「人事評価/育成、組織」カテゴリーアーカイブ

トップのあり方と新銀行東京

新銀行東京の経営に関する責任は曖昧なまま、追加出資が行われました。こうしたケースをみるたびに、経営者(トップに立つ者)の責任のとり方はどうあるべきなのかという文脈で、思い出す時代劇があります。

前回の記事「数字をスケープゴートにするな」に続き新銀行東京を俎板にあげましたが、テーマはまったく違い、リーダーシップに関する話です。

新銀行東京新聞記事

■トップに立つ者の責任のとり方
古いドラマを持ち出して恐縮ですが、だいぶ前にNHKで「戦国武士の有給休暇」というコメディ・タッチの時代劇がありました(※注)。このドラマの中で今でも強烈に覚えているシーンが1つあります。
「トップに立つ者の責任のとり方とはこういうものだ」
ということを示されたようなシーンでした。

主演の小林薫さんが演じるのは戦国時代のとある地方国の武士(役名忘れました)。“有能で頼りになる実務家”といったところです。

国を経営するトップ、つまり社長(殿…中村梅雀さん)は、思いつきのように新方針や命令を打ち出します。それをミドル層(というより“実行部隊長”)にあたる小林さんが実行に移すだけでなく、次々に発生する難しい問題を解決し、さらにはトップの失敗の尻拭いをしていきます…。持ち前の頭脳と行動力で殿様から“役に立つ部下”と信頼されているため、ずっと休みがとれません。働き詰めに働いたので「お願いだから、しばしのお休み(有給休暇)をください」と嘆き、社長(殿)も「この仕事が終わったら…」と約束するのですが、戦国の世はその猶予を許さず、仕事に追われていく…。そんな、現代の会社勤めにはっきりとなぞらえたやり取りを想像できる楽しいドラマでした。

(※注)「戦国武士の有給休暇」(1994年、NHK)
脚本:ジェームス三木。出演:小林薫、中村梅雀、若村麻由美、阿部寛、佐藤慶、河合美智子、蟹江敬三、清水紘治、斎藤晴彦、夏川結衣ほか。(役名は、清水紘治さんが明智光秀だった以外全く覚えていません)

■たとえ「勝負は時の運」であっても
物語の中盤、織田信長の天下の元で、社長(殿)は盟友(隣国の殿)とともに、
「この乱世で自国が生き延びるためには、誰か実力者に頼らなければならぬ」
と思い至ります。その候補として考えたのが、羽柴秀吉と明智光秀。

社長(殿)は、悩みつつも、秀吉ではなく光秀に与し傘下に入ることを選びます。
最終盤、本能寺の変から山崎の戦いを経て、光秀は秀吉に討たれます。

光秀に与してしまったが故にこの国も秀吉軍の攻撃を受け、落城間近、万事休す。そのとき

「どうして秀吉ではなく光秀(につくこと)を選んでしまったのだろうか」
と嘆く社長(殿)に対し、重役らは「誰も将来のこと(光秀が討たれること)など予測はつかない。勝負は時の運なのだから、殿(が秀吉でなく光秀を選んだこと)に責任はない」

と慰めようとします。

しかし小林さんはきっぱり、次のように社長(殿)に向かって言い放ちます。

「確かに勝負は時の運かもしれない。
しかし、国を率いるトップが下した経営判断ではないか。
その結果に対して、トップ以外の誰が責任をとるというのだ。
たとえどんな合理的な判断であったとしても、
社長(殿)、あんたが責任をとって辞めるのが正道というものだ」
(正確なセリフではありません。記憶は相当に私の頭の中で脚色されています)

その言葉を聞いた社長(殿)は観念し、城を明け渡すことを決めます。小林さん演じる武士はその後も殿に忠義を尽くし、殿が落ち延びるのに付き従い、殿を守ることを誓います。後に殿とともに落ち着いた土地で農民となり、小林さんもやっと実質的にやっと“有給休暇”をとれる…、といった内容だったと記憶しています。
(このあたりのストーリーも、正確さはかなりあやしいかもしれません)

■トップが逃げてしまってはいけない
長々と時代劇ドラマの話になってしまいましたが、新銀行東京のこと。

新銀行東京のコンセプトは決して悪くないことは、各方面から評価されていると思います。しかしビジネスモデルは成立しませんでした。前回の話で触れた融資の「スコアリング・モデル」は不十分、実務スタッフの編成も(おそらく)不十分だったのだと思います。

