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人事測定と人事評価の違い

「測定」と「評価」は一見似ていますが、はっきり区別するのが人材マネジメントで必要だと考えています。

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人事測定と人事評価の違い

■テストの得点は高ければ良いわけではない?
能力主義、成果主義の世の中になり、どこの企業でもそこで働いている人たちの能力または実績を評価する必要性が高まっています。新規に社員を雇用するときにも、何らかの手段で応募者(入社候補者)を評価して、できるだけ必要とする人材を選び出さなければなりません。その際に、人の評価につながる何らかの「テスト」を実施することが多いでしょう。零細企業を除けば、入社時の適性検査、職務内容につながる知識テスト、英語力のテストなどを組織のシステムとして利用している企業が一般的です。

また、世の中には多種多様の「検定試験」と呼ばれるテストがあります。ビジネス向けだけをとっても本当に数多くあります。テスト業界という一つの“産業”を成しているといっても過言でないでしょう。向上意欲の高い人ほどこうした検定試験に興味を持ち、果敢にトライしています。

こうしたテストの得点は、一般的には高いほうが良いものがほとんどです。得点が高いほどその人に能力があると評価され、または適性があると認められるものだと思います。しかし一方で、「テストの得点」と「人の実質的な評価」とは少し違うものであることにもすぐに気付きます。ごく一例を挙げれば、

・学生時代に英語の成績がよく、かつ英語力テストでも高得点の人

・実際に英語でコミュニケーションをとり、ビジネスを進めることができる人

は、(一致することももちろん多々ありますが)時に異なるものです。英語テストなどの「得点」は、英語でビジネスを進めるための一要素にすぎないことがその一つの理由でしょう。

場合によっては、なまじ英語読解などの能力が高いため、文書や公式的意見にとらわれすぎて、現場で交渉相手の真の狙いを読み取れないといったマイナスの作用をもたらす場合もあろうかと思います。少し乱暴な言い方をしてしまうと、「(英語)テストの得点が高いことが、泥臭いコミュニケーションの現場でマイナスになる」ことさえあるわけです。

■客観的な「アセスメント」と目的にあわせた「イバリュエーション」
人の能力を何らかの科学的・客観的な方法によって測定することを「人事測定」または「(人事)アセスメント」と呼びます(※)。業者によって用意されている適性検査や能力測定テストはアセスメント・ツールの一種です。

これに対して、特定の企業、特定の職務において、人の実績、現在発揮されている能力のレベル、将来の可能性などを見定めることを「人事評価」または「(人事)イバリュエーション」と呼びます。昇進昇格・能力給の裁定などに直接つながる指標は、基本的にはイバリュエーションのはずです。

アセスメント(assessment)とイバリュエーション(evaluation)は、日本語にするとどちらも「評価」になってしまいます。現実に、両者を特に区別しない考え方があることも事実です。しかし本来の性質として、両者はかなり異なるものです。

「アセスメント」は、あくまでも客観的に“モノサシ”をあてて測ることです。身長、体重、体脂肪率、視力といった物理的な量や性質と同様に、人の能力や性格、その他の特性を切り取って定量化したものです。人の特性を定量化することは簡単なことではありませんが、きちんと数字で人の能力などを表すことができれば、対象(ここでは人)を客観化することにつながります。特定の組織や関係者の思惑に左右されない普遍性が求められます。

「イバリュエーション」はこれと異なり、“ある特定の目的をふまえたときに”ふさわしい能力や適性があるかを判断することです。もちろんここでもできるだけ客観的な評価基準を持つことが求められますが、より大事なことは「現実に適合するか」だと考えます。つまり、現実の仕事に適した人であるかどうか、現実に業績向上にふさわしい働きをしたかどうかなどを判断することに他ならないわけです。そのとき、アセスメントによる数字は一つの「参考値」にすぎず、定性的な事柄も含めた何らかの総合的な判断が求められます。結果として「A評価」だの「B評価」だのという定量化がされることも多いものですが、それは評価結果をあらためて定量的な手法で表現したにすぎません。

