「人・組織の活性化」カテゴリーアーカイブ

身体を測る 01-理屈に裏づけられた測定術

人の物理的な特性を測るだけでも、「正確に測る」ために理論的なバックグラウンドが必要であることにかわりありません。

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[体組成の測定例]

■直接測ることができる数値は意外に少ない
「人事測定(≒アセスメント)」についていくつか話をしてきました。ここまでは概ね心理的特性の測定または能力の測定といった“精神的な何か”を測ることを考えてきましたが、今回はもう少し話を身近にして、人の身体的な特性の測定についてみてみます。

身体的な特性とは、ようするに身長、体重といった物理的な量のことです。長さや重さならば、メジャーとか重量計とかがあれば簡単に「客観的な値」を測ることができるわけですから、とても簡単そうに思えます。たしかに、心理測定よりはずっと簡単に測定できる場合が多いでしょう。

しかしよく考えてみると、直接測ることができる身体的特性というと、身体の各部分の長さと全体の体重くらいではないでしょうか。最近は体脂肪率、筋肉量、骨量などの体組成の測定がかなり一般的になりましたが、もちろん身体から筋肉だけを取り出して重量を測っているわけではありません。

家庭用の一般的な体脂肪計では、微弱な電流を身体に流して身体の導電率を調べることで、間接的に体脂肪率などを推定しています(BIA法)。医療用など本格的な測定器でも、電気・磁気・光などを介して間接的に身体の性質を測っていることにかわりありません。

■さまざまな測定法
それでも「身体の特性を測っている」といえるのは、その背景に「理屈」があり、その理屈に則って数値を計算または換算することにより体脂肪率などを推定できるからにほかなりません。体脂肪率でいえば、

・筋肉は電気を通しやすいが、脂肪は電気を通さない
・両足(または両腕)の間の導電率を測ることで、身体全体の導電率を推定できる
・身長、体重、年齢によって、導電率と体脂肪率の対応を推定できる

といった考え方で、瞬時に「生(なま)の測定数値」を「推定体脂肪率」に換算しているというわけです。何事も、「測る」作業の裏には「理屈」があるのです。

いいかえると、その「理屈」の組み立て方次第で、測定された数値の信頼性(同じ条件で測ったときに同じ数値が導かれる度合い)や妥当性(知りたい特性をきちんと測っているのかの度合い)が良かったり、悪かったりします。

・BIA法:身体の導電率から推定する
以外にも、以下のようにさまざまな「理屈」があります。
・水中体重測定法:・上と水中の重さの違いから計算する
・キャリパー法:皮膚などの厚さを測る
・CTスキャン法:スキャンした身体の脂肪部分の断面積を直接観察する
・DXA法:2つの異なるエネルギーを持つX線で組成成分などを測る

皆さんがよく目にする家庭用体脂肪計の計測数値の場合、測るたびに異なった数値がでてくることは誰もが経験していることでしょう。その意味で必ずしも信頼性・妥当性が高い測定方法とはいえません。少し本格的な体組成計で測れば信頼性は高くなりますが、それでも測定方法によってばらつきがあります。

■比べてみた
ほとんど余談になってしまいますが、筆者自身の身体について、次の3種類の体組成計で測った数値を比べてみました(いずれもBIA法のもの)。

・医療機器承認もされている専門家向けの体組成計
InBody720(バイオスペース社):両手両脚の計8点の電極から測定。多周波数測定方式
・スポーツジムなどにある業務用体組成計
BODYSCAN(コナミスポーツ&ライフ社):両手両脚の計8点の電極から測定。多周波数測定方式
・家庭用の体組成計
BC-513(タニタ製):両脚の計4点の電極から測定。直流・交流成分に分解して測定。

その結果は上図の通りでした。完全に測定対象項目が一致していない要素がありますが、ここでは細かい違いは無視して比べています。

それぞれ少しずつ測る条件が違いますが、その割には安価な体重計モドキでも本格的な測定器でも、基本的な数値に極端な違いはなさそうです。もちろん、本格的な測定器のほうがここに現れている数値以外にもさまざまな測定値がでます(両手・両脚ごとの筋肉バランスなど)。

