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成果主義導入と賃金格差(JILPT調査より)

多くの企業で成果主義の導入はやはり必要なのだろうと思われます。日本で2000年以降に導入された成果主義のシステムは、1990年代と比べ“マイルドな成果主義”となる傾向がみられるそうです。

成果主義導入と賃金格差
【成果主義導入と賃金格差。「変貌する人材マネジメントとガバナンス・経営戦略」(労働政策研究・研修機構、2005年)第2部分析結果をもとに編集】

■成果主義の設計と運用が変化した?
前回の記事で、JILPT(労働政策研究・研修機構)の「長期雇用と成果主義のゆくえ」という調査結果をご紹介しました。調査分析は以前の報告書「変貌する人材マネジメントとガバナンス・経営戦略」(2005年、労働政策研究報告書No.33)ですでに発表されていて、そのなかに成果主義の導入とその影響についての分析が詳しくされていました。少し興味深いところがあったので、再びご紹介します(詳しい内容は労働政策研究・研修機構(JILPT)などから本編をお読みください)。

なお、基となった調査アンケートは2004年に行われたもので、回答企業の全従業員数平均は約1304.4人(正社員数平均は781.8人)です。大企業だけではなく「相対的に規模の小さな中堅企業の実態を明らかにした」とされていますが、そもそも従業員数200人以上の企業しか調査対象にしていません。中小企業ははじめから分析対象外であることを差し引いて数字を認識してください。

成果主義は1992年ころ、バブル崩壊が一時的な景気後退ではないということがはっきり認識されたころから、大手企業でも導入が始まってきました。しかしいくつかの事例ではその後モラールダウンなどを招き、良い結果を生んでいないとされています。

■21世紀になって弾力的な運用がされるようになった
冒頭のグラフは、同書第2部第4章第4-3-3表(1)(p.151)のデータをそのままグラフにしたもので、賃金格差について質問した結果です。横軸の数字は具体的な数ではなく指標です。たとえばグラフの1つ目の項目では、自社の賃金制度が「格差の大きな制度」である割合が高い場合は指標が高くなり「平等な制度」である場合は数値が低くなります。

これらについて、調査では「成果主義を導入している」「成果主義を導入していない」に分け、さらに導入した年が「1999年以前」「2000年以降」で2分したうえで指標を比較しています。前回の記事でも触れたように「成果主義を導入しているとする割合が約60%」です。うち「2000年以降に導入した企業が2/3」とのことですので、割合としては
・1999年以前に導入…20%
・2000年以降に導入…40%
・未導入…40%
ということになります(数字は概数)。

その結果、ほぼ自明のこととして、次のことがグラフに表現されています。

(1)成果主義を導入した企業は、賃金制度において、設計面、運用面いずれも格差が大きくなった

興味深いのは次のような点でしょう(グラフ上数値の違いはわずかですが、分析において統計的に有意な違いがあると結論付けられている)。

(2)2000年以降に成果主義を導入した企業では、それ以前に成果主義を導入した企業に比べて、賃金格差の小さい制度設計をしている
(3)2000年以降に成果主義を導入した企業では、それ以前に成果主義を導入した企業に比べて、実際の運用上の賃金格差が小さい
なおこれらに加えて、
(4)1999年以前に成果主義を導入した企業の賃金制度は懲罰的要素が強い設計となっているのに対し、2000年以降導入は報償的な要素が強くなっている
ような数字が出ています(ただしこの点については検定の結果「仮説は棄却された」=「統計上有意な差はない」と結論付けられています)。

・1999年以前に導入→“過激な成果主義”
・2000年以降に導入→“マイルドな成果主義”
といった性格付けができるかもしれないというわけです。

これらはあくまでも導入年で判断しているため、制度の変化などは明確に数字に現れていないと思います。でもおそらく、成果主義へと考え方が日本企業の性質に合った形へと徐々に変化していることを示しているのではないかと考えられます。成果主義が本格的に導入され始めたのが1990年以降とすれば、(一時期の失敗期を経て?)やっと地に足をつけた制度の導入期に入ったのかと推測しますが、どうでしょうか。

長期雇用と成果主義のゆくえ(JILPT調査より)

いろいろ批判のある「成果主義」ですが、俯瞰してみると日本企業に対してプラスに働いているようです。一方「長期雇用の放棄」は単純に成否を判断できないという報告があります。


【「日本の企業と雇用 ─ 長期雇用と成果主義のゆくえ」(労働政策研究・研修機構、2007年)第2部分析結果をもとに編集】
今回は、成果主義に関する話題提供、サイト紹介、書評を兼ねたような記事です。