「アセスメント」では、理想的には世界中のどの国のどの組織が測定しても、同じ対象に対して同じ結果が出ることが望まれます(…そんな理想的な人事測定ツールはまずないでしょうが…)。一方「イバリュエーション」では、当事者である組織の事情なり、評価の目的なり、独自性なり、時には属人性なりが入り込んでしかるべきものです。でなければ、どうしてビジネスの現場に即した判断ができるといえましょう。だから国により組織により仕事の内容によって、同じ人でもその評価は異なります。

■人事評価は、手間ひまがかかるもの
経営システムは常に合理性を求めるものなので、何か有効なテストを持ってきてそれを従業員にあてがえば昇進昇格も給与も簡単にはじき出せるといった、そんな万能なツールを求めがちです。しかし、きちんと測定結果を定量化できるアセスメント・テストとは、本質的にその切り口が鋭利なものです。測定内容が一面的で物足りないからといって、「もっと総合的な人材能力を測るテストはないのか」とか言い出す経営者や人事担当者がたくさんいますが、それは「測定」の本質を理解していないことといわざるを得ません。

また、一般的に利用されている適性テストが自社に合わないからといって、「自社にカスタマイズしてくれないと困る」とか言い出すのも困りものです。測定と評価を混同していると、そうした発想につながりやすくなります。

現在の企業社会で、人事評価は人事担当者だけが携わるものではないことは明らかです。日常的に仕事をしながら、部下など(いわゆる「360度評価」の場合は上司や同僚も含め)を評価するのは大変なことですが、組織人としてはできるだけ「納得できる人事評価」をしたいものです。その意味で、人事測定による客観的な判断要素を用意したうえで、自信を持って人事評価をできる環境を整えるべきかと考えます。どうしても手間ひまがかかるものでしょう。それでもなお、組織において人事測定・人事評価のプロセスは欠かせないものと思いますが、いかがなものでしょうか。

※アセスメント(assessment)という言葉の定義は必ずしも一定していません。ここでは「アセスメント≒測定」と定義しましたが、実際には人事評価に近いものを含めてアセスメントと呼ぶこともあります。

フォロワーシップ(followership)

本当に有能なプロフェッショナルとは、リーダーシップだけでなく「フォロワーシップ」をきちんと発揮できる人のことなのかもしれないと思うようになりました。

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「指導力革命 ― リーダーシップからフォロワーシップへ」
【ロバート・ケリー(著)、牧野昇(翻訳)、プレジデント社刊、1993年】

■“普通の本物”と“本当の本物”の違い
以前、どこかでこんな話を聞いたか読んだかした覚えがあります。

ある経営者が仕事をその道のプロに依頼しました。ここでは話を少しだけすり替えて、仮に「経営者が名のある絵描きに絵を発注した」とでもしておきましょうか。発注時には描いてほしい絵の条件をきちんと絵描きに伝え、絵描きもその条件を納得した上で制作にかかりました。ところがもうすぐ出来上がるかという段階で経営者が完成直前の作品を見に行くと、発注時に意図した注文とちょっと違う、必ずしも納得できない絵ができつつあるのに気が付きました。絵描きからすると条件を違えたわけではなく、自らのプロとしての能力を発揮してよりよい絵に仕上げようとしたまでのことです。

経営者はここで、絵の描き直しを指示したいところです。いくら絵描きに実力があっても、せっかくできた絵が気に入らないものになってしまっては意味がありません。しかし費用と納期は限られています。それ以上に、当の絵描きにもプライドがあるでしょうから、下手に作り直しを命じると臍を曲げてしまう可能性もあります。

その時どのように対処するか、次のようなケースがあるといいます。

(1) もしその絵描きがプロとしてのレベルがやや低い者であるならば、たとえ相手の感情を害することにつながっても描き直しを要求する。
(2) もしその絵描きがプロとして本物であるならば、相手のプライドに泥を塗ってまで無理な描き直し要求はしない。
ここまでは誰もが普通に考え付きそうですが、その経営者は次のケースも想定していました。
(3) もしその絵描きがプロとして“本当の本物”であるならば、たとえ相手の感情を害することにつながっても描き直しを要求する。