かりに「時の運がなかっただけだ」と仮定しても、その責任を誰がとるべきなのか。今回のような400億円追加出資(ひいては長期的な敗戦処理)を行うならば、それとともに、
「たとえどんな合理的な判断であったとしても、
知事、あんたが責任をとって辞めるのが正道というものだ」
ということになるのではなかろうかと…。

また、本サイトの以前の記事で築地卸売市場の豊洲移転に触れたとき、
「卸売市場の移転は、知事1人の思惑では動かない。さまざまな関係者や社会の動きがあって初めて成立する。だから知事が誰になろうと、そう違いはないだろう」
といった意味のことを書きました(「かつての市場移転(「神田市場史」より)」)。

今回新銀行東京問題では、なぜか件の知事が似たような言い回しをしています。
「私の一存で進めてきたかのような意見はまったくあたらない。膨大な組織の中で、私1人が発想して行政が動くわけではない」。

しかし築地の豊洲移転問題と新銀行東京とは質が全く異なるものです。生鮮品の卸売市場はすでに社会に根付いた欠くべからざるシステムの一端であり、多数の関係者が昔から動かしています。しかし新銀行東京は、3年ほど前に新たに生まれた(もともとなかった)一事業です。その事業を発案し、リーダーシップを発揮して作ろうとした知事が「自分だけの仕業ではない」という逃げ口上をうつのは、いくらなんでもありえない。

百歩譲って、かりに「膨大な組織が発想して初めて行政が動いたもの」だったとしても、その責任をとることこそがトップの仕事なのではないか。そのようにしか思えないのですが、いかがでしょうか。

■“反面教師”を目の当たりにして
本サイトの記事は、経営にまつわる一般的な話題を提供することを主眼においており、特定の人や組織に対する問題提起や、政治に関わる意見を表に出す意図はまったくありません。今回の記事はたまたま都政を例として出したので少しキナ臭い意味も含んだ内容を持ってしまいましたが、一般の企業経営においても、とるべき責任をとらないトップの事例は、相当数あるのではないかと推測します。

経営者・マネジャー・ビジネスパーソンにとってまさに「反面教師」が実例として目の前にあるわけです。トップとは何か、リーダーシップとは何かを考える際、東京都の事例も先にあげたNHK時代劇のセリフも、きっと参考になるのではないでしょうか。そんな意味でまとめさせていただきました。

「テスト・スタンダード」

日本テスト学会がとりまとめた「テスト基準」の詳しい解説と、関係者によるQ&A集です。企業の人事担当者なども含め、さまざまなテスト、人事測定に関わる関係者に広く読んでもらいたいような基本書なのですが…。

書籍「テスト・スタンダード」概観
「テスト・スタンダード -日本のテストの将来に向けて」
【日本テスト学会(編)、2007年、金子書房】

■テスト基準の詳細な説明
日本テスト学会というところが「テスト基準」をとりまとめ2006年に基本条項を公開したことを、以前の記事「テストの開発、実施、利用、管理にかかわる基準」で触れました。当時開発中だった「基本条項の解説」(ガイドライン)は2007年9月に公開されています。「基準」そのものも微調整され「ver1.1」となったようです。

本書は、その「基本条項の解説」本文(140ページほど)と、関連する「Q&A」(60ページ強)および「用語解説」(12ページ)をまとめて1冊にした本です。「テストの科学」という本を以前当サイトで紹介しましたが、本書もこの本と同様、さまざまなテスト関係者にとって基本書の一つと位置づけられるかもしれません。

なお「基本条項の解説」部分は、同学会のWebページでも公開されています。ただしダウンロードできるのは“印刷不可能”なpdfファイルです。

「Q&A」は、テスト基準をみて多方面からいろいろ出てくるであろう質問を37件とりあげ、それらに対する考え方、技術的な手法、現実的な対処法などをまとめています。同学会会長の池田央氏やテスト基準作成委員会委員長の繁桝算男氏ほか、この分野で著名な方々が丁寧に答えておられます。

■テストで数字化することに対する本質的な不審?
学校の入学試験・アチーブメントテストから、あまたある検定試験・資格試験、企業で行われる人事測定・心理測定、組織診断のための調査ツールなど、人や集団を測定するためにさまざまなテストがあります。なかには“深い考えがなくなんとなく開発した”だけのテストが多数あると思われますが、見識のないテストに対して「基準」は一種の“駄目出し”をしている側面があります。本書の解説やQ&Aが書かれた背景を深読みすると、「基準」に示されているさまざまな考え方や条件が、日本のテスト開発・利用の現場で“戸惑い”のような感覚をもって受け取られているのではないかとも思われます。

