「宇宙」タグアーカイブ

「ドラゴンフライ」2-宇宙空間で危険な諍い

宇宙ステーションで起こるいくつもの争いを冷静に見てみると、それは現実社会(企業社会)で起こる人間関係の縮図のような気がしてきます。

DragonFly2a-s.jpg
「ドラゴンフライ ― ミール宇宙ステーション悪夢の真実」(上)(下)
【ブライアン・バロウ(著)、北村道雄(訳)、寺門和夫(監)、筑摩書房、2000年】

「ドラゴンフライ」1-宇宙飛行士の“問題児”たち の続きとして、宇宙ステーションでの人間関係について少しご紹介します。

宇宙飛行士個人の諍いについてあげつらうつもりは毛頭なかったのですが、やはり気になる話題がたくさん出てきます。あらためてこの本を読んでみると、宇宙ステーションという特殊な閉鎖空間の話というより、我々のごく日常的な生活の中で起こる問題が分かりやすい形で切り出されたきた話のように思えます。

■問題に慣れると問題の存在を忘れるようになる
米側の宇宙飛行士は、ミールに入ってすぐ、船内が相当ひどく散らかっていたことに驚かされました。それまでの宇宙生活でたまった残骸(小型コンピュータ、事務用品、道具、音楽テープなど)が、無重力の部屋のあちこちにあったそうです。

また、ミールのモジュールとモジュールが何本もの太いケーブル(換気チューブとか通信ケーブルとか)で無造作に結んであるため、モジュールの間のハッチを閉めることができなくなっているところがありました。万が一あるモジュールで機体破損などの事故が起こった時、他のモジュールまで波及し全滅しないように、途中のハッチを完全に閉めて隔離しなければなりません。ハッチを閉めるためには、数多くのケーブルを無理やり切断することになります(事実、貨物船プログレス衝突事故でまさにその通りの事態が起こった)。

そんな安全上の不安を米側の宇宙飛行士が口にしても、ロシア側の反応はいつも同じで「一応耳を傾けはするが、結局そのまま無視」だったされています。NASAも結局は同じような反応でした。

このあたりの反応(一応耳を傾けはするが、結局そのまま無視)は、ビジネスパーソンなら、というより社会の中でなんらかの組織・グループで活動をした経験のある人なら誰でも、かなりはっきりイメージできるのではないでしょうか。問題を指摘しても、その問題に慣れてしまうと誰も解決しようとしなくなる…。

■優秀な飛行士も、時と場合により問題児になる
ミール・ミッション(フェイズ1)の米側飛行士7人のうち「問題を起こした数人は“問題児”」と前回書きましたが、ジェリー・リネンジャーなどと違い、ジョン・ブラハはNASAではかなり優秀な宇宙飛行士の一人だったようです。それでも彼のミール・ミッションの4カ月は、本書の記述をそのまま受け取れば失敗だったと思わざるを得ません。

ブラハは体力、精神力とも優れ、それ以前のスペースシャトルで船長まで務めたベテラン宇宙飛行士でした。話によると几帳面すぎるほどしっかりと仕事をするタイプの人だったようです。“でも”というべきなのか、“だから”というべきなのか、ミール・ミッションの混乱した仕事の進め方には耐えられませんでした。

彼自身、有能だとはいえ「他の人に、はなはだしく依存する性格がある」ことが、ロシア側が行った性格検査(アセスメント・テスト)から事前に見て取れたといいます。その詳細までは書かれていませんが、推察するに「箸の上げ下ろしも部下や秘書がやってくれるような条件の上で本来の力を発揮できる“お殿様”的リーダー」だったのかもしれません。

そんな人、我々のまわりにもたくさんいますね。「大企業の社長は務まるかもしれないが、実働メンバーの立場になると何一つできない」「公の場では威張っているが、家庭では家人なしにお茶さえ自分で入れることができない」なんていうタイプの人が…。

また、ちょっとしたコミュニケーションのミスで、ミールのロシア人船長ワレリー・コルズンと怒鳴りあいになったそうです。無駄に30分くらいの時間を費やすことになってしまい「あんたのせいで35分も時間を無駄にした…」などと怒り狂ったといいます。こんな人(先輩)も現実の企業世界にいますよね。とくに有能とされる人に多く…。

そんなブラハが、時にはワレリー船長から「アメリカ人なら幼い孫にしか使わないような口調で命令された」といいます。長い共同生活がずっとその調子では、自らのペースをつかみようもありません。

■「まさか私が鬱病になるなんて…」
そんなロシア人に悩まされるよりもっとブラハを苛立たせたのが、米側のサポート体制だったといいます。訓練期間中、ロシア語の習得に費やされた時間はわずか4カ月しかありませんでした。仕事のマニュアルをめぐって、出発前から繰り返しヒューストンと対立します。「何かを求めても結局実現されないやりとり」が繰り返されるとどうなるか。“被包囲心理”、つまり「周りは敵ばかりだから、何もかも自分でやらなければならない」という心理状態が強くなり、結果的に気持ちがどんどん内へ向かうことになります。

それでいて、ヒューストンはブラハを完全に自分たちのコントロール下に置くことを疑わず、運用管理者にそれを求めます。両者の認識の違いは広がるばかり。ついにブラハは、ミール内で鬱病にまで陥ってしまいました。

