ミール研究所 MIR МИР

3-2事例6 軽印刷からパソコンDTPに展開

かつて「軽印刷」という印刷業のジャンルがありました。この事例6のように、このジャンルからフレキシブルな印刷・出力サービスに展開したところは少なくありません。


―― 事例6 軽印刷からパソコンDTPに展開 ――G社

 従来から、マニュアルや報告書といった少部数の印刷物は、いわゆる軽印刷業者が得意とするところだった。神奈川県川崎市にあるG社は、軽印刷の流れを汲み、メーカーのマニュアル各種を得意としている。古くは他の軽印刷業者と同様和文タイプを主力として利用していたが、後にワープロの利用へ、そして今はパソコンDTPシステムを数多く取り入れて、大幅なOA化を図った。導入したシステムは、和文マニュアルの作成にはジャストシステムの「大地」。欧文マニュアルの作成にはマック系の各種ソフト、システムを導入している。
 同社の創業は1949年。現在の従業員は約200人。年商は32億円。版下作成、制作から印刷・製本を守備範囲としている。カラー製版はほとんど扱っていない。関連会社を含めると、本社周辺、都内数カ所に営業所や印刷工場を持つ。特に印刷・製本には自信を持っており、1日に3000ページから5000ページを消化することが可能な最新鋭の設備を導入している。丁合、製本まで自動化したラインが組まれている。
 同社では、ワープロが登場した10年ほど前から積極的にワープロの軽印刷への応用を研究し、試行錯誤を続けてきた。メインのマニュアル作成の仕事は大手電機メーカー、OA機器メーカーなど、いわばコンピュータに慣れ親しんだ顧客からの発注が多いため、なんとフロッピー入稿が8割~9割を占める。つまり、手書きの原稿などすでに全体の1割~2割しかないわけだ。

■ワープロだけの版下作成会社を設立
 「タイプや活字を扱っていた軽印刷業者にとって、日本語ワープロは本当に今後必要となるのだろうか」。日本語ワープロが東芝から発売されたのは81年のこと。当時はまだ高価な機械だったが、軽印刷業界内では興味と怖れをもってその成り行きが注目されていた。「その判断つきかねていたんですよ」と当時のいきさつを目のあたりに見てきたT制作部長は当時を振り返って言うように、軽印刷業者にとっての戸惑いは大きかったようだ。
 だが、悩んでいるだけではらちがあかない。そこで「実際に試してみようではないか」と、83年2月、日本語ワープロによる入力、版下作成業者を別会社で設立することにした。社員は12、3人で構成し、文字作成はワープロだけしか決して使わないことに決めた。ワープロ・ユーザーやオフィス・ワーカーに多く見込めると想定し、事務所は川崎の本社でなく、東京浜松町に置くことにした。
 しかし現実のところ、当時は役所に提出する文書をワープロで作っても受け取ってもらえなかった時代である。「ワープロで印刷したものは字がきたないし、消えてしまう可能性がある。前例もないので受け取れない。タイプか写植で作り直してください」などという、今では笑い話のようなやりとりが現実にされていた。その時代にワープロ専門の版下作成業者を設立したのは、一つの冒険であっただろう。
 結果的には、事業は拡大の方向に向かう。「当時、行革で土光さん(臨時行政調査会長の土光敏夫氏)がワープロで資料を作り、政府に提出したことが大きかったですね。あれを機に認知されましたから」と中心メンバーとして加わり、後に同社2代目の社長となったT氏は語っている。ここに至って、「ワープロは絶対に必要なもの。これで印刷業もOA化に突入せざるを得ない」との認識を強く持ったという。すぐに作業スペースが浜松町では足りなくなり、本社にワープロを一挙に20台入れることになった。
 この成功で本社のOA化は進んだが、ワープロ導入は人材採用面でもプラスに働いた。当時既に和文タイピストのなり手が少なくなっていたが、「和文タイピスト募集」ではなく「ワープロ・オペレータ募集」とすることで採用がやりやすくなったのだ。当時和文タイプの在宅オペレータが80人ほどいたが、その人たちも次々にワープロに変わっていった。