この“戸惑い”は、大きく2種に分類できそうです。1つは(主に客観式テストの)数値解析にまつわる技術的な方法論に関すること。たとえば「素点を標準化された尺度得点に置きかえるにはどうすればよいのか」「テストの信頼性はどうやって計算したらよいのか」といったあたりで、どうしても数値解析の専門知識が必要になってきます。

もう一つの“戸惑い”は、客観テスト(または評価結果の数値化、または主観評価のための前提条件)に対する根本的な疑念のようなものでしょうか。もちろんこの「基準」で説明されているテストには、多枝選択式のような客観式テストだけでなく、論文や面接試験のような主観的評定を伴わざるを得ないテストも含まれます。しかしそうした主観的評定を伴うテストにおいても、テスト開発や評価の考え方は客観式テストと共通する条件設定などが多々あるはずで、「基準」にその考え方が示されています。

しかし、なぜか現実には、日常的にテスト開発・実施に携わっている方々からも、なかなかこうした基本的な考え方について理解が得られない場面があります。たとえば「人間を数字で判定してはいけない」とか「多元的に要素が合わさったテスト問題こそ良問だ」といった“見識”を持つこと自体はよいのですが、その一見正論と思える“見識”が、本来あるべきテスト(測定)の前提条件を歪めてしまう例が多々あるわけです。

本書の副題「日本のテストの将来に向けて」に、「何とかして現状を変えたい」という関係者の意気込みが垣間見られます。でも一方で、本書の価格は4000円とちょっとお高め。「基準の説明」が(印刷できないとはいえ)Web公開されていることを考えると、ほんの70ページ強のQ&Aと用語解説の情報(+「基準の解説」の印刷代?)に、それだけの対価を払うことになります。

本当は広くさまざまな読者を獲得したいのでしょうが、出版社からするととても“広さ”(部数)は期待できず、「バリバリの専門書」として売らざるを得ない。そんな苦しい事情が価格から想像されます。それだけ、世間のテスト関係者の問題意識は喚起されていない(?) のかもしれません。

起業のいま、むかし(「企業診断」特集より)

1990年前後から現在までの労働環境・起業環境の変化をまとめた記事を「企業診断」2007年8月号に書かせていただきました。就職氷河期といわれる間に社会に出た世代が直面した過去と今後を概括することが主テーマです。

企業診断記事図2
【契約社員という就業形態を選択した理由】

※厚生労働省「就業形態の多様化に関する総合実態調査」より内容の一部を抜粋。グラフ化した項目や表題などの表現にはかなり編集を加えています。注釈は後述

■20代後半から30代前半の世代に向けて
タイトルは「起業のいま、むかし ― 起業環境の変化とロストジェネレーション世代の出現」。「企業診断」は同友館発行の月刊誌です。今回の特集「起業新時代 ロストジェネレーションたちのいま」で、総論にあたる部分を当社松山が担当しました。

現在20代後半から30代前半、いわゆる就職氷河期の間に社会に出た世代のことを「ロストジェネレーション」と呼ぶそうです。彼ら彼女らが“起業”を目指すときの指針となる統計的裏づけや、すでに起業した同世代の人たちの想いを紹介する特集になっています。縁あって、その世代より一回り上の年代にあたる私が、いわば“エール”を送る格好になりました。

あらためてバブル時代からの労働環境を整理してみると、なかなか面白いデータに突き当たるものです。

冒頭のグラフ(厚生労働省関連の調査)は記事中のグラフを抜粋し表現を変えたものです。これをみると、たとえば1994年調査では「自分の都合の良い時間に働けるから(正社員でなく)契約社員となった」という意味の答えを選んだ割合が、1999年調査や2003年調査に比べてかなり高くなっています。一方、「正社員にはなれなかったから(しかたがなく)契約社員になった」というネガティブな答えは、1994年調査ではその後と比べてかなり割合が低くなっています。

1990年代前半というと、それまでの日本的労働環境が若者の働く意識に“本当に”合わなくなってきたころだと認識しています。「終身雇用や年功序列に縛られた企業の正社員より、もっと柔軟な働き方を望んでいる」。多様な中小ベンチャー企業はともかく、大企業にもそんな風潮が影響し始め、保守的な労働システムがすこしづつ変化をはじめた時期といってよいのではないでしょうか。