「つねづね自分のことを、物事を前向きに考え、ほかのクルーが気落ちしているときに元気づけてやるタイプの人間だと思っていた。その自分が鬱病にかかるなんて理解しがたいことだった」(上巻p.188。文面は多少変更)。そんな告白を他人事ではないと感じる方もまた、少なくないでしょう。

■現場を知らない本部管理職にコントロールされる恐怖
この経過を現実のビジネス社会になぞらえ、勝手に次のような喩え話にしてみました。

・本社が、支店の営業力向上のため、本社の有能な「幹部」を支店に派遣する
・その「幹部」は、支店では営業現場の最前線で力を揮うことが期待されている
・「幹部」は有能だが、周囲に部下の手足があってこそ力を機能するタイプの人である
・しかし実際には「幹部」に手足となる部下はなく、仕事の手順書もなく、支店の文化も非常に異なる
・「幹部」は支店の現場が頼れないと悟り、本社に手順書などの作成を要望する
・しかし本社はその要望の真の意味が分からず、本社の認識を基本に「幹部」に指示を出し続ける

・「幹部」は本社もあてにならないことを知り、自分流の仕事の進め方に頼る。そして1週間に7日懸命に働こうとする。いちいち細かい動きを本部に伝えても無駄と感じられて、報告も滞る
・しかし本社は、本社の方針に沿って「幹部」に成果をあげてもらわなければならないから、監視役をたてて「幹部」を完全なコントロール下に置こうとする
・せっかく苦労して「幹部」が支店の営業現場に即した仕事の進め方を実行しようとしても、本部は認めず足を引っ張るような結果となる。
・「幹部」は自らを否定されたような立場になる
・本社との溝も、支店の他のメンバーとの溝も、いずれも深まるばかり。しかしそれでも我慢して続けなければならない立場に追いやられる

真面目な人であればあるほど、精神に支障をきたすことになりそうです。そんな話も、この現実のビジネス社会でたくさんありますね…。

■短距離走のつもりで長距離走は走れない
NASAの地上管制官への不信感もあり、ブラハが次の“問題児”リネンジャーに引き継ぎをするとき「地上からの支援はあてにするな。ここで頼りになるのは自分だけだ」とか警告していたそうです。それが今度はリネンジャーの“唯我独尊”を助長してしまうのですから、まさに悪循環です。

ブラハについては、一緒に訓練を受け気心の知れたロシア人クルーたちとはむしろ良い人間関係を作ることができたとしています。ブラハがもとから“問題児”だったのでは決してなく、ミール・ミッションという仕事のシステムとか、与えられた職務内容とかが、とことんブラハに適合しなかったために生じた摩擦といったほうがよいのでしょうか。ブラハに限らず、ミール・ミッションに関するNASAの人選や育成方法は失敗続きでした(誰もミール・ミッションに参加したがらず、他に人選の余地がなかったという現実があったにせよ)。

少し違う視点から見ると、シャトルの1~2週間という「短距離走」と、ミールの3~4ヵ月という「長距離走」の違いということもできるようです。短距離走しか参加したことのない米宇宙飛行士が、同じ流儀で長距離走に参加しようとしてもだめでしょう。短距離走者の育成・コーチ・コントロールしかしたことのないNASAが、配下の選手を長距離走の選手になるべく無理やり選抜・コーチ・コントロールしようとしても失敗するでしょう。ペース配分や考え方自体が、相当に異なっていたのかもしれません。


それはそうと、今まさにスペース・シャトル(STS-115)によるISS(国際宇宙ステーション)組み立てミッションが進んでいます。
また、近い将来ISSに搭乗する予定の若田宇宙飛行士が、ISSでの滞在を念頭に、米国の潜水艦に滞在して閉鎖空間での長期間生活訓練を受けていると伝えられています。若田さんはすでに何度か閉鎖環境テスト(「中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記」でもちらと書きました)を受けたはずですし、実際の宇宙飛行も経験済みです。さらにロシア語も習得済み。ロシアの星の街・訓練センターでの訓練も経験済み。なのになぜまた今さら閉鎖生活訓練を受けるのだろうと、初めは少し疑問を持ちました。

でも本書に書かれているようなスペースシャトルと宇宙ステーションの決定的な違いを読むと、あらためてはっきりその背景や意味が納得できるような気がします。

「ドラゴンフライ」1-宇宙飛行士の“問題児”たち

あまり広く知られていませんが、宇宙飛行士同士の軋轢と宇宙機関の組織体質のひどさが、宇宙ステーション計画をぶち壊しそうにしたことが過去にありました。


「ドラゴンフライ ― ミール宇宙ステーション悪夢の真実」(上)(下)
【ブライアン・バロウ(著)、北村道雄(訳)、寺門和夫(監)、筑摩書房、2000年】

■宇宙ミッションをめぐるドロドロの物語
なぜこのblogは宇宙モノばかり採り上げるのかと言われそうですが、経営マネジメントの観点からも、当社の社名(ミール研究所)との関わりからも(笑)、やはりこの本に触れないわけにはいきません。この本には、NASA(アメリカ航空宇宙局)やRSA(ロシア宇宙庁)や宇宙飛行士個人の恥部とも受け取れる驚くべき告発が満載されています。あまりに生々しく、にわかに信じられないような(そのまま信じてしまっては物事の半面しかわからないだろうと感じられるような)記述もありますが、組織のあり方を考えるには良い題材となるノンフィクションです。

