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スーパーマーケットの恵方巻

スーパーとコンビニの恵方巻商品と比べてみると、それぞれの特徴も見えてきます。センター調理品だと恵方巻のような食品は扱いにくいもの。その他、老舗寿司店と大手スーパーの商標での係争、コンビニ仕掛人の話…

スーパーの恵方巻
〔スーパー、ビッグストアの恵方巻パンフ、2009年〕

パンフ写真は左上から順に
ビッグストア(GMS):ダイエー、イトーヨーカドー、西友、イオン
大手スーパー(SM):ピーコック、ライフ、東急ストア、マルエツ
地域スーパー(地域SM):ポロロッカ、京急ストア、文化堂、OKストア

■センター調理ではネタ的にも限界?
コンビニの恵方巻と商標について3年続けて記事にしました。今回はスーパーマーケット関連の話。コンビニが仕掛けた恵方巻ブームにもちろんスーパーも積極的に対応しています。

コンビニの場合はもちろん厨房がなく、外部の協力会社(惣菜工場)から出来合いで届けられる商品をそのまま販売します。一方厨房を持つスーパーの場合は、一部セントラル・キッチンからパックされたものが届けられているようですが(※注1)、おそらく大半は、
・食材がパーツとして届けられて
・店の厨房で加工する
という形をとるのだと推測されます。

そのためもあり、恵方巻のネタ(具材)自体が、コンビニの提供するものと微妙に異なります。といいますか、当然ながら生もののバリエーションは多く豪華です。コンビニ版の魚介類というと、穴子のほかはせいぜいサーモン、あるいはマヨネーズ和えの半加工品しか使われていないのに対し、スーパー版では貝類や生の甘エビ、いくら、真鯛、イカ、ズワイガニなどが使われます。そのほかにも大葉、くき若芽などに違いが目立ちます。

地域密着型のスーパーとなると、チェーン単位でなく店舗単位で工夫している様子が見られます。パンフもオフセット印刷ではなくカラープリンターからの片面少部数印刷が主。ある地域スーパーではパンフさえ置かず、「当店オリジナル恵方巻」という貼り出しを店の入り口に掲げていました。

これらと比べると、苦し紛れに穴子ばかり(?)に頼るコンビニ恵方巻の限界が見えるようです。記事「コンビニの恵方巻 -2009年」で触れたように、コンビニの恵方巻はアイテム数が頭打ちですが、ネタの種類においても限界があるのでしょう。コンビニの限界というより、センター調理の限界です。

もっとも、おでんやおにぎりのように、以前「コンビニでは品質の高いものを置くのは不可能」といわれていた商品なのにいまやコンビニの看板商品になっている例は数々あります。とはいえ、年に1回だけの恵方巻にこれ以上コンビニがシステム化の労力を費やすことができるのでしょうか。疑わしいところです。

■「恵方巻」は普通名詞だが、「招福巻」は登録商標
商標関連では、「恵方巻」は普通名詞として共通認識ができたようです(参考記事「「恵方巻」商標は登録ならず。安心して使えそう」)が、同じ丸かぶり寿司を意味するらしい「招福巻」は登録商標として認識されたようです。

大手スーパーのイオンは「十二単の招福巻」の名称で2006年、07年に恵方巻を販売しました。ところがこれに対し、「招福巻」商標の権利者で、江戸時代創業の老舗「小鯛雀鮨鮨萬」(鮨萬=すしまん)が損害賠償訴訟に持ち込みました。結論として昨08年10月2日に大阪地裁でその判決が下り、イオンが敗訴。「商標権の侵害を認め、名称の使用差し止めと賠償を命じた」とのことです。

・「招福巻」(区分29,30,31,32 登録#2033007)
権利者は「小鯛雀鮨 鮨萬」(大阪市)。1988年登録。

鮨萬は、07年頃にイオンを含めた複数の流通業者に「招福巻」名称は同社の登録商標であるとの警告を送っていたようです。他のスーパーなどはこの名称の使用を止めたけれど、イオンのみが(大っぴらに?)継続してこの名称を使っていた模様。「招福巻の名称を使った巻きずしは他のスーパーなどでも販売されており、商標登録は無効」というのがイオン側の言い分。ここでは2つの主張をしています。