…人事アセスメントに限らず、「人間を知る」という広い視点から、今後も人の身体を測ることをテーマとして取り上げていきます。

テストの開発、実施、利用、管理にかかわる基準

そもそも「人を測定するためのテスト」とはどのようなもので、どのように行われるべきものなのでしょうか。「テスト基準」なるものが2006年4月に公開されていますので、興味がある方はぜひ読んでみて下さい。

「テストの開発、実施、利用、管理にかかわる基準」
日本テスト学会 http://www.jartest.jp/ から入って http://www.jartest.jp/testsite/testkijyun/testkijyun3.htm
直接テスト実施にかかわりがなくても、人事管理関連の仕事をされている方には基礎知識として役に立つでしょう。「基準」というくらいですから、考え方や手順を用語の定義をはっきりさせながら構造的にきっちりと表現しているのですが、ここではできるだけ「基準」に示されたとおりの用語を使いながらも、少し簡略化した書き方でアウトラインをご紹介します。

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■テストの開発から実施すべての流れ
そもそもテストとは何かというと、「能力,学力,性格,行動などの個人や集団の特性を測定するための用具」(0.2節)です。本blogの視点で言うと、アセスメント(人事測定)に欠かせないツールと位置づけられます。

テストが現実に役立つものとなるためには、受検者質問項目に応えた回答から直接得点化された素点を、意味ある数値である尺度得点に変換するプロセスすべてについて考えなければなりません。たんに「それらしきテスト問題を作ればよい」というものではないのです。

開発する者としては、次の流れを確実に視野に入れることが必要です。

●基本設計
●測定内容の定義
●テスト形式(質問形式、回答形式)の設計
●採点手続の設計
●尺度の構成、標準化、共通尺度化
●尺度得点の信頼性と妥当性の確認
●メンテナンス、改訂

利用者や実施者としては、次のような流れを踏まえていなければなりません。
●テストの選択
●テスト実施の準備、受検者への説明
●実施および受検にかかわるさまざまな配慮
●採点
●結果の分析、解釈、検証
●受検者への結果報告
●記録の保管と再利用

これらほとんどの要素について、項目別にそれぞれ2~3行の短い記述ですが、考え方の基本となる事柄がまとめられています。また、コンピュータを利用したテストのあり方についても少し触れられています。「基準」から導かれる詳細な「ガイドライン」は、現在開発中のようです。

■実際の企業の現場では
実際のビジネス・人事政策の現場では、こんな理想的な準備はなかなかできないのが現実です。多くの場合は“走りながら考える体制”をとらざるを得ないことが多く、しかも走ってしまった方向からやり直しがきかずに、仕方なく荒野を走り続けなければならないといったことも起こります。

その過程で、前回の記事でも書いたような「日本の企業社会では本能的に受け入れがたいもの」にもぶつかります。たとえば、わざわざ複雑な要素を欲張って取り込もうとする思惑が測定の切り口を鈍らせたり、独特なテスト問題作りに精を出しすぎて尺度の共通化を難しくしたりします。

特にビジネス系の各種アセスメント・テスト、アチーブメント・テストがうまく機能しないことがある原因の一つは、やはりこの「テスト基準」に示されたような長期的なテストのあり方が必ずしも十分に社会に認識されていない点にあるのでは…。

だからこそ、こうした「テスト基準」が社会に浸透することで、企業の人事政策でももう少し客観的な測定論、測定技術に目が向けられることを期待したいと考えていますが、いかがなものでしょう。