ミール・ミッション(正確に言えば「フェイズ1」)で実際にミールに滞在したNASAの飛行士は次の7人でした。

ノーマン・サガード  1995.3-1995.7
シャノン・ルシッド(女性) 1996.3-1996.9
ジョン・ブラハ  1996.9-1997.1
ジェリー・リネンジャー  1997.1-1997.5
マイケル・フォール  1997.5-1997.9
デビッド・ウルフ  1997.9-1998.1
アンディ・トーマス  1998.1-1998.6

■NASAはミール・ミッションを軽視していた
本書によると、このうちまともにロシア側クルーやNASAと良好な関係で仕事を継続できたのは、ベテラン女性宇宙飛行士のルシッドくらいだったのでしょうか(それでも相当に苦労したことが描かれていますし、次任者ブラハとの友情は完全に壊れてしまったようですが…)。フォールも相当良い適任といえる人材だったようですが、なにせその時期(1997年)は、貨物船プログレスのミール衝突などミールに危機的な事故が続きました。

最初のサガードは、ロシア側のキャプテン、デジュロフの権威主義と調子が合いません。プラハ、リネンジャー、ウルフは、それぞれとんでもない問題 ―人間関係上の問題― をミールの中で起こしています。しかも、それらは予測不可能な問題だったのではなく、ミッションに行く前から明確に懸念されていたことでした。

端的に言えば、
・彼らは宇宙飛行士としての資質に欠いた“問題児”ばかりだった
ということになるのでしょう。

もう少しその背景を挙げると、
・NASAはミール・ミッションを完全に軽視していた
・ミールに参加しようという飛行士はほとんどいなかった
・そのためNASAは他に使いようのない問題児飛行士ばかりを仕方なくあてがった
・しかもNASAとRSAでは、仕事の進め方や考え方、文化に大きな隔たりがあった
・それでいてNASAとRSAは責任分担の面で互いに譲らず、軋轢を招いた
などといったマイナス要因の数知れない積み重ねがあったようです。

■火災の危機に直面しても…
特にリネンジャーは相当に問題があったようです。彼はミール・ミッションの前にスペースシャトルSTS-64に搭乗していましたが、この時の仲間からもすでに「謙虚さがなく聴く耳を持たない。最悪の新米」と反発されていました。ロシア「星の街」(Звезда Город)の訓練センターでも、さんざん不満をぶちまけては周囲を困らせていたそうです。ロシアの環境不備に文句を言いまくり、仲間たちと交流を持つことも避け、サポートしてくれる医師や管制センターの担当者に一切感謝することもなく、時には敵意さえみせる。ロシア人医師に要求された検査を拒むようなことさえあったらしいです(リネンジャー自身が医師だったので、ロシア側のやっていることを「無意味」と判断し、かえって見下していたようだとのこと)。

そんな彼がミールに乗るとどうなるか。搭乗前から懸念されていたというレベルの話ではなく、ロシア側は「彼はチームプレーができないので、皆と一緒に働くのは無理だ」とはっきり表明し、リネンジャーを拒否しようとしていました。それでもNASAは「米側が飛べるといったら、ロシア側がなんと言おうと飛べるのだ」と言い張って受け入れません。「NASAの管理下にある者についてロシア側が口を出すな」「合意事項にない検査は受ける必要ない」といった主張を繰り返したとのことです。結局、リネンジャーはミールへと送り込まれることになりました。

結果は予想通り、「彼にとって」というより、「彼と一緒にすごさざるを得なかったロシア人宇宙飛行士にとって」とんでもなく大変なミッションと化してしまいました。あまりに醜くて、具体的な内容をいちいち挙げにくいほどです(詳細はぜひ本書を読んでみてください)。

悪いことに、リネンジャーがミールに滞在している間に、ミールの存亡に関わるような重大な危機、火災事故が起こっています。あわやミールそのものを捨てて脱出しなければならないか、もしくはクルーが全員死ぬことになるかといった大変な危機に直面するわけですが、それを寸でのところでロシア人クルー2人がなんとかくいとめます。しかしそんな危機にいたってさえも、リネンジャーは危機回避やその後の修理を手伝おうとしないばかりか、「問題の大きさをNASAは理解していない…」といった文句(抗議)を繰り返したとされています。

リネンジャーと宇宙空間で何カ月も同居するという“苦行”を強いられた2人のロシア人宇宙飛行士は疲労困憊し、帰還してからもその不満をロシア当局者にぶつけ、二度と宇宙に出ることはなくなってしまいました。人命が失われるような悲劇はぎりぎり回避できたかもしれませんが、やはり事の成り行き全体をみると“悲劇”に近いものだったのではないでしょうか。

■後のスペースシャトル事故にもつながる宇宙機関の体質
ここには、当事者であるリネンジャーのメンバーシップ(フォロワー・シップ)意識欠如はもちろん、NASAの組織としての臨機応変の判断もなかったことが明らかです。本書の物語のずっと後、スペースシャトル・コロンビア号の事故でNASAの官僚的組織体質が大きな原因だったという報告がされましたが、その組織体質に潜む問題点はこの時にはっきり表面化していたことがみてとれます(NASAの体質についてはいずれ別に記事に書く予定です)。

