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公的機関の人材育成事業-2

前回に引き続き、“人づくり”に関わる公的機関の分類、整理です。今回は、中小企業庁系の機関を中心に説明します。公共サービスの背後に無駄があり、関連法人が事業仕分けの対象になっていますが、なかにはばかばかしい仕分けとしか思えない結果もみられます。

公的機関の概要図B
〔人づくりに関係する機関の分類例〕 図のpdfファイル

■中小企業基盤整備機構も事業仕分けの対象に
前回(1回目)の記事では、人材教育に関連する似通った名前の組織が多く存在していること、厚生労働省管轄の団体は職業能力開発促進法が主な法的根拠になっていること、雇用・能力開発機構が関連する職業訓練機関を運営してきたこと、その雇用・能力開発機構は事業仕分けによって廃止されることになっており、来年に別の独立行政法人とくっついて新たな独法となる予定であることなどを説明しました。

1回目の記事の冒頭で挙げた図(初期掲載版から少しupdateしました)と、文章の冒頭で書いた“クイズ”がまだ説明できていないので、それらも参照しながら先を進めます。

このテーマに関連する公的機関は大きく次の4グループに分けられます。
・厚生労働省系
・中小企業庁・経済産業省系
・文部科学省系
・地方自治体が運営するもの

厚労省の場合に、「雇用・能力開発機構」と「職業能力開発促進法」がそれぞれ重要な実行機関と法的根拠であったように、中小企業庁系でもそれぞれ該当する機関と法律があります。

(7)中小企業基盤整備機構
:全国に10の支部(地域オフィスを含めるとそれ以上)
(8)中小企業大学校
:全国に9校

中小企業庁の施策実行の中枢となる実行機関が「独立行政法人中小企業基盤整備機構」で、2000年前後の特殊法人改革の波の中から2004年に出来た法人です。前身は、中小企業総合事業団、地域振興整備公団など。

中小企業大学校は、同機構が設置する教育施設です。つまり組織的には(7)が(8)を含みます。(中小企業大学校ではなく)中小企業基盤整備機構自身が主催する研修セミナーもあります。

雇用・能力開発機構の箱モノ事業ほどではないにせよ、どの程度社会の役に立っているかとなると、厳しい意見が一部にあるようです。かりに末端の事業は高く評価されたり少ない報酬で頑張っていたりしても、機構役員の報酬や外注時の手数料が多額であるといわれます。組織・システムとしてのオーバーヘッドが大きければ、それは見過ごすわけにはいきません。雇用・能力開発機構と同様、国の機関として活動する意義が問われ、第2次の事業仕分けの対象に選ばれています。

これらの組織の名称は長いので、話の中ではよく「機構」と一言で表されます。しかし厚労省の職業訓練の話の中での「機構」と、中小企業支援の文脈での「機構」では、指している組織が違うので注意しなければなりません。

■省庁の枠を超えられるか?
1回目の記事の図と違う視点から、職能大や一般の大学・高専などを比較分類して、冒頭の図(人材育成に関連する機関の分類例)にまとめてみました。

中小企業大学校については、「大学校」とはいっても基本的には一般向け。一般企業の経営者や従業員を対象にした研修と、中小企業の支援者 ― ざっくりいうと中小企業診断士 ― の養成の両方の機能を持っています。

あたりまえのことかもしれませんが、教育機関や教育事業を制度化すると、その学校や研修の指導者の養成、つまり一段階上の「指導者教育機関」が必要になってきます。そうみると、厚労省系でいま廃止するかどうか話題になっている職業総合大については、それを単体で見るのではなく、そもそも国として職業教育のシステムを維持できるかどうかという判断になってくるのかもしれません。

一般の国立大学についても、多々課題はあるものの、経営の仕組みやガバナンスのあり方が変わっていく途上です。もはや省庁が複雑な教育システムを自前で維持する時代でないでしょう。厚労省や中小企業庁の審議会、事業仕分けでの議論など省庁の枠内のみの視点は、時代の流れの下では吹けば飛んでしまいそうな気がします。

■機構と中小企業大学校
中小企業基盤整備機構の主な法的根拠は「中小企業支援法」です。この法律は、人材育成のほか経営支援、技術支援、金融面での支援その他広い意味での中小企業支援について記されています。第1条に「国、都道府県、中小企業基盤整備機構が行う支援事業の推進…」と目的が明記されています。

もとをたどると「中小企業基本法」という基本法があり、その第19条に「(国は)職業能力の開発及び職業紹介の事業の充実その他の必要な施策を講ずる」と書かれています。それを受けるように中小企業支援法の第3条の3項4項に「中小企業の従業員研修」と「中小企業支援者の養成」が示されています。

また「独立行政法人中小企業基盤整備機構法」の第15条の2に、機構の業務は「経済産業省令で定める法人の役員・職員の養成・研修」「都道府県が行うことが困難な中小企業者・従業員の研修」を行うこととされています。これが中小企業大学校の存在根拠のようです。

中小企業大学校の研修については、直接的な評価を耳にする機会はあまり多くないのですが、間接的な評判や研修内容を見る限りでは、悪い印象はありません。ここの研修は結構早めに満員になってしまうという印象があります。もし評価されているとすれば、むしろ完全に国から独立させて民営化ができそうな気がしますが、どうでしょうか。

(参考)昨年の事業仕分けでは、たとえば次のようなコメントつきました。
「中小企業大学校については、講師は比較的低額で協力しているので、9校全体で43億円の運営費は内容に照らして高すぎる」

なお、この19日に、経済産業省から「経済産業省所管独立行政法人の改革について」という発表がありました。(第2次)事業仕分けの前の省内仕分けのような意味を持つのでしょう。中小企業大学については次のような記述があります。

「中小企業大学校の研修事業については、中小企業者のそれぞれの経営課題や現場実態を踏まえた研修に重点をおくこととし、以下の見直しを行う。
1)短期研修については、市場化テストを全校に拡大し、その結果を踏まえて廃止を含めた検討を行う。
2)受講料の水準を見直す。特に、中小企業診断士研修について、研修生が中小企業者や中小企業支援担当者ではない場合には、受講料負担を適正水準まで引き上げる。
3)コストの高い地方中小企業大学校は、地元との協議の上、その在り方を検討する。」