■測定技術はまだ向上できる
この基準を作成、発表した日本テスト学会の理事長は、前回ご紹介した書籍「テストの科学」の著者でもある池田央氏です。

また、今回の「テスト基準」や日本テスト学会と直接関係ない追加情報ですが、比較的最近の池田先生の興味深いインタビューが次にあります。

「NAPE(全米学力調査)に学ぶ学力調査の技術」
(ベネッセ教育情報サイト BERD No.3(2006年3月発刊)
BERD http://benesse.jp/berd/center/open/berd/index.html から入って
バックナンバーのNo.4、http://benesse.jp/berd/center/open/berd/2006/03/pdf/03berd_05.pdf
副題に「測定技術の進歩が未来の学力を提起する」とあるように、人の特性を測定する「テスト」の過去、現在、未来について、わかりやすいインタビューとしてまとまっています。サイトの性格上、主に学校教育を想定した議論のようですが、社会人の能力測定についても相当に当てはまる考え方だと思われます。ご参考まで。

「テストの科学」

人の資質や能力を測る「テスト問題」。いくら作り手が「良い」と思われる問題を作っても、測定としては無意味な場合があるのです。

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「テストの科学 ― 試験にかかわるすべての人に」
【池田央(著)、1992年刊、日本文化科学社】

■きちんとしたテストを作る方法
アチーブメントテストでも心理測定テストでも、テストを行うからにはその目的にできるだけ沿った質問項目を作成したいものです。そんな仕事に関わる人には必読の書物の一つでしょう。本書はすでに14年も前に出版された書籍(さらのその前身だった新書版は1978年刊)。著者は、心理・教育測定の第一人者です。

たとえば一人の人の体重を測るとしましょう。仮にある時の身体の厳密な質量60.0kgの人が普通の状態で正確な体重計に乗れば、「60.0」(kg)という数字が測定されるはずです。しかしながら

・測定に使う体重計によってばらつきが出るかもしれない
・測定を行う時間によっても当然に体重のぶれがあるでしょう
・測定を行う場所によっても計測値に違いが出てくるかもしれません(※)

(※ 厳密に言えば、体重計で測る数値は「質量」ではなく「重さ」です。重力が1Gの場所で体重計に乗ったときには「60.0」(kg)と測定されますが、重力が1/6Gの月の表面で同じ人が同じ体重計に乗れば、そこで測定される数値は「10.0」(kg)となります)

このように体重でさえも、測定する装置および測定する条件が異なれば、測定値は異なってきてしまう可能性があります。ましてや人の特性や能力の測定を行うツールである「テスト」に携わる場合、そのブレとうまく付き合う技術が必要となるわけです。ブレをなくすことはできませんが、ブレを少なくするための努力はしなければなりません。

■テストのブレを防ぐ方法
あるテストを同じ人が複数回受けたとき、被験者の特性が変わらない限り、理論的には同じ測定結果(評点)が出てくるはずです。しかし当然ながら、与えられる課題が違えば評点は異なってくるでしょう。また記述式など客観テストではない場合、同じ解答であっても、採点者が異なれば異なる評点が付けられる可能性が高いでしょう。

そんないろいろな「ブレ」をもたらす要因のうち、どの要因は回避する必要があるのか、どの要因は必要最小限のブレとして許容する必要があるのかなど、著者の長い研究からわかりやすく導いています。

目的によってその結論は一意に決めることはできませんが、測定の信頼性を重視したとき、概ね次のようなことが言えるとしています。

(a) 「問題内容の違い」より「評価者の違い」が大きなブレをもたらす可能性が高い
(b) 問題の絶対「数」が少ないと、大きなブレをもたらす可能性が高い
(c) 一つの問題に複数の評価要素を同時に含めようとすると、測定目的がブレやすい
(d) 問題の「形式」が揃っていないと、本来の目的と異なる要素が紛れ込みやすい

これらの帰結として「択一式の問題を数多く集めた客観テスト」が、測定ツールとして大変優秀であることを論理的に説明しています。

■テストについてのかたくなな“神話”
当社(というか、この評を書いている私)もこれまで何度か、社会人向けの能力測定テストの開発や、特定企業における評価・育成システム構築に携わってきた経験があります。その経験から言うと、一般に次のような意見が(少なくとも社会人向け教育の世界では)一般的です。