なお、リネンジャーは別の著書(自著)があり、タイトルはなんと「宇宙で気がついた人生で一番大切なこと 宇宙飛行士からの、家族への手紙」とのこと。コミュニケーションで問題があった彼がそんな本を書いていることに軽い驚きもあります。その本では「すでに、ヒーローなんかではなく一労働者に過ぎない」とか言い訳を言っているようです。

こんな本を読んでしまうと、別の記事「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」で触れたような、宇宙飛行士の人格や宇宙機関の持つ人材管理(Human Resource Management)システムのすばらしさは幻想だったのかとさえ感じそうです。

まあ、どんな組織もどんな人間も、いろいろな矛盾を抱えながら、進んだり後退したりしながら、長期的にみれば少しずつ進歩しているものだと信じていますが…。

それにリネンジャーのような状況に相応しくない言動についても、よく考えると一般人である私たちが仕事の場でつい口にしている文句のようにも思えます。我々自身が、そこに潜む危険に気付かなければならないのかもしれません。

「中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記」

宇宙飛行士選抜のための項目を掘り出してみました。一般企業のスタッフの人選、社員の選抜、評価にあたっても、少し参考になるところがあるのではないでしょうか。

uchu-juken.jpg
中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記
【白崎修一(著)、学習研究社(刊)、2000年】

■宇宙で貢献したいと思う強い意志
宇宙飛行士の資質や選抜については、「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」「フォロワーシップ(followership)」でも少しずつ触れました。この本はアポロとかの話とはまったく毛色が違い、39歳で初めて宇宙飛行士の選抜試験に応募し最終試験までいった方が、受験者の立場で選抜の様子を興味深く描いた本です。国内の、もしかしたら自分でもトライできると思わせるような身近に感じられる話になっているので、雲の上とも思える米ロの宇宙飛行士選抜の話とは違った面白さを感じさせてくれます。

本書を読むと、誰でも宇宙飛行士を目指すことができるという親近感が感じられます。しかし一方では、半端な気持ちでトライしたところでどうにもならない圧倒的な“何か”が厳然としてあることがはっきりわかります。

・宇宙飛行士という職業を早くから意識し
・長期キャリアを見据えて専門知識を身に付け
・常に自らを磨き、宇宙開発に貢献できる技術や見識を蓄積し
・心身ともにセルフ・コントロールできる意志の強さを持ち
・かつ、たまにしかない募集のタイミングに併せて挑戦できる

そんな資質(と少しの運)がない限り、挑戦さえ覚束ない感を持ちます。

なお、本書には書かれていませんが、この時の選抜で選ばれた3人のうち2人は、宇宙開発事業団(JASDA、現JAXA:宇宙航空研究開発機構の前身)の職員でした。少しだけ意地悪な言い方をすると「選抜が始まる前から合格される方のメドはついていたのではないか」と勘ぐってしまいたくなります。つまり、この時の選抜試験は、はじめから宇宙飛行士になるつもりで事業団に入りキャリアを積んだ方を公式に認めるためのプロセスだったと…。(もちろん、そんなことはなかったはずです)

良し悪しを言っているのではなく、それほど「選抜よりもっと前の人生設計」や「宇宙飛行士になって貢献したいと思う強い意志」が、こうした特殊な仕事でモノを言うのでしょう。「評価」(“アセスメント”ではなく“イバリュエーション” ※参照)するスタンスと考えれば、まさに納得できるものです。

「人事測定と人事評価の違い」

■選抜試験で何を測られるのか
著者の豊かな見識やユーモア、奮闘の様子は、ぜひ本書を読んで楽しんでもらうことにして、ここでは選抜の各段階でチェックされた検査項目または検査内容に視点を絞ってみてみましょう。

下に挙げた項目以外にもいろいろあるはずですが、受験者の立場で「テストされている」と自ら判断できる項目、その多くは結果を客観的に表現できるもの、つまり「アセスメント」(測定)項目です。JAXA(JASDA)による公式の資料にとらわれず、わざと俗っぽい表現と方法で整理してみました。細かい例外は省きます。もちろん私は部外者ですので、本書の情報から勝手に推測しているに過ぎません。


0 応募条件
0-1 学歴:自然科学系の学位で大学を卒業している
0-2 経験:研究職としての実務経験が3年以上ある
0-3 推薦:所属機関の推薦状がある
0-4 英語コミュニケーション力:TOEICのような試験結果で英語能力を証明できる

1 一次試験
1-1 身体的特性:一般の「健康診断」レベルで特に大きな欠陥がない
…たとえば身長(149cm~193cm)、血圧(最高血圧140mmHG以下かつ最低血圧90mmHG以下)、視力(裸眼0.1以上、矯正1.0-以上)など。いくら強い意志があっても、視力などでひっかかってしまう人は少なくないでしょう。
1-2 心理的特性:一般的な「心理テスト」で特に大きな欠陥が見つからない
1-3 一般教養:公務員の一般教養試験のようなもので、そこそこ知識があることを証明できる
1-4 基礎的専門能力:数学・科学系および宇宙開発の分野に関し、そこそこ一般的知識がある