(2)と(3)の違いは、相手が“本物”か“本当の本物”かの違いです。この経営者の考えとしては「せっかくの仕事に注文をつけると、普通に優秀な人はたいてい気分を害してしまうが、本当に優秀な人はむしろやる気になる」。だから無理な注文であっても構わず言う。それで仕事の質が落ちるような仕事相手には次は注文しない、というのです。

■フォロワーあってこそのリーダー
これはかなり自分勝手な論理です。実際にその経営者は強引に仕事を進めるワンマンとして評判で、誰に対しても都合の良い理屈を言って実権を振りかざしていただけのことかもしれません。しかしながら、“普通の本物”と“本当の本物”の違いを上のように言い表していたのは、確かに一理あるような気がしています。

現実のビジネス社会の中で、自らプロとして自負心を持って働いている方々は多数いることでしょう。「リーダーシップを発揮することが成功のカギである」と書物や周囲から数え切れないほど叩き込まれた優秀なビジネスマンや経営者であればあるほど、プロフェッショナルとしての自負心が強ければ強いほど、他人に従うことを快く思わず、威張ったり自己満足に陥ってしまったりしがちなものです。他人からの注文を納得できず結果的に失敗をしてしまった経験が、きっと誰にも多かれ少なかれあることだと思われます。

ところが「リーダーシップ」の重要性は数限りなく語られるものの、人への従い方=「フォロワーシップ」の重要性はほとんど語られることはありません。そもそもリーダー(先導者)に対するフォロワー(従属者)という言葉を使ったことがない方も多いと思われます。でも複数の人が協力して仕事をするときはいつも、フォロワーシップがあってこそリーダーシップが成立することを忘れてはいけません。

フォロワーシップは、盲目的に上に従うべきことを指しているのではありません。人の能力はその職位と不可分ですが、職位が高い人がどの分野でも職位の低い人より優れているというわけではもちろんありません。かりに管理職とか経営幹部のほうがマネジメント能力が優れているとしても、商品開発・営業開拓・事業企画・技術開発などそれぞれの専門分野にはそれぞれの専門知識を持つ人を登用することがふさわしいわけです。つまり、人は常にリーダーにもなり、常にフォロワーにもなるわけで、そこのところを忘れてしまうと、先に触れた「プロとしての自負心があるが故の失敗」≒「フォロワーシップのとり損ない」につながるというわけです。

■フォロワーにも5類型ある?
本書の原題は「The Power of Followership」。1990年代前半に発刊されたこの本は、経営管理に「フォロワーシップ」という概念を持ち込んだことで注目されました。著者のケリー氏はこのテーマを語るときに欠かせない“御大”のような存在のようです。

この本ではフォロワーシップという概念を「リーダーなどに対する、上向きの影響力」と位置づけています。

「まるで大事なのはリーダーだけで、残りのフォロワーは下の立場にあるような階層構造まで作り出してしまった」
「ここ100年かそこらで、“リーダー”と“フォロワー”という言葉には、すっかり現在世間一般に広まっているイメージが植えつけられてしまった」

だからフォロワーシップの重要性をもっと認識し、リーダーシップ開発だけでなく組織のフォロワーシップ開発にももっと力を注げ…、というのがこの本の主たる主張です。

自分がフォロワーとなったときには仕事に対してどう考えればよいのか。自分がリーダーの時に部下のフォロワーシップをどう育てればよいのか。フォロワーにもいくつかのタイプがあり、そのタイプによって望ましいキャリアパスのあり方も育成のコツも違うことなど、日本のビジネス社会でも実感を持てる内容が書かれています。

さらには人のフォロワーシップ型を見分けるテスト項目が用意されています。この簡単なアセスメントテストによって、読者自身が5つの型(消極型、盲従型、批判型、官僚型、模範型)のどれに当てはまるかを判断できます。

