「人事評価/育成、組織」カテゴリーアーカイブ

「組織行動の「まずい!!」学」

いわゆる「失敗学」という分野が注目されていますね。本書は、マネジメントの視点から失敗のパターンを端的に解説しているあたりが興味深い内容になっています。

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「組織行動の「まずい!!」学」 ― どうして失敗が繰り返されるのか
【樋口晴彦(著)、2006年刊、祥伝社新書】

■リスク管理の本質
失敗から学べることは数々あります。当ブログの書評でくどいほど触れた「ドラゴンフライ」なども、成功というより失敗に近い事例から組織やマネジメントを学ぶことができる書籍の類でしょう。

本書は、「ドラゴンフライ」のように1つの事例について深く追っているというより、さまざまな事件・事故を例として挙げて説明している一種の事例集といえます。

チェルノブイリ原発事故
JR福知山線脱線事故
三菱重工・大型客船火災事故
高病原性鳥インフルエンザ発症事件
スペースシャトル・チャレンジャー打上失敗事故
スペースシャトル・コロンビア帰還失敗事故
「えひめ丸」衝突事故
日航123便墜落事故
東海村・核燃料加工工場における臨界事故
関西電力・美浜原発事故
不正経理事件と監査法人の問題
耐震強度偽装事件

これら事故の原因、とりわけ表面的な現象の後ろにあるマネジメント面での問題からリスク管理につながる教訓が引き出されているあたりが、多くの組織人には興味深く感じられるのではないでしょうか。

■集団となることで生じる思わぬ判断ミス
たとえばスペースシャトルの事故。この件ではよく、「スケジュールに迫られたNASAがサプライヤーに圧力をかけた」といったニュアンスが原因説明の前面に出がちです。しかし本書では、チャレンジャー号の爆発事故について“グループシンク”の結果だったという点が強調されています。

※ グループシンク…「凝集性が高い集団において、集団内の合意を得ようと意識するあまり、意思決定が非合理的な方向にゆがめられてしまう現象」

ようするにNASAから(事故の原因となった部品の)製造元への一方的な圧力とかいうものではなく、むしろ「これだけ皆がシャトル打ち上げの同意をしているのに自分のところが今さら反対できない」といった目に見えない力が、意思決定に間違いをもたらした。一体感のある集団となることに成功したからこそ発生した浅慮だったということです。

■成果主義がうまくいかないパターンの分析
このほか、コストダウンの連続が知らず知らずに安全管理に破綻をもたらしてしまうパターン。現場の綿密な管理が必要といっても、「現場を支える」と「現場を支配する」の違いが成否を大きく分けてしまうパターン。「もったいない」精神はとてもよいことだが、それを一つ間違えて「過去に対する執着」を持つと失敗につながりうるというパターン。いろいろな失敗パターンが語られています。

成果主義がうまくいかない場面についても「目標押し付け症」「総合評価濫用症」「管理職不適応症」などいくつかのパターンで解説されています。人事政策や評価に関わっている立場の者にとって、それぞれの説明にうなずける部分が多くあるでしょう。

当ブログでは“人の身体や特性を測る”ことを一つのテーマとして繰り返し採り上げています。本書の「必ずしも数値で計測できるものばかりではないのに、あらゆる部署に目標管理を適用しようとする」といった失敗事例からは、あらためて人事測定・評価の難しさが認識されます。

さまざまな事故・事件について著者がどう“料理”しているかは、ぜひ本書を読んでみてください。一つひとつの事例を深追いしたい方にはやはり少し物足りないところがあるかも知れませんが、それでもさまざまなエッセンスが煮詰まって入っていると思われるのではないでしょうか。一般向け新書判なので分量は少なく、かつ分かりやすい表現になっているので、一気に読むこともできます。頭がスキッとする気がします。

「数字と人情 ― 成果主義の落とし穴」

人事に限らずマーケティングや経理でも、数字をひとり歩きさせてはいけません。数字を「実感する」ことが大事だと常々思っています。

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「数字と人情 ― 成果主義の落とし穴」
【清水佑三(著)、2003年刊、PHP研究所】