■体系は“混沌”か“柔軟”か
自分だけの印象かもしれませんが、厚労省系のシステムが「職業能力開発促進法」でかなりシステマチックに体系化されていたのに比べると、中小企業庁系の法体系やシステムは、ごちゃごちゃ感が否めません。悪く言えば“混沌”。よく言えば“柔軟”。毎年のように中小企業向け施策の内容が変わり、それに伴って複雑怪奇に形を変えていきます。

毎月どころか毎日事情が変化する経済環境に中小企業が対応していきたい実情を考えると、もしかしたらこうしたフレキシブルな考え方の方がよいのかとも考えられます。

しかしながら政治家の判断(思いつき)と、官僚の優秀さ(辻褄あわせ)が巧みに絡まりあい、見事に複雑化したり、整理されたりします。かつて制定された「中小企業 ○○ 法」「中小企業 ○○ 制度」という名の法律や制度の数は、数十、いや数百あるかもしれません。中小企業診断士になろうとする人は皆、これら名称群に悩まされます。試験に合格するためには、中小企業施策の本質を理解することより、これらの名称の暗記に時間を費やさざるを得ません(今は違うのでしょうか?)。

「中小企業支援センター」「中小企業振興センター」「中小企業応援センター」などの名称が乱立する理由もこの辺にあり、時に同じものを指し、時に違う概念を指します。

■中小企業支援センター
中小企業支援センターは、中小企業基盤整備機構の支部や窓口を指すこともあるのですが、多くの場合は都道府県の機関としてのセンターを指します。都道府県に1カ所づつ。位置付けとしては、中小企業庁傘下ではなく、地方自治体(都道府県)傘下の組織ということになります。制度上は、47カ所すべて「財団法人」です。

(9)中小企業支援センター
:全国で都道府県ごと47カ所(その他いくつかの政令指定都市にある地域中小企業支援センターが13カ所)
全国一括りで言うと「中小企業支援センター」ですが、都道府県別に「振興公社」「振興センター」「支援機構」などの名前になっており、行っている事業もそれぞれ少しづつ異なると思います。例えば東京都の場合は「東京都中小企業振興公社」、神奈川県の場合は「神奈川産業振興センター」、長野県では「長野県中小企業振興センター」などです。
つまり、
(10)中小企業振興センター
は、区分上は(9)の別名の一つに分類できます。

成り立ちはそれぞれ違うところがありますが、各都道府県とも、法的には中小企業支援法によって指定されているはずです。業務としては、中小企業庁関連、厚労省関連、その他もろもろ。多様な事業を持っているので、国というより都道府県の政策実行機関とみる方が正確でしょう。

組織の成り立ちとしては、「全国下請企業振興協会」の都道府県協会が前身だったところが多いかもしれません。東京都について言えば、民法に基づいて設立された財団法人下請企業振興協会という公益法人が母体で、その後東京都勤労福祉協会、東京都の知的財産総合センター事業、社団法人東京産業貿易協会といった団体や事業が次々に統合。一方、産業技術研究、食品技術といった部門が他に移管され、今の財団法人東京都中小企業振興公社になりました。本社は秋葉原の駅近くにあるほか、蒲田、青砥、立川などに支社があります。

それぞれのセンターが、独自の研修メニュー、支援メニューを持って活動しています。地域のニーズに応じて、製造業、商業、サービス業それぞれの内容が組まれています。関東近辺では、埼玉県中小企業振興公社に、結構充実したものづくり系研修があるようです。

■また一つ増えた類似名称
これだけでも類似名称は混乱しますが、この4月1日からまた新たな名称が現れました。2009年秋に行われた、例の事業仕分けの“賜物”です(笑)。

(11)中小企業応援センター
:全国84カ所

この名称は、新たに組織を立ち上げたというより、基本的には既存の機関の一部に付けた別名のようなものです。地域の中小企業がよろず相談を持ちかける先、専門家派遣をしてもらう場所ということです。

実は中小企業の経営課題解決のワンストップ窓口的なものとして、H20から「地域力連携拠点」というものが327カ所指定されていました。これは、先に触れた中小企業支援センターのほか、地域の商工会、商工会議所、信用金庫、中小企業診断士会、中小企業団体中央会などがその窓口になっていました。中小企業から総合相談を受け、必要とあれば適任の専門家を紹介することが主な役割となっていました。

ところが事業仕分けの俎上に上り、めでたく?予算計上の見送りと相成りました(事業仕分けの資料番号2-58)。当初、平成20年度から3年間の計画で全国で動いていたため、廃止は現場の人間にとって結構突然の出来事でした。

(参考)昨年の事業仕分けでは、たとえば次のようなコメントがつきました。
「全国的にまんべんなく事業を行うことに意義はあるのか。商工会議所、財団、地銀、信組に対する支援になっているのではないのか」
「もともと地銀、税理士、商工会議所の本業にあたるところで、政府は地域力連携拠点を作れば十分で、専門家の費用は受益者が払うべきである」

でも、これまた不思議なもので、「仕組みの見直しによる再提出」がされた結果、新たに「中小企業応援センター」という名で似た事業が現れました。これが(11)。まるでゾンビ。

地域力連携拠点の327個所から中小企業応援センターの84個所と、全体が整理されたように見えます。しかし、実は地域の複数の拠点が「コンソーシアム」を組んで、グループとして応援センターの看板をかけた、というのが実態です。応援センターの看板がかからなかった機関も、「ワンストップ相談窓口」がなくなるわけでも、専門家派遣の機能がなくなるわけでもありません。これまで「地域力連携拠点」の認定を受けていなかった団体が新たにいくつか加わっている分、窓口の数はかえって増えたかもしれません。

見かけより何より、いくら「応援センター」として見かけ上の数が整理されたとしても、個々の団体が、まったくそれまでつきあいのなかった(他の拠点の)専門家を自信もって紹介できるということは少ないものです。結果的に、「応援センター」として認定されたかされないかは、予算配分上の損得はあるものの(それは大きいでしょうが)、利用者から見ると、たんに“屋上屋を架した”だけのものに過ぎません。