(1)「招福巻」は普通名詞である(だから登録商標としては無効なはず)
(2)仮に「招福巻」が登録商標だとしても「十二単の招福巻」は異なる名称である

裁判所の判決(事件番号[平成19(ワ)7660])から読み取ると、次のような判断がされたようです(細かい部分は少し表現を変えていますので、正確を期すには元の判決文をあたってください。判決文はインターネットからも読めます)。

■「招福巻」は普通名詞ではない
・04年以前「招福巻」という表記をしていた業者は少ない(04年のダイエーなどは使っている)。そしてその表記がある場合、一般的な普通名詞ではなく商品名として使われていると推定される。
・05年以降は、結構多くの例で「招福巻」が使われている(06年大丸ピーコック、07年小僧寿し、08年なだ万…など)。
・07年2月、商品名として使われている場合の「招福巻」について、使用する業者に対して鮨萬が警告を行い、今後「招福巻」を使用した巻きずしを販売しないなどの確約を得ている。つまり商品名として認識されたという状況証拠になりうる。
・08年1月発行の広辞苑第6版では「恵方巻」が載っている。つまり普通名詞として認められる。一方、広辞苑に「招福巻」はない。つまり普通名詞でないという状況証拠になりうる。

■「十二単の招福巻」は「招福巻」商標に類似している
・「招福巻」という部分に自他識別力がある。
・一方、「十二単の」の部分に自他識別力があるとは認められない。要するにたんに(12種類の具材が入っているという)数を表しているだけ。つまり類似していると判断できる。

ということだそうです。皆さんはどう思われるでしょうか。確かに「招福巻」は「恵方巻」に比べると限られた機会にしか目にしないので、商標として成立しそうです。でも「十二単」という基数に商品として他と識別する能力がないというのならば、何か大変ユニークな形容詞を招福巻の前につけた独特の商品名にすれば権利侵害を逃れられるのかな、とか勝手に想像します(^_^;)

まあ、鮨萬がイオンに求めた損害賠償の金額は2300万円だったのに対し、地裁判決ではイオンに命じられた支払額は51万4825円(※2)。たかがこの金額のために争うのは無駄なことでしょう(売上の詳細本数まで明らかにしたのに…)。かえって「招福巻」という言葉が権利者以外では世の中で使われず、マイナーな名称として落ち着くことになりそうな気がします。権利者が本当に得した判決だったのかどうか、よくわかりません…

■恵方巻仕掛け人の本当の真実
もう1つ、全然違う話ですが、こんな面白い記事が日経トレンディネットにありました。
予約殺到のコンビニ「恵方巻」の意外な仕掛け人を発見! 商品化に至った理由とは?
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20090121/1022966/
(すでにリンク切れ?)

「コンビニ経営者から聞いたその名前をきっかけに、ここ数年抱いていた『恵方巻の謎』はいっきに氷解した」とあります。

コンビニで初めて「恵方巻ビジネス」を仕掛けた張本人を探り出した興味深い記事です。誰もが知りたかった情報ですが、あえてわざわざ調べてもねぇ~と、皆思っていたのではないでしょうか。そこを果敢に攻めた上記記事の筆者(放送作家のわぐりたかしさん)に感謝です。

【注記】
※1 今年(09年)春のイトーヨーカドー、セブン・イレブン連合のように、同じ「森恵方巻」を両社で共通して売るような例もあります。
※2 イオンが06年、07年に販売した「十二単の招福巻」はそれぞれ3514本と2527本。売上は2年分計で629万6507円(消費税込み)。「本件商標の使用料相当額は,売上金額(消費税込み)の5%相当額と認めるのが相当」から0.05を掛けて31万4825円。代理人費用を20万円と見積もって足し、合計で51万4825円。

▽関連記事:
恵方巻2010(つづき)

▽関連情報:
「招福巻」は普通名称、イオンが逆転勝訴

恵方巻2009(コンビニ)