■人事測定と人事評価を埋めるもの
既に書いたエントリ 「数字で考える「人」「チーム」「組織」入門」および「人事測定と人事評価の違い」で、次の2つ
・客観的なアセスメント - 人事測定
・主観の入ったイバリュエーション - 人事評価
の違いを認識することの必要性を説明しました。人事測定で客観的な数字をつかみ、それを参考にして現実の世界に当てはめた人事評価をする、という流れが望ましいと考えています。

でも、人事測定がたんなる参考値にしかならないならば、そもそもアセスメント・テストなどやらなくてよいのではないか、といった意見も出てきそうです。また、測定と評価を別物として考えるだけでは、評価においては測定数値以外にどんな要素を考慮すればよいのかがわかりません。

本書は、「数字」に対し「人情」を付け加えることが大事だとしています。成果主義でギスギスしてしまうような組織には、まさに「人情」が足りないのだと…。少し私の独りよがりの読み取り方をしてしまえば、「人事測定と人事評価の間を埋めるもの」が語られていると感じます。さらには、人事に限らずもっと広い視点から「数字の扱い方」について面白い話が盛り込まれています。

■成果主義導入は言い訳だったのか
「人情」という表現は、現在の成果主義・実力主義の流れからすると何かピンとこないものかもしれません。これまでの社会では特定個人の好き嫌いや説明のつかない属人的な要因から人の評価がされてきた過去があり、客観的な成果や実力が正当に評価されなかったという反省がありました。だからこそ、世界標準(?)とかグローバル競争力強化(!)とかいう理由を持ち出して、我も我もと成果主義に走ったのがここ10年くらいの日本企業だったと思われます。その論理にしても、本音で言えば「人件費削減」が直接の目的で、競争力強化などはたんなる言い訳に過ぎなかったところも少なくないでしょう。

それでも「成果主義」導入で成功した企業ならいいのかもしれません。しかし、成果主義による組織改革は成功せず、競争力強化にもつながらず、人件費削減も中途半端になってしまったという企業は決して珍しくないと思われます。そこに残ったものは、従業員のモラール低下とギスギスした組織風土だけだった、などという笑えない状況にはまってしまった組織もあることでしょう。

■「体感言語」とは何か
本書では、成果主義の広がりによって「数字がひとり歩きする」ことの危うさについて触れ、それを補うものとして「人情味のある人間である」ことが大事だとしています。

「数字は現象の投影である。数字が目的にはなりえない」
「数字はめりはりが効きすぎると、ガン細胞のように自己運動して本来の役割を超えてひとり歩きを始める」
「企業でなされている教育・研修は(『青い鳥』を探す)チルチルとミチルの夢中の世界行脚を彷彿させる。能力は追いかければ逃げていく」

数字だけで偏った評価を下してしまわないために必要なものを、著者は「体感言語」という独自の言葉で表現しています。たとえば温度計で測った「気温」は人の寒さ温かさを測る一つの指標ですが、実際には物理的な気温とは別に「体感温度」なるものがあって、人それぞれ、その時の体調や気分によって感じる寒さ暖かさは異なります。同じように、アセスメントなどで測られた人に対する測定数値とは別に、人の能力なり資質なりを表す別の「体感言語」があるというわけです。

「『あの人は器が大きい』といった表現をする。こういう言葉は体感言語といって客観性を持たない。にもかかわらず、組織の上位者の定義(職能等級書)には必ずといってよいくらい頻繁に登場する」

成果主義がうまくいかなかったからといっても、単に数字を無視してしまうだけでは古い企業社会の人事マネジメントに戻ってしまうかもしれません。しかし(この文を書いている私の意見としては)アセスメントで得られた客観的な「数字」と、少々主観的でもよいからできる限り真摯に見極めて表現した「体感言語」を使い、さらに評価者がその説明責任を負えるような記録を残せば、たんなる独善ではない人事評価につながるものだと考えます。そのためには、評価される側ではなく、なにより評価する側(結局はすべての管理職)にこそ、人事評価のトレーニングなり経験なりが必要だと考えます。