(参考)地域力連携拠点事業の予算規模は資料によると約58億円でしたが、中小企業応援センターの予算規模は45億円弱。全体としては20%程度の予算削減ということになるようです。

政治家や仕分け人は、「無駄なものを仕分けできてシメシメ」と自己満足しているかもしれません。でも国の官僚や自治体関係者からすると、「政治家が余計なことをしてくれたので、現実とつじつまを合わせるため、新たな仕組み作りと手続きをわざわざやらざるをえなかった」というあたりが本音かもしれません。そして現場の人間や利用する一般企業からすると「また一つ、似たような名が増えて複雑になった」というのが現実です。いやホント、何をやっているのか。

まあ、今日に始まった話ではなく、どうせ数年するとまた改変されたりするでしょう。正直言って迷惑ですが、まったく時代の変化に対応しないよりはまだましと、ある程度達観を決め込む方が精神的に楽です…。

またしても長い文章になってしまいました。

(参考)
はんわしの「評論家気取り」 屋上屋を架す? 中小企業応援センター

▽関連記事:
公的機関の人材育成事業-1

公的機関の人材育成事業-1

“人づくり”に関わる公的機関。似通った名前も多く、それぞれ微妙に異なる研修や人材育成事業を行っています。研修やサービスの質には批判もありますが、実践研修、ものづくり技能系研修などには、中小企業が利用しやすいものも少なくありません。

公的機関の概要図
〔人づくりに関係する公的機関の概要図 updated 10/04/19〕 図のpdfファイル

■似た名称の団体が居並ぶ世界
クイズです。次の違いを説明してください。

(1)職業能力開発総合大学校
(2)職業能力開発大学校
では次の違いは?
(3)職業能力開発促進センター
(4)職業能力開発校
(5)職業能力開発センター
(6)職業能力開発協会

では次の違いは?
(7)中小企業基盤整備機構
(8)中小企業大学校
(9)中小企業支援センター
(10)中小企業振興センター(振興公社)
(11)中小企業応援センター
(12)中小企業家同友会
(13)地域共同テクノセンター

そして次の違いは?
(14)商工会
(15)商工会議所

で、これら全部、何が違うの?

■一般には分かりにくい全体像
名前を挙げたものはいずれも、主に中小企業や個人向けに“人づくり”の事業を行っている団体です。もちろん行っている事業は人材育成だけでなく、経営相談、補助金申請、福利厚生サービス、紛争解決など多岐にわたりますが、何らかの形で研修事業を手がけているところばかりです。

各団体の違いは、世間から見て“全くわからない”と断言します。行政の縦割り構造があちこちに見え隠れしますが、そんなこと一般利用者にとって本来どうでもよい話です。

いや、わからないのは一般の利用者だけでなく、企業支援の専門家であっても、よほどのことでなければ全体像を把握できません。かく言う筆者(松山)自身、中小企業支援に関わる仕事を15年以上やっていながら、これまで全く理解できていませんでした。最近になってこの分野の施策に直接的に関わるようになり、さすがに理解しなければいけない立場になり、複雑な仕組みを解きほぐそうとしている状況です。

■厚労省、経産省、自治体の複雑な構造
冒頭の図は、関連する公的サービスのできるだけ単純に整理したものです。対象者として
・在職者
・離職者
・若年者(学卒者)
・高齢者
・障害者
それぞれありますが、ここでは在職者訓練を中心に採り上げています。図で色分けしていますが、厳密にはオーバーラップしているところも少なくありません。

分野としては
・ものづくり(製造業)
・商業、サービス業
・共通
それぞれありますが、ここではものづくりの分野に軸足を置いています。

大きく分けて、厚生労働省系の事業、経済産業省系の事業、および地方自治体独自の事業に区分できます。先に挙げた団体では(1)から(6)の「職業能力~」という名称がついているのが厚労省との関係が深いところです。(7)から(11)および(14)(15)は、経産省もしくは中小企業庁との関わりが強いでしょう。(13)は文部科学省の管轄。それとともに(4)(5)(9)(10)(11)(13)(14)(15)あたりは実質的に地方自治体に実行部隊があったり、地域の独自事業と深く関連していたりします。

なお(12)「中小企業家同友会」は、官公庁と直接の関係がない任意団体です。民間組織なのでそもそもこのリストに入れるべきではないかもしれません。

製造業の人材育成では、埼玉県行田市に「ものつくり大学」があります(この大学の名称は「ものつくり」で「づ」と濁りません)。かつてこの大学設立時に政治的な一悶着があったのはご承知の通りでなんとなく公営機関のようなイメージを持ちます。が、実はここはれっきとした私立大学で、やはり本来は上の図に分類すべきものではないかもしれません。

しかし、公共性を持つ民間団体も、一般に見分けがつきにくいもの。混同しやすい団体を識別するという意味で、「中小企業家同友会」「ものつくり大学」も図に加えたことをご承知ください。

■廃止に向けて加速する“無駄遣いの王様”
冒頭のクイズについて説明するまえに、厚労省の外郭団体である「独立行政法人雇用・能力開発機構」が、廃止に向けて動いていることについて触れましょう。

雇用・能力開発機構は、ご存知のように、雇用保険などの金を使って「スパウザ」とか「私のしごと館」とか“箱モノ”を次々に作っていた過去があります。数多ある公共団体のうちでも“無駄遣いの王様”と表現されることがあります。しかし一方で、上記(1)(2)(3)の施設を運営している当事者です。

同機構は、自公政権下の2008年12月、廃止することが閣議決定されていました。「アビリティガーデン」は2008年度ですでに廃止済み。「私のしごと館」は、数日前の2010年3月31日をもって閉鎖されましたが、施設を買い取ってくれる事業者はまだ現れず、廃墟になるかもしれないとウワサされています。8月までにけりをつけるとのことですが、見通しは暗い様子です。

ここは、元をたどると昔の「雇用促進事業団」(雇用促進事業団法に規定)で、それが廃止されて1999年にできた(「雇用・能力開発機構法」、2002以降は「独立行政法人雇用・能力開発機構法」)ばかり。10年かけて焼け太りして、また潰されようとしている、とか表現すると関係者から非難を浴びてしまうでしょうか。

