備中高梁

備中高梁と山田方谷の碑
備中高梁

寒中お見舞い申し上げます。
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 このサイトにて、皆様にご挨拶させていただきます。

写真は岡山県高梁市。上は市内の武家屋敷の素晴らしい庭、下は高梁市でも少し北の山中に入った中井町というところの「方谷園」です。中井町は、幕末の逸材ともいえる備中松山藩の政治家、山田方谷の出生地で、写真にある碑に書かれている言葉は方谷のもの。

「事の外に立ちて 事の内に屈せず」

山田方谷の実績やこの言葉の正確な解説は他に譲りますが、
「内々でしか通用しない概念や役割にとらわれず、社会における意義や本質的な重要事を大事にせよ」
といった意味と捉えています。山田方谷は学者でもあり藩政改革の実践者でもあります。

「現場」は我々の活動の拠り所ですが、「悪しき現場主義」になってもいけません。事の内に屈しそうになったり、事の外に立てなかったり、未だに反省することばかりの毎日です。

本blogからはここ数年わずかしか情報提供していませんが、松山のFacebookで当方からの情報発信を行っています。サイトは改訂予定のまま時間が経ってしまっていますが、しばらくお許しください。

今後とも宜しくお願い申し上げます。

小笠原の空港予定地

小笠原返還50周年記念(2018年6月26日)を機会に、小笠原空港設立のニュースが少し報道されています。予定地は父島の「洲崎」という場所で、おそらく最後の唯一残った候補地でしょう。ただし仮に空港ができるとしても20年~30年先と言われています。

小笠原、洲崎D
〔小笠原の洲崎写真D(地図D)〕

■6日サイクルの島時間
小笠原諸島には現在空港はなく、観光客は片道24時間かけて船で訪れるしか手段がありません。これでも以前より速くなりました。繁忙期や船のドック入りの時期を除くと、6日に1往復するスケジュールが基本です。最も一般的な観光日程は「3泊6日」で、これを「1航海分」といった表現をします。3日じゃ足りないと帰りの船を1回見送る「2航海分」とるならば「9泊12日」です。もし1航海6日でも長すぎるとなれば「0泊3日」で、船内移動時間が計48時間なのに対し、現地滞在時間はわずか3~4時間! という日程しか組めません。

逆に島民が本土に出てくるとしたら最短「1泊4日」が可能ですが、普通は「7泊10日」が最短日程になるのでしょう。それ以上に重要なのは急病人が出た場合などの緊急搬送で、その場合は海上で離着陸できる自衛隊の飛行艇(US2など)が用いられます。急患対応は年間で30回程度行われているようです。

そんな状況に対応するため、小笠原諸島への空港設立がかつてから計画されていました。と同時に、何度も計画はとん挫しました。世界遺産になった今は、空港が作れる場所は本当に限られており、最後の最後に残った唯一の候補地が「洲崎」。じつはここ、戦争中に日本軍の滑走路があった場所です。

小笠原空港協議会資料1
〔父島洲崎の位置(小笠原空港協議会資料より 1)〕

■東京都「短い滑走路の空港案を検討」
小笠原空港協議会資料には次のように記載されています。

小笠原空港協議会資料2
〔空港の計画案の一つ(小笠原空港協議会資料より 2)〕

戦前の洲崎の滑走路の長さは500m程度のようです。実際、陸地だけでみるとそのくらいの長さしか取れません。昔はこのあたりに岩の洞穴(海蝕洞)があるとともに、岬の先野羊山と父島の間にわずかに海峡があったとされますが、そうした自然の造形物は同時期に変貌したようです。風情のありそうな海蝕洞は跡形もなく、海峡は埋め立てられて完全に陸続きになっています。そんな場所に1200m滑走路の建設が案として計画されています。

小笠原空港協議会資料3
〔空港予定地(小笠原空港協議会資料より 3)〕

この地図のように、予定されている滑走路は1200mといってもかなり海に出っ張ります。その分埋め立てることになるわけで、やはり自然環境への影響が気になるというのが現代の常識的な感覚かもしれません。そうした意見もあってのことか、もっと短い滑走路の飛行場にする検討余地があると、協議会の資料自身にみられます。6月29日に小池東京都知事から「環境に配慮して1000mより短い飛行場案を検討する」といった旨のスピーチがありましたが、それは都知事の案というより、検討項目の一つとしてあった案といったほうがよさそうです。