節分に発売される恵方巻。スイーツやトルティーヤへと商品範囲が広がっていますが、肝心の寿司はアイテム数が微減です。コンビニ・チェーンにより対応の違いもみられます。商標についてはあらかた結論が出たようです。

恵方巻パンフ2009年
〔コンビニの恵方巻パンフレット、2009年〕

■恵方巻の種類はやや減
一昨年の「恵方巻」商標は登録ならず。安心して使えそう、昨年の恵方巻商戦は定着したのかに続く記事です。コンビニ各社の恵方巻ビジネスと商標利用の様子をあらためて確かめてみました。

首都圏主要7社(冒頭パンフ参照)の予約販売パンフおよびニュースリリースをみると、節分の予約可能商品のアイテム数が毎年増えています。といっても、スイーツや蕎麦類が加わって増えているのであり、寿司としての恵方巻のアイテム数は減少気味です。概ね次の3アイテムで打ち止めのようです。

・スタンダード(ロングサイズ)…並
・ハーフサイズ(主に海鮮巻)…中
・ハイグレード(大きさはハーフ)…上

セブンイレブン(7-11)は有名人プロデュース版に走りましたが、アイテム数は1減です。スリーエフ(3F)も1アイテム減。ローソン(Lawson)は昨年出した「上海鮮」がなくなり1減で2アイテムに。ミニストップ(MiniS)はもともと2アイテム。サークルKサンクス(CKS)のみがスタンダード版にロングサイズとハーフサイズがあり計4アイテムになっています。

増えているのが節分蕎麦の種類。CKSは4アイテムもあります。一方、一昨年から注目されている恵方もどきスイーツ商戦にエーエムピーエム(ampm)が参戦し、7社中ファミリーマート(FM)を除く6社に1~2アイテムのロールケーキが準備されています。

■恵方トルティーヤの次は何だ!
さらにCKSは「恵方トルティーヤ」なる新製品を加えました。この恵方トルティーヤが今年の“当たり商品”と評判で、予約状況は好調とのこと。まちがいなく来年は、この手の惣菜ものを他のチェーンも出してくることでしょう。恵方トルティーヤではないかもしれませんが、恵方タコスか、恵方ピザか、はたまた恵方コロッケロール、恵方ホットドッグ、恵方しゅうまい、恵方シシカバブ…(???)。

まとめてみると、次の通りです(セットを除く)。
CKS…計10アイテム(寿4、蕎4、ス1、他1)
7-11…計8アイテム(寿3、蕎3、ス1、他1)
Lawson…計7アイテム(寿2、蕎3、ス2、他0)
3F…計6アイテム(寿3、蕎1、ス2、他0)
ampm…計5アイテム(寿3、蕎1、ス1、他0)
MiniS…計4アイテム(寿2、蕎1、ス1、他0)
FM…計3アイテム(寿3、蕎0、ス0、他0)

FMだけが“律儀に”恵方巻文化の王道を守っているかのようです(笑)。以前あった蕎麦はとうにリストから外れていますし、関連商品として用意しているらしいスイーツ(チョコデニッシュロールとチョコバナナロール)も、パンフの予約販売品としては掲げていません。流行り廃りに変に惑わされた方針をとることが少ないこのチェーンらしさを感じます。

■パンフが大きくなった
消費者にはどうでもよいことかもしれませんが、FM、3F、Lawsonなどのパンフのサイズが、昨年のB5またはA5判からA4判へと大きくなりました。7社中6社がA4判サイズです(ampmのみA5判)。アイテム数が増えたことと関連しているのかどうか。あるいは恵方巻だけの問題ではなく、標準的なパンフを入れるラックの大きさに関係しているのか、真相は確かめていません。

一昨年と昨年でパンフの体裁がほとんど変化なかったこと(昨年の記事参照)と比べると、今年は各社とも恵方巻商戦のPR方法を少し練り直している気配があります。今後も、毎年ではなく2年くらいのサイクルでパンフの体裁の変化があるのかもとか、くだらぬ予測をしてみます。