■充実した労働経済関連の資料
厚生労働省所轄の独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT) は、労働関連のデータや報告書を積極的にネット上で公開しています。人事系の調査研究では誰もが一度はここのデータもしくは分析結果を参考にしたことがあるでしょう。俯瞰的(学術的、統計的)なスタンスからテーマを掘り下げた研究結果の場合は経営の実際の(ミクロな)場面にすぐに役立つとは限りませんが、人事・労働に関連する客観的な現状を掴むのに役立ちます。

この6月にも「プロジェクト研究」の成果として、全8冊分の報告書がネット上に公開されました(第I期中期計画プロジェクト研究シリーズ)。うち、「No.5『日本の企業と雇用 ─ 長期雇用と成果主義のゆくえ』」に、成果主義などの現状をアンケートから定量的に分析した分析結果があります。表題のとおり、従来の日本型企業の特色が変化した結果として今どのような状態にあるのかが“数字をもって”示されています。

対象企業は大企業中心、回答者は人事担当者。いわば組織だった会社の「公式見解」のようなものなので、実態と比べて何らかのバイアスがかかっているかもしれません。それでもなかなか興味深い内容なので、少し紹介させてください。

■人材マネジメントの4類型
本調査では、まず
(a) 日本企業がこれまでの年功序列一辺倒の賃金制度(評価制度)を脱し、成果主義を導入したのかどうか
および
(b) 終身雇用に代表される長期雇用の制度を変え、流動化した雇用体制に移行したのかどうか
それぞれに該当する企業の割合を推量しています。

上の説明図は、(a)を横軸、(b)を縦軸にとって、企業を4種類に分類したものです。左上の「J型」は従来の日本企業の典型で、成果主義は未導入(≒年功序列を維持している?)かつ長期雇用を維持している企業で、全体の約30%がここに属するとのこと。右上「NJ型」は成果主義は導入済みだが長期雇用は維持している企業で、約40%と4類型の中で今は最も該当企業数が多いということになっています。左下「DJ型」は成果主義は未導入だが長期雇用はすでに維持していないとされるグループで約10%。右下「A型」は成果主義も導入し長期雇用を前提とした体制からも脱却したグループで、全体の約20%があてはまるとされています。

“4 対 3 対 2 対 1”の割合。なにか日本人の血液型の割合と似たような各類型の比率になっています。数字からは、成果主義導入が意外に進んでいるのに対し、予想外に多くの企業が長期雇用を維持していると説明されています。「この数字、ホントか~?」という声も「まぁ、そんなもんかな~」という声も聞こえてきそうですが、それは置いて…。

■成果主義と雇用流動化が企業に与えた影響とは
ステレオタイプな見方をすれば、かつてはほとんどがJ型だった日本の大企業がNJ型、DJ型、A型へと変化し、枝分かれしたと見ることができます。

ただしDJ型については、企業が好んでこの類型を選んだというより、業績悪化によって人員のリストラをせざるを得なかった(長期雇用を仕方なく捨てた)衰退型だとみなされます。いわば後ろ向きの変化で、実際この類型に入る企業は、「業績は悪化している」ほか「若手育成に手が回らず、職場で協働する雰囲気もない」「社内のモラールは下がり、仕事に対する意欲が低い」という分析結果が数字としてでています。

一方NJ型とA型は、従来の日本型組織体制から変革した状態と位置づけられます。長期雇用を維持しているか放棄しているかの違いで分岐していますが、いずれもJ型(およびDJ型)と比較して業績が良い企業が揃っていると分析されています。どちらかというと大規模な企業がNJ型、小規模な企業がA型になる比率が高いとのことです。

またNJ型とA型では職場の状況にけっこう差があることも明らかになっています。NJ型は、「社内のモラールが上がり、仕事に対する意欲が高い」という良い職場環境が醸成されている一方、少しですが「若手育成に手が回らず、職場で協働する雰囲気もない」という悪い状況も発生しています。A型は、「若手育成に手が回らず、職場で協働する雰囲気もない」とともに「ストレスを訴える社員や自己都合で離職する社員が増加している」という悪い環境が生まれています。

従来の日本型であるJ型の場合は、「若手育成の体制があり、職場で協働する雰囲気もある」とともに、少しだけ「ストレスを訴える社員や自己都合で離職する社員が増加していない」という良い職場環境があるとされています。