■製本までのスピードが大事
 軽印刷の感覚で言えば、ワープロの出力レベルである程度の品質を得られれば、必ずしも写植機に持っていく必要はない。それまでメーカーのマニュアルといえばタイプ印字をガリ版で処理するのが普通だった事を考えると、ワープロ出力をそのまま版下にしてオフセット印刷にかければ普通は十分である。そのうちレーザー・プリンターが登場してきて、文字品質の面ではほとんど問題がなくなった。
 むしろ求められるのはスピードである。マニュアル類は大切な数字や記述内容がギリギリになるまで固まっていないことなど日常茶飯事である。しかも大量ページ(少部数)が主流である。提案書も同様で、ものによっては80ページから100ページあるが納期はページ数が多い割に非常にシビアである。文字組み、版下作成、印刷というラインに原稿を流して素早く製本してしまうことが、軽印刷業者の重要な機能である。
 例えばこんなこともある。大企業の作るマニュアルとなれば、同じ会社のあちこちの部署のスタッフが執筆に加わる。校正(ゲラ・チェック)では関係者にG社の校正ルームに集まってもらい一気にチェックすることが多いが、時には同じ会社の人が集まっているにも関わらず互いに顔を知らなかったりする。しかもこの段階になってもそれぞれの原稿はバラバラの用語を使っていて統一されていない。となるともう印刷所のスタッフが主導権をとって、体裁や用字用語の統一を図っていかなければならない。そんな時、和文タイプ文字の切り貼りなどではとても対応できないだろう。ワープロのような電子媒体を使っているからこそ簡単に用語統一などの処理ができる。
 出力品質よりスピードが要求される軽印刷にとって、ワープロは非常にピッタリの道具だったと言ってよいだろう。
 もちろん高品質な印字品質を求め写植機出力が必要となれば、そのニーズには応える。実際G社では、まだデータ変換ソフトなど世の中になかった時代にワープロから電算写植にコンバートするプログラムを自作していたこともある。だが、その写植の需要はそれほど高いわけではなかった。現在でも、同社では写植に関しては外注に出している。

(図3-31 G社の印刷物作成の流れ)

■パソコンDTP「大地」の導入へ
 後にパソコンが普及すると、同社でもワープロからパソコンへと乗り換える部分が増えてきた。在宅の入力オペレータはワープロが中心であるが、一方で図版の作成やより複雑なレイアウト処理を必要とされるようになり、パソコンの需要が高まっていった。すぐに一太郎(ジャストシステム)のようなパソコン上のワープロ、花子のような作図ソフトを使い出すようになる。
 もちろん、クライアントであるメーカーの技術者がパソコンを多用するようになったことにも大きく影響されているのだろう。
 そうなると、やはりどうしてもDTPシステムが重要視されてくる。しかし、外国製のDTPシステムはどうも日本語文書の作成には向かない面がある。そんな折に登場したDTPシステムをいくつか導入することになる。キヤノンのEZPS、富士通のIPS、ジャストシステムのDTPシステム「大地」などいくつか試してみて、最終的に大地をメインのマシンとして選んだ。
 その理由として
・コストパフォーマンス
・日本語処理機能
・一太郎などとの整合性
を挙げている。欧米のレイアウト・ソフトでは日本語特有の文書処理が不十分であるし、専用のDTPシステムは大地に比べれば高価である。軽印刷業界、企業内印刷では、コストパフォーマンスを考えると大地が最も良いのではないか、というのが同社の意見である。
 写研フォントの出力についても、現在はコンバータや画面上のフォントのピッチ・テーブルを持っていから、写研写植機にスレーブデータで出力することもできる。以前は写研の電算写植機へのコンバータは用意されていなかったが、既に触れたとおり、G社のような軽印刷の分野ではほとんど問題にならなかった。現在、大地は本社に8システム子会社のHCSには3システム導入されている。
 DTPシステムが入ったことで、図版や表の一部を別版にすることなく版下作りが出来るようになった。また、フロッピー入稿が大半を占めるといっても、目次や索引などは後で作り出さねばならないが、こうしたデータ処理に関わる部分も一太郎や大地の機能を活用してうまく処理を進められる。
 メーカーのデータベース管理をするためにオフコンの導入をしたこともある。ある工作機械メーカーの業務では毎年数あるパーツや商品、部品のデータをカタログにしているが、2年前にこのためだけに数千万円のオフコンを導入し、電子データ化した。業務処理の効率化だけでなく、クライアントにとっても歓迎すべき対応と言えよう。同社では、いわゆる本格的な情報処理はG社の向かう方向とやや違うとしているが、電子化による生まれるデータ管理のニーズについては的確に対応していきたいという。

(図3-12 CAD図面を大地で利用)