2 二次選抜
2-1 身体的特性:「人間ドック」レベルの検査で特に大きな欠陥がない
…内視鏡検査、X線検査を含め「考えられる限りの検査」を受けたといいます。虫歯や過去の開腹手術の有無などが結構ネックになるようです。かなり踏み込んで身体検査をしても、宇宙での活動に支障がないことが客観的に証明できなければならないことを意味します。
2-2 運動能力:まずまずの体力を保って活動ができる
…トレッドミルによる負荷をかけた心肺機能検査などが行われるとのことです。

■ここからが本番
以上はすべてスクリーニング、つまり最低条件のチェックだといえそうです。このあとが本番の試験といえるのかもしれません。

2-3 意志の強さ:面接の機会に志望動機などをはっきり伝えられる
…採用担当者や宇宙飛行士の毛利さんなどが試験官。英語での受け応えもあるそうです。
2-4 英語コミュニケーション力:英語で状況理解、伝達などができる
…ネイティブ・スピーカーが試験官。短いビデオをみてその内容についての質問などがされる形だったようです。
2-5 潜在的・顕在的精神状態:宇宙飛行士としての職業に適合した心理状態である
…心理面接で過去から現在にいたる精神的影響が引き出されたり、自分でも気が付かない深層心理が調べられたりするとのことです。警察の取調べのようなかなりきつい精神面接もあるとのこと。
2-6 グループ活動への適合性:グループで討論したときに、適切に意思表明や議論ができる

■閉鎖環境テストとヒューストンでの面接
この時の選抜では、三次選抜まで残ったのはわずかに8人。三次選抜の前半は、1週間におよぶ閉鎖環境テスト。後半はヒューストンに飛んで行われた面接が中心とのことでした。

3 三次選抜
3-1 長期滞在の適性:閉鎖環境に長期間カンヅメになっても問題なく合宿生活ができる
3-2 忍耐力:細かい作業にも途中で投げ出すことなく取り組める
…閉鎖環境に閉じ込められている間に「無地のジグソーパズル」や「ワープロ練習」を課題として与えられたとのことです。
3-3 企画立案力:与えられた情報から、テーマに沿った企画を立てることができる
…閉鎖環境に閉じ込められている間に「旅行計画作り」が課題として与えられたとのことです。
3-4 心理的特性:心理テストを何度も受けても大きな欠陥は見つからない
…閉鎖環境に閉じ込められている間に毎日同じ(?)質問紙法による性格検査を受けたというあたりが徹底しています。性格検査は、同じものを何度もやるとむしろ自分を飾る意識がなくなり心理特性が明確になっていくものです。

3-5 思考と操作を両立させる能力:頭で考えながら手を止めることなく作業できる
…閉鎖環境に閉じ込められている間、パソコンを用いた思考&作業コントロールのテストが毎日あるとのことです。
3-6 空間認識力とその中での活動能力:ロボットアームなどを失敗なく操れる
…閉鎖環境に閉じ込められている間、ロボットアームの操作訓練につながるようなちょっとした検査があるとのことです。
3-7 共同プロジェクト推進能力:企画から実制作まで、メンバーと協力して時間をかけて推進できる
…閉鎖環境に閉じ込められている間を通じ、共同でレゴ・ブロックを使ったロボットの制作が課題として与えられました。
3-8 プレゼンテーション能力:成果や考えをきちんと発表し、他人に伝達できる
…完成したロボットについて、考え方や機能などを説明する必要があるわけです。

3-9 論理的思考力・説得力:テーマに沿って議論し、人を説得できる
…閉鎖環境に閉じ込められている間、ディベートのための時間が毎日のように組み込まれていたようです。テーマや各自の役割(司会、肯定派、否定派、まとめ役)は管制室から指示され、受験者はそれに従うことになります。議論の勝ち負けというより、論理的に議論を組み立て、相手をいやな気分にさせないながらも納得させる力が求められているようだと推測されています。
3-10 無重力や宇宙酔いに耐えられる資質がある
…水平回転装置による身体能力の検査。つまりあの有名(?)な“回転いす”でぐるぐる回される訓練のこと。「コリオリ加速度負荷検査」というらしい。
3-11 芸術や文学などに積極的に取り組める素養がある
…「人文芸術的面接」として、テーマに沿った絵を描くことが求められたとのことです。

■最終面接へ
以上がほぼ「アセスメント(≒測定)」に近いものといえます。もちろん、アセスメントだけでなく、随時「イバリュエーション(≒評価)」がされていたのは間違いないわけですが、ここではわざとアセスメント的な表現で列挙しました。

しかし以下はもう、アセスメントではなくあきらかにイバリュエーションのためのものといってよさそうです。

3-12 総合的判断:「こいつは果たして本当に強い意志があるのか!」の見極め
(a) NASA現役宇宙飛行士による面接
(b) 日本人宇宙飛行士による面接
(c) 宇宙開発事業団役員による面接
3-13 宇宙飛行士としての生活への対応能力
…実際にはテストという形をとっていませんが、ヒューストンまで行って現役宇宙飛行士などのパーティに何度か参加したり、スペースシャトルのシミュレーション機に乗ってみたり、さまざまな機会を通じて関係者が集う機会を設けていたりします。これらを通じて意識的または無意識的に選抜側による被選抜者の観察がされているのは間違いないでしょう。テストというより、宇宙飛行士になる(有名になる)ことで生じるさまざまな生活のシミュレーションといったほうがよさそうです。