■「数字の本質」を把握する力
数字に強いとは、計算が速いとか、細かい数字を正確に覚えているとかいうのでは必ずしもありません。人事に限らずマーケティングでも経理でも同様です。本書でも数字の本質についての話は人事の分野に限りません。「マーケティング・リサーチのうさん臭さ」などにも言及していて、それぞれうなずけるところがあります。

「おいしい商品、おいしい顧客、おいしい社員…、といったものに気付くことができる…。数字に強い人とは、この『おいしさ』を数字をもって追える人と定義できる」
「数字にも感情があり、数字の無理な捏造は、音楽でいう不協和音のように、目に不快である」
「数字に強い経営とは、みずからの行動を数字に射影する勇気のある経営をいう」

個人的には、「(大岡越前守のような人情味のあふれる裁断が)できない、という人は所詮、統治(する立場)には向かない人である。理屈を言って事の本質から逃げる人は、犬に食われて死ねばよい」(p.145)とまで言い切っているあたり、かなりウケてしまいました。

この評を書いている私も「数字で考えるマーケティング入門」、「数字で考える「人」「チーム」「組織」入門」といった本を書いてきましたが、どうしてもうまく伝えられなかったことが上のように端的に言い表されていて、参考になりました。

さらに、かつて著者が聞いた小林秀雄の講演から、「人は人がわからないんだよ。馬鹿なインテリだけがわかったような口をきくんだ」といった言葉を引用しています。だからといって人の評価をあきらめてしまうではなく、その前提の上で人に対する評価をすることを迫られているのが現代のビジネスパーソンなのです。

■成果主義のアンチテーゼというより…
数字で評価することのマイナス面が強調されているため、本書は見ようによっては“成果主義のアンチテーゼ”とも受け取れることでしょう。実際、Amazonの読者評価にはやや否定的な意見も並んでいます。数字で人の評価を判断するための“具体策”を期待した人事担当者や経営者予備軍などには、“甘っちょろい感情論”と受け取られるのかもしれません。

しかし著者の経歴をみると、なんと人事アセスメント会社の経営者ではありませんか。私も著者のことをまったく知らずに読み通した後で著者のバックグラウンドを知ったのですが、著者はそれこそ「数字で人を測る」プロなわけです。数字の可能性と限界をわきまえたからこそ書ける本のように思われます。

また、たとえば「人情味のある人は例外なく体つきがふくよかな人」など、著者の経験や少し独断(偏見?)の入った事例も挙げているため、読みながら違和感を感じる部分があるかもしれません。でも、それら個々の事象の賛否を論じるのは、本書の狙いから言って無粋でしょう。

「ビジネスパーソンが人事制度についてお勉強するための書」というより、もっとずっと軽い読み物と位置づけたほうがよいでしょう。机に向かって背筋を正して読むというより、寝転がって気軽に読み進めるタイプの本です。

人事測定と人事評価の違い

「測定」と「評価」は一見似ていますが、はっきり区別するのが人材マネジメントで必要だと考えています。

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人事測定と人事評価の違い

■テストの得点は高ければ良いわけではない?
能力主義、成果主義の世の中になり、どこの企業でもそこで働いている人たちの能力または実績を評価する必要性が高まっています。新規に社員を雇用するときにも、何らかの手段で応募者(入社候補者)を評価して、できるだけ必要とする人材を選び出さなければなりません。その際に、人の評価につながる何らかの「テスト」を実施することが多いでしょう。零細企業を除けば、入社時の適性検査、職務内容につながる知識テスト、英語力のテストなどを組織のシステムとして利用している企業が一般的です。

また、世の中には多種多様の「検定試験」と呼ばれるテストがあります。ビジネス向けだけをとっても本当に数多くあります。テスト業界という一つの“産業”を成しているといっても過言でないでしょう。向上意欲の高い人ほどこうした検定試験に興味を持ち、果敢にトライしています。

こうしたテストの得点は、一般的には高いほうが良いものがほとんどです。得点が高いほどその人に能力があると評価され、または適性があると認められるものだと思います。しかし一方で、「テストの得点」と「人の実質的な評価」とは少し違うものであることにもすぐに気付きます。ごく一例を挙げれば、