小笠原空港協議会資料4
〔洲崎計画案からの検討課題(小笠原空港協議会資料より 4)〕

■現予定地
次の図は父島西側の地図で、地図中央の岬のような場所が洲崎とその先にある野羊山です。1200mの滑走路予定地(推定)を赤い線で示しました。緑の線は、仮に滑走路を800mに短く抑えた場合に予想される部分を、勝手に書き込んでみた線です。

小笠原空港予定地の位置図
〔小笠原空港予定地の位置図〕

■現状写真
冒頭の写真は約2カ月前(2018年4月)に撮影した現場写真で、図中「D」から矢印の方向を写したものです。木立の先に二見湾、その先に烏帽子岩という小島が見えます。このあたりの左手前から右手奥にかけて滑走路が造成される計画です。

洲崎地区は、幕末に欧米人が住み始めた頃、ペリーが江戸への渡海途中で来島してきた頃には、島の中心街にしようとしていたこともあったようです。明治から昭和初期にかけて民家や畑もある場所でした。しかし戦後は、臨時の運転試験場として使われた以外はほとんど放置されてきたそうです。

洲崎の入り口部分までは、舗装道路が整備されています(写真A)。
小笠原、洲崎A
〔小笠原の洲崎写真A(地図A)〕

舗装道路が行き着いたところ、ちょうど滑走路予定地(真ん中)の脇に当たるところ(地図B)。
小笠原、洲崎B
〔小笠原の洲崎写真B(地図B)〕

写真Bの中央に右に入る小径があり。そこを曲がった場所(写真C)。位置的には、写真Cの道の左側が滑走路予定地で、この小径は滑走路の脇か誘導路か、そんな場所になるのでしょうか。
小笠原、洲崎C
〔小笠原の洲崎写真C(地図C)〕

写真Cを先に行くとわずかに左に曲がり、冒頭の写真Dの風景が現れます。さらに海岸まで到達すると写真Eのような風景があります。
小笠原、洲崎E
〔小笠原の洲崎写真E(地図E)〕

■周辺から見ると
滑走路予定地を周辺から見ると、どんな風景なのでしょうか。写真Fは、島の北側、大村市街地からほど船見山付近、いわゆる「ウェザーステーション」からの写真です。
小笠原、洲崎F
〔北側から洲崎方向。写真F(地図F)〕

写真Gは反対の南側、小港海岸の南、中山峠展望台を少し越えたあたりからの写真です。
小笠原、洲崎G
〔南側から洲崎方向。写真G(地図G)〕

写真Hは北東の二見港(正確には製氷海岸あたり)からの写真です。
小笠原、洲崎G
〔北東側から洲崎方向。写真H(地図H)〕

■賛否は昔からさまざま
なお、空港建設の是非は賛否ともずっと前から語られています。参考URLにある、平成20年に実施した「航空路に関する村民アンケート」1193件の自由記入意見もその一部でしょう。少し話題として採り上げられた今になって、あたかも初めて問題視されたかのような意見が外部からご親切に示されても、おそらく島民の方々や関係者の方々から“にわか意見”と受け取られるだけでしょう。

小笠原でわずかに見聞きした範囲では、島民は比較的冷静といいますか、これまで何度も計画がとん挫してきた過去の経験から「どうせ実現しない」、少なくとも「実感はない」と受け止めているような様子がみられます。もちろん私も明確な“にわか”にすぎませんので、「自然保護」も「観光促進」もどちらも軽々なことは言えない、と考えています。

(参考)
「航空路の開設に向けて」(小笠原村)
https://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/kikaku_seisaku/
小笠原航空路協議会議事録(東京都行政部)
http://www.soumu.metro.tokyo.jp/05gyousei/06koukuuro.html

【追伸】
2018/7/12日報道より。小笠原空路で仏伊合弁の航空機メーカーATRが開発中のプロペラ機ATR42-600Sを想定しているとあります。現行モデルATR42-600のSTOL改良型で約50人乗り、滑走路長は800mで済むとのこと。小笠原空港の滑走路がその長さで良いかどうかはまた違う話かもしれませんが。。

アカガシラカラスバト(小笠原の天然記念物)

