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「中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記」

宇宙飛行士選抜のための項目を掘り出してみました。一般企業のスタッフの人選、社員の選抜、評価にあたっても、少し参考になるところがあるのではないでしょうか。

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中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記
【白崎修一(著)、学習研究社(刊)、2000年】

■宇宙で貢献したいと思う強い意志
宇宙飛行士の資質や選抜については、「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」「フォロワーシップ(followership)」でも少しずつ触れました。この本はアポロとかの話とはまったく毛色が違い、39歳で初めて宇宙飛行士の選抜試験に応募し最終試験までいった方が、受験者の立場で選抜の様子を興味深く描いた本です。国内の、もしかしたら自分でもトライできると思わせるような身近に感じられる話になっているので、雲の上とも思える米ロの宇宙飛行士選抜の話とは違った面白さを感じさせてくれます。

本書を読むと、誰でも宇宙飛行士を目指すことができるという親近感が感じられます。しかし一方では、半端な気持ちでトライしたところでどうにもならない圧倒的な“何か”が厳然としてあることがはっきりわかります。

・宇宙飛行士という職業を早くから意識し
・長期キャリアを見据えて専門知識を身に付け
・常に自らを磨き、宇宙開発に貢献できる技術や見識を蓄積し
・心身ともにセルフ・コントロールできる意志の強さを持ち
・かつ、たまにしかない募集のタイミングに併せて挑戦できる

そんな資質(と少しの運)がない限り、挑戦さえ覚束ない感を持ちます。

なお、本書には書かれていませんが、この時の選抜で選ばれた3人のうち2人は、宇宙開発事業団(JASDA、現JAXA:宇宙航空研究開発機構の前身)の職員でした。少しだけ意地悪な言い方をすると「選抜が始まる前から合格される方のメドはついていたのではないか」と勘ぐってしまいたくなります。つまり、この時の選抜試験は、はじめから宇宙飛行士になるつもりで事業団に入りキャリアを積んだ方を公式に認めるためのプロセスだったと…。(もちろん、そんなことはなかったはずです)

良し悪しを言っているのではなく、それほど「選抜よりもっと前の人生設計」や「宇宙飛行士になって貢献したいと思う強い意志」が、こうした特殊な仕事でモノを言うのでしょう。「評価」(“アセスメント”ではなく“イバリュエーション” ※参照)するスタンスと考えれば、まさに納得できるものです。

「人事測定と人事評価の違い」

■選抜試験で何を測られるのか
著者の豊かな見識やユーモア、奮闘の様子は、ぜひ本書を読んで楽しんでもらうことにして、ここでは選抜の各段階でチェックされた検査項目または検査内容に視点を絞ってみてみましょう。

下に挙げた項目以外にもいろいろあるはずですが、受験者の立場で「テストされている」と自ら判断できる項目、その多くは結果を客観的に表現できるもの、つまり「アセスメント」(測定)項目です。JAXA(JASDA)による公式の資料にとらわれず、わざと俗っぽい表現と方法で整理してみました。細かい例外は省きます。もちろん私は部外者ですので、本書の情報から勝手に推測しているに過ぎません。


0 応募条件
0-1 学歴:自然科学系の学位で大学を卒業している
0-2 経験:研究職としての実務経験が3年以上ある
0-3 推薦:所属機関の推薦状がある
0-4 英語コミュニケーション力:TOEICのような試験結果で英語能力を証明できる

1 一次試験
1-1 身体的特性:一般の「健康診断」レベルで特に大きな欠陥がない
…たとえば身長(149cm~193cm)、血圧(最高血圧140mmHG以下かつ最低血圧90mmHG以下)、視力(裸眼0.1以上、矯正1.0-以上)など。いくら強い意志があっても、視力などでひっかかってしまう人は少なくないでしょう。
1-2 心理的特性:一般的な「心理テスト」で特に大きな欠陥が見つからない
1-3 一般教養:公務員の一般教養試験のようなもので、そこそこ知識があることを証明できる
1-4 基礎的専門能力:数学・科学系および宇宙開発の分野に関し、そこそこ一般的知識がある

2 二次選抜
2-1 身体的特性:「人間ドック」レベルの検査で特に大きな欠陥がない
…内視鏡検査、X線検査を含め「考えられる限りの検査」を受けたといいます。虫歯や過去の開腹手術の有無などが結構ネックになるようです。かなり踏み込んで身体検査をしても、宇宙での活動に支障がないことが客観的に証明できなければならないことを意味します。
2-2 運動能力:まずまずの体力を保って活動ができる
…トレッドミルによる負荷をかけた心肺機能検査などが行われるとのことです。