※「指導力革命」目次
プロローグ 警告「リーダーシップが危ない」
1章 人々がリードすれば、リーダーは従う
2章 21世紀の組織の盛衰を分かつもの
3章 なぜフォロワーの道を選ぶのか?
4章 人は何に満足するのか?
5章 あなたは、どのタイプのフォロワー?
6章 模範的フォロワーは、ここが違う
7章 人間関係がフォロワーを育てる
8章 リーダーに「ノー」が言えるか?
9章 勇気ある良心を発揮するための10のステップ
10章 模範的フォロワーから見たリーダーシップ
エピローグ フォロワーシップのフロンティアへ

■気軽に読める本
本書に少し不満があるとすれば、フォロワーシップを重視せよという主張とは別に、その奥に厳然とした(先導者-従属者の)階層構造の存在を意識しているように受け取れるところでしょうか。監訳者が「本書は…簡単に言うと“ヒラ”の従業員のあり方を取り上げたもの」という実も蓋もない言い方でこの本を表現しているとおり、「結局のところ人をいかに従わせるか」といった枠組から踏み出していないようにもみえます。そのあたりが個人的には少し引っかかります。

また本書では「職務上の権限を持つ人」と「仕事を先導するリーダー」とを分けて考えていないあたり、現代の組織論、リーダーシップ論からすると物足りないところがあります。

でも、あまり小難しく考えずに読める分、人事の専門家だけでなく一般ビジネスパーソンにも素直に読める内容になっているともいえます。それでいていろいろ示唆に富んだ説明があることは確かです。(ただし日本語訳は中古本などでなければ手に入りにくいようです)

■フォロワーシップの有無が生死を分ける状況
少し前に書いたエントリー「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」で、宇宙飛行士の組織や育成について触れました。宇宙飛行士は、それぞれの役目によって内容は異なるでしょうが、まさにプロであることが求められる職業に違いありません。一方で、宇宙船という閉鎖空間の中で他のクルーと共同して仕事をする場面では、周囲と協調しリーダーにきちんと従うべき秩序が求められます。宇宙空間でメンバーシップがうまく働かなければ、下手をしたら自分と仲間の生死を決定的に左右するかもしれないリスクを持つことになってしまいます。

宇宙もしくは同様の閉鎖空間では、間違いなくクルーにフォロワーシップが必要のはずです。そして少なくとも現代の宇宙飛行士たちは、きちんとしたフォロワーシップを身に付けられる資質を持ち、そのための訓練が施されているのではないかと思われます。公の場で見る宇宙飛行士たちが誰も人格的に優れているかのように感じられるのは、本来リーダーとしての資質を十分に持つプロでありながら、フォロワーシップをも確実に身に付けて行動できることにあるのではないかと推測する次第です。

冒頭で「“本当の本物”は、無理な注文を受けても臍を曲げない」という話を書きました。これは実のところ、当人が無理難題があっても我慢できるとかいう低い次元の問題なのではなく、フォロワーシップを身につけていることがより自らの仕事の質を高めることを知っているのではないか…。そう考えると妙に納得する話なのですが、いかがでしょう。

「数字で考える「人」「チーム」「組織」入門」

誰でも読んでいただけそうな部分と、少し専門的に入り込んだ部分と、少し極端な要素が同居しています。広く一般的な話題を展開しつつ特定のテーマについてピンポイントで狙いをつけて踏み込もうとしたわけなのですが、結果として成功したかどうか、なんともいえません。

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【明日香出版社刊、2003年】

弊社松山が執筆した書籍です。人材マネジメントといっても、本書ではサッカー、野球、陸上、水泳といったスポーツに関する話題をいくつも盛り込んでいます。…「巨人の星」の星飛雄馬まで題材に用いてしまいました(笑)…。難しいことを考えなくても、人材マネジメントなどまったく専門外の人であっても楽しく読めるようにしたつもりですが、本当のところどうだったでしょうか。お読みになった方があれば、ぜひご意見を伺いたく思っています。

