本問題検討会議事録要旨」

また、市場部分の目隠し、つまり物流活動に伴う騒音や匂いなどを「表玄関」から遮断するための緩衝帯が欲しいといった理由があったようです。どうしても雑然としてしまいがちな卸売市場の見栄えの悪さを目隠ししておくに越したことはないということになります。見ようによっては、銀座、築地、晴海、東雲、有明、台場といったベイサイドの商業地・住宅地に囲まれた中心地域とも言える場所ですから、大田市場のような卸機能onlyという選択は、やはりとれないのかもしれません。

■矛盾をはらむイメージ作り
議事録など関係者の発言を見てみると、「マスコミは千客万来ゾーンばかりを強調してしまう」という傾向を危惧し、原則的には市場関係者が商売しやすい環境作りに重きを置きたい様子が窺われます。市場内の事業者からすると、本来の商売と競合するような店が千客万来ゾーンに入ってしまっては困ることにもなります。

一方、施設配置は(いくつかあった案のうち)「千客万来施設などの賑わいゾーン機能を流通機能と重層化して配置する案」(B案)が採用されました。「『食』をコア・コンセプトとした、オープンスペースを兼ね備える、複合的な賑わい施設」という千客万来ゾーンの基本コンセプトを素直に受け取る限り、一般向けに広く開放した商業施設がイメージされます。実際、過去の資料のパース図を見ると“ららぽーと豊洲をまねたか”と思うようなイラストが描かれています(時期的にはららぽーとよりこっちが先だと思いますが…)。

卸売市場という専門的な機能を前面に出すと、賑わいを創り出す力は弱くなりかねない。しかし賑わいを創り出そうとするPR努力は、卸売市場の業者の利害と反するところがある…。PR戦略一つをとっても、やはりどこか矛盾する方向性を内包している議論のように思えます。

“自由経済圏”築地(場外商店街など自然発生的に生まれた賑わいゾーンがあるという意味)でさえ、卸の専門機能と一般小売機能の共存に常に頭を悩ましています。
“計画経済圏”豊洲(なんて言ってしまうと怒られそうですね!)では、どのような展開を見せるのでしょうか。

なんとかして民間の力 ― PFI(Private Finance Initiative:民間の資金・経営ノウハウを活用して公共施設などの建設・運営などを行う事業手法) ― を取り入れ、賑わいを作り出そうとしています。PFIについても実現できるかどうか悲観的な見方があったようですが、やはりこのあたりが成否の鍵となっていくのかもしれません。

■ららぽーととの比較
豊洲市場の千客万来ゾーンの計画書に、ゾーンが持つべき機能や役割が具体的に挙げられています。

(a) 産地・出荷者の消費者情報に対するニーズに応える
(b) 小売・買出人の産地情報等に対するニーズに応える
(c) 上記2点を自らの営業に活かす→アンテナショップの設置、イベントの開催
(d) 消費者との直接的接点を得る→児童向けの料理実習、課外教室などの実施
(e) 全国、海外の市場情報・食材情報、食材サンプル等が入手できる機会を提供する
(f) 流通業者を中心に、業界内異業種間の情報交換の場を提供する→情報交流センターの提供
(g) 消費者の嗜好に応えることのできる多様なリテール支援をソフト・ハードの両面から行う
(h) キャッシュレスシステムの導入
(i) 小口買出人利便性を向上する→ワンストップショッピング売場の設置
(j) 現物や対面の取引をより重要視する
(k) 商社等の市場外の食関連事業者にオフィス、会議室、ランチミーティング等のスペースの提供

またしても“無理やり”の比較になりますが、まさに実現されたばかりのららぽーと豊洲を思い浮かべ、これらの内容について両者の力関係を想像してみました。

○千客万来ゾーンの方が優れた(もしくはこちらにしかない)機能
→ (a) (b) (f)
○千客万来とららぽーとの両者にあり、共存できそうな機能
→ (c) (e) (i) (k)
○ららぽーとの方が間違いなく優れている機能
→ (d) (g)
○一般的な機能であり、比較する意味があまりなさそうな機能
→ (h) (j)

ららぽーとで話題の「キッザニア」なんて、まさに(d)を完全にカバーしてしまっているのではないでしょうか。(g)については勝負になりません。少なくとも、ららぽーとで長時間費やす一般消費者が、豊洲の千客万来ゾーンにわざわざ立ち寄るシチュエーションは限られるかと想像します。

なんてこと勝手に言っていますが、これらは単なる思考実験ですので、悪しからず(笑)。