・学生時代に英語の成績がよく、かつ英語力テストでも高得点の人

・実際に英語でコミュニケーションをとり、ビジネスを進めることができる人

は、(一致することももちろん多々ありますが)時に異なるものです。英語テストなどの「得点」は、英語でビジネスを進めるための一要素にすぎないことがその一つの理由でしょう。

場合によっては、なまじ英語読解などの能力が高いため、文書や公式的意見にとらわれすぎて、現場で交渉相手の真の狙いを読み取れないといったマイナスの作用をもたらす場合もあろうかと思います。少し乱暴な言い方をしてしまうと、「(英語)テストの得点が高いことが、泥臭いコミュニケーションの現場でマイナスになる」ことさえあるわけです。

■客観的な「アセスメント」と目的にあわせた「イバリュエーション」
人の能力を何らかの科学的・客観的な方法によって測定することを「人事測定」または「(人事)アセスメント」と呼びます(※)。業者によって用意されている適性検査や能力測定テストはアセスメント・ツールの一種です。

これに対して、特定の企業、特定の職務において、人の実績、現在発揮されている能力のレベル、将来の可能性などを見定めることを「人事評価」または「(人事)イバリュエーション」と呼びます。昇進昇格・能力給の裁定などに直接つながる指標は、基本的にはイバリュエーションのはずです。

アセスメント(assessment)とイバリュエーション(evaluation)は、日本語にするとどちらも「評価」になってしまいます。現実に、両者を特に区別しない考え方があることも事実です。しかし本来の性質として、両者はかなり異なるものです。

「アセスメント」は、あくまでも客観的に“モノサシ”をあてて測ることです。身長、体重、体脂肪率、視力といった物理的な量や性質と同様に、人の能力や性格、その他の特性を切り取って定量化したものです。人の特性を定量化することは簡単なことではありませんが、きちんと数字で人の能力などを表すことができれば、対象(ここでは人)を客観化することにつながります。特定の組織や関係者の思惑に左右されない普遍性が求められます。

「イバリュエーション」はこれと異なり、“ある特定の目的をふまえたときに”ふさわしい能力や適性があるかを判断することです。もちろんここでもできるだけ客観的な評価基準を持つことが求められますが、より大事なことは「現実に適合するか」だと考えます。つまり、現実の仕事に適した人であるかどうか、現実に業績向上にふさわしい働きをしたかどうかなどを判断することに他ならないわけです。そのとき、アセスメントによる数字は一つの「参考値」にすぎず、定性的な事柄も含めた何らかの総合的な判断が求められます。結果として「A評価」だの「B評価」だのという定量化がされることも多いものですが、それは評価結果をあらためて定量的な手法で表現したにすぎません。

「アセスメント」では、理想的には世界中のどの国のどの組織が測定しても、同じ対象に対して同じ結果が出ることが望まれます(…そんな理想的な人事測定ツールはまずないでしょうが…)。一方「イバリュエーション」では、当事者である組織の事情なり、評価の目的なり、独自性なり、時には属人性なりが入り込んでしかるべきものです。でなければ、どうしてビジネスの現場に即した判断ができるといえましょう。だから国により組織により仕事の内容によって、同じ人でもその評価は異なります。

■人事評価は、手間ひまがかかるもの
経営システムは常に合理性を求めるものなので、何か有効なテストを持ってきてそれを従業員にあてがえば昇進昇格も給与も簡単にはじき出せるといった、そんな万能なツールを求めがちです。しかし、きちんと測定結果を定量化できるアセスメント・テストとは、本質的にその切り口が鋭利なものです。測定内容が一面的で物足りないからといって、「もっと総合的な人材能力を測るテストはないのか」とか言い出す経営者や人事担当者がたくさんいますが、それは「測定」の本質を理解していないことといわざるを得ません。

また、一般的に利用されている適性テストが自社に合わないからといって、「自社にカスタマイズしてくれないと困る」とか言い出すのも困りものです。測定と評価を混同していると、そうした発想につながりやすくなります。

