「社会安全システム」

人・社会の安全を守るシステム。関連する情報技術が実用段階に入り、いよいよ身近な生活と関連してくるようになりました。

社会安全システム
「社会安全システム ― 社会、まち、ひとの安全とその技術」
【中野潔(編著)、安藤茂樹、井出明、小林正啓、瀬田史彦、高畑達、田口秀勝、西岡徹、宮野渉(著)、2007年、東京電機大学出版局】

■「安全学」の教科書
大阪市立大学大学院創造都市研究科の教授陣が中心となってまとめられた専門書。「安全とはどんな状態を指すのか」から始まり、安全を守るシステムのあり方を情報技術面、法的な側面、まちづくり・環境の視点などから多面的に論じています。

目次にあるようにさまざまなテーマで安全が語られているわけですが、とくに児童・生徒の安全確保に関する実例や、カメラ・センサーを中心とした防犯システムについての事例・課題などに多面的な観察がされています。

〔目次〕
序章
第I部 社会の安全とまちの安全
第1章 安全学総論
第2章 情報化社会における安全
第3章 法における安全の意味)
第4章 防犯と安全・安心まちづくり
第5章 防災,環境,社会的弱者と安全・安心まちづくり
第II部 まちの安全とひとの安全
第6章 情報通信技術による社会安全システムの現実
第7章 ネットワークロボットの法的問題について
―ネットワーク監視カメラ・防犯カメラの設置運用基準―
第8章 防犯カメラの運用に関する公的規則
第III部 安全のための情報と通信
第9章 ユビキタスコンピューティング技術と社会安全
第10章 防犯・防災および食の安全分野におけるRFIDを中心とする情報通信技術の活用
第11章 情報通信技術による防犯実証実験
終章 安全安心関連およびリスク情報についての社会的伝達における人材育成

■安全確保の“根幹”とは
一般的にはあまり「安全学」という言葉は使われませんが、こうして人と社会の安全に関する事象が学問として体系化されていくところをみるとやはり奥深いものだと思われます。

関連テーマの広さも見逃せません。たとえば、高齢者や子供をモニターする「安否確認サービス」(見守りサービス)がいくつかの側面から紹介されています。

・カメラ(モニター)による映像監視システム
・GPSやICタグを被監視者に持たせた居所確認型のシステム
・ベッドなどに取り付けられたセンサーに連動するシステム
・電気ポットのような生活用品に連動するシステム

それぞれ異なる特徴があるわけですが、いずれも有効なシステムとして運用するためには、次のような要素を考慮する必要があることがわかります。

・センサー技術(状態の監視、行動の検知…)
・検知情報の利用ノウハウ(何をもって安否状態を判断するのか)
・伝達手順(携帯電話、無線、人…)
・プライバシー確保

さらに、ごく一部だけですが、経済面から検討されている個所があります。たとえばある中学校のシステムと関連して次のような試算が示されています。

・保護者が児童生徒の安全システムの利用について負担可能な金額は月額で1000円以下
・システム導入の初期費用は数百万円~数千万円、月額運営費数十万円~百数十万円
・仮に児童生徒500人から月額1000円集めても、初期費用はおろか運営費用さえ賄えない

それゆえ、次のような提言が(同じ中学校の事業調査報告書から)引用されています。

・当面は、行政や公共サービス企業との相乗り
・中期的には、事業リスクを避けるための保険導入
・長期的には、行政や地域住民などが協調して事業を行える枠組み制度の構築

個人的には、こうしたビジネスモデル確立に関わる考察はもっと深く知りたいところがあります。また、何を「標準化」(またはドキュメンテーション化)し、何をシステムに埋め込み「自動化」し、何を「人材教育」に委ねればよいのかといったあたりに興味があるのですが、本書はそれを考えるための枠組みを示してくれているようです。本blogでとりあげている「失敗学」「生体測定」「ドキュメンテーション」「コンビニ」「宇宙飛行」「組織開発」それぞれのテーマとのつながりが感じられました。

広範囲な領域に話が膨らむだけに、本書はそのほんの入口を示しているに過ぎません。また、情報技術の変化は激しいだけに実用情報はすぐに古くなるかもしれません。でも安全確保をするための“根幹”となる考え方は、そう劇的に変化するものではないだろうと推測します。そんな「安全システムを考えるときの拠所」が、こうした研究を通じて体系化されていくことを期待したいものです。

