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高田瑞穂著「新釈現代文」

30年くらいぶりに文庫として復刻された参考書。「大学入試用」とされていますが、もっとずっと広い読者に役立つ書籍だと思われます。さまざまな文章表現について、その読み取り方のコツを掴めるかもしれません。社員教育にも…?

新釈現代文カバー
〔旧版「新釈現代文」カバー、価格は450円〕

■50年前の参考書の復刻
実は30年以上前に購入した版を私(松山)は未だに持っていて、しかもしまい込まず、手にとって読める本棚にずっと置いてあります。でも、この本が世の中で「伝説の参考書」と呼ばれていたことは、今日までまったく知りませんでした。個人的な意見を先に出すと、「文章で表現された何がしかの“考え”を掴み取るコツ」を解説した解説書兼トレーニング本だと思っています。

「新釈 現代文」(ちくま学芸文庫)【高田瑞穂(著)、筑摩書房刊、2009年】

「新釈 現代文」【高田瑞穂(著)、新塔社刊、1959年】
〔旧版の目次〕
第一章 予備
一、公的表現
二、筆者の願い
第二章 前提
一、問題意識
二、内面的運動感覚
第三章 方法
一、たった一つのこと
二、追跡
三、停止
第四章 適用
一、何をきかれているか
二、どう答えるか
三、適用
後期にかえて
一、近代文学をどう読むか
二、近代文学の何を読むか

復刻版はまだ見ていませんが、内容的な違いはないという前提で上の目次を挙げました。本書の軸となる部分は、

・問題意識を持ち
・内面的運動感覚を発揮して
・筆者の足跡を追跡していく…

という手法です。入試現代文の読解対策が目的ですが、非常に基本的な考え方であるがゆえに、実際にはもっとずっと応用の利くものであると考えられます。近代文学の範囲に留まらず、ビジネス文書や新聞記事の解読の基礎にもなりえます。もっと勝手に拡大解釈してしまうと、外国語の読解にも、聴き言葉(ヒアリングにおける相手の主張の読み取りなど)にも、やはり同じ原則が適用できるように思えます。

私にとって「国語」は専門外かつ興味薄な科目でした。また“入試(テスト)対策のための勉強”というものには学生時代から今に至るまでかなり懐疑的で、参考書やノウハウ本の類を積極的に読むことはあまりなく、不要になったらすぐに捨ててました。教科書だってもちろん残っていません。にもかかわらず、本書を読んで感じるところがあり、30年以上も捨てずに手元においていたわけです。おそらく10代半ばに購入して今も保存している本は、何冊かの小説を除けばこれ1冊だけだと思います。

たんなる「文章読解ノウハウ」のようなものを期待してこの本を手にしたら、失望するかもしれません。文章構造の解析テクニックなら、他にさまざまな解説書があることでしょう。試験のテクニックとしても、数多の参考書があることでしょう。でも、小手先の話とか目先の損得ではなく「人の意見をよく汲み取る」といったもっと本質的な姿勢を整えようとするとき、立ち返る原点のようなものを本書から得られるかもしれません。

数年前にこの本のことをネット上で検索したとき、まったく何の手がかりも得られなかった記憶があります。それが思いもかけず復刻されていた…、この本を高く評価する人たちがたくさんいた…、ことを初めて知って、大変驚いています。ページ数は(旧版で)180ページ弱。肝となる部分の解説はせいぜい50ページ程度の薄い本です。一般のビジネスパーソンの基礎訓練テキストとしても成立するのではないかと、かねがね思っています。

脳測定とマーケティング

言葉のアンケートに頼らざるを得なかった立場の人たちにとって、客観化された脳の反応は頼りにしたくなるはずのものです。科学者ではなくビジネスの立場、あるいは広告の立場から、いくつもの書籍が出版されてきています。

「買い物する脳」「脳科学から広告・ブランド論を考察する」
〔「買い物する脳」「脳科学から広告・ブランド論を考察する」〕

■ニューロマーケティングで消費者の本音はつかめるのか
広告というものは不思議なもので、テレビCMなり吊広告なりを「実際に見た」ことと「見たような気がする」ことと、違いがでます。また、意識の上で「好印象を受けた」ことと無意識の中で「拒否感を持つ」こととが同居していたりして、消費者の本音というものがなかなかアンケートなどではつかみにくいものです。