4 最終面接
4-1 総合的判断:宇宙開発事業団の役員が評価して合格と認められること


繰り返しになりますが、以上はJASDA(JAXA)の資料でも著者がまとめた内容でもありません。テストの内容がどのような意味を持っていたのか、あるいは持っていなかったのか。さらにはどのように評価に利用されたのかはもちろん公になっていません。あくまでもこの評を書いている私の勝手なまとめと推察です。

こうみてみると、かなりたくさんの項目を挙げることができます。でも実際に選抜の最終段階で選抜する側が意識する事柄は、かなり少ないような気がします。先に触れたように、選抜試験より前に相当部分が決まっている「人生設計」や「強い意志」とかが決め手となるのでしょうが、これらはこの場になってとってつけたようにアピールできるというものでもないのでしょう。

選抜のシステムや実際について、宇宙機関の関係者からぜひ何らかの機会にじっくり聞いてみたいものです。

▽追加記事:
2009年3月に、NHKスペシャル「宇宙飛行士はこうして生まれた~密着・最終選抜試験~」という番組が組まれました。
宇宙飛行士選抜(NHK特集より)

「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」

宇宙飛行士の人選、育成、組織は、実に興味深いものがあります。

tsukinokioku_s.jpg
「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」
【アンドリュー・スミス(Andrew Smith)著、鈴木彩織訳、2006年刊、ソニー・マガジンズ】

■月を歩いた人類はわずかに12人
21世紀になって70歳を超えようとするアポロの“ムーン・ウォーカー”たち(12人中、存命の9人)に再び焦点を当て、彼らアポロ宇宙飛行士たちの生き様をインタビューおよび周辺取材でまとめたものです。エッセイともノンフィクションともいえる書物になっています。個人的には、「宇宙」というテーマだけでなく「人材マネジメント」という視点から興味深く読みました。

原題は「Moondust」(2005年刊)。もちろん「人材」のあり方をテーマに書かれているわけではありません。宇宙飛行士をヒーロー視する物語や宇宙飛行士本人たちの自著による直接的な発言と違い、40代半ばである著者が当事者とは少し離れた視点で描いています。読んでみるとなかなか新しい発見がありました。

■宇宙機関はすばらしい組織モデルか?
本書の内容から少し外れますが、以前から私は1つの問題意識を持っていました。それは、
・NASA(アメリカ航空宇宙局)をはじめ宇宙飛行を実現させていく組織は、どんな人材管理(Human Resource Management)システムを築きあげたのか
・宇宙関連機関は、どんな優れた人材養成プログラムを持っているのか
・宇宙飛行士たちは、なぜ皆すばらしい人格と能力を身につけることができたのか
などです。

たとえば日本人宇宙飛行士の毛利さん、向井さん、土井さん、若田さん、野口さんといった方々のTVなどで報じられる人柄や振る舞いには、いつも感銘させられます。肉体的にも精神的にも強く、確実に実績を残していく。一般向けに話す内容は科学的な説明であっても実にわかりやすく、それでいて人間味のある暖かな話しぶりが魅力的です。何度同じような(つまらない)質問をされても笑顔を絶やさず、丁寧に対応していく。しかも驕りのようなものはみじんも感じられない…。

一般企業の人材マネジメントに携わることもある者にとって、こうしたすばらしい人材を選んだり育てたり、組織システムとして実現するためのヒントを、宇宙機関や宇宙飛行士たちから探したくなるのです。

しかし一方で、NASAにしても旧ソ連/現ロシアの宇宙機関にしても、きれいごとではないドロドロの顛末が過去にあったことが明らかになっています。映像化された「人類月に立つ」「ライト・スタッフ」「ロスト・ムーン(アポロ13号)」「宇宙へ ~冷戦と二人の天才~(スペース・レース)」といった映画やドラマを見るだけでも、たとえば

・月着陸という冒険が、今から考えると実はとんでもない高いリスクのもとで敢行されたプロジェクトであったこと
・NASA内部のいざこざおよび政治の世界との軋轢は絶えず、どう見ても健全な組織運営とはいえなそうな現実があったこと
・宇宙飛行士たちは「人格者」「ヒーロー」といったイメージからはかなり外れた、どちらかというと欠点が目立つ人たちであった(らしい)こと
などが見てとれます。

ほかにも米国や旧ソ連の宇宙競争を描いた書物や映像、宇宙飛行士自身によるエッセイなどいろいろ出ています。とくに「ドラゴンフライ―ミール宇宙ステーション・悪夢の真実)」では、宇宙ステーションミールに滞在していたスタッフの人間関係が一時期相当に険悪だったことが暴露されています。2003年のスペースシャトル・コロンビア号の空中分解事故では、NASAという組織の体質が重大事故を引き起こした大きな原因だったと事故報告書で指摘されました。日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)およびその前身だった組織も、ロケット打ち上げ失敗などでさんざん非難を浴びています。

いったい、宇宙飛行士および宇宙機関の実像はどんなものなのでしょうか?