「ストレス測定法」

ストレス測定に関して本格的に学びたい人向けの専門書をご紹介します。前回の記事「身体を測る 09-ストレスの強さを測る」つながりです。

ストレス測定法・表紙
「ストレス測定法 ― 心身の健康と心理社会的ストレス」
【Sheldon Cohen、Ronald C. Kessler、Lynn Underwood Gordon(編著)、小杉正太郎(監訳)、1999年、川島書店】

■深く研究したい人向けの入門書
原題は”Measuring – Stress A guide for Health and Social Scientists”(1995年刊)。

〔目次〕
第1部 ストレスの概念化・ストレスと疾患との関係
第1章 疾患研究におけるストレス測定方略
第2部 環境的視点
第2章 チェックリスト法を用いたストレスフル・ライフイベントの測定
第3章 インタビューによるストレスフル・ライフイベントの測定
第4章 日常的なイベントの測定
第5章 慢性ストレッサーの測定
第3部 心理学的視点
第6章 ストレスアプレイザルの測定
第7章 感情反応の測定
第4部 生物学的視点
第8章 ストレスホルモンの測定
第9章 心臓血管系の反応の測定
第10章 免疫応答の測定
付録1 本書で言及されている尺度
付録2 わが国で開発、翻訳、発表されている尺度

目次をみるだけでも「読みこなすには気合がいりそう」と思いますが、まあ専門書(しかも翻訳物)ですので仕方がありません。

■測定の理論的背景
本書では、ストレスを測るための理論的な大枠として次のようなモデルが示されています(第1章 図1.1 を思いっきり簡略化したもの)。

(1) 外部・環境から刺激が加わる

(2) 刺激をどの程度敏感に受け取り、受け流すか

(3) 身体や心に隠し切れない影響が現れる

このそれぞれの段階で、ストレス測定が考えられるということになります。

■環境面、心理面、身体面からの視点
(1)ストレスをもたらす要因ごとに影響力を測定
外部・環境から刺激が加わると考え、それぞれの影響度を測定します。例えば、次のような事柄について一般的にどのくらい強いストレスをもたらすかを尺度化しておくわけです。

・人生のイベント:「引っ越し」「昇進・降格」「勤める会社の倒産」「定年退職」「離婚」「配偶者の死」…
・日常的な事象:「仕事で叱責を受けた(褒められた)」「運動した(しなかった)」「天気が悪い(良い)」…
・慢性的なストレス要因:「常に締め切りに追われている」「仕事に飽きてしまった」「同僚とそりが合わない」…

(2)対象者ごとに、ストレスから受ける強さを評価する
同じストレス要因(刺激)であっても、人によってその受け止め方の度合(自覚的または無自覚的な評価…「アプレイザル」と呼んでいる)は大きく異なり、それによって生じるストレスの強さに大きな差が出てくるとしています。そこで、各人にとってのアプレイザルを測定しようということです。

アプレイザルの測定は、例えば「次に挙げる事柄を-3点(非常に強い否定的なインパクトがある)~0点(特にインパクトなし)~+3点(非常に強い肯定的なインパクトがある)の間でチェックしてください」とかいう質問を対象者に投げかけて、その答から行うことになります。

その結果、もともとのストレス要因が持つストレスレベル((1)で測定した値)と、その人が受けるストレス(アプレイザルの値)を足したものが総合ストレスレベルになる、といった説明がされています。

(3)身体や行動への反応、疾患の様子など、現象からストレスの強さを測定する
これが、前回の記事で触れた「唾液からストレスレベルを客観的に測る」とか「自律神経系のデータからストレスレベルを判定する」といった方法です。ストレスマーカーとなる物質(主としてホルモン)は多数あるものの、測定値の解釈にはかなり注意が必要であることなどが説明されています。

■実用サービスの可能性
この本の原著が出たのがすでに10年以上前。その後実証的な研究が盛んに進められている(らしい)ことから、もしかしたら近い将来には、物理的なストレス測定手段が今よりずっと多数開発されているかもしれません。それを期待させるような、研究領域の豊かさを感じることができます。

個人的に面白かったのは、第7章で「感情の測定」「気分の測定」なんてものにも言及しているところでしょうか。感情を計量的にとらえることの難しさや限界などもふまえたうえで、その可能性や考え方の枠を示しています。面白いテーマですが、さすがに専門的すぎて、私には本当のところよくわかりませんが…。

素人考えですが、現代のコンピュータを利用したパターンマッチングの技術の発展とあいまって、意外に高度な仕組みが実現できていくのかもしれません。いかがわしいビジネスとしてではなく、かといって過剰に大げさ(高価すぎたり、専門家でしか扱えなかったり)でもない機器やサービスが、これからビジネスとして成り立つ余地があるように思われます。