そんな消費者(視聴者、利用者)の反応を言葉ではなく身体の変化で確認することは、商品やサービス、ブランド、クリエイティブの質を測定する一つの重要な要素です。過去、(脳波を除けば)人の瞳孔の動き、脈拍・呼吸、皮膚の電気反応くらいしか物理的な測定ができる手段はなかったかもしれません。記事「身体を測る 11-脳の非侵襲的測定」で書いたように脳内の活動度を直接的に細かく測ることができる機械が発達し、広告やマーケティング関係者がこれらに目を向けないはずはありません。「ニューロマーケティング」と呼ばれています。

冒頭の2冊はいずれもこの分野に関するテーマの本です。

■日本の広告代理店も関わるビジネスの本
左の本は、ニューロマーケティングをビジネスにしている米国の会社の経営者が書いたものです。研究者ではなく当該ビジネスに携わっている方自身の著なので、当然ながら自社PR的要素が頻繁にでてきますが、内容としては理解しやすい事例が多数挙げられています。

たとえば買い物をするときにはミラー・ニューロンという脳の一部が反応し、ドーパミンに促されて「つい買ってしまう」ということになるのだとされています。会社のロゴより、商品を連想させる画像を見せることの方がよりその商品への購買意欲をかきたてるとのことです。また、携帯(ノキア)の有名な着信音が、ブランドと良い相乗効果を起こすというより、むしろ否定的な反応を強く起こしたという結果は、興味深いところです。タイミング悪くかかってきた電話などの経験と着信音が結び付けられてしまい、かえって不快感を呼び起こされてしまうとの分析です。

「買い物する脳 驚くべきニューロマーケティングの世界」
【マーティン・リンストローム(著)、千葉敏生(訳)、2008年、早川書房】

この著者の会社は、日本では大手広告代理店の博報堂が提携しています。fMRIと脳波計(EEG)を用いたニューロマーケティングのビジネスを広げようという目論見のようです。

■無意識的なプロセスを喚起する広告とは
右の本は、国内のアートディレクターによりまとめられたものです。広告人的な表現も交じっているためか言葉の定義が多いためか全体的に少し読みにくい感触がありますが、従来型マーケティングに携わってきた人に新たなヒントが示されるかもしれません。

たとえば日本の広告界では「広告を確かに見たか」といった意識的な注目率をチェックはしても、人の「情動」に深く関わっている無意識的な認知プロセスは無視されがちだとこと。その「無意識的な認知プロセス」はほんの数ミリ秒という短い時間で形成される、といった仕組みが解説されています。採り上げられている広告のほとんどはかつて著者が制作したもので、いくつか実際の広告効果が提示されています。

「脳科学から広告・ブランド論を考察する」
【山田理英(著)、2007年、評言社】

この2冊に限らずニューロマーケティングについては、医学的な知識がないと理解しにくい説明や著者の基本的な考え方によって互いに矛盾するような解説もあります。まだまだこれから解明されていく要素が多いのでしょう。いくつかの仮説はこれまでは検証不可能だったかもしれませんが、脳科学のツールの進歩により証明できるようになっていくのかもしれません。

■仮説を客観的に検証できるかも
もっとも、科学者ではない立場から書かれているこれらの主張や活動は、真摯な脳科学者にとって“噴飯モノ”のところも多いでしょう。前回の記事で触れた“神話”もどきがあちこちに垣間見られるからです。

しかしビジネスや広告の現場にいる人にとっての価値観は科学者とは異なります。いくら科学的に正しいことであっても実務から離れた真実はほとんど役に立ちません。一方科学的には曖昧だったり矛盾したところやいいとこ取りがあったりしても、現場で役立つ道具には大きな価値があります。本質的に両者が異なるということはないはずですが、現実にはどちらの見方をするかでとてつもなく大きな溝があるといわざるをえません。

広告に対する脳の反応パターンを単純に測っても、何も見出すことができないか、少なくとも無限に近い選択肢から何かを発見するかのような意味のない研究になってしまうでしょう。しかし一方で、あらかじめ何らかのマーケティング仮説または調査の手がかりを持ち、それを検証するために脳の反応を調べるということであれば、ニューロマーケティングの手法を用いることで有効な判断ができるのではないかと考えられます。

身体を測る 11-脳の非侵襲的測定

脳の内部を客観的に測る装置として、fMRI、NIRSなどいくつもの測定器が普及しています。医学的な用途に限定されず、マーケティング、心理学、社会科学などさまざまな分野に応用されつつあります。ただし新たな“迷信”には騙されないよう。

脳測定
〔主な脳の内部測定機比較〕

■次々に研究される脳の内部
脳の内部を測定し画像などに投影する検査手法(脳イメージング技術)が、ここのところ注目を浴びています。脳を外科的に切り開くのではなく、電磁波や近赤外線などで非侵襲に測定できる技術で、行動と脳番地などとの関連を調べることができます。