現在の企業社会で、人事評価は人事担当者だけが携わるものではないことは明らかです。日常的に仕事をしながら、部下など(いわゆる「360度評価」の場合は上司や同僚も含め)を評価するのは大変なことですが、組織人としてはできるだけ「納得できる人事評価」をしたいものです。その意味で、人事測定による客観的な判断要素を用意したうえで、自信を持って人事評価をできる環境を整えるべきかと考えます。どうしても手間ひまがかかるものでしょう。それでもなお、組織において人事測定・人事評価のプロセスは欠かせないものと思いますが、いかがなものでしょうか。

※アセスメント(assessment)という言葉の定義は必ずしも一定していません。ここでは「アセスメント≒測定」と定義しましたが、実際には人事評価に近いものを含めてアセスメントと呼ぶこともあります。

フォロワーシップ(followership)

本当に有能なプロフェッショナルとは、リーダーシップだけでなく「フォロワーシップ」をきちんと発揮できる人のことなのかもしれないと思うようになりました。

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「指導力革命 ― リーダーシップからフォロワーシップへ」
【ロバート・ケリー(著)、牧野昇(翻訳)、プレジデント社刊、1993年】

■“普通の本物”と“本当の本物”の違い
以前、どこかでこんな話を聞いたか読んだかした覚えがあります。

ある経営者が仕事をその道のプロに依頼しました。ここでは話を少しだけすり替えて、仮に「経営者が名のある絵描きに絵を発注した」とでもしておきましょうか。発注時には描いてほしい絵の条件をきちんと絵描きに伝え、絵描きもその条件を納得した上で制作にかかりました。ところがもうすぐ出来上がるかという段階で経営者が完成直前の作品を見に行くと、発注時に意図した注文とちょっと違う、必ずしも納得できない絵ができつつあるのに気が付きました。絵描きからすると条件を違えたわけではなく、自らのプロとしての能力を発揮してよりよい絵に仕上げようとしたまでのことです。

経営者はここで、絵の描き直しを指示したいところです。いくら絵描きに実力があっても、せっかくできた絵が気に入らないものになってしまっては意味がありません。しかし費用と納期は限られています。それ以上に、当の絵描きにもプライドがあるでしょうから、下手に作り直しを命じると臍を曲げてしまう可能性もあります。

その時どのように対処するか、次のようなケースがあるといいます。

(1) もしその絵描きがプロとしてのレベルがやや低い者であるならば、たとえ相手の感情を害することにつながっても描き直しを要求する。
(2) もしその絵描きがプロとして本物であるならば、相手のプライドに泥を塗ってまで無理な描き直し要求はしない。
ここまでは誰もが普通に考え付きそうですが、その経営者は次のケースも想定していました。
(3) もしその絵描きがプロとして“本当の本物”であるならば、たとえ相手の感情を害することにつながっても描き直しを要求する。

(2)と(3)の違いは、相手が“本物”か“本当の本物”かの違いです。この経営者の考えとしては「せっかくの仕事に注文をつけると、普通に優秀な人はたいてい気分を害してしまうが、本当に優秀な人はむしろやる気になる」。だから無理な注文であっても構わず言う。それで仕事の質が落ちるような仕事相手には次は注文しない、というのです。

■フォロワーあってこそのリーダー
これはかなり自分勝手な論理です。実際にその経営者は強引に仕事を進めるワンマンとして評判で、誰に対しても都合の良い理屈を言って実権を振りかざしていただけのことかもしれません。しかしながら、“普通の本物”と“本当の本物”の違いを上のように言い表していたのは、確かに一理あるような気がしています。

現実のビジネス社会の中で、自らプロとして自負心を持って働いている方々は多数いることでしょう。「リーダーシップを発揮することが成功のカギである」と書物や周囲から数え切れないほど叩き込まれた優秀なビジネスマンや経営者であればあるほど、プロフェッショナルとしての自負心が強ければ強いほど、他人に従うことを快く思わず、威張ったり自己満足に陥ってしまったりしがちなものです。他人からの注文を納得できず結果的に失敗をしてしまった経験が、きっと誰にも多かれ少なかれあることだと思われます。