■すし「恵方巻」はOKだが「恵方」はNG?
もともとこのサイトで恵方巻を採り上げたのは、恵方巻そのものに対する興味というより、「恵方巻」という名称が防御的な立場から商標出願され、その登録が07年1月に拒絶→(出願者の思惑通り)事実上普通名詞として認められた、というニュースを書いたことにありました(一昨年の記事参照)。

ここ数年について各社のニュースリリースから判断すると、商品の基本表記は次の通り。3Fのみがズバリ「恵方巻」表記を続けています。

7-11…「丸かぶり寿司(恵方巻)」
FM…「まるかぶり寿司」
Lawson…「丸かぶり寿司」
CKS…「丸かぶり恵方寿司」
3F…「恵方巻」
MiniS…「幸福恵方巻」
ampm…07年まで「節分丸かぶり寿司」→08年「恵方巻」→09年「節分恵方巻」

ampmを除き各社5年位変化はありません。「恵方巻」派より「丸かぶり」派が多数を占めますね。ampmのみここ2年微妙に動いています。
また、ミツカングループが権利者とした商標

・「丸かぶり」(区分29,30、ただし「すしを除く」 登録#5000706)

の登録が2006年に成立していることを昨年の記事で触れましたが、やはり同じミツカングループが次の登録をしていました。

・「恵方」(区分29,30 登録#5044683)

出願が06年2月、登録が07年4月なので、昨年の記事執筆時点ですでに公開されていたはずですが、当方では見落としていたようです。「丸かぶり」が「すし」について他者からの異議申立の審査を通じて商標登録が取り消されたのに対し、「恵方」についてはそのような情報は見当たりません。つまり寿司として「恵方巻」や「丸かぶり」の商品名は安心して使えますが「恵方」とすると商標権者の権利に引っかかる可能性があるということになります。ホントかな。

■「恵方ロール」表記はNGか?
ほかに関連した登録商標としては次のものが見つかりました。

・「恵方ロール」(区分30 ロール状の菓子及びパン 登録#4820803)
権利者は「倉田包装株式会社」(東京都台東区)。04年11月登録。
・「サザエ\恵方巻」(区分30 巻きすし、いなり 登録#5109502)
・「百味千菜\恵方巻」(区分30 巻きすし、いなり 登録#5109501)
いずれも権利者は「サザエ食品株式会社」(札幌市)。08年2月登録。

「恵方ロール」については今後注意が必要そうですね。といっても、絶対的に価値のある名称ではないでしょう。いまさらこれらの商標利用が不如意になったとしても、ビジネスに影響はほとんどないだろうと予測します。

もう1つ、「招福巻」という登録商標があります。これに関して係争が起こり、昨年10月に出た判決では、被告である大手スーパーイオンが敗訴しました。この件については、記事をあらためて書くことにします。

▽関連記事:
スーパーマーケットの恵方巻

年末の築地2008

世界金融危機はいち早く生鮮品卸売市場の取引に影響したと言われることがありますが、部外者には築地界隈はなかなか繁盛しているように見えます。NHKの特番やテレビ東京のアドマチなど、少しマニアックなテレビ番組も放映されました。

築地場外入口看板
〔築地場外市場商店街入口にかかる横断幕〕

■意気込みが見える場外市場の横断幕
昨年(年末の築地の街)に続き、年末の築地を徘徊しました。不況とはいえ、やはり結構賑わっていると感じられます。今年は中旬の平日に出掛けたのですが、外国人観光客はもちろん、一般消費者の姿がけっこうみられました。

前回の記事(市場長が書いた「築地といちば」)でも書きましたが、築地の豊洲移転問題は少し流れが変わったかのように感じられます。本当のところどう転ぶかわかりませんが、東京都の問題というより国の問題として、再度(卸売市場法のあり方など)根本問題から考え直すチャンスがくればよいと思っていますがどうでしょう。

もっとも、現実の生鮮品流通システムを間断なく維持しなければならないことを考えると、頭でっかちに理想だけを語っていても仕方ありません。いつか来る次の東京大震災までに間に合うのかどうか…

