銅板建築 5-サンプルデータ数が200枚に

撮影を続けた銅板建築の写真が200枚を数えました。都内で最も集中して銅板建築があるのは台東区のようです。思ったよりも銅板建築の数はありますが、今にも取り壊されそうな家屋も少なくありません。

都内の銅板建築の例
〔都内の銅板建築の例〕

■銅板建築の“魚拓”が200枚
本サイトでは2006年から銅板建築の写真をデータベース化し掲載してきました。08年6月初め時点で掲載している写真の枚数がちょうど200枚。つまり都内だけでも約200軒の銅板建築の実在証明ができたことになります。これを機に銅板建築DB(データベース)のページを全面改訂しました。

Watch our steps! – 銅板建築

ただし200枚の写真サンプルがあるから銅板建築が200軒、というわけでは必ずしもありません。撮影した後、今はすでに取り壊されている建物が数軒あります。

それ以上に、銅板建築かどうかの判断が相当に適当です。たとえば、次のような建築物も概ね銅板建築1軒として数えています。

・戸袋などごく一部しか銅板はなくても商家という雰囲気があるもの
・本当は銅板なのかどうかよくわからないが、少し銅板建築のように見えるもの

これらは普通、いわゆる「看板建築」のジャンルの一つである「銅板建築」として分けられるものではないかもしれません。たんに見間違っているものも確実にあると思われます。どちらかというと「疑わしきは含めて」数えています。

一方、長屋の場合、2軒ないし4軒くらい連なっていても「1軒」(写真1枚)で数えた場合が少なくありません(1軒ごとに数えたものもあります)。さらには、写真を撮ろうかどうかと迷っている時に近所の犬に吠えられて、写真撮影を止めてしまったなどという情けない場面さえありました(笑)。

ようするに、銅板建築の正確な定義などないと思いますから、当方の独断で取捨選択した結果にすぎません。重複して数えていることはないと思いますが、数年の間に取った銅板建築の“魚拓”の枚数だとお考えください。

■台東区に密集地帯
今年になって台東区周辺を意識的に調べたところ、実に多数の銅板建築が現存していることを実感しました。台東区内だけで80軒以上。とりわけ東上野3丁目と鳥越1丁目は銅板建築の密集地です。戦争で焼けた地域が多いと思いきや、このあたりはむしろしっかり焼け残っているブロックがずいぶんあるものなのですね。1つ丁目が違う隣町にはまったく昭和初期の建物が存在していなかったりもします。

なお都内でも西や北方面はほとんどサンプル取得が進んでいません。西でいえば青梅街道沿いとか、北は十条周辺とかにそれぞれ銅板建築が残っていることがweb上の情報からわかります。これらをしらみつぶしにサンプルに加えていけば、少なくとも250軒くらいまでデータが増えるのではないかと予測されます。

やはり気になるのは、かなり老朽化していると思われる建物や、もう活発に営業していると思われない個人商店が、多数あることでしょうか。

地域は都内に限るつもりはないのですが、なにぶん自ら撮影に出向ける場所は限られます。引き続き、気長に、それぞれの地域に出向く機会をうまく見付けて撮影を続けていくつもりです。良い情報がありましたら、ぜひともお知らせください。