(1) 択一式ではまぐれで良い点を取る人が出てくるかもしれないから、論文のような書かせるテストのほうがよいだろう…
(2) 機械的な採点じゃあてにならない。やっぱり人が直接採点しなければ…
(3) 人のさまざまな能力をみたいのだから、1つの問題にさまざまな評価要素を盛り込んだ良い問題を作ってくれ…
(4) 問題の内容によっていろいろな問題形式を作ればよいではないか。問題に書かれた要件を良く読まないのは受験者に責任がある…

上の(a)~(d)を踏まえて考えると、(1)~(4)はすべて間違った考え方だということになります。つまり、

(1′) 得点のブレが出ないためには、論文より客観式テストがよい
(2′) あてになる得点を導くには、うまく客観式テストを積み上げるのがよい
(3′) 人の能力を目的通り測定するには、評価要素を絞って問題作りをするのがよい
(4′) 人の能力を正確に測定するには、できるだけ問題の形式も揃えたほうがよい

ということです。しかしながらこれらの考え方は、日本社会での「社会人教育」とか「検定試験」とかに携わっている人たちには本能的に受け入れがたいものがあるようです。「論理的でない神話がはびこっている」などと言うと、私の愚痴になってしまうのでしょうか。

個人的に少し付け加えると、やはり
→ テストという「測定=アセスメント」のステップと、最終的に「評価=イバリュエーション」するためのステップを同一視しない
ことに重要なカギがあると考えています(人事測定と人事評価の違い参照)。もう一つ、
→ 測定に役立つ問題作りと、教育・育成に役立ちそうな問題作りとを同一視しない
という視点も大事だと考えていますが、どうでしょうか。

少し私の個人的な意見が先にたってしまいました。理論のいろいろなバックグラウンドやテスト問題の実践的な開発方法などは、本書にわかりやすく説明されています。また、テストのあり方だけでなく、偏差値の話、日本の風土の話など、もう少し広いテーマに言及していますので、ぜひ参考にされてください。

おすすめです。

目次
1章 学力測定の難しさ
2章 評点システムの検討
3章 細目積み上げ方式のすすめ
4章 客観テストの設計
5章 よい問題を作るために
6章 偏差値について
7章 採点と決定のモデル
8章 テストと日本の風土
9章 未来のテストに向けて

「中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記」

宇宙飛行士選抜のための項目を掘り出してみました。一般企業のスタッフの人選、社員の選抜、評価にあたっても、少し参考になるところがあるのではないでしょうか。

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中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記
【白崎修一(著)、学習研究社(刊)、2000年】

■宇宙で貢献したいと思う強い意志
宇宙飛行士の資質や選抜については、「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」「フォロワーシップ(followership)」でも少しずつ触れました。この本はアポロとかの話とはまったく毛色が違い、39歳で初めて宇宙飛行士の選抜試験に応募し最終試験までいった方が、受験者の立場で選抜の様子を興味深く描いた本です。国内の、もしかしたら自分でもトライできると思わせるような身近に感じられる話になっているので、雲の上とも思える米ロの宇宙飛行士選抜の話とは違った面白さを感じさせてくれます。

本書を読むと、誰でも宇宙飛行士を目指すことができるという親近感が感じられます。しかし一方では、半端な気持ちでトライしたところでどうにもならない圧倒的な“何か”が厳然としてあることがはっきりわかります。

・宇宙飛行士という職業を早くから意識し
・長期キャリアを見据えて専門知識を身に付け
・常に自らを磨き、宇宙開発に貢献できる技術や見識を蓄積し
・心身ともにセルフ・コントロールできる意志の強さを持ち
・かつ、たまにしかない募集のタイミングに併せて挑戦できる

そんな資質(と少しの運)がない限り、挑戦さえ覚束ない感を持ちます。

なお、本書には書かれていませんが、この時の選抜で選ばれた3人のうち2人は、宇宙開発事業団(JASDA、現JAXA:宇宙航空研究開発機構の前身)の職員でした。少しだけ意地悪な言い方をすると「選抜が始まる前から合格される方のメドはついていたのではないか」と勘ぐってしまいたくなります。つまり、この時の選抜試験は、はじめから宇宙飛行士になるつもりで事業団に入りキャリアを積んだ方を公式に認めるためのプロセスだったと…。(もちろん、そんなことはなかったはずです)