冒頭の写真のように、築地場外市場商店街の入り口に横断幕が掲げられていました。場外は場外として自立している商店街です。日本橋魚河岸が移転しても日本橋が賑わっているように、築地市場の移転の有無に関わらず今後もずっとここで商人たちは商売を続けていくことでしょう。市場本体はともかく、「築地」ブランドを受け継いでいく主力は今の場外市場商店街の方々になるのでしょう。

■築地を追求したテレビ番組
いわゆる「グルメ紹介」「安い買物紹介」のような番組で築地が取材対象になるのは日常茶飯事のことです。しかしこの12月は、築地に関するテレビ番組がいくつか続きました。マニアックとはまではいえないかもしれませんが、少し踏み込んだ興味深い番組が続いたようです。

12月中旬のテレビ東京のアドマチック天国は、テーマがずばり「築地場外」。市場本体には入らず、場外だけに絞っていました。ランキングは食べ物屋さんばかりですが、いくつか面白いエピソードが散りばめられていました。吹田商店さんの若旦那が話す「石川五右衛門の命日が書かれたお札」(を貼り忘れた年に限って、貼り忘れた場所から泥棒が入ってきたという話)は、「本当かいな?」とついつっこみたくなるところ(笑)

そして年末、NHKで放映された市場(場内)の紹介兼ドキュメント的な番組「築地市場大百科AtoZ」は、踏み込んだ話にもかかわらず肩を張らずに見られた良い番組でした。計2時間近くにわたり、築地の職人、技術、人の動きなどが採り上げられていました。プロから見れば“しょせん上辺だけの説明”と受け取れるのかもしれませんが、日本人でも普通はなかなか入り込めない市場の“ひだ”のような部分を垣間見られたことは、きっと築地はじめ各地の市場にとって、広報的な意味でプラスなのだろうと思われます。

テオドル・ベスターさん(テオドル・ベスター著「築地」 参照)が築地通の一人として出演していました。ロシアのチェリストで日本通だった故ロストロポービッチさんが感じた市場の“音”の話は雰囲気とともに心に沁みます。外国人が評価する日本文化という側面が強く出ていたようです。

2人のマグロせり人が上質のマグロ1本をめぐり駆け引きをする話は、この番組の見せ所だったでしょう。せり一つにもいくつもの深謀遠慮があることは興味深かったところです。ただし、この駆け引きのなかに卸売市場というシステムの“プラス面”だけでなく“マイナス面”を読み取った視聴者も少なくないと思います。生産者から消費者に商品が届く過程で中間流通業者が入ることのメリット(リスクヘッジなど)を感じることもできれば、プロでしかタッチできない流通過程での不透明さを感じる向きもあったかもしれません。

そんなこんなを含めた世界が、現在の日本の卸売市場というものなのでしょうか。

市場長が書いた「築地といちば」

築地卸売市場とその周辺の歴史、築地移転の話などが淡々と語られています。著者は築地市場に長く勤め市場長となった方。きわどい話はありませんが、築地の全体像がわかりやすく解説されています。

築地といちば
「築地」と「いちば」 築地市場の物語(左半分が表紙、右半分が裏表紙)
【森清杜(著)、2008年、都政新報社刊】

■当事者の連載記事を単行本化
卸売市場に関するネタは尽きません。最近も、外国人観光客のマナーの悪さから築地市場のマグロせり市場の見学が中止されたという報道、漁協と大手スーパーの直接取引きで卸売市場の存在意義が見直されている話、さらには中国韓国の水産市場が本格的に稼動をはじめ、築地はじめ日本の卸売市場の将来が危ぶまれている話などさまざま出てきてます。テーマは違っても、一つ確実なのは、従来の日本の卸売市場システムは思った以上に急速な変化を迫られていることでしょうか。

本書の著者は第18代築地市場長とのこと。「都政新報」に連載した記事の単行本化です。といっても、現在の築地市場の話はわずかで、近隣する明石町(聖路加国際病院の周辺)や佃島、築地以前に魚市場があった日本橋を含む歴史の振り返りが主になっています。旧海軍施設、立教大学や雙葉学園といったミッションスクールなどなどの歴史話がページの多くを占めます。