■付き合いにくそうな人ばかり…
少し偏った表現かもしれませんが、本書で登場する宇宙飛行士9人のうち“常識的なコミュニケーションがとれる魅力的な人”と感じられるのは、アラン・ビーンとチャーリー・デュークの2人くらい。あとの人たちはおしなべて“いかにも人付き合いの難しそうな”輩ばかりです。

バズ・オルドリンは、一時期深刻な鬱病だったことが知られています。とても気難しい雰囲気が漂ううえ、「一言一言、慎重に言葉を発するのだが、…(中略)…独特の文法のせいで話の筋があちこちに逸れて、何を言っているのか理解するのに時間がかかる…(後略)」(上巻p.209)とあるように、著者がインタビューでいかにも苦労したことがわかります。著者は最後に「疲れ果てた」とさえ書いています。インタビューの最後は信頼感も築かれたのか、著者は「本物の好意と賞賛の気持ちがこみあげた」(上巻p.244)ようですが、誰とでもそうした緊張の解けた付き合いができる人ではないことがはっきり読み取れます。

ジョン・ヤングは、アポロより前のジェミニからつい最近のスペースシャトルまで現役の宇宙飛行士を続けた、それこそ全地球人を代表する“最も経験のあるプロ宇宙飛行士”でしょう。ところがヤングとのインタビューもこれまた大変気を使わなければならなかった様子が描かれています。大変博識でかつ強靭な人であることはすぐにわかるし、結果的に非常に興味深いことをあれこれ話しているのですが、一つ間違うとまともに口を開かなそうな頑固な様子が感じられます。

“最初のムーン・ウォーカー”ニール・アームストロングにいたっては、どんな取材も受けないのが鉄則で、本書の著者も最後まで追いかけ続けたあげく、イベント会場での短いやり取り以外はついに長時間のインタビューができずに終わってしまったようです。もともと相当の口下手で朴訥、それでいて独断で物事を判断する傾向があるといわれていました。月着陸で世界中から注目された後は、隠遁生活といってもよいほど世間から逃れてすごしているそうです。

・アラン・ビーン(アポロ12号月着陸船パイロット)
・チャーリー・デューク(アポロ16号月着陸船パイロット)
・バズ・オルドリン(アポロ11号月着陸船パイロット)
・ジョン・ヤング(アポロ16号船長)
・ニール・アームストロング(アポロ11号船長)

■競争が好きではない? 宇宙飛行士もいた
もっとも、アポロより前の初期の宇宙飛行士たち(マーキュリー計画やジェミニ計画を引っ張ったいわゆる「オリジナル7」のメンバーなど)はもっと強烈な個性を持っていたともいわれます。むしろアポロで何人かの常識人がいたということは、この頃はNASAの人材マネジメントも少し進歩していたのもしれません。

アポロ宇宙飛行士の中で人間的な魅力をとくに感じさせるのは、アラン・ビーンでしょう。ビーンはNASAをやめた後芸術家に転進し「月面での体験を描くアーチスト」として活躍しています。インターネット上の Alan Bean Gallery に作品が紹介されています。ドラマ「人類月に立つ」を見たことのある方は、ビーンを語り手にしてクルーのチームワークを描いたアポロ12号の回のことをきっと覚えていることでしょう。

アラン・ビーンは、名誉ある役を我先に得ようとする野心家揃いの宇宙飛行士の中で異質な存在だったようです。他のライバルに比べると競争というものにさほどこだわっておらず、“たまたま4番目に月を歩く役が回ってきた”だけだという。月から帰ってきてからも競争を引きずっている過去の仲間たちについて一歩引いて見ている様子があります。アーチストになって、他人と競争するのではなく、自分で「何かをやってみて、それがうまくいくかどうかを見ているほうが良い」(下巻p.60)。この言葉は必ずしも本音とは異なるのかもしれませんが、そんな彼が、結果的にたった12人しかいないムーン・ウォーカーに選ばれていたということは面白いですね。

もう一つアラン・ビーンの話で興味深いのは、宇宙での行動もさることながら、最も感じるところがあった出来事が「月から帰ってきたあとの地球上での日常生活だった」という点です。「ショッピングセンターでアイスクリームをなめながら何時間も座って周囲を眺めていた。その光景に対して、月旅行に負けないくらいの胸の高鳴りを覚えた…」といいます。

■アポロ宇宙飛行士に求められた資質とは?
本書にもありますが、クルーの人選は当時の宇宙飛行士室長ディーク・スレイトン(「オリジナル7」の1人だが、7人のメンバーのうちマーキュリー計画で唯一宇宙に出られなかった人物)が強い影響力を持っていたことが良く知られています。そのため、ディーク・スレイトンに好かれれば宇宙に旅立てる可能性が高くなり、疎まれれば絶望的といわれていました。

実際、何人かのメンバーはスレイトンの逆鱗に触れてその後一切メンバーに選ばれなくなったとか伝えられています。システマチックな人選とは程遠く、公平な人材マネジメントとはとてもいえそうにありません。こうしたアポロ時代の人選・人材養成のシステムと現代の宇宙飛行士たちが選ばれ養成されるシステムとのギャップは、私にとってずっと謎でした。

しかし本書から、これに関連した面白い記述を2つほど見つけました。芸術家肌のアラン・ビーンは、クルーの人選に大きな力をふるっていたスレイトンに必ずしも高く評価されていなかったらしい、というのが1つ。それでもビーンが選ばれたというのは、やはり1人の人の好き嫌いだけに左右されない、何らかの選抜基準があったということなのでしょう。