良し悪しを言っているのではなく、それほど「選抜よりもっと前の人生設計」や「宇宙飛行士になって貢献したいと思う強い意志」が、こうした特殊な仕事でモノを言うのでしょう。「評価」(“アセスメント”ではなく“イバリュエーション” ※参照)するスタンスと考えれば、まさに納得できるものです。

「人事測定と人事評価の違い」

■選抜試験で何を測られるのか
著者の豊かな見識やユーモア、奮闘の様子は、ぜひ本書を読んで楽しんでもらうことにして、ここでは選抜の各段階でチェックされた検査項目または検査内容に視点を絞ってみてみましょう。

下に挙げた項目以外にもいろいろあるはずですが、受験者の立場で「テストされている」と自ら判断できる項目、その多くは結果を客観的に表現できるもの、つまり「アセスメント」(測定)項目です。JAXA(JASDA)による公式の資料にとらわれず、わざと俗っぽい表現と方法で整理してみました。細かい例外は省きます。もちろん私は部外者ですので、本書の情報から勝手に推測しているに過ぎません。


0 応募条件
0-1 学歴:自然科学系の学位で大学を卒業している
0-2 経験:研究職としての実務経験が3年以上ある
0-3 推薦:所属機関の推薦状がある
0-4 英語コミュニケーション力:TOEICのような試験結果で英語能力を証明できる

1 一次試験
1-1 身体的特性:一般の「健康診断」レベルで特に大きな欠陥がない
…たとえば身長(149cm~193cm)、血圧(最高血圧140mmHG以下かつ最低血圧90mmHG以下)、視力(裸眼0.1以上、矯正1.0-以上)など。いくら強い意志があっても、視力などでひっかかってしまう人は少なくないでしょう。
1-2 心理的特性:一般的な「心理テスト」で特に大きな欠陥が見つからない
1-3 一般教養:公務員の一般教養試験のようなもので、そこそこ知識があることを証明できる
1-4 基礎的専門能力:数学・科学系および宇宙開発の分野に関し、そこそこ一般的知識がある

2 二次選抜
2-1 身体的特性:「人間ドック」レベルの検査で特に大きな欠陥がない
…内視鏡検査、X線検査を含め「考えられる限りの検査」を受けたといいます。虫歯や過去の開腹手術の有無などが結構ネックになるようです。かなり踏み込んで身体検査をしても、宇宙での活動に支障がないことが客観的に証明できなければならないことを意味します。
2-2 運動能力:まずまずの体力を保って活動ができる
…トレッドミルによる負荷をかけた心肺機能検査などが行われるとのことです。

■ここからが本番
以上はすべてスクリーニング、つまり最低条件のチェックだといえそうです。このあとが本番の試験といえるのかもしれません。

2-3 意志の強さ:面接の機会に志望動機などをはっきり伝えられる
…採用担当者や宇宙飛行士の毛利さんなどが試験官。英語での受け応えもあるそうです。
2-4 英語コミュニケーション力:英語で状況理解、伝達などができる
…ネイティブ・スピーカーが試験官。短いビデオをみてその内容についての質問などがされる形だったようです。
2-5 潜在的・顕在的精神状態:宇宙飛行士としての職業に適合した心理状態である
…心理面接で過去から現在にいたる精神的影響が引き出されたり、自分でも気が付かない深層心理が調べられたりするとのことです。警察の取調べのようなかなりきつい精神面接もあるとのこと。
2-6 グループ活動への適合性:グループで討論したときに、適切に意思表明や議論ができる

■閉鎖環境テストとヒューストンでの面接
この時の選抜では、三次選抜まで残ったのはわずかに8人。三次選抜の前半は、1週間におよぶ閉鎖環境テスト。後半はヒューストンに飛んで行われた面接が中心とのことでした。