昨年、例の事業仕分けで拍車がかかり、長妻厚労相が事業廃止の前倒しを表明。それを受けて、今国会に廃止法案が提出される予定です。廃止法案の内容について同省の労働政策審議会が年明けから急ピッチで審議を続け、3月23日にまとまりました。

(参考)「独立行政法人雇用・能力開発機構法を廃止する法律案」の諮問及び答申について

2月から3月にかけて、この審議会(職業能力開発分科会)を、数回傍聴してきました。その中で印象的だったことの一つは、同機構が持っているソフトウェア部分 ― 人材育成(職業能力開発)のノウハウ ― を失いかねないことに対する懸念でした。

労働者側、使用者側いずれのメンバーからも、この点について憂慮する意見がでました。「箱物の廃止は当然だが、社保庁解体などとは違い、中の人材の多くは新組織に受け継ぐべき」との意見が多数。つまり、箱モノへの浪費というマイナス面がある一方で、同機構は「ポリテクセンター」と呼ばれる施設などを通じ、ものづくり技能系研修サービスを社会に提供してきたプラス面がある、と一定の評価がされているようです。現民主党政権の方針としても「中小企業等の人材を育成するものづくり訓練の重要性は高まっている」と認識されているのは同じ。機構を潰すと言いながら、これまで続けてきた有用な訓練機能も巻き添えにしかねない危険を孕んでいるというわけです。

審議会の結論は(当初からほぼ既定路線だったようですが)、同機構は別の独立行政法人と合体させながら、現職員は原則として解雇せず、受け皿となる機構に受け継がせるとのことです。受け皿となる機構とは、別の独法「高齢・障害者雇用支援機構」のことで、実質的に両者が合併して「高齢・障害・求職者雇用支援機構」という名になります。

今後「独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構法」(2002年施行)が「独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構法」と名前を変え、その中に「求職者その他の労働者の職業の安定」うんぬんといった目的が加わることになることでしょう。

なんだい、これじゃまたしても単なる名前の付け替えではないか、と思う向きもあることでしょう。

■「職業能力開発促進法」で規定される機関
さて、冒頭の説明。

厚労省に関連の深い法律に「職業能力開発促進法」というのがあります。この法律は、国および都道府県が労働者の職業能力の開発を援助するため、公共職業能力開発施設として「(次の各号に掲げる)施設を設置して、職業訓練を行うものとする」と明記されています(第15条の6)。その施設とは(分類の仕方により違いますが)次の5つ。

(1)職業能力開発総合大学校
(2)職業能力開発大学校 & 同短期大学校
(3)職業能力開発促進センター
(4)職業能力開発校
(*)障害者職業能力開発校(国立13校、県立6校)

このうち(1)は
→「国が設置する」
(2)(3)(*)の3つは
→「国が設置する」(都道府県も設置できる)
(4)は
→「都道府県が設置する」(市町村も設置できる)
(1)(2)(3)の国立の施設は、すべて雇用・能力開発機構の事業として運営されています。先に触れたように同機構は廃止に向けて動いているため、今後の行方が流動的です。

■大学校と総合大学校の違い
個々にもう少し詳しく見てみます。まず学卒者訓練を主としている次の2つ。

(1)職業能力開発総合大学校 …「職業総合大」
:国立1校(神奈川県相模原市)
(2)職業能力開発大学校 …「ポリテクカレッジ」
:国立10校、同附属短大12校、県立13校

この2つの名は「総合」という文字がつくかどうかの違いですが、(1)職業総合大は「公共職業訓練施設において、高度で質の高い職業訓練を行う中核的な訓練指導員の養成」を目的としています。単なる職業訓練というより、ここの長期課程(4年制)は学士資格が取得できる本格的な大学校です。一般の技術系大学よりも要求される単位数が相当多く、実践訓練を含めて結構骨太なカリキュラムになっているようです。一般の大学院修士課程に相当する「研究課程」まであります。

一方、(2)ポリテクカレッジは、「高度なものづくり分野において、生産技術・生産管理部門のリーダーとなり得る中核的な人材を育成する施設」とされています。2年の専門課程と、それに続く2年の応用課程があり、併せて4年の課程を修了すると大学卒と同等とみなされます。そのほか、半年とか1年とかの在職者訓練コースがあるようです。

なお(1)職業総合大は、東京都小平市に「東京校」があります。東京校は、組織のうえでは「分校」のような位置付けのようですが、「学士が取れる4年制課程がない」という意味で、実質的には(2)に近いかもしれません。このあたりも、両者を理解するうえで混乱を招いてしまいそうです。

雇用・能力開発機構の廃止が決まっていく過程で、例の事業仕分けの俎上にも乗り、職業総合大について「廃止を含め検討してもらいたい。大学校のありようによっては、広大な土地が不要になるので資産売却を進めるべき」と明記されました(「行政刷新会議の事業仕分けの評価結果の反映」シート番号2-3)。

ようするに、相模原の職業総合大の土地を売り払って東京校に集約させることを検討しているようです。2月20日に長妻厚労相が同東京校に視察に行ったことがマスコミで報道されました。職業総合大をスリムにしようとする意図はわかりますが、ポリテクカレッジや、次に説明するポリテクセンターとの違い、ものづくりにおける役割などをどのように判断したかまでは不明です。

▽追加情報:
4/12に厚労省独自の「事業仕分け」が行われ、特に職業総合大について議論されました。縮小ではなく廃止の方向性が強まっている“空気”があります。

職業総合大やポリテクカレッジは、ものづくりをテーマとした大学という意味で、先に挙げた「ものつくり大学」と似た機能を持っています。当然、カリキュラム内容に似ている面があることでしょう。ものつくり大学も基本的には4年生大学で、社会人向けのセミナーも行っています。

位置付けとして、職業総合大は厚労省管轄の大学であるのに対し、ものつくり大学は文部科学省の仕組みの下にあります。外野から勝手なことを言えば、そんな縦割りなど無視して両者を一緒にしてしまったらどうかと考えたくなるところです。でも、一方は国立大学校、一方は私立大学なので、国がイニシアティブをとって合体させるといった方向に動くことはまずないのでしょう。唯一その可能性があるとすれば、ものつくり大学の側から職業総合大の受け皿になることに手を挙げることでしょうが、それは、職業総合大に経営から見た価値を見出すことができてこその話です。