これらは、例えばある種の心理学テストとか、アセスメント、アンケートやヒアリングを介した広告効果の測定といった方法に比べ、明らかに客観的な測定です。なにせ人間は、アンケートなどの答では意識的、無意識的にたくさんのウソをつきます。科学的定量的に測定しているつもりであっても、言葉を介した測定では本当の本音が埋もれてしまいかねないものです。それに比べると、脳の物理的な変化を直接汲み取った結果は、測定という意味においては確かに客観的です。

冒頭の表は次の6種類の装置(手法)を比較したものです。
・fMRI(機能的磁気共鳴画像法 :functional Magnetic Resonance Imaging)
・NIRS(近赤外線分光法 :Near InfraRed Spectroscopy;光トポグラフィー)
・PET(陽電子放射断層撮影法 :Positron Emission Tomography)
・X線CT(X線コンピューター断層撮影装置 :X-ray Computed Tomography)
・MEG(脳磁図 :Magnetoencephalography)
・脳波(EEG :Electroencephalogram)

それぞれ長所短所あります。fMRI、PET、X線CT、MEGの場合は、大きな測定装置の中に頭や身体を入れてじっとしていることが求められます。PETとX線CTは放射線による被曝が多少なりともあるという意味で、完全な非侵襲とはいえません。NIRSや脳波は、細かいイメージ解析というより、頭に10~30個つけたプローブ(センサー)単位での測定です。

MEGは装置が大げさな割に空間分解能が低く、医療的目的で使われることが多いようです。医療的な目的でない場合、被爆があるPETとX線CTは選ばれません。残るfMRI、NIRS、脳波計について、概ね次のように使い分けられているようです。

(a)少し大げさになってもよいから、何かの作業に対して脳のどの部位が反応したかといった細かい関係を分析したい → fMRI
(b)人間の行動を前提とする場面(例えば広告やコンテンツに対する反応を見ながら、リアルタイムでその反応を調べるといった場面)を想定 → NIRSまたは脳波測定

■気をつけたい「脳科学の迷信」
先にも触れように、脳内の物理的測定は「測定という意味において客観的」でしょう。でも、脳内物質の単なる数量化が直接意味のある何かを示しているとは限りません。条件次第で「アセスメント」になりえますが、「イバリュエーション」ではありません。測定結果を意味のある解釈につなげたり、現実の評価の根拠としたり、人の能力育成に反映させたりするには、事例ごとに注意深く準備し判断する必要があるはずです。

世間では「脳科学」というキーワードが花盛りです。上のような研究が進んできたことを受けて、専門家だけでなく一般の人も脳についての関心を高めているわけです。しかし一方で、一般受けする話は少し間違うと似非科学に陥りかねません。神経神話(neuromyths:ニューロミス)、ようするに現代の“迷信”がこれから山のように生み出され、それを信じてブームらしき傾向もでてくるでしょう。テレビのドラマやバラエティで採り上げられているいわゆる“脳科学”はこの種の神経神話ばかり、という批判も少なくありません。

似非科学とまではいわなくても、次のようなことは避けたいものです。
・測定結果から短絡的に結果を導いたレッテル貼り(性格や行動傾向の決めつけ)
・脳トレの他人への強要

くれぐれもご注意を。

▽参考図書:
「脳科学と心の進化」(心理学入門コース7)
【渡辺茂、小嶋祥三(著)、岩波書店、2007年】

「神経科学 ― 脳の探求」
【ベアー、コノーズ、パラディーソ(著)、加藤宏司、後藤薫、藤井聡、山崎良彦(監訳)、西村書店、2007年】

「図解入門ビジネス ロジカル・ライティングがよ~くわかる本」

ビジネス文書をわかりやすく書くための技術がコンパクトにまとめられている実践書。「論理的でわかりやすい文書」を書きたいと考える方に役立つ本でしょう。報告書や提案書の組み立て方を事例とともに解説している点などが特に役立ちます。

ロジカル・ライティングがよーくわかる本
【高橋慈子(著)、2009年、秀和システム刊】

■具体的事例から気軽に読み進める
「ロジカルな考え方」というものを大上段に振りかざした書籍は世の中にたくさんありますが、本書についてはあまり構えて考える必要はありません。タイトルからして「ロジカル・ライティング」の基本を示している本ですが、抽象論でなく事例を主に解説されていて、気軽に読み進めることができます。簡易トレーニングブックのような位置付けにも、実際に文章を書くときに横において参照するハンドブック的な役割にもなりそうです。

