情報処理という意味では、この事例5で紹介した印刷会社の事例が最も興味深いものといえるかもしれません。
―― 事例5 情報処理で実践的サービス――F社図3-24のような表形式のデータを印刷することが、従来の組版業務においていかに大変なことであったか、関係者なら誰でも理解しているだろう。複雑な表を表現するための組版ファンクションを組み合わせ、その組版データの中に数値や文字のデータを入力する。いったんゲラを出してみたら赤字修正だらけ、発注者の多くは表組みの変更がいかに大変であるか、よく知らないから、とんでもない修正を事もなげに指定してくる。ところが図の表組みは、パソコンのデータベースを基に、データの再入力などすることなく組み上げたものである。
東京両国にあるF社は、この例のようにパソコン・レベルのデータ処理をうまく印刷につなげることを得意としている。これまで紹介した多くの印刷会社に比べ、F社は社員40人ほどと小さい。しかし、業界内で早くから情報処理を手掛け、ユニークな活動を続けている。
大手はもちろん、電算写植から情報処理に踏み出した中堅印刷会社は数社見受けられる。いずれも情報処理技術者を数多く揃え、大型コンピュータをまわして大量のデータベース出力も可能な体制をとっているところもある。だが、パソコン・レベルの小規模な情報処理と印刷のリンクを請け負う業者はそれほど多くない。表計算ソフトやデータベース・ソフトが一般OA業務にさかんに使われるようになったというものの、きれいな印刷物にデータを生かそうとすると途端に困ってしまうのが通例である。
これまで繰り返し触れたように、紙印刷とは情報を相手に伝達する手段に過ぎず、その前に情報をどのように扱うかという情報処理の方針を確立することが重要である。F社は、まさにその部分のノウハウを蓄えてきた。■社内でプログラム開発
F社の事業紹介パンフレットには、次のように記述されている。
「企業の情報化と上手にリンクする印刷系情報加工
すべての大型機&パソコンデータを編集加工して印刷専用プリンターの電算写植機で出力したします。
<営業内容>
・大量ワープロ入力代行
・表計算ソフトでの入力・およびグラフ加工などの処理業務
・DTPソフトでの編集・出力業務
・データベース構築および運用支援
・CADデータの入力、メンテナンス業務
・上記データの編集、出力、およびその印刷一連業務」具体的には、データ編集や写植出力が可能なパソコン用パッケージ・ソフトウエアとして、次のような有名ソフトを数多く挙げている(カッコ内は発売元)。
日本語ワープロ:一太郎Ver.4(ジャストシステム)、P1.EXE、(デービーソフト)、アシストレター(アシスト)、新松(管理工学研究所)
DTPソフト:PageMaker(アルダス)、スーパーエディ(アライド情報サービス)、DeskUP2(ダイナウエア)
表計算ソフト:1-2-3(ロータス)、アシストカルク、マルチプラン
データベース・ソフト、データ処理ソフト:MS-Works(マイクロソフト)、TheCARD(アスキー)、桐(管理工学研究所)、dBASEIII(ボーランド)、クリッパー(ダイナウエア)
グラフィクス・ソフト:花子、Lotus Freelance(ロータス)
CADソフト:AutoCAD
このリストで挙げたソフト以外でも、「クライアントの要求に応じて対応する」(T情報処理部長)と積極的だ。
一言でOAソフトから印刷へのリンクと言っても、万能の変換ソフトを1つ開発すれば済むというものではない。フロッピー入稿のように文章データを電算写植機に渡すだけなら、データ形式さえ分かれば変換ソフト一つで解決することもあるが、表計算やデータベースのデータから印刷に渡すには、現状では業務ごとにプログラム開発する必要がある。
F社が数多くのソフトへの対応をうたっているのは、基本となるデータ変換ソフトを社内外で用意したことだけでなく、ユーザーの個別の事情に応じてプログラムを組める開発スタッフを置いているからこそ出来るのである。
組織は図3-25のように簡単なものであり、実際に情報処理をこなすスタッフを多くかかえているわけではないが、T部長を核にして「組織の中からアメーバ的にプロジェクト・メンバーを組む」という。(図3-25 組織図)
■ワープロ変換から徐々にノウハウ蓄積
ノウハウの蓄積は、決してスマートに実現したわけではない。
同社は以前、一般の版下作成業務をこなしていた零細企業に過ぎなかった。しかし、ワープロの登場、顧客企業のOA化を目にしてA社長は危機感を持ち始める。そこで83年に電子出版を目的とした別会社としてF社を設立。日本電気の電算写植機N5170とタッチタイプ式のプロフェッショナル向けワープロ、東レの電算写植機FXを導入した。さらにフロッピーで持ち込まれるデータに対応するためパソコン(日本電気のPC-9800シリーズ)を導入し、各種データ変換をこなすようになった。続けて、あるシンクタンクの名簿の印刷、データベースの構築などを請け負いながら、その度に必要なソフト開発を進めてきたというのが現実だ。むしろ、顧客のニーズに応じるために次から次へと情報処理の分野に踏み出し、その間の経験を蓄積していったと表現できるだろう。