■「想像力をしっかりと封じ込める力」
そしてもう1つは、「船長」と「月着陸船パイロット」の役割の違いが人選に影響していたらしいという点についてです。

船長はまさにミッションを成功させるためのすべてについて責任を持つべき立場の人間。それに対して月着陸船パイロットは、もちろん責任という点でも実際の飛行業務でも大変重要であることは間違いないのですが、月着陸についてさえも最終的には自分ではなく「船長」が責任を持っていたわけです。そのため、船長に比べると少しだけ本来業務から離れたことを考える余裕があり、その分「感動」を目の当たりに体験できる立場にあったとされています。

エドガー・ミッチェル曰く、「自分たちが強烈な体験をしたと口にしていたのは月着陸船パイロット。船長は自ら責任を持って操縦する役割を持っていた」(下巻p.331~)。著者はこれらから、ディーク・スレイトンが選ぶ船長の条件として「ずば抜けた集中力と、想像力をしっかりと封じ込める力があること」と推測しています。もっと端的にいえば「冷徹な人」になれるかどうかが、アポロのような仕事に必要だったことをうかがわせます。

・エドガー・ミッチェル(アポロ14号月着陸船パイロット)

■人間臭さと職務の役割
これがどこまで本当かはわかりませんが、ニール・アームストロング、デイビッド・スコット、ジョン・ヤング、ジーン・サーナンのいずれもが「逡巡や動揺といった感情を持ちそうにない性格の人々だ」としています。すでに亡くなったアラン・シェパードとピート・コンラッドについてははっきり言及していません。

半面、この「船長」たちは皆敬意を抱くことのできる優秀な人たちではあるが、揃いも揃って人当たりは悪いか、少なくとも気の置けない仲間といった存在ではないわけです。隠遁してしまったり(アームストロング、スコット)、逆に「昔、ほんのひととき月を歩いた」という名声を利用して活躍する、自らを脚色しているような、鼻に付く存在だったりします。いずれも、周囲の人から見てあまり評判が良いとはいえません。

一方バズ・オルドリン、アラン・ビーン、エドガー・ミッチェル、ジム・アーウィン、チャーリー・デュークといった「月着陸船パイロット」たちは、信仰の道に入ったり、芸術家になったりと、月に行く前の宇宙飛行士としてのキャリアからは直接的に想像できない道を歩んでいます(ジャック・シュミットは、ムーン・ウォーカーの中で唯一学者出身なので、ちょっと事情が違う)。このグループにも人あたりの必ずしも良くない人(オルドリンがその代表)もいますが、そうであっても、インタビューから垣間見られるそれぞれの人柄や生き様はじつに人間臭さが漂っていることがわかります。

・ピート・コンラッド(アポロ12号船長)
・ジーン・サーナン(アポロ17号船長)
・アラン・シェパード(アポロ14号船長)
・デイビッド・スコット(アポロ15号船長)
・ジム・アーウィン(アポロ15号月着陸船パイロット)
・ジャック・シュミット(アポロ17号月着陸船パイロット)

■すぐに結論を求めすぎるな
ほかにもいくつか、本書を読んでいてはっとさせられる記述がありました。

「すぐに結論を求めすぎるな」
「宇宙飛行士だって怖いもの知らずというわけじゃない。恐怖感を克服して目の前の仕事をやりおおせる方法を見つける」
「月に行った経験を話すだけで高慢になることがある。でもそれはうぬぼれだ」
など。いろいろ示唆に富んでいます。

なお、この本の欠点は、構成や文章がかなり冗長なことです。たとえば宇宙飛行士へのインタビューにしても、インタビューそれだけでなくアポをとる過程とか昔話とか著者の回り道が非常に多く、なかなか本論に入らないので飛ばし読みしたくなるところが何個所もあります。テーマをきちんと整理して核心をもっとコンパクトにまとめれば、1/2から1/3くらいのページ数で済み読みやすくなるでしょう。

でも、インタビューの骨子を簡潔にまとめる手法ではなく冗長にあれこれ描写しているところが、出てくる人物の人間味とかとっつきにくさとか時代背景との関係とかを浮かび上がらせているともいえそうです。その意味で「すぐに結論を求めたくなる」我々を、わざと遠回りさせることに成功しているのかもしれません。

本書からあえて人生訓のような結論をとりだすのなら、「人生の勝利」というのが、決して名声や富を得ることではなく、またスピリチャルになることでもなく、困難を飲み込み克服していくことのような気がしました(あまり適当な表現ではありませんが…)。

■中年ビジネスパーソンにとっての「人生の見直し」?
あとがきで訳者が「“中年の危機”を意識するようになった作者が、帰還後に世間の荒波に放り出されることになった宇宙飛行士たちの生き様から有意義な教訓を得られるのではないかという期待をこめた旅」と評しているのには、ニヤリとしながらも、自らギクリとさせられてしまいました。著者は、10歳前後で月着陸のニュースに感銘を受けた世代。この文を書いている私もまさに同世代です。

たとえば、これまで懸命に働いてきたものの、時代の変化があり企業組織で半ば居場所がなくなった40代くらいのビジネスパーソン、リストラや転職という転機があったがまだ定年までには時間があり中途半端な今後に不安を抱いている中年。そんな方々には、「宇宙飛行士の」というより「著者の」危機意識がいろいろ伝わってくると思われます。