表題通り「数字」で人事マネジメントについていろいろ考えてみよう、というのが大きなテーマです。ただし、人や組織を数字で「規定」してしまおうという考えでは決してありません。狙いはむしろ逆で、数字というツールを使って人や組織を客観的に見つめながらも、その「客観」と当事者の「主観」の違いをきちんと認識し、創造性が発揮できるよう工夫していこうというスタンスを持っています。「客観」と「主観」を区分けるための重要な要素として「人事測定(≒アセスメント)」と「人事評価(≒意思決定・判断に直結するもの)」を厳然と区別すべきことを、本書を通じて強調しています。

そして最後の第6章Section3では、「項目反応理論」(Item Response Theory:略して「IRT」)という得点付けの方法について少し細かく説明しています。表計算ソフトなどを用いた数値解析を行い、具体的にIRTによるテストの点数付けを行った例(小さなモデルにすぎませんが)を示しました。このあたりの記述は、人事測定の専門書を除けば他の書物にないユニークなところだと思います。

第1章 個人と組織の関係を考えよう
Section1 人事・組織とは
Seciton2 人や組織を数字で“測る”とは
第2章 個人の力を高める
Section1 個人の能力を把握するには
Section2 個人の性格を測る
Section3 社会で必要とされる基礎能力
Section4 資格試験/検定試験の利用
第3章 仲間・コーチとの協力
Section1 チームワーク
Section2 コーチング
第4章 チーム作り
Section1 チーム作りと戦略・戦術
Section2 コンピテンシー
第5章 組織の運営
Section1 組織特性の測定
Section2 評価・報酬制度と数値化
Section3 研修・教育のシステム作り
第6章 カリキュラムとモノサシ作り
Section1 人材育成カリキュラム策定の基本
Section2 テストと測定
Section3 項目反応理論の応用

「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」

宇宙飛行士の人選、育成、組織は、実に興味深いものがあります。

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「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」
【アンドリュー・スミス(Andrew Smith)著、鈴木彩織訳、2006年刊、ソニー・マガジンズ】

■月を歩いた人類はわずかに12人
21世紀になって70歳を超えようとするアポロの“ムーン・ウォーカー”たち(12人中、存命の9人)に再び焦点を当て、彼らアポロ宇宙飛行士たちの生き様をインタビューおよび周辺取材でまとめたものです。エッセイともノンフィクションともいえる書物になっています。個人的には、「宇宙」というテーマだけでなく「人材マネジメント」という視点から興味深く読みました。

原題は「Moondust」(2005年刊)。もちろん「人材」のあり方をテーマに書かれているわけではありません。宇宙飛行士をヒーロー視する物語や宇宙飛行士本人たちの自著による直接的な発言と違い、40代半ばである著者が当事者とは少し離れた視点で描いています。読んでみるとなかなか新しい発見がありました。

■宇宙機関はすばらしい組織モデルか?
本書の内容から少し外れますが、以前から私は1つの問題意識を持っていました。それは、
・NASA(アメリカ航空宇宙局)をはじめ宇宙飛行を実現させていく組織は、どんな人材管理(Human Resource Management)システムを築きあげたのか
・宇宙関連機関は、どんな優れた人材養成プログラムを持っているのか
・宇宙飛行士たちは、なぜ皆すばらしい人格と能力を身につけることができたのか
などです。

たとえば日本人宇宙飛行士の毛利さん、向井さん、土井さん、若田さん、野口さんといった方々のTVなどで報じられる人柄や振る舞いには、いつも感銘させられます。肉体的にも精神的にも強く、確実に実績を残していく。一般向けに話す内容は科学的な説明であっても実にわかりやすく、それでいて人間味のある暖かな話しぶりが魅力的です。何度同じような(つまらない)質問をされても笑顔を絶やさず、丁寧に対応していく。しかも驕りのようなものはみじんも感じられない…。

一般企業の人材マネジメントに携わることもある者にとって、こうしたすばらしい人材を選んだり育てたり、組織システムとして実現するためのヒントを、宇宙機関や宇宙飛行士たちから探したくなるのです。

しかし一方で、NASAにしても旧ソ連/現ロシアの宇宙機関にしても、きれいごとではないドロドロの顛末が過去にあったことが明らかになっています。映像化された「人類月に立つ」「ライト・スタッフ」「ロスト・ムーン(アポロ13号)」「宇宙へ ~冷戦と二人の天才~(スペース・レース)」といった映画やドラマを見るだけでも、たとえば