■職場環境の代償として業績アップを得たのか?
この調査・分析からあえて直接的な結論を導こうとすれば、次のようになるのでしょう。

・業績を維持しつつ、それなりに良い職場状態(高いモラール)を保ちたいのなら、長期雇用を維持した上で成果主義を導入するのがよい
・「人材育成や社員の相互関係には深く関心を払わない。ストレスもあるし、その仕事がいやなら辞めていい。また別の人を雇うから」というマネジメント方針が掲げられる企業の場合は、その引き換えのように業績アップが見込める
・社内の雰囲気を良い状態を維持しようとする半面、組織体制を積極的に変革する勇気がない企業の場合、高い業績アップは(一般的には)望みにくい。

業績、正規社員の比率、社内で協力し合う雰囲気、ストレスの多寡、モラールの高さといったすべて要素を好ましい状態のまま保つことなど、普通の組織では望むべくもないことです。結局何かを犠牲にして、その代償として経営上重視すべき要素(多くの場合は業績アップ)を選び取る…。それが経営判断というものなのでしょう。

さらにこうした企業の意思決定が、経済・経営環境一般にとってどのような意味があるのか、影響があるのかなどにも言及しています。たとえば、A型のような長期雇用を前提としない人材マネジメント企業が成立するためには、「(企業横断的な)技能形成のシステムが不可欠」であること。しかしその点、現在の日本は「過去からの(人的な)遺産」を利用しているようなもので、そうしたシステムが今は必ずしも成立していない(早晩行き詰る)といった意味の指摘がされています。いろいろ頷かされる指摘ではないでしょうか。

…以上、内容のごく一部をわかりやすく“丸めて”表現したものです。数字は概数で、用語も当方で意識的に置き換えているところがあります。正確な分析内容をじっくり理解したい方は本体を読まれることをお勧めします。もちろんこれ以外にもまだまだ本報告書およびJILPTの各報告書に興味深い調査があります。

「数字と人情 ― 成果主義の落とし穴」

人事に限らずマーケティングや経理でも、数字をひとり歩きさせてはいけません。数字を「実感する」ことが大事だと常々思っています。

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「数字と人情 ― 成果主義の落とし穴」
【清水佑三(著)、2003年刊、PHP研究所】

■人事測定と人事評価を埋めるもの
既に書いたエントリ 「数字で考える「人」「チーム」「組織」入門」および「人事測定と人事評価の違い」で、次の2つ
・客観的なアセスメント - 人事測定
・主観の入ったイバリュエーション - 人事評価
の違いを認識することの必要性を説明しました。人事測定で客観的な数字をつかみ、それを参考にして現実の世界に当てはめた人事評価をする、という流れが望ましいと考えています。

でも、人事測定がたんなる参考値にしかならないならば、そもそもアセスメント・テストなどやらなくてよいのではないか、といった意見も出てきそうです。また、測定と評価を別物として考えるだけでは、評価においては測定数値以外にどんな要素を考慮すればよいのかがわかりません。

本書は、「数字」に対し「人情」を付け加えることが大事だとしています。成果主義でギスギスしてしまうような組織には、まさに「人情」が足りないのだと…。少し私の独りよがりの読み取り方をしてしまえば、「人事測定と人事評価の間を埋めるもの」が語られていると感じます。さらには、人事に限らずもっと広い視点から「数字の扱い方」について面白い話が盛り込まれています。

■成果主義導入は言い訳だったのか
「人情」という表現は、現在の成果主義・実力主義の流れからすると何かピンとこないものかもしれません。これまでの社会では特定個人の好き嫌いや説明のつかない属人的な要因から人の評価がされてきた過去があり、客観的な成果や実力が正当に評価されなかったという反省がありました。だからこそ、世界標準(?)とかグローバル競争力強化(!)とかいう理由を持ち出して、我も我もと成果主義に走ったのがここ10年くらいの日本企業だったと思われます。その論理にしても、本音で言えば「人件費削減」が直接の目的で、競争力強化などはたんなる言い訳に過ぎなかったところも少なくないでしょう。

それでも「成果主義」導入で成功した企業ならいいのかもしれません。しかし、成果主義による組織改革は成功せず、競争力強化にもつながらず、人件費削減も中途半端になってしまったという企業は決して珍しくないと思われます。そこに残ったものは、従業員のモラール低下とギスギスした組織風土だけだった、などという笑えない状況にはまってしまった組織もあることでしょう。