天然記念物のアカガシラカラスバトが歩く姿です。

Columba janthina nitens
〔アカガシラカラスバト(小笠原)〕

30秒くらいの動画

私が森の中を歩いていて目の前に現れたのを動画で撮ったのですが、後からこれがアカガシラカラスバトで、めったに見られない姿だと知りました。動画は30秒ちょっとですが、およそ3分くらいは、あまり警戒心もなく、私の前を歩き回っていました。ちょっと唐突な投稿ですが、せっかくなので。

場所は、小笠原諸島 母島。南崎に通じる遊歩道の中でした。

江戸橋と日本橋川

首都高・江戸橋ジャンクション付近です。

江戸橋ジャンクションと日本橋川
〔江戸橋ジャンクションと日本橋川〕

あけましておめでとうございます。
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「今年は変革の年」などという言葉は大して意味ないものでしょう。常に、毎年、変革の年なのですから。その上で、ここ数年の間は過去の資産(遺産?)が注目される時期かと感じています。人も企業も、今まで気づかなかったかもしれない意外な「強み」を身近に見つけ、それを長く世界から受け入れられる「もの」「こと」へと具体化できるかがカギ。一過性のブームではない本当の強さで土台を固めることが求められているのではないでしょうか。

当方からの情報発信は、主に松山のFacebookで行っています。また、本blogは現在再構築中で、ページによっては見苦しい状態になっているところがあります。お許しください。
今後とも宜しくお願い申し上げます。

“まちづくりとオープンデータ活用シンポ”より

まちづくりで、いわゆる“ビッグデータ”または広く標準的なデータに加え、それぞれの地域に密着した情報をいかに見える化し、実務に生かしていくかが求められています。「広域情報+ローカル情報」の組み合わせは、ものづくりIoTの現場や、人材アセスメント・評価での考え方と通じるところがありそうです。

グローバル・コンテンツとローカル・コンテキスト
〔グローバル・コンテンツとローカル・コンテキスト〕

「まちづくりとオープンデータ活用」シンポジウム(主催:Code for Suginami、杉並区産業商工会館にて、2017/9/22)を聴講しました。講演は、庄司昌彦GLOCOM准教授。その後のパネル・ディスカッションは、庄司准教授のほか、笹金光徳高千穂大学学長、杉並区役所の馬場氏、西武信金の山崎氏、モデレータとして新雅史東洋大学助教の5人。あまりまとまっていませんが、以下に気が付いたところを挙げてみました。

■オープンデータをまちづくりに生かすには

本シンポジウムのテーマは、地域社会(地方自治体)の衰退が課題となっている昨今、社会で役立つ調査結果や収集データを「オープンデータ」として整備し、それらをどのようにまちづくりに生かしていけばよいか、です。

なお、文章は話者の発言そのままではなく、筆者(松山)の解釈を含めた表現になっているところがありますので、ご容赦ください。

パネルディスカッションの様子
〔パネルディスカッションの様子〕

– 地域社会の衰退のスピードは変えられる。たとえば島根県海士町は、「島留学」や住民主導のまちづくりなどから、移住者が増えている。
– 日本の高齢者の25%は「友達が一人もいない」という。今後、人々が協調して活動する機会を増やすことが、重要な政策となるだろう。
– 「オープンデータ」とは、単に公開されたデータでなく、「開放(自由に使える)資料(イメージなどを含むさまざまなドキュメント)」である。
– 2016年末に施行された「官民データ活用推進基本法」において、都道府県におけるデータのオープン化計画づくりが義務とされた。

– 商店街の活性度や地域の元気度をどう測るか、「コミュニティカルテ」のようなものができないか研究している。
– 行政(杉並区)の情報政策課として、各部署に情報のオープン化を説得している(が、必ずしも理解が得られるとは限らない?)
– 金融機関はプライバシー情報が多いので、情報はほとんどがクローズドである。だが、金融庁森長官によって進められているディスクロージャーの動きから、銀行はどこもdiscloser誌(決算報告書のようなもの)を開示するようになった。

(参考)
「東京都オープンデータ推進 庁内ガイドライン」
http://opendata-portal.metro.tokyo.jp/www/contents/1491469912683/
「東京都オープンデータカタログサイト」
http://opendata-portal.metro.tokyo.jp/www/index.html
新雅史モデレータの興味深い著書
「商店街はなぜ滅びるのか」 facebook記事(2012年)

■局所的な文脈をいかに組み入れるか

いくつかのテーマのうち、講演者である庄司氏は「ビッグデータや広域で一律的に整備される標準データも必要だが、地域創生などには、それぞれの地域生活に密着した(地域企業が持っているような)ローカルデータが必要となる」という点を特に主張されていました。