(参考)文科省管轄以外の省庁が管轄している高等教育機関は「大学」でなく「大学校」と呼ぶそうです。

■さまざまな在職者訓練の施設
ついで、主に在職者、離職者訓練を目的とした次の2つ。

(3)職業能力開発促進センター …「ポリテクセンター」
:国立61校
(4)職業能力開発校 …「技術専門校」「テクノカレッジ」「キャリアアップセンター」など(地域により呼称が異なる)
:都道府県立166校、市立1校(H21年度)

(3)ポリテクセンターは、「ものづくり分野を中心に、中小企業の労働者等に高度な技能と知識を習得させるための在職者訓練と、失業者の早期再就職を図るための離職者訓練を実施する施設」です。訓練機関は、離職者訓練の場合は3~6カ月程度、在職者訓練は2~5日(時間にして10~30時間程度)コースが主です。

在職者訓練は、「機械系」「電気・電子系」「建設系」について実に多岐にわたる専門的なコースが用意されています。事務系のコースも一部にあるようです。推奨される受講フローなども用意されていて、技能者の育成に熱心な製造業には参考になるでしょう。

千葉県に限り「ポリテクセンター千葉」とともに「高度ポリテクセンター」があります。「高度」とあるように、一般のセンターよりもさらに専門性を持ったコースが用意されています。

一方(4)は、ざっくり言って昔の「職業訓練校」のことです。国(雇用・能力開発機構)ではなく都道府県が設置しなければならない施設とされています。訓練内容は地域のニーズに合わせ、施設ごとに大きく違います。

面倒なことにこの呼称が都道府県によってそれぞれ異なり、たとえば東京を含めたいくつかの都道府県では、(4)を「職業能力開発センター」と呼んでいます。つまり、冒頭で挙げた

(5)職業能力開発センター

は、区分上は(4)の別名の一つに分類できます。

このように国が運営するポリテクセンター(3)と、都道府県のセンター(4)は、レベルや研修対象に大きな差があるとはいえ、機能としては相当に重複していることは否めません。何年も前から両者は整理・統合の方向に向かっていることは確かですが、自治体ももちろん財政難を抱えており、おいそれと国の機関を買い取ることはできません。たとえ無償で譲渡されたとしても、人件費などの運営コストに耐えられるかが大きな問題となります。

前述の審議会では、ポリテクセンターの地方移管を促進するため、その受け入れやすい条件を整備する、といった考え方が打ち出されました。結論として、次のような条件が同機構廃止法案に記述されています。

・都道府県が職員の1/2以上を引き受ける場合 →無償で譲渡
・都道府県が職員の1/3以上1/2未満を引き受ける場合 →時価の2割で譲渡
・都道府県が職員の1/3未満を引き受ける場合 →時価の半額で譲渡

■「協会」と「センター」は違う
以上の訓練施設と比べると、

(6)職業能力開発協会

は、かなり色合いが異なります。

ここは、上記各機関と同じく職業能力開発促進法で細かく規定されている法人です。ただし、職業訓練を行う施設というより、「職業能力の開発に関する基本となるべき計画を策定する」と位置付けられています。全国に一つの「中央職業能力開発協会」(JAVADA)と、都道府県別にそれぞれ一つずつの「都道府県中央職業能力開発協会」を置くことが定められています。

文面からすると全体の「経営・企画部門」のような気がしますが、実際には在職者や経営者向けセミナーも独自に行っています。ただしものづくり系研修や技能訓練ではなく、新入社員研修、管理者研修といった階層別研修、経理やマーケティング、営業といった事務系の研修が主です。同協会の主な活動は研修でなく、技能検定、調査・研究、経営者に対する計画的な職業能力開発の啓蒙・促進といった内容です。

……

まあそんなこんなで、一つの町に非常に似通った名称の施設が並列することが珍しくありません。たとえば東京都には、次のような組織が同時に存在してしまっています。

・東京しごと財団(東京しごとセンター) …都の財団法人
・中央職業能力開発協会 …(6)の上部組織
・東京都職業能力開発協会 …(6)
・東京都職業能力開発センター …(4)(5)
・雇用・能力開発機構東京センター & 同飯田橋事務所

「東京しごとセンター」は、高齢者、障害者の雇用を含め労働関連の窓口をできるだけまとめて、利便性を高めようとしてできた施設と聞いています。

上記の事務所は異なる組織が異なる目的で、微妙に異なる場所に事務所を置き運営しています。しかもやっかいなことに、これらの事務所のいくつかがなぜか飯田橋から水道橋の狭い範囲に集中していて、本当に混乱します。

(参考)
・東京しごとセンター:飯田橋の山手線内側
・東京都職業能力開発協会:同上
・東京都職業能力開発センター 中央・城北能力開発センター:飯田橋の山手線外側
・雇用・能力開発機構東京センター飯田橋事務所:飯田橋の山手線外側
・中央職業能力開発協会:水道橋、後楽園の北

■国が事細かに職業教育を指示する?
ついでに少し行政に対して、個人的にぼやいてみます。

これまで触れてきた機関の多くの法的根拠となっている「職業能力開発促進法」という法律は、読めば読むほど無意味に思えて仕方がありません。

まず、国自身について
「職業の安定と労働者の地位の向上を図る、云々、が目的」
「ついては、これこれこういうことをしなければならない」
と立派な目的や理念、役割が書かれています。それらを受けて、

都道府県や教育機関に
「あれもしろ、これもしろ、と数多く指示しながら」
「条文に違反したら罰金や過料」
があるらしい。さらには、

教育訓練を行う事業主に、
「なんとか訓練とかんとか訓練を効果的に使ってほにゃららせよ」
「厚生労働大臣の認定を受けた教科書を使用するように努めよ」
「技能照査の基準は厚生労働省令で定める」
「訓練指導員は都道府県知事の免許を受けたものでなければならない」
と箸の上げ下ろしを指示しているかのようです。