■ここからが本番
以上はすべてスクリーニング、つまり最低条件のチェックだといえそうです。このあとが本番の試験といえるのかもしれません。

2-3 意志の強さ:面接の機会に志望動機などをはっきり伝えられる
…採用担当者や宇宙飛行士の毛利さんなどが試験官。英語での受け応えもあるそうです。
2-4 英語コミュニケーション力:英語で状況理解、伝達などができる
…ネイティブ・スピーカーが試験官。短いビデオをみてその内容についての質問などがされる形だったようです。
2-5 潜在的・顕在的精神状態:宇宙飛行士としての職業に適合した心理状態である
…心理面接で過去から現在にいたる精神的影響が引き出されたり、自分でも気が付かない深層心理が調べられたりするとのことです。警察の取調べのようなかなりきつい精神面接もあるとのこと。
2-6 グループ活動への適合性:グループで討論したときに、適切に意思表明や議論ができる

■閉鎖環境テストとヒューストンでの面接
この時の選抜では、三次選抜まで残ったのはわずかに8人。三次選抜の前半は、1週間におよぶ閉鎖環境テスト。後半はヒューストンに飛んで行われた面接が中心とのことでした。

3 三次選抜
3-1 長期滞在の適性:閉鎖環境に長期間カンヅメになっても問題なく合宿生活ができる
3-2 忍耐力:細かい作業にも途中で投げ出すことなく取り組める
…閉鎖環境に閉じ込められている間に「無地のジグソーパズル」や「ワープロ練習」を課題として与えられたとのことです。
3-3 企画立案力:与えられた情報から、テーマに沿った企画を立てることができる
…閉鎖環境に閉じ込められている間に「旅行計画作り」が課題として与えられたとのことです。
3-4 心理的特性:心理テストを何度も受けても大きな欠陥は見つからない
…閉鎖環境に閉じ込められている間に毎日同じ(?)質問紙法による性格検査を受けたというあたりが徹底しています。性格検査は、同じものを何度もやるとむしろ自分を飾る意識がなくなり心理特性が明確になっていくものです。

3-5 思考と操作を両立させる能力:頭で考えながら手を止めることなく作業できる
…閉鎖環境に閉じ込められている間、パソコンを用いた思考&作業コントロールのテストが毎日あるとのことです。
3-6 空間認識力とその中での活動能力:ロボットアームなどを失敗なく操れる
…閉鎖環境に閉じ込められている間、ロボットアームの操作訓練につながるようなちょっとした検査があるとのことです。
3-7 共同プロジェクト推進能力:企画から実制作まで、メンバーと協力して時間をかけて推進できる
…閉鎖環境に閉じ込められている間を通じ、共同でレゴ・ブロックを使ったロボットの制作が課題として与えられました。
3-8 プレゼンテーション能力:成果や考えをきちんと発表し、他人に伝達できる
…完成したロボットについて、考え方や機能などを説明する必要があるわけです。

3-9 論理的思考力・説得力:テーマに沿って議論し、人を説得できる
…閉鎖環境に閉じ込められている間、ディベートのための時間が毎日のように組み込まれていたようです。テーマや各自の役割(司会、肯定派、否定派、まとめ役)は管制室から指示され、受験者はそれに従うことになります。議論の勝ち負けというより、論理的に議論を組み立て、相手をいやな気分にさせないながらも納得させる力が求められているようだと推測されています。
3-10 無重力や宇宙酔いに耐えられる資質がある
…水平回転装置による身体能力の検査。つまりあの有名(?)な“回転いす”でぐるぐる回される訓練のこと。「コリオリ加速度負荷検査」というらしい。
3-11 芸術や文学などに積極的に取り組める素養がある
…「人文芸術的面接」として、テーマに沿った絵を描くことが求められたとのことです。

■最終面接へ
以上がほぼ「アセスメント(≒測定)」に近いものといえます。もちろん、アセスメントだけでなく、随時「イバリュエーション(≒評価)」がされていたのは間違いないわけですが、ここではわざとアセスメント的な表現で列挙しました。