身体を測る 09-ストレスの強さを測る

人の「ストレス」は、物理的な方法と心理テスト的な方法という異なる側面から測ることができ、それぞれ長所短所があります。

ストレス
〔ストレスの種類と測り方〕

■精神状態を物理的に測る
多くの場合、「人の身体的な特性」や「身体的能力」は物理的に測るのが適当である一方、「精神的な特性」は心理テスト(質問法)のように少し主観的要素の入った測定にならざるを得ないのが普通です。たとえば体脂肪率は、本人にたんに質問したところであまり正確な答えは期待できませんが、体重と身体の電気抵抗を物理的に測定することで割り出すことができます(BIA法の場合)。逆に計算能力とかは、物理的に身体のどこかを測ったところでたぶんあまり意味がありませんが、計算テストをすればかなり正確にその能力を測定できます。

人の感情や精神的状態についてはどうかとなると、基本的には心理テストによる測定のほうが向いていると思われますが、同時に、感情などが身体に及ぼす影響をうまく見極めることで測定できることがあります。昔からある「ウソ発見器」などまさにその部類でしょう。コンピュータによるパターン認識技術が発展した現代では、人の発する声から自動的にその人の感情を判断するシステムなども実用化しています。

ただ、ウソ発見器はモノによっては信頼性が低いとか、かりに信頼性が期待できるものであっても被験者がウソ発見器を騙す術を身につけていることがあるとか、問題が残ります。また、感情判断などでは、研究レベルでかなり高い技術があっても手に入れるのが高価だったり、測定条件が限定されていて実用上の制限があったりと、手軽に利用できるまで至っているものは少ないでしょう。

そんななかで少し面白い位置づけにある(実用化まで進んでいる)と思われるのが「ストレス」の測定です。ストレスの強さを身体の物理的状態から割り出す技術が結構進んできています。

■唾液からストレスの強さがわかる
たとえば「COCORO METER」(ニプロ)は、大学の研究室と共同で開発したストレス測定器です。製品化、それも普及型まで至ったものとして一部で注目されているようです。舌の裏にアイスクリームの棒のような薄い測定用チップをあてて唾液を採取し、そこから唾液アミラーゼを計測。アミラーゼの量からストレスの強さを測定します。2万円強で本体を手に入れることができる手軽な機械なので、ストレスの簡易判定に向いているようです。

参考:生体測定 製品・サービス一覧

唾液からストレスの強さを測定する方法は、アミラーゼがストレスの強さと強い相関関係があることが科学的に確かめられていることから可能になっているわけです。こうしたストレスの証拠となる物質(ストレス・マーカーと呼ばれる)としては、唾液から検出されるアミラーゼのほか、コルチゾール(唾液や尿、血漿から検出)、アドレナリン(血漿から検出)など何種類かあります。

自律神経(交感神経、副交感神経)の強さを体組成計と同様の方法で測定し、そこからストレス状態を判断する手法を応用した装置もいくつか実用化されています。「身体を測る 08-心拍はゆらぐ」でも触れましたが、心拍変動からストレス測定につなげることも可能です。
(念のため…。世の中にたくさんあるストレス測定器と称するものには、少しいかがわしいというか、どこまで信頼できるものか疑わしいものもあるようなのでご注意を)。

■身体測定と心理測定の両面から判断
ストレスの測定は、職場などで行う心理テストでも、古くから1要素としてとりいれられています。たとえば質問紙に次のような項目が数多く並べられていて、それにYes/Noで答えたりします。

・あなたは仕事をしているとき、時間内に処理しきれないほどの負担をよく感じますか?
・あなたは最近、仕事で気が張り詰めていることがしばしばありますか?
・あなたは自分のペースで仕事のやり方を決めることができていますか?