他の資料にも書かれていることも多いでしょう。著者が責任のある役職、つまり当事者であるためか、あたりさわりのない事柄・事実を中心にまとめている形です。ある意味「公式的な見解」と受け取れるものかもしれません。でもそれはそれで、この地域の歴史や成り行きが短く端的に説明されていて興味がもてます。

なお、表紙・裏表紙は築地にある民家のイラスト(冒頭写真)で、当サイトでも紹介している銅板建築の家(→ 銅板建築 14_築地の「C-020」)です。市場からも場外からも離れている場所の建物なので「いちば」と直接的なつながりはありませんが、趣があります。

■築地移転の“おもて話”
やはり最も気になるのは、平成に入る頃からの築地移転問題でしょうか。最終章(第9章)にそのあたりの経緯が少し語られています。たとえば次のような事実が淡々と挙げられています。

・1990年。築地の現在地で再整備することに優位性があると判断されました。計画では2002年に全面衣替えが終わるとのこと。

しかし新しい卸売場建設に向けた工事が本格化する予定だった95年になって「移転の可否について再検討」と意見が表にでてきます。市場財政逼迫がその一つの理由ですが、主に青果部門からの臨海地区への移転意見が強かったとされています。全体的に、
青果部門は概ね移転派、水産部門でも卸売業者は移転派。
これに対し、
水産部門の中卸業者と買出人が現在地再整備派
という図式だったようです(今もそうかな?)。

さらに
・96年1月に当時の市場長が「再整備見直し」を表明(この時点で、晴海、豊洲、大井埠頭など5カ所の空き地を検討しはじめる)。
・96年4月、東京都卸売市場審議会は現在地再整備を了承し移転論議に終止符を打った、はずだったが、
・96年11月、東京都が大幅な計画変更を示し「計画が10年前まで戻った」。
・97年11月、あらためて日程が決定し2000年本格着工と決められたが、その後
・97年12月、またもや「移転も視野に入れた検討」が言い出され、この時点で豊洲移転の検討が移転の第一候補となった
とのこと。

「現在地再整備」の決断がたびたび下されても、後から移転に話が決まっていったのはなぜなのでしょう。理由は、本書にもありますが、どうもあまりすっきりしません(※1)。

・現在地開発では仮設営業の期間が長くなるので仲卸業者にとっても条件が厳しい
・工事完成まで20年とか長期の時間がかかる
・青果部門が「現在再開発は無理」と統一見解を出した
・水産仲卸が出した(現在地再開発の)独自案は「将来のあるべき姿が明確でない」と(移転派が)批判
・99年、新しい都知事が就任後初めて築地を視察したとき「古い、狭い、危ない。時代錯誤」などけちょんけちょんに言い放った

築地移転の話は、
・2001年2月 石原都知事が豊洲移転の考えを都議会本会議で正式に表明
…というあたりで記述は終わってしまっているのが少し残念です。

■市場長が変わると方針も変わりうる?
そのほか、あまり知られていない情報もありました。たとえば築地場外市場の再開発案。

「再整備工事が本格化する中で、築地場外市場の再開発案も出され、中央区が5.7ヘクタールで高層ビル化し、生鮮食料品店舗を中心におよそ600店舗を収容し、住宅や駐車場、事務所スペースを確保する計画が持ち上がっている」 …もう過去の話です。

本書の記述ではなく別の情報(ネット上のblogなど)によると、95年に新しい市場長が就任したときから急に「現在地再整備」から「移転」に方針が変わっていったなどといった“裏話”があります。どうもそのあたりにドロドロした政治的駆け引きなどがあったようですが、本書ではさすがにその実態について何も語られていません。立場としては、書けることに限界があるのでしょう。

でも本書の語り口は、淡々としているだけにかえって嫌味は感じさせません。かつて市場長が変わったことで方針転換があったとすれば、また市場長が変わったことで新たな考え方が展開されていく可能性があると(勝手に)受け取ることが出来ます。

個人的な感想としては、市場が築地に残るか豊洲に移転するかはどちらでもたいした問題ではないと考えています(※2参照)。でも現在の卸売市場のあり方、卸売市場法の存在意義などは再検討するに値するはずです。これは国全体の制度の問題かもしれませんが、もしかしたら2009年は卸売市場の仕組みが大きく変わっていく年になるかもしれません。