また現在は非正規雇用が増えたことが“問題視”されていますが、少なくともバブルの余波が残っていたその頃、「正社員からのスピンアウト」はもう少し肯定的に捉えていたようにも思えます。しかしバブル後の長期の不況がそれを簡単に許さなかったのかもしれません。そんなこんなの“働き方の事情”を記事としてまとめさせてもらいました。

※冒頭のグラフについての注釈
出展は、厚生労働省「就業形態の多様化に関する総合実態調査」(労働政策研究・研修機構(JILPT)「労働政策研究報告書No.68」)です。記事中で元の統計データのごく一部のみを抜粋してグラフ化していますが、上記グラフはさらにそれを抜粋し、さらにタイトルも少し意訳し、見せ方(表現方法)も変更したものです。しかも、
・調査は複数回答
・選択肢はグラフに挙げた5項目以外にも多数ある
・各年の選択肢数や表現が異なる
といった事情があり、厳密には数値の推移を比較できないものといえます。ここではあくまでも傾向を“ざっくりと”紹介しているに過ぎないことをご了承ください。

■起業に向かう活力
前々回前回の当ブログの記事で、成果主義や長期雇用に関連したJILPTの統計データをご紹介しましたが、それらも今回の記事執筆に関連しています。今回ご紹介した統計データについても、正確で詳細な内容については元の出典を参照されてください。

「企業診断」の特集については、私の担当記事部分の見出しは次のとおりです。

1 日本の労働環境と企業の労働政策
(1) バブル前後の労働環境
1-1 ロストジェネレーションの位置づけ
1-2 非正規雇用を求めた新入社員
1-3 若手が望んだ労働環境の変化
(2) 企業の政策
2-1 中途半端だった人事政策
2-2 若手世代はワリを食った?
2 起業の歴史と若手の起業意識
(1) 起業意識
1-1 起業家年齢の上昇とLG世代
1-2 起業のタイプ別考察
1-3 起業に向かう活力
(2) 現代の起業環境
2-1 恵まれているか? 現代の起業家
2-2 「失われた世代」の強み

私の記事のほか、実際の起業家たちに対するインタビューが「若き起業家たちの群像」「ロストジェネレーションへの伝言」というタイトルで計6稿まとめられています。大上段に振りかざした起業論ではなく、身近な立場から起業について語られています。ご興味のある方はぜひ記事を読んで「起業に向かう活力」を感じてみてください。

成果主義導入と賃金格差(JILPT調査より)

多くの企業で成果主義の導入はやはり必要なのだろうと思われます。日本で2000年以降に導入された成果主義のシステムは、1990年代と比べ“マイルドな成果主義”となる傾向がみられるそうです。

成果主義導入と賃金格差
【成果主義導入と賃金格差。「変貌する人材マネジメントとガバナンス・経営戦略」(労働政策研究・研修機構、2005年)第2部分析結果をもとに編集】

■成果主義の設計と運用が変化した?
前回の記事で、JILPT(労働政策研究・研修機構)の「長期雇用と成果主義のゆくえ」という調査結果をご紹介しました。調査分析は以前の報告書「変貌する人材マネジメントとガバナンス・経営戦略」(2005年、労働政策研究報告書No.33)ですでに発表されていて、そのなかに成果主義の導入とその影響についての分析が詳しくされていました。少し興味深いところがあったので、再びご紹介します(詳しい内容は労働政策研究・研修機構(JILPT)などから本編をお読みください)。

なお、基となった調査アンケートは2004年に行われたもので、回答企業の全従業員数平均は約1304.4人(正社員数平均は781.8人)です。大企業だけではなく「相対的に規模の小さな中堅企業の実態を明らかにした」とされていますが、そもそも従業員数200人以上の企業しか調査対象にしていません。中小企業ははじめから分析対象外であることを差し引いて数字を認識してください。

成果主義は1992年ころ、バブル崩壊が一時的な景気後退ではないということがはっきり認識されたころから、大手企業でも導入が始まってきました。しかしいくつかの事例ではその後モラールダウンなどを招き、良い結果を生んでいないとされています。

■21世紀になって弾力的な運用がされるようになった
冒頭のグラフは、同書第2部第4章第4-3-3表(1)(p.151)のデータをそのままグラフにしたもので、賃金格差について質問した結果です。横軸の数字は具体的な数ではなく指標です。たとえばグラフの1つ目の項目では、自社の賃金制度が「格差の大きな制度」である割合が高い場合は指標が高くなり「平等な制度」である場合は数値が低くなります。