これらの回答の結果からストレスの度合いを判断できるとされています。性格判断のための心理テストと組み合わせて、職場内の適切な人員配置などに生かしている実例は多数あります。

まあ、たとえば上に挙げた心理テストの類については、毎日必死に働いているビジネスパーソンの場合「Yes」ばかりついてしまうのが当たり前だったりもします(上の例で言えば3つ目は「No」)。心理テストによるストレス測定は、その職場環境とか、被験者の年齢やプロフィルとかも考慮に入れなければなりません。

そして心理テスト、質問紙を通じた測定法の場合、主観的な要素が必ず入ってくることは避けられません。客観性という意味では
1. ストレス・マーカーによる測定
2. 心拍、自律神経系の測定からの類推
3. 心理テスト
の順に落ちていくといえます。

また、時間的に変化するストレスの強さを随時測定できるという意味では、
1. 心拍、自律神経系の測定からの類推
2. ストレス・マーカーによる測定
3. 心理テスト
の順に有効だといえそうです。

ストレスそのものがおそらく1次元で測定できるものではなく、心理的ストレス、身体的ストレス、その他(職場環境、対人関係など)から多面的に分析されなければならないものだと思われます。多面的な分析につながるという意味では、たぶん
1. 心理テスト
が優れているといえそうです。もしくはそれに代わる判断ステップが必要となるでしょう。

■心理測定につながる可能性と問題点
少なくとも1種類の物理的測定は純粋な測定でしかなく、評価(イバリュエーション)はおろか、アセスメントとしても不十分なのかもしれません。見方を変えると、心理面と物理面という異なる側面からの測定が実用化していることで、それだけ多面的なストレス・アセスメントができうるといえるのでしょう。

なお、個人がストレスを測定したいというとき、それ自体が時には非常に主観的な意図 ―― たとえば「自分が苦しく思っていることをたんに誰かに認めてもらいたい」ためにストレス測定したいと考えること ―― もあることでしょう。そんな人にとっては、ある意味で高い客観性と信頼性は求められません。この場合「自分の思ったような結果が出てくれる、なんらかの納得できるストレスの存在証明」があればよいわけで、正しい測定値が出るかどうかは二の次の話かもしれません。

ストレスに限らず、性格、行動力、コンピテンシー測定など、人の心と関わり始めたときに同様の問題が必ずでてきます。このあたりが、心理測定に関連した、大変に難しい問題点といえます。

▽追加記事:
「ストレス測定法」

昭和レトロ 4-和惣菜と懐かしさの組み合わせ

和惣菜と「昭和レトロ」は、誰が考えても相性が良い組み合わせだと思われます。落ち着いた雰囲気が店舗作りに生かされているようです。

高見屋
〔ゴハンノオカズ 高見屋(北千住丸井)〕

■和惣菜と“懐かしさ”のイメージの取り合わせ
居酒屋」「定食店」に続き、今度は昔風の店作りをした惣菜店をご紹介します。

写真は、北千住丸井にある「ゴハンノオカズ 高見屋」の店舗写真です(写真そのものは数年前の撮影で、現在はディスプレイなど少し異なっています)。この店はベーシックな和惣菜を中心にして、さらに焼き魚や煮魚の種類を取り揃えている惣菜店で、“昔懐かしいオカズ”というコンセプトが店舗作りにも反映されています。中心となるお客さんは40代以上の女性と思われます。

「昭和」という括りではなく「江戸の味」という呼び方をしている点で本blogの切り口「昭和レトロ」とは少し異なるかもしれませんが、消費者が持つ懐かしさを醸し出していることに違いはありません。なお「ゴハンのオカズ 高見屋」はここだけで、チェーン店として展開しているとはいえません。といいますか、銀座三越、新宿高島屋、池袋東武など“デパ地下”に複数の店を構える和惣菜店「おふくろの味 高見屋」が基本形で、その別フォーマットといったほうがよいでしょう。同店の経営主体は、主に築地で卸売・小売を手がける北田水産です。

■和のおかずに“昔風”は当たり前すぎ?
同じように懐かしさを前面に出している和惣菜店はいくつかあります。多店舗化している店でいえば、アトレ大森、そごう柏、そごう大宮、船橋西武などにある「大森オカズ本舗」(佃浅商店)がその例でしょう。「大森オカズ本舗」は高見屋同様、デパ地下(上野松坂屋、銀座松坂屋、大井阪急など)にベーシックな和惣菜店を展開する「佃浅」の別フォーマットです。ほか、個店の惣菜店でレトロ風な店構えの店となると、おそらく多数あるはずです。

ただ少し謎なのは、“懐かしさ”が必ずしもこれら惣菜店のコンセプトと強く結びついていないように思われる点です。私的な感想として、たとえば「大森オカズ本舗」の某店は、当初かなり昭和の懐かしさが強い店作りと商品が置かれていたように思えましたが、数年した今は普通の惣菜店と大して変わらない商品の品揃えとイメージに落ち着いていってしまったようにみえます。「ゴハンノオカズ 高見屋」にしても、“レトロ感”は顧客層を広げることが狙いではないようです(どちらかというと「既存の顧客層に安心して購入してもらうためのイメージ作り」といった意味)。