・月着陸という冒険が、今から考えると実はとんでもない高いリスクのもとで敢行されたプロジェクトであったこと
・NASA内部のいざこざおよび政治の世界との軋轢は絶えず、どう見ても健全な組織運営とはいえなそうな現実があったこと
・宇宙飛行士たちは「人格者」「ヒーロー」といったイメージからはかなり外れた、どちらかというと欠点が目立つ人たちであった(らしい)こと
などが見てとれます。

ほかにも米国や旧ソ連の宇宙競争を描いた書物や映像、宇宙飛行士自身によるエッセイなどいろいろ出ています。とくに「ドラゴンフライ―ミール宇宙ステーション・悪夢の真実)」では、宇宙ステーションミールに滞在していたスタッフの人間関係が一時期相当に険悪だったことが暴露されています。2003年のスペースシャトル・コロンビア号の空中分解事故では、NASAという組織の体質が重大事故を引き起こした大きな原因だったと事故報告書で指摘されました。日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)およびその前身だった組織も、ロケット打ち上げ失敗などでさんざん非難を浴びています。

いったい、宇宙飛行士および宇宙機関の実像はどんなものなのでしょうか?

■付き合いにくそうな人ばかり…
少し偏った表現かもしれませんが、本書で登場する宇宙飛行士9人のうち“常識的なコミュニケーションがとれる魅力的な人”と感じられるのは、アラン・ビーンとチャーリー・デュークの2人くらい。あとの人たちはおしなべて“いかにも人付き合いの難しそうな”輩ばかりです。

バズ・オルドリンは、一時期深刻な鬱病だったことが知られています。とても気難しい雰囲気が漂ううえ、「一言一言、慎重に言葉を発するのだが、…(中略)…独特の文法のせいで話の筋があちこちに逸れて、何を言っているのか理解するのに時間がかかる…(後略)」(上巻p.209)とあるように、著者がインタビューでいかにも苦労したことがわかります。著者は最後に「疲れ果てた」とさえ書いています。インタビューの最後は信頼感も築かれたのか、著者は「本物の好意と賞賛の気持ちがこみあげた」(上巻p.244)ようですが、誰とでもそうした緊張の解けた付き合いができる人ではないことがはっきり読み取れます。

ジョン・ヤングは、アポロより前のジェミニからつい最近のスペースシャトルまで現役の宇宙飛行士を続けた、それこそ全地球人を代表する“最も経験のあるプロ宇宙飛行士”でしょう。ところがヤングとのインタビューもこれまた大変気を使わなければならなかった様子が描かれています。大変博識でかつ強靭な人であることはすぐにわかるし、結果的に非常に興味深いことをあれこれ話しているのですが、一つ間違うとまともに口を開かなそうな頑固な様子が感じられます。

“最初のムーン・ウォーカー”ニール・アームストロングにいたっては、どんな取材も受けないのが鉄則で、本書の著者も最後まで追いかけ続けたあげく、イベント会場での短いやり取り以外はついに長時間のインタビューができずに終わってしまったようです。もともと相当の口下手で朴訥、それでいて独断で物事を判断する傾向があるといわれていました。月着陸で世界中から注目された後は、隠遁生活といってもよいほど世間から逃れてすごしているそうです。

・アラン・ビーン(アポロ12号月着陸船パイロット)
・チャーリー・デューク(アポロ16号月着陸船パイロット)
・バズ・オルドリン(アポロ11号月着陸船パイロット)
・ジョン・ヤング(アポロ16号船長)
・ニール・アームストロング(アポロ11号船長)

■競争が好きではない? 宇宙飛行士もいた
もっとも、アポロより前の初期の宇宙飛行士たち(マーキュリー計画やジェミニ計画を引っ張ったいわゆる「オリジナル7」のメンバーなど)はもっと強烈な個性を持っていたともいわれます。むしろアポロで何人かの常識人がいたということは、この頃はNASAの人材マネジメントも少し進歩していたのもしれません。