もし本当にこの法律通りに自治体や企業が活動していたら…

職業教育など絶対に成功しないだろう

などと想像してしまいました。

民間企業は、官の“上から目線”に縛られず柔軟に活動してこそ、良い組織づくり、人づくりができるものでしょう。

*   *   *

冒頭の図の説明がまだ半分くらいしか終わっていないのですが、長くなりました。続きは次の回の記事に送ります。

▽関連情報:
雇用・能力開発機構の廃止に関連して、続々と新情報が出ています。廃止法案は、今国会への提出を見送るとの報道あり。

第12回厚生労働省政策会議(4/1)
出席議員から質問等続出「雇用対策やものづくり支援の一環として、国の責任において職業訓練を行う組織とするとされているが、総合大やポリテクセンター等がそのような組織となるかが全く見えない。地域職業訓練センター等は切り捨てて、大元がどのようになるかが全く分からない」。
一方、厚労省側「1月の段階で検討中だったが、能開機構は負の遺産と言われ、廃止法を出さなければ鳩山内閣はまた批判を浴びる。残すわけにもいかないし、スリム化を図ると地元からたたかれる。針を穴に通すように非常に難しい」

3級技能士かもちゃんがゆく 厚生労働省政策会議(雇用・能力開発機構法廃止法案)
廃止法案以外にも、同機構に関連する興味深い記事が多い。

毎日jp 事業仕分け:第2弾候補は127事業、国費投入2.3兆円
雇用・能力開発機構はリストに入っていないが、高齢・障害者雇用支援機構が入っているので、実質的に議論に巻き込まれるはず。ほかに労働政策研究・研修機構、中小企業基盤整備機構、新エネルギー・産業技術総合開発機構などの名がある。

社民党 独立行政法人雇用・能力開発機構法を廃止する法律案に関する要請
要するに“反対”。「職員の労働契約に係る権利及び義務」を特に問題視。これについては、審議会の現場でも異議が表明されていた。

インシデント・プロセス

事故(アクシデント)につながりかねない出来事(インシデント)に気づき、必要な情報を集めて処置をする。事例を基にした演習手法の一つで、教育訓練に利用されています。さまざまなバリエーションがあります。

インシデント・プロセス事例研究法
〔インシデント・プロセス事例研究法〕

■ケーススタディ的な訓練手法
インシデント・プロセス(Incident Process)とは事例演習の一つで、“問題が起こりつつある状態”または“ある発生した出来事”が知らされ、そこからさらに必要な情報を収集、分析して問題解決を行っていく手法です。一般のケーススタディのように背景事項などを含めた長い事例説明文が提示されて、じっくり読み込んでから解決策を探っていくという方法と違い、当初は「組織図と、半ページ程度の長さの事例文または画像やロールプレイ」だけで演習を開始します。必要な情報は(講師や当事者への)質問を通じて自ら探していくことが求められます。

少し前に「インバスケット・ゲーム」と呼ばれる演習を解説した専門書を当サイトの記事でご紹介しました(「管理能力開発のためのインバスケット・ゲーム」)。いずれも20世紀半ばに米国で開発されたケーススタディ的な教育・訓練法という位置付けから、インバスケット法とインシデント・プロセス法はよく並んで説明されます。

ちょっと変わった演習ですが、運用方法によっては事前準備が比較的少なく済むとともに、結構実践的で役立つものになりえます。一般には、中間管理職層のマネジメントスキルまたはヒューマンスキル向上を目的に用いられます。

原型は、この手法の開発者(Paul Pigors)の名をとり「ピゴーズ・インシデント・プロセス」(PIP)と呼ばれます。冒頭写真の書籍「インシデント・プロセス事例研究法」の著者がピゴース氏です(この書籍は絶版となっているので手に入りにくくなっています)。もっとも、元の手法をそのまま実際の演習形態に持ち込もうとしても今の時代に必ずしも合っていないところがあり、さまざまなバリエーションができています。

■PIP:5段階の事例分析
PIPは、次のような性質をもつとされています。
・体験学習であること
・扱うケースはすべて実際に起こったことでなければならない。事実でないことをわずかでもでっちあげない(フィクション不可)。推測を事実であるかのように言わない

分析は次の5段階で進めるとされています。
1) 事例が提示される(ささいなインシデントに気づく)
2) 必要と思われる事実を集めてまとめる(事実を補完して関連づける)
3) 処置すべき問題を決める(直ちに処理しなければならない課題を明確にする)
4) 決心と理由を述べる(代替案から適切なものを選び出し、意思決定をする)
5) 教訓を考える(全体を振り返る、長期の組織目標を考える)

最後の段階では、「今」処理すべき課題だけでなく、前提となっていた「方針」レベルで考えて根本的な対策を描くことが求められます。演習を繰り返すことで、長期的に社員の経営管理能力を開発できるとされます。

一方PIPの欠点としては、次のような点があるとされます。
・教育効果ははっきりしない部分が多いこと
・講師やリーダーの力量、受講生からの信頼度、受講生の学習意欲の盛り上がり方などに成果が左右されること

この演習には思いのほか“深さ”があり、とくに利用者が繰り返し経験することによって、教育の焦点が変わっていくことが特徴とされます。本書では次のように説明されています。
・第1期は題材となっているケースそのものへの興味
・第2期はPIP法の5段階テクニック(研究方法)を使うことへの興味
・第3期は事例研究そのものが一つのケースであるということの興味
・第4期は日常への適用

ようするに、個々の事象の問題解決から入った後、手法の使い方そのものに興味を持ちはじめ、ひいては研修という特殊な場から日常的な業務の場に応用できるということでしょう。

■特定のテーマに絞った応用ができないものか
私見ですが、演習の性質からすると、「一般的なマネジメント」といった内容より、限られた環境や特定のテーマを前提とした中での訓練に向いているのではないかとも思われます。技能・技術研修の一部としても有効なのではないでしょうか。ほんの一例にすぎませんが、
・専門的機械の運用技術の伝達
・航空機など乗り物の操縦技術の向上
・情報セキュリティ管理能力の向上
・熟練加工技能の可視化
など、目的を絞った研修に応用が利くかもしれません(あくまでもアイデアレベルの話です)。