ところが「リーダーシップ」の重要性は数限りなく語られるものの、人への従い方=「フォロワーシップ」の重要性はほとんど語られることはありません。そもそもリーダー(先導者)に対するフォロワー(従属者)という言葉を使ったことがない方も多いと思われます。でも複数の人が協力して仕事をするときはいつも、フォロワーシップがあってこそリーダーシップが成立することを忘れてはいけません。

フォロワーシップは、盲目的に上に従うべきことを指しているのではありません。人の能力はその職位と不可分ですが、職位が高い人がどの分野でも職位の低い人より優れているというわけではもちろんありません。かりに管理職とか経営幹部のほうがマネジメント能力が優れているとしても、商品開発・営業開拓・事業企画・技術開発などそれぞれの専門分野にはそれぞれの専門知識を持つ人を登用することがふさわしいわけです。つまり、人は常にリーダーにもなり、常にフォロワーにもなるわけで、そこのところを忘れてしまうと、先に触れた「プロとしての自負心があるが故の失敗」≒「フォロワーシップのとり損ない」につながるというわけです。

■フォロワーにも5類型ある?
本書の原題は「The Power of Followership」。1990年代前半に発刊されたこの本は、経営管理に「フォロワーシップ」という概念を持ち込んだことで注目されました。著者のケリー氏はこのテーマを語るときに欠かせない“御大”のような存在のようです。

この本ではフォロワーシップという概念を「リーダーなどに対する、上向きの影響力」と位置づけています。

「まるで大事なのはリーダーだけで、残りのフォロワーは下の立場にあるような階層構造まで作り出してしまった」
「ここ100年かそこらで、“リーダー”と“フォロワー”という言葉には、すっかり現在世間一般に広まっているイメージが植えつけられてしまった」

だからフォロワーシップの重要性をもっと認識し、リーダーシップ開発だけでなく組織のフォロワーシップ開発にももっと力を注げ…、というのがこの本の主たる主張です。

自分がフォロワーとなったときには仕事に対してどう考えればよいのか。自分がリーダーの時に部下のフォロワーシップをどう育てればよいのか。フォロワーにもいくつかのタイプがあり、そのタイプによって望ましいキャリアパスのあり方も育成のコツも違うことなど、日本のビジネス社会でも実感を持てる内容が書かれています。

さらには人のフォロワーシップ型を見分けるテスト項目が用意されています。この簡単なアセスメントテストによって、読者自身が5つの型(消極型、盲従型、批判型、官僚型、模範型)のどれに当てはまるかを判断できます。

※「指導力革命」目次
プロローグ 警告「リーダーシップが危ない」
1章 人々がリードすれば、リーダーは従う
2章 21世紀の組織の盛衰を分かつもの
3章 なぜフォロワーの道を選ぶのか?
4章 人は何に満足するのか?
5章 あなたは、どのタイプのフォロワー?
6章 模範的フォロワーは、ここが違う
7章 人間関係がフォロワーを育てる
8章 リーダーに「ノー」が言えるか?
9章 勇気ある良心を発揮するための10のステップ
10章 模範的フォロワーから見たリーダーシップ
エピローグ フォロワーシップのフロンティアへ

■気軽に読める本
本書に少し不満があるとすれば、フォロワーシップを重視せよという主張とは別に、その奥に厳然とした(先導者-従属者の)階層構造の存在を意識しているように受け取れるところでしょうか。監訳者が「本書は…簡単に言うと“ヒラ”の従業員のあり方を取り上げたもの」という実も蓋もない言い方でこの本を表現しているとおり、「結局のところ人をいかに従わせるか」といった枠組から踏み出していないようにもみえます。そのあたりが個人的には少し引っかかります。

また本書では「職務上の権限を持つ人」と「仕事を先導するリーダー」とを分けて考えていないあたり、現代の組織論、リーダーシップ論からすると物足りないところがあります。

でも、あまり小難しく考えずに読める分、人事の専門家だけでなく一般ビジネスパーソンにも素直に読める内容になっているともいえます。それでいていろいろ示唆に富んだ説明があることは確かです。(ただし日本語訳は中古本などでなければ手に入りにくいようです)