これらについて、調査では「成果主義を導入している」「成果主義を導入していない」に分け、さらに導入した年が「1999年以前」「2000年以降」で2分したうえで指標を比較しています。前回の記事でも触れたように「成果主義を導入しているとする割合が約60%」です。うち「2000年以降に導入した企業が2/3」とのことですので、割合としては
・1999年以前に導入…20%
・2000年以降に導入…40%
・未導入…40%
ということになります(数字は概数)。

その結果、ほぼ自明のこととして、次のことがグラフに表現されています。

(1)成果主義を導入した企業は、賃金制度において、設計面、運用面いずれも格差が大きくなった

興味深いのは次のような点でしょう(グラフ上数値の違いはわずかですが、分析において統計的に有意な違いがあると結論付けられている)。

(2)2000年以降に成果主義を導入した企業では、それ以前に成果主義を導入した企業に比べて、賃金格差の小さい制度設計をしている
(3)2000年以降に成果主義を導入した企業では、それ以前に成果主義を導入した企業に比べて、実際の運用上の賃金格差が小さい
なおこれらに加えて、
(4)1999年以前に成果主義を導入した企業の賃金制度は懲罰的要素が強い設計となっているのに対し、2000年以降導入は報償的な要素が強くなっている
ような数字が出ています(ただしこの点については検定の結果「仮説は棄却された」=「統計上有意な差はない」と結論付けられています)。

・1999年以前に導入→“過激な成果主義”
・2000年以降に導入→“マイルドな成果主義”
といった性格付けができるかもしれないというわけです。

これらはあくまでも導入年で判断しているため、制度の変化などは明確に数字に現れていないと思います。でもおそらく、成果主義へと考え方が日本企業の性質に合った形へと徐々に変化していることを示しているのではないかと考えられます。成果主義が本格的に導入され始めたのが1990年以降とすれば、(一時期の失敗期を経て?)やっと地に足をつけた制度の導入期に入ったのかと推測しますが、どうでしょうか。

長期雇用と成果主義のゆくえ(JILPT調査より)

いろいろ批判のある「成果主義」ですが、俯瞰してみると日本企業に対してプラスに働いているようです。一方「長期雇用の放棄」は単純に成否を判断できないという報告があります。


【「日本の企業と雇用 ─ 長期雇用と成果主義のゆくえ」(労働政策研究・研修機構、2007年)第2部分析結果をもとに編集】
今回は、成果主義に関する話題提供、サイト紹介、書評を兼ねたような記事です。

■充実した労働経済関連の資料
厚生労働省所轄の独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT) は、労働関連のデータや報告書を積極的にネット上で公開しています。人事系の調査研究では誰もが一度はここのデータもしくは分析結果を参考にしたことがあるでしょう。俯瞰的(学術的、統計的)なスタンスからテーマを掘り下げた研究結果の場合は経営の実際の(ミクロな)場面にすぐに役立つとは限りませんが、人事・労働に関連する客観的な現状を掴むのに役立ちます。

この6月にも「プロジェクト研究」の成果として、全8冊分の報告書がネット上に公開されました(第I期中期計画プロジェクト研究シリーズ)。うち、「No.5『日本の企業と雇用 ─ 長期雇用と成果主義のゆくえ』」に、成果主義などの現状をアンケートから定量的に分析した分析結果があります。表題のとおり、従来の日本型企業の特色が変化した結果として今どのような状態にあるのかが“数字をもって”示されています。

対象企業は大企業中心、回答者は人事担当者。いわば組織だった会社の「公式見解」のようなものなので、実態と比べて何らかのバイアスがかかっているかもしれません。それでもなかなか興味深い内容なので、少し紹介させてください。

■人材マネジメントの4類型
本調査では、まず
(a) 日本企業がこれまでの年功序列一辺倒の賃金制度(評価制度)を脱し、成果主義を導入したのかどうか
および
(b) 終身雇用に代表される長期雇用の制度を変え、流動化した雇用体制に移行したのかどうか
それぞれに該当する企業の割合を推量しています。