■CAD図面をDTPにコンバート
 マニュアル類の場合、CADなどで作った図面がかなりある。同社では、CADデータに関しては、標準的なファイル形式であるDXFファイルにして大地に移すことにしているという。
 他の事例でも触れたが、DXFファイルは必ずしも図面要素のすべてが標準化されていないため、特に電算写植にもっていくには難しい面がある。だが、DXFを花子や大地に移す限りにおいては、図面に描かれている線画の寸法については正確に反映できる。しかも大地のプリンターで印刷して版下作りをするわけだから、全体として大きな問題はない。DXFの機能拡張部分、特殊な図柄やフォントなどは仕方がないから書き直しになるが、出来る範囲でCADデータを転用することは十分に実用的としている。2万版の図面データをDXFで落として大地に持っていったこともあるという。図面の特殊な部分や大きな図面で縮小を必要とするものについては別版扱いで解決する。
 このあたりも、電算写植と軽印刷のスタンスの違いが、システムの使いこなしにも大きく反映していることが分かる。請け負う業務内容の違いで、事例1から事例5の印刷会社の例とはかなりシステム選択の条件が変わってくることが窺えるだろう。
 もちろん、軽印刷業でも一般印刷業でも、電子出版でのメリット、デメリットを正確に判断し、全体を最適化するための判断業務は誰かがしなければならない。いや電子出版に限らず従来型の印刷方法も含めて、システムのどれをどのように使うのが適切か、後工程で修正が入ったときにどの段階から訂正を入れるか、持ち込まれた図面や表をレイアウトに統合するか別版にするかなど、判断一つで混乱をきたすかスムーズになるか運命の分かれ道になってしまうことがある。
 G社では、制作課が全体の判断を取り仕切る指令塔を担っており、難しい判断はここで行う。そういう判断が出来るスタッフを育てることも、電子出版システム利用の重要な条件であろう。

■DTPシステムの販売ディーラーに
 これまで和文の印刷物作成を中心に話を進めてきたが、欧文マニュアルについてはマックが中心になっている。
 和文はG社本体が受け持っているが、欧文マニュアルの制作は子会社HCSの役割だ。HCSの制作ルームにはマックが14台、高性能なイメージセッター、バリタイパーを5台も入れている。PageMaker、QuarkXpressなど一通りのDTPソフトを使い2400dpiで出力できる。英文組版や英文文書の作成となれば、やはり米国製DTPシステムが便利。要は、必要に応じてシステムを使い分けているわけである。
 そもそもHCSは、欧文マニュアル制作に加え、大地をはじめとしたDTP専門販売会社にもなっている。設立は89年と若い。他の印刷会社を対象にしたDTPシステム・コンサルタント的な販売を行っている。
 DTPコンサルタントとしての目から見ると、同業他社の現況はどう見えるのだろうか。HCS営業部長のM氏は次のように話している。
 「コンピュータのダウンサイジングや各種情報流通が進み、ユーザーは賢くなってきた。保守的と言われる印刷業界でも電子化を理解し始め、受け入れられるシステムも絞られるだろう。だが、1世代前の機種を導入したユーザーがそろそろリース切れを迎えつつあるが、リースが切れてもリプレースしないで使い続ける企業は多いようだ。逆に、金があったからといって高価な印刷システムを購入し、無駄にしている企業も少なくない。その会社の方針に合った判断基準をもってシステムを選ぶことが重要であろう」。

■スマートな企業経営を目指す
 一般に印刷製本部隊を持つ印刷会社、軽印刷業者は3K的イメージで代表されるように、泥まみれの工場が想像される。だがG社の場合、社の方針として「泥まみれな所は見せてはいけない。お客さんにはスマートにせよ」と創業者(現会長)の新井武氏が唱えてきた。ワープロ、パソコン、DTPシステムをスマートに導入していけたことと無関係ではないだろう。
 ただ、T部長によると、本来はもう少し営業主導で進める必要があるかも知れないとしている。つまり、今まで制作現場の必要性、作業の効率アップなどが契機となって制作主導で新たなシステム導入を進めてきた。だが、制作スタッフのニーズだけで走らず、マーケットのニーズを組み取れる営業部隊と相談し、電子出版システムの導入、運用もマーケット志向で進めなければならないというわけだ。
 売上高経常利益率は15%以上、以前はもっと高い利益率を誇っていたという。広い敷地を持つ本社ももちろん自社所有の物件なので自己資本比率も高く、財務上は非常に安定していると想像できる。積極的なOA関連の設備投資も、豊富な資金があったからやりやすかったと言えそうだ。資金的には十分まかなえているから株式公開の予定はあまりないという。
 軽印刷の流れを組む印刷業が今後どのように発展するのか、同社の今後にも非常に興味が持たれる。


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コメント (1)

自己レス:
G社2009年時点の企業概要によると、売上高12億円、従業員数80人。記事当時の4割規模(60%縮小)ということになる。業態も若干変化していると思われる。

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この文章は、1992年にJICC出版(現・宝島社)より発刊した「プロフェッショナルDTP」(著者・松山俊一)から本文を抜粋してまとめたものです。内容に少し加筆編集を加えていますが、概ね原文のまま掲載しました。執筆時期が1992年なので、書かれている内容・情報はかなり古くなっていることにご注意ください

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