しかし以下はもう、アセスメントではなくあきらかにイバリュエーションのためのものといってよさそうです。

3-12 総合的判断:「こいつは果たして本当に強い意志があるのか!」の見極め
(a) NASA現役宇宙飛行士による面接
(b) 日本人宇宙飛行士による面接
(c) 宇宙開発事業団役員による面接
3-13 宇宙飛行士としての生活への対応能力
…実際にはテストという形をとっていませんが、ヒューストンまで行って現役宇宙飛行士などのパーティに何度か参加したり、スペースシャトルのシミュレーション機に乗ってみたり、さまざまな機会を通じて関係者が集う機会を設けていたりします。これらを通じて意識的または無意識的に選抜側による被選抜者の観察がされているのは間違いないでしょう。テストというより、宇宙飛行士になる(有名になる)ことで生じるさまざまな生活のシミュレーションといったほうがよさそうです。

4 最終面接
4-1 総合的判断:宇宙開発事業団の役員が評価して合格と認められること


繰り返しになりますが、以上はJASDA(JAXA)の資料でも著者がまとめた内容でもありません。テストの内容がどのような意味を持っていたのか、あるいは持っていなかったのか。さらにはどのように評価に利用されたのかはもちろん公になっていません。あくまでもこの評を書いている私の勝手なまとめと推察です。

こうみてみると、かなりたくさんの項目を挙げることができます。でも実際に選抜の最終段階で選抜する側が意識する事柄は、かなり少ないような気がします。先に触れたように、選抜試験より前に相当部分が決まっている「人生設計」や「強い意志」とかが決め手となるのでしょうが、これらはこの場になってとってつけたようにアピールできるというものでもないのでしょう。

選抜のシステムや実際について、宇宙機関の関係者からぜひ何らかの機会にじっくり聞いてみたいものです。

▽追加記事:
2009年3月に、NHKスペシャル「宇宙飛行士はこうして生まれた~密着・最終選抜試験~」という番組が組まれました。
宇宙飛行士選抜(NHK特集より)

「数字と人情 ― 成果主義の落とし穴」

人事に限らずマーケティングや経理でも、数字をひとり歩きさせてはいけません。数字を「実感する」ことが大事だと常々思っています。

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「数字と人情 ― 成果主義の落とし穴」
【清水佑三(著)、2003年刊、PHP研究所】

■人事測定と人事評価を埋めるもの
既に書いたエントリ 「数字で考える「人」「チーム」「組織」入門」および「人事測定と人事評価の違い」で、次の2つ
・客観的なアセスメント - 人事測定
・主観の入ったイバリュエーション - 人事評価
の違いを認識することの必要性を説明しました。人事測定で客観的な数字をつかみ、それを参考にして現実の世界に当てはめた人事評価をする、という流れが望ましいと考えています。

でも、人事測定がたんなる参考値にしかならないならば、そもそもアセスメント・テストなどやらなくてよいのではないか、といった意見も出てきそうです。また、測定と評価を別物として考えるだけでは、評価においては測定数値以外にどんな要素を考慮すればよいのかがわかりません。

本書は、「数字」に対し「人情」を付け加えることが大事だとしています。成果主義でギスギスしてしまうような組織には、まさに「人情」が足りないのだと…。少し私の独りよがりの読み取り方をしてしまえば、「人事測定と人事評価の間を埋めるもの」が語られていると感じます。さらには、人事に限らずもっと広い視点から「数字の扱い方」について面白い話が盛り込まれています。

■成果主義導入は言い訳だったのか
「人情」という表現は、現在の成果主義・実力主義の流れからすると何かピンとこないものかもしれません。これまでの社会では特定個人の好き嫌いや説明のつかない属人的な要因から人の評価がされてきた過去があり、客観的な成果や実力が正当に評価されなかったという反省がありました。だからこそ、世界標準(?)とかグローバル競争力強化(!)とかいう理由を持ち出して、我も我もと成果主義に走ったのがここ10年くらいの日本企業だったと思われます。その論理にしても、本音で言えば「人件費削減」が直接の目的で、競争力強化などはたんなる言い訳に過ぎなかったところも少なくないでしょう。

それでも「成果主義」導入で成功した企業ならいいのかもしれません。しかし、成果主義による組織改革は成功せず、競争力強化にもつながらず、人件費削減も中途半端になってしまったという企業は決して珍しくないと思われます。そこに残ったものは、従業員のモラール低下とギスギスした組織風土だけだった、などという笑えない状況にはまってしまった組織もあることでしょう。

■「体感言語」とは何か
本書では、成果主義の広がりによって「数字がひとり歩きする」ことの危うさについて触れ、それを補うものとして「人情味のある人間である」ことが大事だとしています。