〔目次〕
第1章 「ロジカル(論理的)」である強みを知ろう
第2章 ロジカル・シンキングの基本を体験しよう
第3章 ロジックを「見える化」しよう
第4章 ロジックを「文書」に落とし込もう
第5章 わかりやすく簡潔に──ライティング技術1
第6章 文章の説得力を高める──ライティング技術2

大きく分けると、第1~3章が「論理的に考え方をまとめる」ための意識付けとテクニック、第4~6章が「考えを文章という表現に変えていく」ための構成方法やテクニックの解説です。

たとえば第4章では「議事録」「報告書」「提案書」について、ロジックの組み立て方から具体例の提示などが示されています。オーソドックスですが、あらためて読んでみると参考になる説明が書かれています。

当サイトでは以前「ビジネス能力検定1級テキスト」というテキストをご紹介しました(この記事を書いている弊社松山は著者の一人)。同テキストシリーズに盛り込まれているビジネス・ドキュメントの各実例が参考になることを記しましたが、文書作成に至る流れや具体的説明のきめ細かさについては、こちら(高橋さんの本)の方がしっかりしているでしょう。

■身体で覚えている暗黙知を文書化するには?
以下、本書のテーマからは少し外れるかもしれません(いつもながら、書評そのものではなく別の話に膨らんでしまうことをお許しください)。

ビジネスと言ってもさまざまな現場があります。日常的に多種類の文書を作ることが仕事となっている企画・マーケティング・財務といったデスクワーク主体の職種、コンピュータのプログラマー、データ解析を日常的に行っている技術職など、それぞれ高度な文書作成能力を必要とします。そんな方々には本書をはじめとしたロジカル・ライティング、ロジカル・シンキングの指南書は、けっこう実践的なものになります。

一方で、工場や店舗、出先など現場で働いているフィールド・ワーカー、技(技術でなく技能)を肌で獲得しながらそれを次世代に伝える役割も持つ職人、感性の世界で日々仕事を進めているクリエーター…。そんな方々の頭と身体の中にある暗黙知を、一部だけでもよいから文書などの形式知になんとか落とし込みたいという場合、アカデミックな匂いのする解説書はほとんど役に立たないことが多いものです。

「もやもやしている頭の中をうまく整理する」という以前に、そもそも言葉として表現できるのかとか、できるとしても現場で役立つ表現になりうるのかとか、前提条件からして不確定です。しかも、現場仕事の片手間にそんな難しい文書作成をすることなどとてもできそうもない…

本書のような実践書なら役立つ手がかりが含まれていそうですが、それでもなお“技の表出”に至るまではステップが必要になります。今後急速に進むと推測される熟練技能者の大量定年を前に、そんな「現場に密着した暗黙知の形式化」につながるドキュメント作成ノウハウが整理されていってほしいものです。

▽関連記事:
技の伝承と人材育成1(JILPT調査より)

インシデント・プロセス

事故(アクシデント)につながりかねない出来事(インシデント)に気づき、必要な情報を集めて処置をする。事例を基にした演習手法の一つで、教育訓練に利用されています。さまざまなバリエーションがあります。

インシデント・プロセス事例研究法
〔インシデント・プロセス事例研究法〕

■ケーススタディ的な訓練手法
インシデント・プロセス(Incident Process)とは事例演習の一つで、“問題が起こりつつある状態”または“ある発生した出来事”が知らされ、そこからさらに必要な情報を収集、分析して問題解決を行っていく手法です。一般のケーススタディのように背景事項などを含めた長い事例説明文が提示されて、じっくり読み込んでから解決策を探っていくという方法と違い、当初は「組織図と、半ページ程度の長さの事例文または画像やロールプレイ」だけで演習を開始します。必要な情報は(講師や当事者への)質問を通じて自ら探していくことが求められます。

少し前に「インバスケット・ゲーム」と呼ばれる演習を解説した専門書を当サイトの記事でご紹介しました(「管理能力開発のためのインバスケット・ゲーム」)。いずれも20世紀半ばに米国で開発されたケーススタディ的な教育・訓練法という位置付けから、インバスケット法とインシデント・プロセス法はよく並んで説明されます。

ちょっと変わった演習ですが、運用方法によっては事前準備が比較的少なく済むとともに、結構実践的で役立つものになりえます。一般には、中間管理職層のマネジメントスキルまたはヒューマンスキル向上を目的に用いられます。

原型は、この手法の開発者(Paul Pigors)の名をとり「ピゴーズ・インシデント・プロセス」(PIP)と呼ばれます。冒頭写真の書籍「インシデント・プロセス事例研究法」の著者がピゴース氏です(この書籍は絶版となっているので手に入りにくくなっています)。もっとも、元の手法をそのまま実際の演習形態に持ち込もうとしても今の時代に必ずしも合っていないところがあり、さまざまなバリエーションができています。