現在は50台近くのパソコン(PC-9800)とデータ・サーバー役に共有型ハードディスクと光磁気ディスクを備えるほか、写植機は5170が2台、FXが1台、モリサワのIM30を社内に持つ。それ以外の出力、例えば写研製写植機が必要な時は、同業者に外注する。(図3-26システム構成図)
■大掛かりなデータベース出版を実現
ここで例として、多量の情報を出版物につなげた例を見てみよう。
図3-27は92年春に日本能率協会マネジメントセンターから出版された「未来歴」の例である。この本は1年間の行事をまとめた本で、中身はまさにデータベースである。一般にこの手の印刷物は、通常の組版、印刷をすると編集、校正だけで数カ月かかるという。ところがこのプロジェクトでは、版下作成はわずか1週間で完成できたという。
この本の作成手順を図3-28に示した。要は、「未来歴データベース」という形でいったんデータを完全な情報処理システムとして完成させて、その結果を電算写植機へ吐き出したわけである。
まずは複数の筆者、編集者がとりまとめてパソコン・データベース・ソフト(桐)に入力する。データ作成、分類には手作業と同様もちろんかなりの時間(この場合は半年)がかかるが、少なくともいったんデータを入れてしまえば、メンテナンスは楽になる。後でちょっとした修正が加わっても、この段階なら自由自在に訂正処理できる。ソーティング(並べ替え)のやり直しも簡単だ。本の体裁もデータの構成に強く制約を受けずに済む。とにかく、組版データとはまったく関係なくデータベースを組み上げて行けるところに大きなメリットがある。(図3-27 未来歴サンプル)
データが揃った段階で、全体のデータ容量を確認、本の体裁の概要を決める。そして、データベースの一つ一つをどのようなフォントを使いどのように配置するかが決まったら、そのとおりの写植データに変換するソフトウエアを通して電算写植機に移せばよい。これで本文の印画紙出力ができる。また、データベース化していることにより、索引データも簡単に作り込め、その結果をやはり写植出力する。結果をまとめて製版、印刷工程にわたせばよい。
(図3-28 未来歴手順)
この時のデータ件数は全体で何と7万件にまで膨れ上がっていた。本のページ数は約1100ページ。当初からこのようなデータ処理工程を踏むことを決めておきさえすれば、量が多くても短期間に版下作成を実現できる。そんな提案が出来ることが、“情報処理印刷業”ならではの強みであるわけだ。
実は、約1100ページで予定していたものが作り上げたデータをそのまま出力すると1600ページほどになることが途中で判明するなど、処理過程で発生する問題もいくつかあった。だが、一般ユーザーでは気づきにくい問題点を解決してあげることも、業者の腕の見せどころであろう。
同様の方法で、F社では数多くの名簿やカタログを作成している。最近の例では、約3000ページわたる全国団体名鑑も作成したという。そのプロジェクトは何とA社長とT部長のわずか2人だけでプロジェクトを進めることが出来たという。■CADデータを直接印刷に
印刷に使える電子データは、文字とは限らない。図3-29はあるサッシメーカーのカタログの例で、自社のパソコンで使っているCADデータをそのままカタログに転用した。
一般に部品カタログは世の中に多く出回っているが、意外と元のデータを印刷に転用する例は少ない。それというのも、文字データ以上にCADのような図面データを組版システムや写植機に持ってくる標準的な手順が定まっていないからである。CADで最も標準的なデータ形式であるDXFというファイルもフォントやハッチング・パターン(模様)の情報を簡単に組版システムに移せないため、なかなか実用にならない。結局、いったん打ちだした図面をカタログのためにトレースするなどという無駄な手法が取られていたりする。
CADのケースも、ある業務に特注でデータ変換プログラムを作ってしまえば良いわけで、考え方としてはデータベースから印刷への特注データ変換のバリエーションみたいなものである。実際にF社では、プログラムを作成し、図のようなデータ転用を可能にした。プログラム作成には費用がかかっても、もし毎年定型的な形でカタログを作るなら、次の年はすでに開発したソフトを利用することで大幅な業務効率を見込める。印刷業者にとっては、毎年確実な受注が見込めることになる。(図3-29 CADカタログの例)
■「波を見るな、潮を見ろ」
F社がこのような情報処理をフットワーク良くこなしてこれたのは、やはりトップの意気込み、経営方針によるところが大きい。同社の社是は「波を見るな、潮を見ろ」。単に印刷の電子化という波を見るだけでなく、情報処理という潮を正確に捉えたところに成功要因があったのだろう。仕事はいたるところにあるもので、自然にF社に声がかかる事も多い。
自己レス:
F社2009年時点の会社概要によると、従業員数35人。ここが最も、記事執筆当時と今とで業態の違いが少ないところかもしれない(もちろん、取り扱っている技術や商品はかなり変化しているはず)。
by: StartWatch | 2009年06月11日 14:28