「数字は現象の投影である。数字が目的にはなりえない」
「数字はめりはりが効きすぎると、ガン細胞のように自己運動して本来の役割を超えてひとり歩きを始める」
「企業でなされている教育・研修は(『青い鳥』を探す)チルチルとミチルの夢中の世界行脚を彷彿させる。能力は追いかければ逃げていく」

数字だけで偏った評価を下してしまわないために必要なものを、著者は「体感言語」という独自の言葉で表現しています。たとえば温度計で測った「気温」は人の寒さ温かさを測る一つの指標ですが、実際には物理的な気温とは別に「体感温度」なるものがあって、人それぞれ、その時の体調や気分によって感じる寒さ暖かさは異なります。同じように、アセスメントなどで測られた人に対する測定数値とは別に、人の能力なり資質なりを表す別の「体感言語」があるというわけです。

「『あの人は器が大きい』といった表現をする。こういう言葉は体感言語といって客観性を持たない。にもかかわらず、組織の上位者の定義(職能等級書)には必ずといってよいくらい頻繁に登場する」

成果主義がうまくいかなかったからといっても、単に数字を無視してしまうだけでは古い企業社会の人事マネジメントに戻ってしまうかもしれません。しかし(この文を書いている私の意見としては)アセスメントで得られた客観的な「数字」と、少々主観的でもよいからできる限り真摯に見極めて表現した「体感言語」を使い、さらに評価者がその説明責任を負えるような記録を残せば、たんなる独善ではない人事評価につながるものだと考えます。そのためには、評価される側ではなく、なにより評価する側(結局はすべての管理職)にこそ、人事評価のトレーニングなり経験なりが必要だと考えます。

■「数字の本質」を把握する力
数字に強いとは、計算が速いとか、細かい数字を正確に覚えているとかいうのでは必ずしもありません。人事に限らずマーケティングでも経理でも同様です。本書でも数字の本質についての話は人事の分野に限りません。「マーケティング・リサーチのうさん臭さ」などにも言及していて、それぞれうなずけるところがあります。

「おいしい商品、おいしい顧客、おいしい社員…、といったものに気付くことができる…。数字に強い人とは、この『おいしさ』を数字をもって追える人と定義できる」
「数字にも感情があり、数字の無理な捏造は、音楽でいう不協和音のように、目に不快である」
「数字に強い経営とは、みずからの行動を数字に射影する勇気のある経営をいう」

個人的には、「(大岡越前守のような人情味のあふれる裁断が)できない、という人は所詮、統治(する立場)には向かない人である。理屈を言って事の本質から逃げる人は、犬に食われて死ねばよい」(p.145)とまで言い切っているあたり、かなりウケてしまいました。

この評を書いている私も「数字で考えるマーケティング入門」、「数字で考える「人」「チーム」「組織」入門」といった本を書いてきましたが、どうしてもうまく伝えられなかったことが上のように端的に言い表されていて、参考になりました。

さらに、かつて著者が聞いた小林秀雄の講演から、「人は人がわからないんだよ。馬鹿なインテリだけがわかったような口をきくんだ」といった言葉を引用しています。だからといって人の評価をあきらめてしまうではなく、その前提の上で人に対する評価をすることを迫られているのが現代のビジネスパーソンなのです。

■成果主義のアンチテーゼというより…
数字で評価することのマイナス面が強調されているため、本書は見ようによっては“成果主義のアンチテーゼ”とも受け取れることでしょう。実際、Amazonの読者評価にはやや否定的な意見も並んでいます。数字で人の評価を判断するための“具体策”を期待した人事担当者や経営者予備軍などには、“甘っちょろい感情論”と受け取られるのかもしれません。

しかし著者の経歴をみると、なんと人事アセスメント会社の経営者ではありませんか。私も著者のことをまったく知らずに読み通した後で著者のバックグラウンドを知ったのですが、著者はそれこそ「数字で人を測る」プロなわけです。数字の可能性と限界をわきまえたからこそ書ける本のように思われます。

また、たとえば「人情味のある人は例外なく体つきがふくよかな人」など、著者の経験や少し独断(偏見?)の入った事例も挙げているため、読みながら違和感を感じる部分があるかもしれません。でも、それら個々の事象の賛否を論じるのは、本書の狙いから言って無粋でしょう。

「ビジネスパーソンが人事制度についてお勉強するための書」というより、もっとずっと軽い読み物と位置づけたほうがよいでしょう。机に向かって背筋を正して読むというより、寝転がって気軽に読み進めるタイプの本です。