■PIP:5段階の事例分析
PIPは、次のような性質をもつとされています。
・体験学習であること
・扱うケースはすべて実際に起こったことでなければならない。事実でないことをわずかでもでっちあげない(フィクション不可)。推測を事実であるかのように言わない

分析は次の5段階で進めるとされています。
1) 事例が提示される(ささいなインシデントに気づく)
2) 必要と思われる事実を集めてまとめる(事実を補完して関連づける)
3) 処置すべき問題を決める(直ちに処理しなければならない課題を明確にする)
4) 決心と理由を述べる(代替案から適切なものを選び出し、意思決定をする)
5) 教訓を考える(全体を振り返る、長期の組織目標を考える)

最後の段階では、「今」処理すべき課題だけでなく、前提となっていた「方針」レベルで考えて根本的な対策を描くことが求められます。演習を繰り返すことで、長期的に社員の経営管理能力を開発できるとされます。

一方PIPの欠点としては、次のような点があるとされます。
・教育効果ははっきりしない部分が多いこと
・講師やリーダーの力量、受講生からの信頼度、受講生の学習意欲の盛り上がり方などに成果が左右されること

この演習には思いのほか“深さ”があり、とくに利用者が繰り返し経験することによって、教育の焦点が変わっていくことが特徴とされます。本書では次のように説明されています。
・第1期は題材となっているケースそのものへの興味
・第2期はPIP法の5段階テクニック(研究方法)を使うことへの興味
・第3期は事例研究そのものが一つのケースであるということの興味
・第4期は日常への適用

ようするに、個々の事象の問題解決から入った後、手法の使い方そのものに興味を持ちはじめ、ひいては研修という特殊な場から日常的な業務の場に応用できるということでしょう。

■特定のテーマに絞った応用ができないものか
私見ですが、演習の性質からすると、「一般的なマネジメント」といった内容より、限られた環境や特定のテーマを前提とした中での訓練に向いているのではないかとも思われます。技能・技術研修の一部としても有効なのではないでしょうか。ほんの一例にすぎませんが、
・専門的機械の運用技術の伝達
・航空機など乗り物の操縦技術の向上
・情報セキュリティ管理能力の向上
・熟練加工技能の可視化
など、目的を絞った研修に応用が利くかもしれません(あくまでもアイデアレベルの話です)。

なお、インバスケットと同様、インシデント・プロセスを(教育訓練ツールとしてではなく)アセスメント・テストとしての位置付けをもたせることもできます。ただしその場合、元祖PIPの枠組みでは不可能でしょう。たとえばフィクションの世界の中で題材を用意すること、さまざまな質問をあらかじめ想定して情報収集方法を組み立てること、グループ討議によらない個人単位での解答方式を用意すること、などの準備が必要になるでしょう。セミナー会社、人事アセスメント会社がさまざまな工夫をしていますので一概に結論付けることはできませんが、基本的には能力測定(アセスメント・テスト)より、能力向上のための訓練を主眼に置かれている場合が多いと考えられます。

■インシデントとアクシデント
余談かもしれませんが、ここで繰り返し出てくる「インシデント(Incident)」という言葉は、あらためておさえておきたい概念です。単純な表現をすると、明確な事故のことを「アクシデント(Accident)」と呼ぶのに対して、その一歩手前でアクシデントにつながりかねない出来事が「インシデント」です。

一般に、「1つの重大なアクシデント」の裏には「約30の軽微なアクシデント」があり、さらにその裏には「約300のインシデント」がある、という言い方がされます。大げさな組織マネジメントという立場の人だけでなく、ごく小規模なグループ(例えば家庭)でも、こうしたインシデントをとらえ、かつそれらのインシデントが重要なのか無視したほうが良いのかなどを判断できる力がある人こそが、危機対応能力のある人ということになるでしょうか。

私事ですが、以前あるビジネスパーソン向け原稿で「アクシデント」と「インシデント」の違いの説明を重要事項と思って入れたら、編集者にカットされてしまい残念に思ったことがあります。日本語では「インシデント」に相当するぴったりした言葉がないため、このあたりの概念はすぐに理解されないことがあるのかもしれません。

何をもってインシデントと判断すればよいのか…。状況や社会の価値観によっても変わってくる概念だと思います。インシデント・プロセスという訓練手法を実際に経験するか否かとは別に、こうした手法を知ることで、管理・技術・技能いずれの領域でも、危機や不良発生に対する意識を高めることができそうな気がします。