多数の店舗を見て回っているわけではないのであくまでも限られた範囲での感想に過ぎませんが、ベーシックな和惣菜と昭和レトロの組み合わせはあまりに当たり前すぎるのでしょうか。もしくは、和惣菜はずっと受け継がれているイメージ(言葉は悪いかもしれませんが“古臭いイメージ”)が特に若い人たちにはあるので、あえてレトロ風を前面に出しても効果が少ないということなのでしょうか。

デパ地下の惣菜店一般としては、新しい時代のイメージが強い「柿安ダイニング」(柿安本店)や「RF1」(ロックフィールド)が広く成功しています。もしくは、「なだ万厨房」(なだ万)、「美濃吉」(美濃吉食品)といった関西風、特に京都風の高級イメージのほうがインパクトは強いかもしれません。名古屋に本拠を持つ「まつおか」(まつおか)なども、関東で増えています。

それらに比べると、関東風・江戸風の見せ方は(少なくとも関東人にとって)懐かしさの度合いが弱すぎるとも言えなくありません。日常的に食する和惣菜を求めるお客さんの集客を狙うか、ハレの時の高級和惣菜を求めるお客さんを狙うかでも少し違うでしょう。いずれにしても、店の雰囲気や見せ方だけでなくもう一つ工夫が必要なのかもしれません。

銅板建築 3-また1軒消えた!

最近まであった銅板建築の家が、また1軒解体されてなくなってしまいました。貼ってあった立派な銅板はその後どうなったのか、気になります。

消えた銅板建築
〔ある銅板建築物、解体前後の写真〕

■100軒を超えた銅板建築リスト
記事「銅板建築 1-“昭和元年”が次々消えていく」を書いて以来、機会があるごとに銅板建築の写真を撮影し、銅板建築一覧に追加掲載してきました。半年あまりで掲載写真は100枚を超えました。都内だけで100軒を軽く超える数の銅板建築が現存していると証明されたことになります。

これまで移動の合間などに銅板建築を見つけて写真を撮るだけで、銅板建築がある場所にそのためだけに出向いて写真を撮ることはまれでした。あるとわかっていてもリストアップしていない銅板建築はまだ多数存在しています。それらを網羅するためには、意識的にそういった地区に出向かなければならないかもしれません。「ここに銅板建築があるよ」という情報がありましたら、ぜひお知らせください。大歓迎です。

もう一つ気がかりなのは、撮影した銅板建築がいつの間にかなくなっている可能性があることです。冒頭の写真は品川区某所にあった銅板建築の住宅で、昨年暮(06年12月末)には前と変わらず建っていたはずの家が、あっという間に取り壊されて駐車場と化してしまいました。また1軒、昭和の風景がなくなってしまったことになります。これ以外にも1~2軒、すでに消滅している銅板建築があるかもしれません。

■貴重な銅資源
ここ数年、鉄、アルミ、銅など金属の需要が世界的に膨らみ、価格は高騰したようです(今現在は少し落ち着いているようですが)。日本国内でも銅線が大量に盗まれるといった犯罪が起きているそうですね。今や銅というだけでも立派な資源。解体後の銅板にはさらに付加価値も緑青も(笑)付いているわけですが、その後どう処理されていったのでしょうか。

建築廃棄物の処理は相当厳密に規定されています。排出事業者がその後の処理の行方について基本的な責任を持っているとともに、処理経過は「マニフェスト」と呼ばれる管理票で記録されます。記録として必ず残っているはずなので、解体された銅板がその後どうなっていくのかも調べればわかるのかもしれません。基本的な金属資源がリサイクルされる割合は相当に高く、銅はほぼ100%リサイクルされるとも聞いています。

写真の建物はすでに老朽化していたようでしたので、遅かれ早かれ取り壊さざるを得なかったでしょう。何でもかんでも古い状態で残ればよいとはもちろん思っていません。でも、以前の記事でも触れたように、この家に貼ってあった年季の入った銅板を、金属資源としてのリサイクルでなく、歴史的建材のリサイクルとしてそのまま“昭和レトロ”風の店に転用できたら、きっと味のあるものになるのではないかと思うわけです。

ただし銅板は内装ではなく外装なので、居酒屋や定食店の店内とかに持ち込むものではないでしょうし、中途半端に外装に銅板を貼っても汚くみられるだけかもしれません。なかなか難しいのか…。

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