中央からの発想、もしくはグローバルという視点を強く持ち出すと、ビッグデータや定量的な社会指標を重視しがちです。まちづくりの目標設定、たとえば補助金・助成金を受けるための目標設定などにおいて、地域の特性とはピントが外れた判断基準だけが一人歩きする危険があるわけです。しかし「想いやこだわりを地域や個店はしっかり持つべき。それなしにオープンデータ(広域・標準のデータ)を活用しようとしても、あまり意味がない」。

このあたりの考え方を自分なりに図式化してみたのが、冒頭の図の上部「まちづくり」として示した部分です。まちづくりにおける「広域・グローバル」データと「個別・ローカル」データのイメージとを対比させてみました。要素が必ずしも論理的に図式化されているわけではなく、概念的な項目と“RESAS”のような個別システム名が混じっています。あくまでもイメージに過ぎません。

個人的な意見になってしまうかもしれませんが、広域・グローバルな部分とは、膨大な「コンテンツ」として存在している、いわば客観的な“測定値”でしょう。一方、個別・ローカルな情報とは、外部から見れば理解しにくい「コンテキスト」(文脈)を含むもの。できるだけ客観化するに越したことはないのですが、必ずしも(普遍的に通用しそうな)客観性だけではなく、その地域、会社、グループ、個人といった粒度での主観性を併せ持つものだと思われます。

(参考)
RESAS:地域経済分析システム(内閣府 まち・ひと・しごと創生本部)」
https://resas.go.jp/

■ものづくり、ひとづくり、でもあてはまる枠組み

冒頭の図ですでに示しているように、筆者(松山)の感想としては、この枠組みはシンポジウムで論じられていた“まちづくり”の場面だけでなく、“ものづくり”(工場)、“ひとづくり”(人材育成)においても同じようなアナロジーができると思われます。

例えばものづくり企業のIT実践でも、米国的なビッグデータ構築や、ドイツ的なIndustry4.0標準化だけでなく、もう少しローカルな、個々の現場から上がってくる情報を組み合わせていくべきとの問題意識があり、日本の中小企業などが研究しています(IVI:インダストリアル・バリューチェーン・イニシアティブ など)。

逆にものづくりの側から見ると、生産系の“どろどろしたデータ”は工場やラインの情報化で不可欠だという印象を持っていましたが、商業・マーケティング系でもやはり同じように「マクロで横並びになった情報」と「ミクロで文脈をさぐるような情報」の組み合わせが意識されていて、それがまちづくりというテーマで論じられるとこのシンポジウムのような議論につながってくるのかなと考えます。

さらに、当blogでは以前から何度も、ひとづくりを考える上で「アセスメント」(人事測定)と「イバリュエーション」(人事評価)の違いをテーマとしてきました。これも同じ枠組みで上の図に表現してみました。

(参考)
IVI:インダストリアル・バリューチェーン・イニシアティブ
https://www.iv-i.org/
人事測定と人事評価の違い
http://mir.biz/2006/07/0418-5333.html

■ローカルベンチマークの枠組みとのアナロジー

さらにさらに、中小企業の経営状況を分析するツールとして経済産業省が打ち出してきた「ローカルベンチマーク」(通称:「ロカベン」)の枠組みも、同じように比較できそうです。ローカルベンチマークは、従来単に同業種比較で経営指標を見比べ、どこが勝っているのどこが劣っているのと一律の判断をしがちだった反省を踏まえ、定量的な情報(6つの指標)のほかに、定性的な情報(4つの視点)をできるだけわかりやすく枠組みに示したものといえます。

ローカルベンチマーク
〔ローカルベンチマーク〕

(参考)
ローカルベンチマーク(経済産業省)
http://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/sangyokinyu/locaben/

最後にこんな記事をご紹介。コンテキストの必要性について述べた記事ですが、とても面白く読めます。
「紫式部は、なぜ源氏物語を書いたのか?」(池永寛明氏、日経新聞運営のサイトCOMEMO)

「今の日本は、コンテンツが中心で、「それはなぜか?」というコンテクスト(背景・文脈)を追いかけることが苦手な国になっている」
「「巨人の星」の星飛雄馬が1球投げるのに30分番組が終わるというような「長さ」がない」

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