■フォロワーシップの有無が生死を分ける状況
少し前に書いたエントリー「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」で、宇宙飛行士の組織や育成について触れました。宇宙飛行士は、それぞれの役目によって内容は異なるでしょうが、まさにプロであることが求められる職業に違いありません。一方で、宇宙船という閉鎖空間の中で他のクルーと共同して仕事をする場面では、周囲と協調しリーダーにきちんと従うべき秩序が求められます。宇宙空間でメンバーシップがうまく働かなければ、下手をしたら自分と仲間の生死を決定的に左右するかもしれないリスクを持つことになってしまいます。

宇宙もしくは同様の閉鎖空間では、間違いなくクルーにフォロワーシップが必要のはずです。そして少なくとも現代の宇宙飛行士たちは、きちんとしたフォロワーシップを身に付けられる資質を持ち、そのための訓練が施されているのではないかと思われます。公の場で見る宇宙飛行士たちが誰も人格的に優れているかのように感じられるのは、本来リーダーとしての資質を十分に持つプロでありながら、フォロワーシップをも確実に身に付けて行動できることにあるのではないかと推測する次第です。

冒頭で「“本当の本物”は、無理な注文を受けても臍を曲げない」という話を書きました。これは実のところ、当人が無理難題があっても我慢できるとかいう低い次元の問題なのではなく、フォロワーシップを身につけていることがより自らの仕事の質を高めることを知っているのではないか…。そう考えると妙に納得する話なのですが、いかがでしょう。

「数字で考える「人」「チーム」「組織」入門」

誰でも読んでいただけそうな部分と、少し専門的に入り込んだ部分と、少し極端な要素が同居しています。広く一般的な話題を展開しつつ特定のテーマについてピンポイントで狙いをつけて踏み込もうとしたわけなのですが、結果として成功したかどうか、なんともいえません。

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【明日香出版社刊、2003年】

弊社松山が執筆した書籍です。人材マネジメントといっても、本書ではサッカー、野球、陸上、水泳といったスポーツに関する話題をいくつも盛り込んでいます。…「巨人の星」の星飛雄馬まで題材に用いてしまいました(笑)…。難しいことを考えなくても、人材マネジメントなどまったく専門外の人であっても楽しく読めるようにしたつもりですが、本当のところどうだったでしょうか。お読みになった方があれば、ぜひご意見を伺いたく思っています。

表題通り「数字」で人事マネジメントについていろいろ考えてみよう、というのが大きなテーマです。ただし、人や組織を数字で「規定」してしまおうという考えでは決してありません。狙いはむしろ逆で、数字というツールを使って人や組織を客観的に見つめながらも、その「客観」と当事者の「主観」の違いをきちんと認識し、創造性が発揮できるよう工夫していこうというスタンスを持っています。「客観」と「主観」を区分けるための重要な要素として「人事測定(≒アセスメント)」と「人事評価(≒意思決定・判断に直結するもの)」を厳然と区別すべきことを、本書を通じて強調しています。

そして最後の第6章Section3では、「項目反応理論」(Item Response Theory:略して「IRT」)という得点付けの方法について少し細かく説明しています。表計算ソフトなどを用いた数値解析を行い、具体的にIRTによるテストの点数付けを行った例(小さなモデルにすぎませんが)を示しました。このあたりの記述は、人事測定の専門書を除けば他の書物にないユニークなところだと思います。

第1章 個人と組織の関係を考えよう
Section1 人事・組織とは
Seciton2 人や組織を数字で“測る”とは
第2章 個人の力を高める
Section1 個人の能力を把握するには
Section2 個人の性格を測る
Section3 社会で必要とされる基礎能力
Section4 資格試験/検定試験の利用
第3章 仲間・コーチとの協力
Section1 チームワーク
Section2 コーチング
第4章 チーム作り
Section1 チーム作りと戦略・戦術
Section2 コンピテンシー
第5章 組織の運営
Section1 組織特性の測定
Section2 評価・報酬制度と数値化
Section3 研修・教育のシステム作り
第6章 カリキュラムとモノサシ作り
Section1 人材育成カリキュラム策定の基本
Section2 テストと測定
Section3 項目反応理論の応用