上の説明図は、(a)を横軸、(b)を縦軸にとって、企業を4種類に分類したものです。左上の「J型」は従来の日本企業の典型で、成果主義は未導入(≒年功序列を維持している?)かつ長期雇用を維持している企業で、全体の約30%がここに属するとのこと。右上「NJ型」は成果主義は導入済みだが長期雇用は維持している企業で、約40%と4類型の中で今は最も該当企業数が多いということになっています。左下「DJ型」は成果主義は未導入だが長期雇用はすでに維持していないとされるグループで約10%。右下「A型」は成果主義も導入し長期雇用を前提とした体制からも脱却したグループで、全体の約20%があてはまるとされています。

“4 対 3 対 2 対 1”の割合。なにか日本人の血液型の割合と似たような各類型の比率になっています。数字からは、成果主義導入が意外に進んでいるのに対し、予想外に多くの企業が長期雇用を維持していると説明されています。「この数字、ホントか~?」という声も「まぁ、そんなもんかな~」という声も聞こえてきそうですが、それは置いて…。

■成果主義と雇用流動化が企業に与えた影響とは
ステレオタイプな見方をすれば、かつてはほとんどがJ型だった日本の大企業がNJ型、DJ型、A型へと変化し、枝分かれしたと見ることができます。

ただしDJ型については、企業が好んでこの類型を選んだというより、業績悪化によって人員のリストラをせざるを得なかった(長期雇用を仕方なく捨てた)衰退型だとみなされます。いわば後ろ向きの変化で、実際この類型に入る企業は、「業績は悪化している」ほか「若手育成に手が回らず、職場で協働する雰囲気もない」「社内のモラールは下がり、仕事に対する意欲が低い」という分析結果が数字としてでています。

一方NJ型とA型は、従来の日本型組織体制から変革した状態と位置づけられます。長期雇用を維持しているか放棄しているかの違いで分岐していますが、いずれもJ型(およびDJ型)と比較して業績が良い企業が揃っていると分析されています。どちらかというと大規模な企業がNJ型、小規模な企業がA型になる比率が高いとのことです。

またNJ型とA型では職場の状況にけっこう差があることも明らかになっています。NJ型は、「社内のモラールが上がり、仕事に対する意欲が高い」という良い職場環境が醸成されている一方、少しですが「若手育成に手が回らず、職場で協働する雰囲気もない」という悪い状況も発生しています。A型は、「若手育成に手が回らず、職場で協働する雰囲気もない」とともに「ストレスを訴える社員や自己都合で離職する社員が増加している」という悪い環境が生まれています。

従来の日本型であるJ型の場合は、「若手育成の体制があり、職場で協働する雰囲気もある」とともに、少しだけ「ストレスを訴える社員や自己都合で離職する社員が増加していない」という良い職場環境があるとされています。

■職場環境の代償として業績アップを得たのか?
この調査・分析からあえて直接的な結論を導こうとすれば、次のようになるのでしょう。

・業績を維持しつつ、それなりに良い職場状態(高いモラール)を保ちたいのなら、長期雇用を維持した上で成果主義を導入するのがよい
・「人材育成や社員の相互関係には深く関心を払わない。ストレスもあるし、その仕事がいやなら辞めていい。また別の人を雇うから」というマネジメント方針が掲げられる企業の場合は、その引き換えのように業績アップが見込める
・社内の雰囲気を良い状態を維持しようとする半面、組織体制を積極的に変革する勇気がない企業の場合、高い業績アップは(一般的には)望みにくい。

業績、正規社員の比率、社内で協力し合う雰囲気、ストレスの多寡、モラールの高さといったすべて要素を好ましい状態のまま保つことなど、普通の組織では望むべくもないことです。結局何かを犠牲にして、その代償として経営上重視すべき要素(多くの場合は業績アップ)を選び取る…。それが経営判断というものなのでしょう。

さらにこうした企業の意思決定が、経済・経営環境一般にとってどのような意味があるのか、影響があるのかなどにも言及しています。たとえば、A型のような長期雇用を前提としない人材マネジメント企業が成立するためには、「(企業横断的な)技能形成のシステムが不可欠」であること。しかしその点、現在の日本は「過去からの(人的な)遺産」を利用しているようなもので、そうしたシステムが今は必ずしも成立していない(早晩行き詰る)といった意味の指摘がされています。いろいろ頷かされる指摘ではないでしょうか。

…以上、内容のごく一部をわかりやすく“丸めて”表現したものです。数字は概数で、用語も当方で意識的に置き換えているところがあります。正確な分析内容をじっくり理解したい方は本体を読まれることをお勧めします。もちろんこれ以外にもまだまだ本報告書およびJILPTの各報告書に興味深い調査があります。