■「体感言語」とは何か
本書では、成果主義の広がりによって「数字がひとり歩きする」ことの危うさについて触れ、それを補うものとして「人情味のある人間である」ことが大事だとしています。

「数字は現象の投影である。数字が目的にはなりえない」
「数字はめりはりが効きすぎると、ガン細胞のように自己運動して本来の役割を超えてひとり歩きを始める」
「企業でなされている教育・研修は(『青い鳥』を探す)チルチルとミチルの夢中の世界行脚を彷彿させる。能力は追いかければ逃げていく」

数字だけで偏った評価を下してしまわないために必要なものを、著者は「体感言語」という独自の言葉で表現しています。たとえば温度計で測った「気温」は人の寒さ温かさを測る一つの指標ですが、実際には物理的な気温とは別に「体感温度」なるものがあって、人それぞれ、その時の体調や気分によって感じる寒さ暖かさは異なります。同じように、アセスメントなどで測られた人に対する測定数値とは別に、人の能力なり資質なりを表す別の「体感言語」があるというわけです。

「『あの人は器が大きい』といった表現をする。こういう言葉は体感言語といって客観性を持たない。にもかかわらず、組織の上位者の定義(職能等級書)には必ずといってよいくらい頻繁に登場する」

成果主義がうまくいかなかったからといっても、単に数字を無視してしまうだけでは古い企業社会の人事マネジメントに戻ってしまうかもしれません。しかし(この文を書いている私の意見としては)アセスメントで得られた客観的な「数字」と、少々主観的でもよいからできる限り真摯に見極めて表現した「体感言語」を使い、さらに評価者がその説明責任を負えるような記録を残せば、たんなる独善ではない人事評価につながるものだと考えます。そのためには、評価される側ではなく、なにより評価する側(結局はすべての管理職)にこそ、人事評価のトレーニングなり経験なりが必要だと考えます。

■「数字の本質」を把握する力
数字に強いとは、計算が速いとか、細かい数字を正確に覚えているとかいうのでは必ずしもありません。人事に限らずマーケティングでも経理でも同様です。本書でも数字の本質についての話は人事の分野に限りません。「マーケティング・リサーチのうさん臭さ」などにも言及していて、それぞれうなずけるところがあります。

「おいしい商品、おいしい顧客、おいしい社員…、といったものに気付くことができる…。数字に強い人とは、この『おいしさ』を数字をもって追える人と定義できる」
「数字にも感情があり、数字の無理な捏造は、音楽でいう不協和音のように、目に不快である」
「数字に強い経営とは、みずからの行動を数字に射影する勇気のある経営をいう」

個人的には、「(大岡越前守のような人情味のあふれる裁断が)できない、という人は所詮、統治(する立場)には向かない人である。理屈を言って事の本質から逃げる人は、犬に食われて死ねばよい」(p.145)とまで言い切っているあたり、かなりウケてしまいました。

この評を書いている私も「数字で考えるマーケティング入門」、「数字で考える「人」「チーム」「組織」入門」といった本を書いてきましたが、どうしてもうまく伝えられなかったことが上のように端的に言い表されていて、参考になりました。

さらに、かつて著者が聞いた小林秀雄の講演から、「人は人がわからないんだよ。馬鹿なインテリだけがわかったような口をきくんだ」といった言葉を引用しています。だからといって人の評価をあきらめてしまうではなく、その前提の上で人に対する評価をすることを迫られているのが現代のビジネスパーソンなのです。

■成果主義のアンチテーゼというより…
数字で評価することのマイナス面が強調されているため、本書は見ようによっては“成果主義のアンチテーゼ”とも受け取れることでしょう。実際、Amazonの読者評価にはやや否定的な意見も並んでいます。数字で人の評価を判断するための“具体策”を期待した人事担当者や経営者予備軍などには、“甘っちょろい感情論”と受け取られるのかもしれません。

しかし著者の経歴をみると、なんと人事アセスメント会社の経営者ではありませんか。私も著者のことをまったく知らずに読み通した後で著者のバックグラウンドを知ったのですが、著者はそれこそ「数字で人を測る」プロなわけです。数字の可能性と限界をわきまえたからこそ書ける本のように思われます。

また、たとえば「人情味のある人は例外なく体つきがふくよかな人」など、著者の経験や少し独断(偏見?)の入った事例も挙げているため、読みながら違和感を感じる部分があるかもしれません。でも、それら個々の事象の賛否を論じるのは、本書の狙いから言って無粋でしょう。