3 三次選抜
3-1 長期滞在の適性:閉鎖環境に長期間カンヅメになっても問題なく合宿生活ができる
3-2 忍耐力:細かい作業にも途中で投げ出すことなく取り組める
…閉鎖環境に閉じ込められている間に「無地のジグソーパズル」や「ワープロ練習」を課題として与えられたとのことです。
3-3 企画立案力:与えられた情報から、テーマに沿った企画を立てることができる
…閉鎖環境に閉じ込められている間に「旅行計画作り」が課題として与えられたとのことです。
3-4 心理的特性:心理テストを何度も受けても大きな欠陥は見つからない
…閉鎖環境に閉じ込められている間に毎日同じ(?)質問紙法による性格検査を受けたというあたりが徹底しています。性格検査は、同じものを何度もやるとむしろ自分を飾る意識がなくなり心理特性が明確になっていくものです。

3-5 思考と操作を両立させる能力:頭で考えながら手を止めることなく作業できる
…閉鎖環境に閉じ込められている間、パソコンを用いた思考&作業コントロールのテストが毎日あるとのことです。
3-6 空間認識力とその中での活動能力:ロボットアームなどを失敗なく操れる
…閉鎖環境に閉じ込められている間、ロボットアームの操作訓練につながるようなちょっとした検査があるとのことです。
3-7 共同プロジェクト推進能力:企画から実制作まで、メンバーと協力して時間をかけて推進できる
…閉鎖環境に閉じ込められている間を通じ、共同でレゴ・ブロックを使ったロボットの制作が課題として与えられました。
3-8 プレゼンテーション能力:成果や考えをきちんと発表し、他人に伝達できる
…完成したロボットについて、考え方や機能などを説明する必要があるわけです。

3-9 論理的思考力・説得力:テーマに沿って議論し、人を説得できる
…閉鎖環境に閉じ込められている間、ディベートのための時間が毎日のように組み込まれていたようです。テーマや各自の役割(司会、肯定派、否定派、まとめ役)は管制室から指示され、受験者はそれに従うことになります。議論の勝ち負けというより、論理的に議論を組み立て、相手をいやな気分にさせないながらも納得させる力が求められているようだと推測されています。
3-10 無重力や宇宙酔いに耐えられる資質がある
…水平回転装置による身体能力の検査。つまりあの有名(?)な“回転いす”でぐるぐる回される訓練のこと。「コリオリ加速度負荷検査」というらしい。
3-11 芸術や文学などに積極的に取り組める素養がある
…「人文芸術的面接」として、テーマに沿った絵を描くことが求められたとのことです。

■最終面接へ
以上がほぼ「アセスメント(≒測定)」に近いものといえます。もちろん、アセスメントだけでなく、随時「イバリュエーション(≒評価)」がされていたのは間違いないわけですが、ここではわざとアセスメント的な表現で列挙しました。

しかし以下はもう、アセスメントではなくあきらかにイバリュエーションのためのものといってよさそうです。

3-12 総合的判断:「こいつは果たして本当に強い意志があるのか!」の見極め
(a) NASA現役宇宙飛行士による面接
(b) 日本人宇宙飛行士による面接
(c) 宇宙開発事業団役員による面接
3-13 宇宙飛行士としての生活への対応能力
…実際にはテストという形をとっていませんが、ヒューストンまで行って現役宇宙飛行士などのパーティに何度か参加したり、スペースシャトルのシミュレーション機に乗ってみたり、さまざまな機会を通じて関係者が集う機会を設けていたりします。これらを通じて意識的または無意識的に選抜側による被選抜者の観察がされているのは間違いないでしょう。テストというより、宇宙飛行士になる(有名になる)ことで生じるさまざまな生活のシミュレーションといったほうがよさそうです。

4 最終面接
4-1 総合的判断:宇宙開発事業団の役員が評価して合格と認められること


繰り返しになりますが、以上はJASDA(JAXA)の資料でも著者がまとめた内容でもありません。テストの内容がどのような意味を持っていたのか、あるいは持っていなかったのか。さらにはどのように評価に利用されたのかはもちろん公になっていません。あくまでもこの評を書いている私の勝手なまとめと推察です。