アポロ宇宙飛行士の中で人間的な魅力をとくに感じさせるのは、アラン・ビーンでしょう。ビーンはNASAをやめた後芸術家に転進し「月面での体験を描くアーチスト」として活躍しています。インターネット上の Alan Bean Gallery に作品が紹介されています。ドラマ「人類月に立つ」を見たことのある方は、ビーンを語り手にしてクルーのチームワークを描いたアポロ12号の回のことをきっと覚えていることでしょう。

アラン・ビーンは、名誉ある役を我先に得ようとする野心家揃いの宇宙飛行士の中で異質な存在だったようです。他のライバルに比べると競争というものにさほどこだわっておらず、“たまたま4番目に月を歩く役が回ってきた”だけだという。月から帰ってきてからも競争を引きずっている過去の仲間たちについて一歩引いて見ている様子があります。アーチストになって、他人と競争するのではなく、自分で「何かをやってみて、それがうまくいくかどうかを見ているほうが良い」(下巻p.60)。この言葉は必ずしも本音とは異なるのかもしれませんが、そんな彼が、結果的にたった12人しかいないムーン・ウォーカーに選ばれていたということは面白いですね。

もう一つアラン・ビーンの話で興味深いのは、宇宙での行動もさることながら、最も感じるところがあった出来事が「月から帰ってきたあとの地球上での日常生活だった」という点です。「ショッピングセンターでアイスクリームをなめながら何時間も座って周囲を眺めていた。その光景に対して、月旅行に負けないくらいの胸の高鳴りを覚えた…」といいます。

■アポロ宇宙飛行士に求められた資質とは?
本書にもありますが、クルーの人選は当時の宇宙飛行士室長ディーク・スレイトン(「オリジナル7」の1人だが、7人のメンバーのうちマーキュリー計画で唯一宇宙に出られなかった人物)が強い影響力を持っていたことが良く知られています。そのため、ディーク・スレイトンに好かれれば宇宙に旅立てる可能性が高くなり、疎まれれば絶望的といわれていました。

実際、何人かのメンバーはスレイトンの逆鱗に触れてその後一切メンバーに選ばれなくなったとか伝えられています。システマチックな人選とは程遠く、公平な人材マネジメントとはとてもいえそうにありません。こうしたアポロ時代の人選・人材養成のシステムと現代の宇宙飛行士たちが選ばれ養成されるシステムとのギャップは、私にとってずっと謎でした。

しかし本書から、これに関連した面白い記述を2つほど見つけました。芸術家肌のアラン・ビーンは、クルーの人選に大きな力をふるっていたスレイトンに必ずしも高く評価されていなかったらしい、というのが1つ。それでもビーンが選ばれたというのは、やはり1人の人の好き嫌いだけに左右されない、何らかの選抜基準があったということなのでしょう。

■「想像力をしっかりと封じ込める力」
そしてもう1つは、「船長」と「月着陸船パイロット」の役割の違いが人選に影響していたらしいという点についてです。

船長はまさにミッションを成功させるためのすべてについて責任を持つべき立場の人間。それに対して月着陸船パイロットは、もちろん責任という点でも実際の飛行業務でも大変重要であることは間違いないのですが、月着陸についてさえも最終的には自分ではなく「船長」が責任を持っていたわけです。そのため、船長に比べると少しだけ本来業務から離れたことを考える余裕があり、その分「感動」を目の当たりに体験できる立場にあったとされています。

エドガー・ミッチェル曰く、「自分たちが強烈な体験をしたと口にしていたのは月着陸船パイロット。船長は自ら責任を持って操縦する役割を持っていた」(下巻p.331~)。著者はこれらから、ディーク・スレイトンが選ぶ船長の条件として「ずば抜けた集中力と、想像力をしっかりと封じ込める力があること」と推測しています。もっと端的にいえば「冷徹な人」になれるかどうかが、アポロのような仕事に必要だったことをうかがわせます。

・エドガー・ミッチェル(アポロ14号月着陸船パイロット)