人事測定と人事評価の違い

「測定」と「評価」は一見似ていますが、はっきり区別するのが人材マネジメントで必要だと考えています。

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人事測定と人事評価の違い

■テストの得点は高ければ良いわけではない?
能力主義、成果主義の世の中になり、どこの企業でもそこで働いている人たちの能力または実績を評価する必要性が高まっています。新規に社員を雇用するときにも、何らかの手段で応募者(入社候補者)を評価して、できるだけ必要とする人材を選び出さなければなりません。その際に、人の評価につながる何らかの「テスト」を実施することが多いでしょう。零細企業を除けば、入社時の適性検査、職務内容につながる知識テスト、英語力のテストなどを組織のシステムとして利用している企業が一般的です。

また、世の中には多種多様の「検定試験」と呼ばれるテストがあります。ビジネス向けだけをとっても本当に数多くあります。テスト業界という一つの“産業”を成しているといっても過言でないでしょう。向上意欲の高い人ほどこうした検定試験に興味を持ち、果敢にトライしています。

こうしたテストの得点は、一般的には高いほうが良いものがほとんどです。得点が高いほどその人に能力があると評価され、または適性があると認められるものだと思います。しかし一方で、「テストの得点」と「人の実質的な評価」とは少し違うものであることにもすぐに気付きます。ごく一例を挙げれば、

・学生時代に英語の成績がよく、かつ英語力テストでも高得点の人

・実際に英語でコミュニケーションをとり、ビジネスを進めることができる人

は、(一致することももちろん多々ありますが)時に異なるものです。英語テストなどの「得点」は、英語でビジネスを進めるための一要素にすぎないことがその一つの理由でしょう。

場合によっては、なまじ英語読解などの能力が高いため、文書や公式的意見にとらわれすぎて、現場で交渉相手の真の狙いを読み取れないといったマイナスの作用をもたらす場合もあろうかと思います。少し乱暴な言い方をしてしまうと、「(英語)テストの得点が高いことが、泥臭いコミュニケーションの現場でマイナスになる」ことさえあるわけです。

■客観的な「アセスメント」と目的にあわせた「イバリュエーション」
人の能力を何らかの科学的・客観的な方法によって測定することを「人事測定」または「(人事)アセスメント」と呼びます(※)。業者によって用意されている適性検査や能力測定テストはアセスメント・ツールの一種です。

これに対して、特定の企業、特定の職務において、人の実績、現在発揮されている能力のレベル、将来の可能性などを見定めることを「人事評価」または「(人事)イバリュエーション」と呼びます。昇進昇格・能力給の裁定などに直接つながる指標は、基本的にはイバリュエーションのはずです。

アセスメント(assessment)とイバリュエーション(evaluation)は、日本語にするとどちらも「評価」になってしまいます。現実に、両者を特に区別しない考え方があることも事実です。しかし本来の性質として、両者はかなり異なるものです。

「アセスメント」は、あくまでも客観的に“モノサシ”をあてて測ることです。身長、体重、体脂肪率、視力といった物理的な量や性質と同様に、人の能力や性格、その他の特性を切り取って定量化したものです。人の特性を定量化することは簡単なことではありませんが、きちんと数字で人の能力などを表すことができれば、対象(ここでは人)を客観化することにつながります。特定の組織や関係者の思惑に左右されない普遍性が求められます。

「イバリュエーション」はこれと異なり、“ある特定の目的をふまえたときに”ふさわしい能力や適性があるかを判断することです。もちろんここでもできるだけ客観的な評価基準を持つことが求められますが、より大事なことは「現実に適合するか」だと考えます。つまり、現実の仕事に適した人であるかどうか、現実に業績向上にふさわしい働きをしたかどうかなどを判断することに他ならないわけです。そのとき、アセスメントによる数字は一つの「参考値」にすぎず、定性的な事柄も含めた何らかの総合的な判断が求められます。結果として「A評価」だの「B評価」だのという定量化がされることも多いものですが、それは評価結果をあらためて定量的な手法で表現したにすぎません。

「アセスメント」では、理想的には世界中のどの国のどの組織が測定しても、同じ対象に対して同じ結果が出ることが望まれます(…そんな理想的な人事測定ツールはまずないでしょうが…)。一方「イバリュエーション」では、当事者である組織の事情なり、評価の目的なり、独自性なり、時には属人性なりが入り込んでしかるべきものです。でなければ、どうしてビジネスの現場に即した判断ができるといえましょう。だから国により組織により仕事の内容によって、同じ人でもその評価は異なります。