こうみてみると、かなりたくさんの項目を挙げることができます。でも実際に選抜の最終段階で選抜する側が意識する事柄は、かなり少ないような気がします。先に触れたように、選抜試験より前に相当部分が決まっている「人生設計」や「強い意志」とかが決め手となるのでしょうが、これらはこの場になってとってつけたようにアピールできるというものでもないのでしょう。

選抜のシステムや実際について、宇宙機関の関係者からぜひ何らかの機会にじっくり聞いてみたいものです。

▽追加記事:
2009年3月に、NHKスペシャル「宇宙飛行士はこうして生まれた~密着・最終選抜試験~」という番組が組まれました。
宇宙飛行士選抜(NHK特集より)

「数字と人情 ― 成果主義の落とし穴」

人事に限らずマーケティングや経理でも、数字をひとり歩きさせてはいけません。数字を「実感する」ことが大事だと常々思っています。

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「数字と人情 ― 成果主義の落とし穴」
【清水佑三(著)、2003年刊、PHP研究所】

■人事測定と人事評価を埋めるもの
既に書いたエントリ 「数字で考える「人」「チーム」「組織」入門」および「人事測定と人事評価の違い」で、次の2つ
・客観的なアセスメント - 人事測定
・主観の入ったイバリュエーション - 人事評価
の違いを認識することの必要性を説明しました。人事測定で客観的な数字をつかみ、それを参考にして現実の世界に当てはめた人事評価をする、という流れが望ましいと考えています。

でも、人事測定がたんなる参考値にしかならないならば、そもそもアセスメント・テストなどやらなくてよいのではないか、といった意見も出てきそうです。また、測定と評価を別物として考えるだけでは、評価においては測定数値以外にどんな要素を考慮すればよいのかがわかりません。

本書は、「数字」に対し「人情」を付け加えることが大事だとしています。成果主義でギスギスしてしまうような組織には、まさに「人情」が足りないのだと…。少し私の独りよがりの読み取り方をしてしまえば、「人事測定と人事評価の間を埋めるもの」が語られていると感じます。さらには、人事に限らずもっと広い視点から「数字の扱い方」について面白い話が盛り込まれています。

■成果主義導入は言い訳だったのか
「人情」という表現は、現在の成果主義・実力主義の流れからすると何かピンとこないものかもしれません。これまでの社会では特定個人の好き嫌いや説明のつかない属人的な要因から人の評価がされてきた過去があり、客観的な成果や実力が正当に評価されなかったという反省がありました。だからこそ、世界標準(?)とかグローバル競争力強化(!)とかいう理由を持ち出して、我も我もと成果主義に走ったのがここ10年くらいの日本企業だったと思われます。その論理にしても、本音で言えば「人件費削減」が直接の目的で、競争力強化などはたんなる言い訳に過ぎなかったところも少なくないでしょう。

それでも「成果主義」導入で成功した企業ならいいのかもしれません。しかし、成果主義による組織改革は成功せず、競争力強化にもつながらず、人件費削減も中途半端になってしまったという企業は決して珍しくないと思われます。そこに残ったものは、従業員のモラール低下とギスギスした組織風土だけだった、などという笑えない状況にはまってしまった組織もあることでしょう。

■「体感言語」とは何か
本書では、成果主義の広がりによって「数字がひとり歩きする」ことの危うさについて触れ、それを補うものとして「人情味のある人間である」ことが大事だとしています。

「数字は現象の投影である。数字が目的にはなりえない」
「数字はめりはりが効きすぎると、ガン細胞のように自己運動して本来の役割を超えてひとり歩きを始める」
「企業でなされている教育・研修は(『青い鳥』を探す)チルチルとミチルの夢中の世界行脚を彷彿させる。能力は追いかければ逃げていく」