※1 公式には、たとえば次のような情報が東京都の卸売市場の情報サイトに公開されています
資料4-2 現在地再整備が実現困難な理由

そのなかでは、次の7点が指摘されています。
1. 工事期間 ⇒ 完成まで最低でも20年程度は必要
2. 建設費用 ⇒ 割高となる
3. 営業活動への影響 ⇒ 支障が極めて大きい
4. アスベスト対策 ⇒ 工事期間がさらに延び、営業にも深刻な影響
5. 完成後の市場機能 ⇒ 基幹市場としての機能配備が不十分
6. 財源 ⇒ 中央卸売市場会計が保有する資金では不足
7. その他、工事の進捗に影響を及ぼす要因

※2 過去記事
非関税障壁か、守るべき制度か(「築地」その3)
官営化する卸売市場(「神田市場史」より)
など

銅板建築 5-サンプルデータ数が200枚に

撮影を続けた銅板建築の写真が200枚を数えました。都内で最も集中して銅板建築があるのは台東区のようです。思ったよりも銅板建築の数はありますが、今にも取り壊されそうな家屋も少なくありません。

都内の銅板建築の例
〔都内の銅板建築の例〕

■銅板建築の“魚拓”が200枚
本サイトでは2006年から銅板建築の写真をデータベース化し掲載してきました。08年6月初め時点で掲載している写真の枚数がちょうど200枚。つまり都内だけでも約200軒の銅板建築の実在証明ができたことになります。これを機に銅板建築DB(データベース)のページを全面改訂しました。

Watch our steps! – 銅板建築

ただし200枚の写真サンプルがあるから銅板建築が200軒、というわけでは必ずしもありません。撮影した後、今はすでに取り壊されている建物が数軒あります。

それ以上に、銅板建築かどうかの判断が相当に適当です。たとえば、次のような建築物も概ね銅板建築1軒として数えています。

・戸袋などごく一部しか銅板はなくても商家という雰囲気があるもの
・本当は銅板なのかどうかよくわからないが、少し銅板建築のように見えるもの

これらは普通、いわゆる「看板建築」のジャンルの一つである「銅板建築」として分けられるものではないかもしれません。たんに見間違っているものも確実にあると思われます。どちらかというと「疑わしきは含めて」数えています。

一方、長屋の場合、2軒ないし4軒くらい連なっていても「1軒」(写真1枚)で数えた場合が少なくありません(1軒ごとに数えたものもあります)。さらには、写真を撮ろうかどうかと迷っている時に近所の犬に吠えられて、写真撮影を止めてしまったなどという情けない場面さえありました(笑)。

ようするに、銅板建築の正確な定義などないと思いますから、当方の独断で取捨選択した結果にすぎません。重複して数えていることはないと思いますが、数年の間に取った銅板建築の“魚拓”の枚数だとお考えください。

■台東区に密集地帯
今年になって台東区周辺を意識的に調べたところ、実に多数の銅板建築が現存していることを実感しました。台東区内だけで80軒以上。とりわけ東上野3丁目と鳥越1丁目は銅板建築の密集地です。戦争で焼けた地域が多いと思いきや、このあたりはむしろしっかり焼け残っているブロックがずいぶんあるものなのですね。1つ丁目が違う隣町にはまったく昭和初期の建物が存在していなかったりもします。

なお都内でも西や北方面はほとんどサンプル取得が進んでいません。西でいえば青梅街道沿いとか、北は十条周辺とかにそれぞれ銅板建築が残っていることがweb上の情報からわかります。これらをしらみつぶしにサンプルに加えていけば、少なくとも250軒くらいまでデータが増えるのではないかと予測されます。

やはり気になるのは、かなり老朽化していると思われる建物や、もう活発に営業していると思われない個人商店が、多数あることでしょうか。

地域は都内に限るつもりはないのですが、なにぶん自ら撮影に出向ける場所は限られます。引き続き、気長に、それぞれの地域に出向く機会をうまく見付けて撮影を続けていくつもりです。良い情報がありましたら、ぜひともお知らせください。