■人事評価は、手間ひまがかかるもの
経営システムは常に合理性を求めるものなので、何か有効なテストを持ってきてそれを従業員にあてがえば昇進昇格も給与も簡単にはじき出せるといった、そんな万能なツールを求めがちです。しかし、きちんと測定結果を定量化できるアセスメント・テストとは、本質的にその切り口が鋭利なものです。測定内容が一面的で物足りないからといって、「もっと総合的な人材能力を測るテストはないのか」とか言い出す経営者や人事担当者がたくさんいますが、それは「測定」の本質を理解していないことといわざるを得ません。

また、一般的に利用されている適性テストが自社に合わないからといって、「自社にカスタマイズしてくれないと困る」とか言い出すのも困りものです。測定と評価を混同していると、そうした発想につながりやすくなります。

現在の企業社会で、人事評価は人事担当者だけが携わるものではないことは明らかです。日常的に仕事をしながら、部下など(いわゆる「360度評価」の場合は上司や同僚も含め)を評価するのは大変なことですが、組織人としてはできるだけ「納得できる人事評価」をしたいものです。その意味で、人事測定による客観的な判断要素を用意したうえで、自信を持って人事評価をできる環境を整えるべきかと考えます。どうしても手間ひまがかかるものでしょう。それでもなお、組織において人事測定・人事評価のプロセスは欠かせないものと思いますが、いかがなものでしょうか。

※アセスメント(assessment)という言葉の定義は必ずしも一定していません。ここでは「アセスメント≒測定」と定義しましたが、実際には人事評価に近いものを含めてアセスメントと呼ぶこともあります。

フォロワーシップ(followership)

本当に有能なプロフェッショナルとは、リーダーシップだけでなく「フォロワーシップ」をきちんと発揮できる人のことなのかもしれないと思うようになりました。

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「指導力革命 ― リーダーシップからフォロワーシップへ」
【ロバート・ケリー(著)、牧野昇(翻訳)、プレジデント社刊、1993年】

■“普通の本物”と“本当の本物”の違い
以前、どこかでこんな話を聞いたか読んだかした覚えがあります。

ある経営者が仕事をその道のプロに依頼しました。ここでは話を少しだけすり替えて、仮に「経営者が名のある絵描きに絵を発注した」とでもしておきましょうか。発注時には描いてほしい絵の条件をきちんと絵描きに伝え、絵描きもその条件を納得した上で制作にかかりました。ところがもうすぐ出来上がるかという段階で経営者が完成直前の作品を見に行くと、発注時に意図した注文とちょっと違う、必ずしも納得できない絵ができつつあるのに気が付きました。絵描きからすると条件を違えたわけではなく、自らのプロとしての能力を発揮してよりよい絵に仕上げようとしたまでのことです。

経営者はここで、絵の描き直しを指示したいところです。いくら絵描きに実力があっても、せっかくできた絵が気に入らないものになってしまっては意味がありません。しかし費用と納期は限られています。それ以上に、当の絵描きにもプライドがあるでしょうから、下手に作り直しを命じると臍を曲げてしまう可能性もあります。

その時どのように対処するか、次のようなケースがあるといいます。

(1) もしその絵描きがプロとしてのレベルがやや低い者であるならば、たとえ相手の感情を害することにつながっても描き直しを要求する。
(2) もしその絵描きがプロとして本物であるならば、相手のプライドに泥を塗ってまで無理な描き直し要求はしない。
ここまでは誰もが普通に考え付きそうですが、その経営者は次のケースも想定していました。
(3) もしその絵描きがプロとして“本当の本物”であるならば、たとえ相手の感情を害することにつながっても描き直しを要求する。

(2)と(3)の違いは、相手が“本物”か“本当の本物”かの違いです。この経営者の考えとしては「せっかくの仕事に注文をつけると、普通に優秀な人はたいてい気分を害してしまうが、本当に優秀な人はむしろやる気になる」。だから無理な注文であっても構わず言う。それで仕事の質が落ちるような仕事相手には次は注文しない、というのです。

■フォロワーあってこそのリーダー
これはかなり自分勝手な論理です。実際にその経営者は強引に仕事を進めるワンマンとして評判で、誰に対しても都合の良い理屈を言って実権を振りかざしていただけのことかもしれません。しかしながら、“普通の本物”と“本当の本物”の違いを上のように言い表していたのは、確かに一理あるような気がしています。