なお、インバスケットと同様、インシデント・プロセスを(教育訓練ツールとしてではなく)アセスメント・テストとしての位置付けをもたせることもできます。ただしその場合、元祖PIPの枠組みでは不可能でしょう。たとえばフィクションの世界の中で題材を用意すること、さまざまな質問をあらかじめ想定して情報収集方法を組み立てること、グループ討議によらない個人単位での解答方式を用意すること、などの準備が必要になるでしょう。セミナー会社、人事アセスメント会社がさまざまな工夫をしていますので一概に結論付けることはできませんが、基本的には能力測定(アセスメント・テスト)より、能力向上のための訓練を主眼に置かれている場合が多いと考えられます。

■インシデントとアクシデント
余談かもしれませんが、ここで繰り返し出てくる「インシデント(Incident)」という言葉は、あらためておさえておきたい概念です。単純な表現をすると、明確な事故のことを「アクシデント(Accident)」と呼ぶのに対して、その一歩手前でアクシデントにつながりかねない出来事が「インシデント」です。

一般に、「1つの重大なアクシデント」の裏には「約30の軽微なアクシデント」があり、さらにその裏には「約300のインシデント」がある、という言い方がされます。大げさな組織マネジメントという立場の人だけでなく、ごく小規模なグループ(例えば家庭)でも、こうしたインシデントをとらえ、かつそれらのインシデントが重要なのか無視したほうが良いのかなどを判断できる力がある人こそが、危機対応能力のある人ということになるでしょうか。

私事ですが、以前あるビジネスパーソン向け原稿で「アクシデント」と「インシデント」の違いの説明を重要事項と思って入れたら、編集者にカットされてしまい残念に思ったことがあります。日本語では「インシデント」に相当するぴったりした言葉がないため、このあたりの概念はすぐに理解されないことがあるのかもしれません。

何をもってインシデントと判断すればよいのか…。状況や社会の価値観によっても変わってくる概念だと思います。インシデント・プロセスという訓練手法を実際に経験するか否かとは別に、こうした手法を知ることで、管理・技術・技能いずれの領域でも、危機や不良発生に対する意識を高めることができそうな気がします。

「管理能力開発のためのインバスケット・ゲーム」

インバスケット・ゲーム(未決済の情報をみて、その処理方法を考えさせる演習)という技法を、マネジメント能力育成に主眼を置いて解説した専門書。この手法の理解のほか、前提となる個人特性(パーソナリティ)についての説明も役立ちます。

インバスケット・ゲーム
「管理能力開発のためのインバスケット・ゲーム [改訂版]」
【槇田仁、伊藤隆一、小林和久、荒田芳幸、伯井隆義、岡耕一(著)、2008年刊(初版は1988年刊)、金子書房】

■管理能力開発の一手法
いわゆる未決箱(インバスケット、in-basket)に入っているさまざまな情報を取り出して、限られた時間内にその対処法を考え、処理していく演習のことを「インバスケット法」といいます。企業などの架空ケースを想定して、その条件の下でいかに適切に処理できるかを文章で回答する演習です。個人の能力測定(アセスメント)に使うときは「インバスケット・テスト」、能力開発に使うときは「インバスケット・ゲーム」といった言い方をします。

いわゆる「ケーススタディ」「ケースメソッド」とは異なる手法ですが、事例演習という大きな枠組みで見れば同類のものといえるでしょう。20世紀半ごろに米国で開発された教育・訓練、測定技法で、本書によると「アセスメント・センター方式の演習として最も予測力がある演習とみなされている」そうです。

本書は、管理者能力開発の手段としてインバスケット法を用いるときの、その題材の開発方法、活用方法を具体的に示した専門書です。インバスケットの考え方のベースとなる概念フレーム、さらには性格・能力・適性といった特性の意味についても、本書前半(第I部)で詳しく説明しています(※)。

〔目次〕
第I部 管理能力とパーソナリティ
パーソナリティ
管理能力
管理能力の発見と開発
第II部 「インバスケット・ゲーム」開発の史的瞥見ならびに現状
「インバスケット技法」とは
日本のインバスケット技法
インバスケット技法の特徴の吟味ならびに活用法の検討
第III部 管理能力開発のための「インバスケット・ゲーム」
管理能力開発技法の検討
インバスケット・ゲームの作成法ならびに活用法
T電力版インバスケット・ゲーム
研修の進め方
追跡調査

(※)本書では、パーソナリティ(個人特性)の構造を大きく
・環境 ・身体 ・能力 ・性格 ・指向
の5種類に分けるとともに、そこから表出される管理能力を
・アドミニストラティブ・スキル(狭い意味での管理技能)
・ヒューマン・スキル(対人関係技能)
・テクニカル・スキル(職能分野における実務知識・技能など)
の3種類に整理しています。

■「苦情が来たゾ。お前が責任もって処理せよ!」(by上司)
インバスケットで与えられる課題のごく一例を挙げると、次のようなものです。

・懇親会出席の依頼書…スタッフの誰かを外部の会合に出してくれ!
・緊急連絡メモ…仕入先の一つが倒産したゾ!
・顧客からの苦情…この苦情をおまえのところで責任もって処理せよ!(上司の命令)
・総務からの依頼…恒常化した時間外勤務を削減せよ!

たとえば懇親会出席の依頼書に対しては、適切な出席者を選び、指示をして、必要であれば代替案を作っておく。倒産情報に対しては、確実な情報収集を行うとともに、並行してその業者への支払残などを確認しておく…。そうした想定回答を用意しておきます。

想定される対処法など適切な記述が書かれていれば加点、手の打ち方がピントはずれだったり、あらかじめ想定した条件からみて非現実的だったりすると減点です。かりに対処方法そのものは的を射ていても、関係者への配慮なしに独断で処理してしまったりすると、「テクニカル・スキルは○だが、ヒューマン・スキルは×」などといった採点が可能です。

■題材の開発・保守は相当に困難か
インバスケット法を用いた演習ツールは、うまくはまると実践的な訓練になると思われます。中堅管理職の能力育成に頭を痛めている経営者や人事関連の方にきっと参考になるでしょう。インバスケット法というものを言葉で知っていたがその内容まで知らない方にも、本書の実例を見ると納得できるかもしれません。