■人間臭さと職務の役割
これがどこまで本当かはわかりませんが、ニール・アームストロング、デイビッド・スコット、ジョン・ヤング、ジーン・サーナンのいずれもが「逡巡や動揺といった感情を持ちそうにない性格の人々だ」としています。すでに亡くなったアラン・シェパードとピート・コンラッドについてははっきり言及していません。

半面、この「船長」たちは皆敬意を抱くことのできる優秀な人たちではあるが、揃いも揃って人当たりは悪いか、少なくとも気の置けない仲間といった存在ではないわけです。隠遁してしまったり(アームストロング、スコット)、逆に「昔、ほんのひととき月を歩いた」という名声を利用して活躍する、自らを脚色しているような、鼻に付く存在だったりします。いずれも、周囲の人から見てあまり評判が良いとはいえません。

一方バズ・オルドリン、アラン・ビーン、エドガー・ミッチェル、ジム・アーウィン、チャーリー・デュークといった「月着陸船パイロット」たちは、信仰の道に入ったり、芸術家になったりと、月に行く前の宇宙飛行士としてのキャリアからは直接的に想像できない道を歩んでいます(ジャック・シュミットは、ムーン・ウォーカーの中で唯一学者出身なので、ちょっと事情が違う)。このグループにも人あたりの必ずしも良くない人(オルドリンがその代表)もいますが、そうであっても、インタビューから垣間見られるそれぞれの人柄や生き様はじつに人間臭さが漂っていることがわかります。

・ピート・コンラッド(アポロ12号船長)
・ジーン・サーナン(アポロ17号船長)
・アラン・シェパード(アポロ14号船長)
・デイビッド・スコット(アポロ15号船長)
・ジム・アーウィン(アポロ15号月着陸船パイロット)
・ジャック・シュミット(アポロ17号月着陸船パイロット)

■すぐに結論を求めすぎるな
ほかにもいくつか、本書を読んでいてはっとさせられる記述がありました。

「すぐに結論を求めすぎるな」
「宇宙飛行士だって怖いもの知らずというわけじゃない。恐怖感を克服して目の前の仕事をやりおおせる方法を見つける」
「月に行った経験を話すだけで高慢になることがある。でもそれはうぬぼれだ」
など。いろいろ示唆に富んでいます。

なお、この本の欠点は、構成や文章がかなり冗長なことです。たとえば宇宙飛行士へのインタビューにしても、インタビューそれだけでなくアポをとる過程とか昔話とか著者の回り道が非常に多く、なかなか本論に入らないので飛ばし読みしたくなるところが何個所もあります。テーマをきちんと整理して核心をもっとコンパクトにまとめれば、1/2から1/3くらいのページ数で済み読みやすくなるでしょう。

でも、インタビューの骨子を簡潔にまとめる手法ではなく冗長にあれこれ描写しているところが、出てくる人物の人間味とかとっつきにくさとか時代背景との関係とかを浮かび上がらせているともいえそうです。その意味で「すぐに結論を求めたくなる」我々を、わざと遠回りさせることに成功しているのかもしれません。

本書からあえて人生訓のような結論をとりだすのなら、「人生の勝利」というのが、決して名声や富を得ることではなく、またスピリチャルになることでもなく、困難を飲み込み克服していくことのような気がしました(あまり適当な表現ではありませんが…)。

■中年ビジネスパーソンにとっての「人生の見直し」?
あとがきで訳者が「“中年の危機”を意識するようになった作者が、帰還後に世間の荒波に放り出されることになった宇宙飛行士たちの生き様から有意義な教訓を得られるのではないかという期待をこめた旅」と評しているのには、ニヤリとしながらも、自らギクリとさせられてしまいました。著者は、10歳前後で月着陸のニュースに感銘を受けた世代。この文を書いている私もまさに同世代です。

たとえば、これまで懸命に働いてきたものの、時代の変化があり企業組織で半ば居場所がなくなった40代くらいのビジネスパーソン、リストラや転職という転機があったがまだ定年までには時間があり中途半端な今後に不安を抱いている中年。そんな方々には、「宇宙飛行士の」というより「著者の」危機意識がいろいろ伝わってくると思われます。