現実のビジネス社会の中で、自らプロとして自負心を持って働いている方々は多数いることでしょう。「リーダーシップを発揮することが成功のカギである」と書物や周囲から数え切れないほど叩き込まれた優秀なビジネスマンや経営者であればあるほど、プロフェッショナルとしての自負心が強ければ強いほど、他人に従うことを快く思わず、威張ったり自己満足に陥ってしまったりしがちなものです。他人からの注文を納得できず結果的に失敗をしてしまった経験が、きっと誰にも多かれ少なかれあることだと思われます。

ところが「リーダーシップ」の重要性は数限りなく語られるものの、人への従い方=「フォロワーシップ」の重要性はほとんど語られることはありません。そもそもリーダー(先導者)に対するフォロワー(従属者)という言葉を使ったことがない方も多いと思われます。でも複数の人が協力して仕事をするときはいつも、フォロワーシップがあってこそリーダーシップが成立することを忘れてはいけません。

フォロワーシップは、盲目的に上に従うべきことを指しているのではありません。人の能力はその職位と不可分ですが、職位が高い人がどの分野でも職位の低い人より優れているというわけではもちろんありません。かりに管理職とか経営幹部のほうがマネジメント能力が優れているとしても、商品開発・営業開拓・事業企画・技術開発などそれぞれの専門分野にはそれぞれの専門知識を持つ人を登用することがふさわしいわけです。つまり、人は常にリーダーにもなり、常にフォロワーにもなるわけで、そこのところを忘れてしまうと、先に触れた「プロとしての自負心があるが故の失敗」≒「フォロワーシップのとり損ない」につながるというわけです。

■フォロワーにも5類型ある?
本書の原題は「The Power of Followership」。1990年代前半に発刊されたこの本は、経営管理に「フォロワーシップ」という概念を持ち込んだことで注目されました。著者のケリー氏はこのテーマを語るときに欠かせない“御大”のような存在のようです。

この本ではフォロワーシップという概念を「リーダーなどに対する、上向きの影響力」と位置づけています。

「まるで大事なのはリーダーだけで、残りのフォロワーは下の立場にあるような階層構造まで作り出してしまった」
「ここ100年かそこらで、“リーダー”と“フォロワー”という言葉には、すっかり現在世間一般に広まっているイメージが植えつけられてしまった」

だからフォロワーシップの重要性をもっと認識し、リーダーシップ開発だけでなく組織のフォロワーシップ開発にももっと力を注げ…、というのがこの本の主たる主張です。

自分がフォロワーとなったときには仕事に対してどう考えればよいのか。自分がリーダーの時に部下のフォロワーシップをどう育てればよいのか。フォロワーにもいくつかのタイプがあり、そのタイプによって望ましいキャリアパスのあり方も育成のコツも違うことなど、日本のビジネス社会でも実感を持てる内容が書かれています。

さらには人のフォロワーシップ型を見分けるテスト項目が用意されています。この簡単なアセスメントテストによって、読者自身が5つの型(消極型、盲従型、批判型、官僚型、模範型)のどれに当てはまるかを判断できます。

※「指導力革命」目次
プロローグ 警告「リーダーシップが危ない」
1章 人々がリードすれば、リーダーは従う
2章 21世紀の組織の盛衰を分かつもの
3章 なぜフォロワーの道を選ぶのか?
4章 人は何に満足するのか?
5章 あなたは、どのタイプのフォロワー?
6章 模範的フォロワーは、ここが違う
7章 人間関係がフォロワーを育てる
8章 リーダーに「ノー」が言えるか?
9章 勇気ある良心を発揮するための10のステップ
10章 模範的フォロワーから見たリーダーシップ
エピローグ フォロワーシップのフロンティアへ

■気軽に読める本
本書に少し不満があるとすれば、フォロワーシップを重視せよという主張とは別に、その奥に厳然とした(先導者-従属者の)階層構造の存在を意識しているように受け取れるところでしょうか。監訳者が「本書は…簡単に言うと“ヒラ”の従業員のあり方を取り上げたもの」という実も蓋もない言い方でこの本を表現しているとおり、「結局のところ人をいかに従わせるか」といった枠組から踏み出していないようにもみえます。そのあたりが個人的には少し引っかかります。

また本書では「職務上の権限を持つ人」と「仕事を先導するリーダー」とを分けて考えていないあたり、現代の組織論、リーダーシップ論からすると物足りないところがあります。