ただ、一般的なケーススタディ題材よりもさらに細かい設定、分析、予測、作りこみが必要です。たとえ企業規模の少し大きな企業であっても、わざわざ自社向けに演習題材を作るとなると、手間がかかりすぎるものだと思われます。もしインバスケット演習を取り入れたければ、一般企業の立場としては、インバスケット演習を提供している教育機関(セミナー会社)を探し、それらの中から選ぶしかないといわざるを得ません。本書はインバスケット演習の「開発」まで視野に入れた記述になっていますが、プロのセミナー会社などを除くと手を出さないほうが賢明です。

本書の記述を読むと、演習題材を一度作ってそのまま修正なしに継続させるというより、常に対象企業の状況に合わせて「改訂を続けてきた」とあります。たしかに、経済状況の変化、価値観の変化、意図しない回答などにあわせて保守していく手間が相当かかるであろうことは容易に想像できます。その意味では企業の枠を超えた客観的なアセスメントテスト(測定ツール)として機能するより、教育目的、能力開発が主眼になることが多いのかと推測します。

かなり専門性のある高価(8500円+税)な本です。先に触れた、本書の前半部分(個人特性の説明など)がすっきりした解説になっていて、あるいはこのあたりの記述が一般的に最も役立つのかもしれません。

技の伝承と人材育成4(人材育成状況判断テスト)

今回試みた指標化を参考に、個別の企業や部署の人材育成状況を判断するための簡単なテストを作ってみました。人材育成に関わるアイデア発見につながるでしょうか。技の伝承はアートかサイエンスか…、あらためて考えてみたいものです。

分析図4
〔図4 “技能者育成指標”計算例〕

■アート的な伝達…サイエンス的な伝達
前回の記事まで3回にわたって、企業の人材育成が「個人力」(暗黙知的に人から人へ伝える方法に適したもの)と「集団力」(形式知化、マニュアル化により共有できるもの)のどちらの傾向を持っているかを示す指標を作ってみました。元になった調査は、JILPT(労働政策研究・研修機構)の調査報告書(※1)です。

別の記事「NASAを築いた人と技術」では、「属人的(≒アート的)手法」と「脱人格的(≒サイエンス的)手法」の衝突、が重要な視点だと書きました。ここでいう「個人力」がアート的手法による技の伝達に、「集団力」がサイエンス的な手法による技の伝達に、それぞれ対応させることができるかもしれません。

どの企業にとってもおそらく2者択一なのではないでしょう。例えばあるものづくり企業において
・基礎的・初歩的な技能は、集団力→脱人格的な手法→off-JTや小集団活動、で養成する。そのためのマニュアル作りをする
・顧客の要望に応じた“一品モノ”製造のための技能は、個人力→属人的な手法→日常的指導、計画的OJT、ジョブ・ローテーション、で長期的な視点で養成する
といった使い分けをすることがふさわしいのでしょう。

しかし時には、基礎的な技能に限って(わかりきっていることだけに)、マニュアル化を軽視して「見て覚えよ」と形式知化を怠ってしまう可能性があります。逆に、“一品モノ”の製造や顧客単位で高度なサービス提供が求められる部分に限って(その非効率さを実感しているだけに)、無理やりの標準化・形式知化を導入しようとする例もあるのではないでしょうか。

■単純なアセスメント・テスト
これまで挙げた指標は、「ある企業集団に対してYes/Noアンケートをとった、そのYes回答の平均値」を変数として指標を計算していました。なので本来は、個別の企業や部署に当てはめてこの指標を計算させることはできません。

しかし、かえって単純に考えて、個々の企業・事業所に対し今回の指標に近いものを当てはめてみることもできましょう。例えば、次のようなやり方で自社・自部門の「技能者育成指標」を計算してみてはどうでしょうか。一種のアセスメント・テストです。

質問
「あなたの会社(事業所)では、技能系正社員を対象にどのような教育訓練を実施していますか」

これに対する7つの選択肢
(A群)
1 外部の教育訓練機関などが実施している研修を受講させる
2 定期的な社内研修を実施
3 自己啓発を奨励し、支援体制をとっている
4 改善提案や小集団活動への参加を奨励
(B群)
5 やさしい仕事から難しい仕事へジョブ・ローテーションを実施
6 上司が部下を、先輩が後輩を日常的に指導
7 指導者を決めるなど計画的OJTを実施

それぞれに対し、
・かなり実施している→2点
・少し実施している→1点
・ほとんど実施していない→0点
といった採点をしてみます。

A群、B群ごとに点数を合計し、
評点1 = A+B (0点~14点)
評点2 = B-A (-8点~6点)
という評点を作ります。

評点1は、教育訓練の取組みの熱心さ
評点2は、これまでずっと解説してきた“技能者育成指標”
にほぼ該当するとみなします(※2)。

冒頭の図がこの計算例です。この例では「取り組みの熱心さは8点、取り組みの方法を示す指標は-2点」などと数値化されるわけです。

ずいぶん、いい加減に作ったものです(笑)。でも、ここで計算された「評点2」について、前回の記事で挙げた「事業所特性別の指標」(図3-3、図3-4)と比べながら、自社の技能者の育成や技の伝承方法を検討してみることが多少なりともできるかもしれません。

■測定値はゴールでなくスタートライン
なお、蛇足ながら…。今回のように統計数値から導いた何らかの計算結果、あるいは組織/人事アセスメントで測定した何らかの属性・数値、その他もろもろ定量化した結果は、そのまま「結論(ゴールライン)」と捉えるべきものではありません。「数字が出たから安心して考えを止めてしまう」と、時に思考停止になりかねません(別記事「人事測定と人事評価の違い」参照)。

出てきた数字(およびそのプロセス)は、むしろ現実世界に考えをめぐらす「手がかり(スタートライン)」なのです。「数字で考える」には、数字で結論付けることより、数字から新たな課題を見つけるといった姿勢が大事なのではないでしょうか。

【注】
※1 「ものづくり産業における人材の確保と育成-機械・金属関連産業の現状-」:JILPT「調査シリーズ No.44」

※2 この計算方法は、もちろんJILPTさんによる研究ではありません。あくまでもこのWeb記事の筆者の私的な試みにすぎませんので、ご留意ください。