数字だけで偏った評価を下してしまわないために必要なものを、著者は「体感言語」という独自の言葉で表現しています。たとえば温度計で測った「気温」は人の寒さ温かさを測る一つの指標ですが、実際には物理的な気温とは別に「体感温度」なるものがあって、人それぞれ、その時の体調や気分によって感じる寒さ暖かさは異なります。同じように、アセスメントなどで測られた人に対する測定数値とは別に、人の能力なり資質なりを表す別の「体感言語」があるというわけです。

「『あの人は器が大きい』といった表現をする。こういう言葉は体感言語といって客観性を持たない。にもかかわらず、組織の上位者の定義(職能等級書)には必ずといってよいくらい頻繁に登場する」

成果主義がうまくいかなかったからといっても、単に数字を無視してしまうだけでは古い企業社会の人事マネジメントに戻ってしまうかもしれません。しかし(この文を書いている私の意見としては)アセスメントで得られた客観的な「数字」と、少々主観的でもよいからできる限り真摯に見極めて表現した「体感言語」を使い、さらに評価者がその説明責任を負えるような記録を残せば、たんなる独善ではない人事評価につながるものだと考えます。そのためには、評価される側ではなく、なにより評価する側(結局はすべての管理職)にこそ、人事評価のトレーニングなり経験なりが必要だと考えます。

■「数字の本質」を把握する力
数字に強いとは、計算が速いとか、細かい数字を正確に覚えているとかいうのでは必ずしもありません。人事に限らずマーケティングでも経理でも同様です。本書でも数字の本質についての話は人事の分野に限りません。「マーケティング・リサーチのうさん臭さ」などにも言及していて、それぞれうなずけるところがあります。

「おいしい商品、おいしい顧客、おいしい社員…、といったものに気付くことができる…。数字に強い人とは、この『おいしさ』を数字をもって追える人と定義できる」
「数字にも感情があり、数字の無理な捏造は、音楽でいう不協和音のように、目に不快である」
「数字に強い経営とは、みずからの行動を数字に射影する勇気のある経営をいう」

個人的には、「(大岡越前守のような人情味のあふれる裁断が)できない、という人は所詮、統治(する立場)には向かない人である。理屈を言って事の本質から逃げる人は、犬に食われて死ねばよい」(p.145)とまで言い切っているあたり、かなりウケてしまいました。

この評を書いている私も「数字で考えるマーケティング入門」、「数字で考える「人」「チーム」「組織」入門」といった本を書いてきましたが、どうしてもうまく伝えられなかったことが上のように端的に言い表されていて、参考になりました。

さらに、かつて著者が聞いた小林秀雄の講演から、「人は人がわからないんだよ。馬鹿なインテリだけがわかったような口をきくんだ」といった言葉を引用しています。だからといって人の評価をあきらめてしまうではなく、その前提の上で人に対する評価をすることを迫られているのが現代のビジネスパーソンなのです。

■成果主義のアンチテーゼというより…
数字で評価することのマイナス面が強調されているため、本書は見ようによっては“成果主義のアンチテーゼ”とも受け取れることでしょう。実際、Amazonの読者評価にはやや否定的な意見も並んでいます。数字で人の評価を判断するための“具体策”を期待した人事担当者や経営者予備軍などには、“甘っちょろい感情論”と受け取られるのかもしれません。

しかし著者の経歴をみると、なんと人事アセスメント会社の経営者ではありませんか。私も著者のことをまったく知らずに読み通した後で著者のバックグラウンドを知ったのですが、著者はそれこそ「数字で人を測る」プロなわけです。数字の可能性と限界をわきまえたからこそ書ける本のように思われます。

また、たとえば「人情味のある人は例外なく体つきがふくよかな人」など、著者の経験や少し独断(偏見?)の入った事例も挙げているため、読みながら違和感を感じる部分があるかもしれません。でも、それら個々の事象の賛否を論じるのは、本書の狙いから言って無粋でしょう。

「ビジネスパーソンが人事制度についてお勉強するための書」というより、もっとずっと軽い読み物と位置づけたほうがよいでしょう。机に向かって背筋を正して読むというより、寝転がって気軽に読み進めるタイプの本です。