でも、あまり小難しく考えずに読める分、人事の専門家だけでなく一般ビジネスパーソンにも素直に読める内容になっているともいえます。それでいていろいろ示唆に富んだ説明があることは確かです。(ただし日本語訳は中古本などでなければ手に入りにくいようです)

■フォロワーシップの有無が生死を分ける状況
少し前に書いたエントリー「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」で、宇宙飛行士の組織や育成について触れました。宇宙飛行士は、それぞれの役目によって内容は異なるでしょうが、まさにプロであることが求められる職業に違いありません。一方で、宇宙船という閉鎖空間の中で他のクルーと共同して仕事をする場面では、周囲と協調しリーダーにきちんと従うべき秩序が求められます。宇宙空間でメンバーシップがうまく働かなければ、下手をしたら自分と仲間の生死を決定的に左右するかもしれないリスクを持つことになってしまいます。

宇宙もしくは同様の閉鎖空間では、間違いなくクルーにフォロワーシップが必要のはずです。そして少なくとも現代の宇宙飛行士たちは、きちんとしたフォロワーシップを身に付けられる資質を持ち、そのための訓練が施されているのではないかと思われます。公の場で見る宇宙飛行士たちが誰も人格的に優れているかのように感じられるのは、本来リーダーとしての資質を十分に持つプロでありながら、フォロワーシップをも確実に身に付けて行動できることにあるのではないかと推測する次第です。

冒頭で「“本当の本物”は、無理な注文を受けても臍を曲げない」という話を書きました。これは実のところ、当人が無理難題があっても我慢できるとかいう低い次元の問題なのではなく、フォロワーシップを身につけていることがより自らの仕事の質を高めることを知っているのではないか…。そう考えると妙に納得する話なのですが、いかがでしょう。

「数字で考える「人」「チーム」「組織」入門」

誰でも読んでいただけそうな部分と、少し専門的に入り込んだ部分と、少し極端な要素が同居しています。広く一般的な話題を展開しつつ特定のテーマについてピンポイントで狙いをつけて踏み込もうとしたわけなのですが、結果として成功したかどうか、なんともいえません。

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【明日香出版社刊、2003年】

弊社松山が執筆した書籍です。人材マネジメントといっても、本書ではサッカー、野球、陸上、水泳といったスポーツに関する話題をいくつも盛り込んでいます。…「巨人の星」の星飛雄馬まで題材に用いてしまいました(笑)…。難しいことを考えなくても、人材マネジメントなどまったく専門外の人であっても楽しく読めるようにしたつもりですが、本当のところどうだったでしょうか。お読みになった方があれば、ぜひご意見を伺いたく思っています。

表題通り「数字」で人事マネジメントについていろいろ考えてみよう、というのが大きなテーマです。ただし、人や組織を数字で「規定」してしまおうという考えでは決してありません。狙いはむしろ逆で、数字というツールを使って人や組織を客観的に見つめながらも、その「客観」と当事者の「主観」の違いをきちんと認識し、創造性が発揮できるよう工夫していこうというスタンスを持っています。「客観」と「主観」を区分けるための重要な要素として「人事測定(≒アセスメント)」と「人事評価(≒意思決定・判断に直結するもの)」を厳然と区別すべきことを、本書を通じて強調しています。

そして最後の第6章Section3では、「項目反応理論」(Item Response Theory:略して「IRT」)という得点付けの方法について少し細かく説明しています。表計算ソフトなどを用いた数値解析を行い、具体的にIRTによるテストの点数付けを行った例(小さなモデルにすぎませんが)を示しました。このあたりの記述は、人事測定の専門書を除けば他の書物にないユニークなところだと思います。

第1章 個人と組織の関係を考えよう
Section1 人事・組織とは
Seciton2 人や組織を数字で“測る”とは
第2章 個人の力を高める
Section1 個人の能力を把握するには
Section2 個人の性格を測る
Section3 社会で必要とされる基礎能力
Section4 資格試験/検定試験の利用
第3章 仲間・コーチとの協力
Section1 チームワーク
Section2 コーチング
第4章 チーム作り
Section1 チーム作りと戦略・戦術
Section2 コンピテンシー
第5章 組織の運営
Section1 組織特性の測定
Section2 評価・報酬制度と数値化
Section3 研修・教育のシステム作り
第6章 カリキュラムとモノサシ作り
Section1 人材育成カリキュラム策定の基本
Section2 テストと測定
Section3 項目反応理論の応用