「ビジネスパーソンが人事制度についてお勉強するための書」というより、もっとずっと軽い読み物と位置づけたほうがよいでしょう。机に向かって背筋を正して読むというより、寝転がって気軽に読み進めるタイプの本です。

人事測定と人事評価の違い

「測定」と「評価」は一見似ていますが、はっきり区別するのが人材マネジメントで必要だと考えています。

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人事測定と人事評価の違い

■テストの得点は高ければ良いわけではない?
能力主義、成果主義の世の中になり、どこの企業でもそこで働いている人たちの能力または実績を評価する必要性が高まっています。新規に社員を雇用するときにも、何らかの手段で応募者(入社候補者)を評価して、できるだけ必要とする人材を選び出さなければなりません。その際に、人の評価につながる何らかの「テスト」を実施することが多いでしょう。零細企業を除けば、入社時の適性検査、職務内容につながる知識テスト、英語力のテストなどを組織のシステムとして利用している企業が一般的です。

また、世の中には多種多様の「検定試験」と呼ばれるテストがあります。ビジネス向けだけをとっても本当に数多くあります。テスト業界という一つの“産業”を成しているといっても過言でないでしょう。向上意欲の高い人ほどこうした検定試験に興味を持ち、果敢にトライしています。

こうしたテストの得点は、一般的には高いほうが良いものがほとんどです。得点が高いほどその人に能力があると評価され、または適性があると認められるものだと思います。しかし一方で、「テストの得点」と「人の実質的な評価」とは少し違うものであることにもすぐに気付きます。ごく一例を挙げれば、

・学生時代に英語の成績がよく、かつ英語力テストでも高得点の人

・実際に英語でコミュニケーションをとり、ビジネスを進めることができる人

は、(一致することももちろん多々ありますが)時に異なるものです。英語テストなどの「得点」は、英語でビジネスを進めるための一要素にすぎないことがその一つの理由でしょう。

場合によっては、なまじ英語読解などの能力が高いため、文書や公式的意見にとらわれすぎて、現場で交渉相手の真の狙いを読み取れないといったマイナスの作用をもたらす場合もあろうかと思います。少し乱暴な言い方をしてしまうと、「(英語)テストの得点が高いことが、泥臭いコミュニケーションの現場でマイナスになる」ことさえあるわけです。

■客観的な「アセスメント」と目的にあわせた「イバリュエーション」
人の能力を何らかの科学的・客観的な方法によって測定することを「人事測定」または「(人事)アセスメント」と呼びます(※)。業者によって用意されている適性検査や能力測定テストはアセスメント・ツールの一種です。

これに対して、特定の企業、特定の職務において、人の実績、現在発揮されている能力のレベル、将来の可能性などを見定めることを「人事評価」または「(人事)イバリュエーション」と呼びます。昇進昇格・能力給の裁定などに直接つながる指標は、基本的にはイバリュエーションのはずです。

アセスメント(assessment)とイバリュエーション(evaluation)は、日本語にするとどちらも「評価」になってしまいます。現実に、両者を特に区別しない考え方があることも事実です。しかし本来の性質として、両者はかなり異なるものです。

「アセスメント」は、あくまでも客観的に“モノサシ”をあてて測ることです。身長、体重、体脂肪率、視力といった物理的な量や性質と同様に、人の能力や性格、その他の特性を切り取って定量化したものです。人の特性を定量化することは簡単なことではありませんが、きちんと数字で人の能力などを表すことができれば、対象(ここでは人)を客観化することにつながります。特定の組織や関係者の思惑に左右されない普遍性が求められます。

「イバリュエーション」はこれと異なり、“ある特定の目的をふまえたときに”ふさわしい能力や適性があるかを判断することです。もちろんここでもできるだけ客観的な評価基準を持つことが求められますが、より大事なことは「現実に適合するか」だと考えます。つまり、現実の仕事に適した人であるかどうか、現実に業績向上にふさわしい働きをしたかどうかなどを判断することに他ならないわけです。そのとき、アセスメントによる数字は一つの「参考値」にすぎず、定性的な事柄も含めた何らかの総合的な判断が求められます。結果として「A評価」だの「B評価」だのという定量化がされることも多いものですが、それは評価結果をあらためて定量的な手法で表現したにすぎません。

「アセスメント」では、理想的には世界中のどの国のどの組織が測定しても、同じ対象に対して同じ結果が出ることが望まれます(…そんな理想的な人事測定ツールはまずないでしょうが…)。一方「イバリュエーション」では、当事者である組織の事情なり、評価の目的なり、独自性なり、時には属人性なりが入り込んでしかるべきものです。でなければ、どうしてビジネスの現場に即した判断ができるといえましょう。だから国により組織により仕事の内容によって、同じ人でもその評価は異なります。

■人事評価は、手間ひまがかかるもの
経営システムは常に合理性を求めるものなので、何か有効なテストを持ってきてそれを従業員にあてがえば昇進昇格も給与も簡単にはじき出せるといった、そんな万能なツールを求めがちです。しかし、きちんと測定結果を定量化できるアセスメント・テストとは、本質的にその切り口が鋭利なものです。測定内容が一面的で物足りないからといって、「もっと総合的な人材能力を測るテストはないのか」とか言い出す経営者や人事担当者がたくさんいますが、それは「測定」の本質を理解していないことといわざるを得ません。

また、一般的に利用されている適性テストが自社に合わないからといって、「自社にカスタマイズしてくれないと困る」とか言い出すのも困りものです。測定と評価を混同していると、そうした発想につながりやすくなります。

現在の企業社会で、人事評価は人事担当者だけが携わるものではないことは明らかです。日常的に仕事をしながら、部下など(いわゆる「360度評価」の場合は上司や同僚も含め)を評価するのは大変なことですが、組織人としてはできるだけ「納得できる人事評価」をしたいものです。その意味で、人事測定による客観的な判断要素を用意したうえで、自信を持って人事評価をできる環境を整えるべきかと考えます。どうしても手間ひまがかかるものでしょう。それでもなお、組織において人事測定・人事評価のプロセスは欠かせないものと思いますが、いかがなものでしょうか。

※アセスメント(assessment)という言葉の定義は必ずしも一定していません。ここでは「アセスメント≒測定」と定義しましたが、実際には人事評価に近いものを含めてアセスメントと呼ぶこともあります。

「数字で考える「人」「チーム」「組織」入門」

誰でも読んでいただけそうな部分と、少し専門的に入り込んだ部分と、少し極端な要素が同居しています。広く一般的な話題を展開しつつ特定のテーマについてピンポイントで狙いをつけて踏み込もうとしたわけなのですが、結果として成功したかどうか、なんともいえません。

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【明日香出版社刊、2003年】

弊社松山が執筆した書籍です。人材マネジメントといっても、本書ではサッカー、野球、陸上、水泳といったスポーツに関する話題をいくつも盛り込んでいます。…「巨人の星」の星飛雄馬まで題材に用いてしまいました(笑)…。難しいことを考えなくても、人材マネジメントなどまったく専門外の人であっても楽しく読めるようにしたつもりですが、本当のところどうだったでしょうか。お読みになった方があれば、ぜひご意見を伺いたく思っています。

表題通り「数字」で人事マネジメントについていろいろ考えてみよう、というのが大きなテーマです。ただし、人や組織を数字で「規定」してしまおうという考えでは決してありません。狙いはむしろ逆で、数字というツールを使って人や組織を客観的に見つめながらも、その「客観」と当事者の「主観」の違いをきちんと認識し、創造性が発揮できるよう工夫していこうというスタンスを持っています。「客観」と「主観」を区分けるための重要な要素として「人事測定(≒アセスメント)」と「人事評価(≒意思決定・判断に直結するもの)」を厳然と区別すべきことを、本書を通じて強調しています。

そして最後の第6章Section3では、「項目反応理論」(Item Response Theory:略して「IRT」)という得点付けの方法について少し細かく説明しています。表計算ソフトなどを用いた数値解析を行い、具体的にIRTによるテストの点数付けを行った例(小さなモデルにすぎませんが)を示しました。このあたりの記述は、人事測定の専門書を除けば他の書物にないユニークなところだと思います。

第1章 個人と組織の関係を考えよう
Section1 人事・組織とは
Seciton2 人や組織を数字で“測る”とは
第2章 個人の力を高める
Section1 個人の能力を把握するには
Section2 個人の性格を測る
Section3 社会で必要とされる基礎能力
Section4 資格試験/検定試験の利用
第3章 仲間・コーチとの協力
Section1 チームワーク
Section2 コーチング
第4章 チーム作り
Section1 チーム作りと戦略・戦術
Section2 コンピテンシー
第5章 組織の運営
Section1 組織特性の測定
Section2 評価・報酬制度と数値化
Section3 研修・教育のシステム作り
第6章 カリキュラムとモノサシ作り
Section1 人材育成カリキュラム策定の基本
Section2 テストと測定
Section3 項目反応理論の応用