ミール研究所 MIR МИР

3-2事例2 電子出版の最先端走る

2つめの事例も、写植・版下の世界からコンピュータ処理の事業へ先んじて展開した企業の例です。


―― 事例2 電子出版の最先端走る ――B社、C社

 B社は、事例1のA社と同様総合情報印刷業に位置付けられる印刷業者。電算写植機が普及する段階でいち早くこれを取り入れ、大きく伸びた。電子出版の道を歩み、情報処理の先端を築いていった代表例である。
 東京本社の他、同社は埼玉県朝霞と北海道北見の事業所で写植から製版まで手掛ける。特に北見事業所には多数のOA機器を備え、電子製版関連を主に設備の充実を図っている。また、戦略子会社として情報処理会社C社と製版を受け持つ子会社を持つ。C社では印刷システムのソフト開発、IBMの汎用コンピュータを用いた情報処理、ページレイアウト・ソフトで定評のあるQuarkXpressの輸入販売、マックを中心としたプリント・ショップ「PRESENROOM」の店舗運営など、ソフトハウス顔負けの事業を展開している。
 80年代に入った頃、B社はわずか社員20人ほどのどこにでもあるような手動写植、組版業者だった。しかし、10年たった今はB社本体だけで社員は160人、グループ3社を合わせ、グループで社員は約220人に増えた。年商はグループで20億円ほど。さらに拡大を続けている。社長は最新技術の取り入れに常に積極的である。
 そんなB社の成長の足跡を追ってみると、次のようになる。

1971年、設立
81年、電算写植システムを導入。この当時の社員は20人程度
83年、情報処理のためにIBMのコンピュータ、システム36を導入
85年、製版、面付けを受け持つ子会社を設立
86年、情報処理・システム開発・ソフト開発のC社を設立
87年、朝霞事業所を開設。同年IBM AS400を導入
89年、新宿PRESENROOMを開設
90年、新橋PRESENROOMを開設
91年、北見に新社屋を完成し、事業所として開設
92年、水道橋PRESENROOMを開設

 電算写植システムを導入した理由はごく単純だ。「手動と電算では生産性の違いが明かだ」と判断したことである。写植専業として始めた同社だが、手動写植では会社規模として30人位が限界だと感じたという。作業効率では電算写植の方がずっと高い。確かに、大手印刷会社を見ると、非生産部門はなるべく社内に置かず、組版のような業務は傘下にたくさん持っている系列会社に頼っている。B社もこのままでは、大手の協力会社としてワン・オブ・ゼムでやっていかざるを得ない。このことは手動写植に限らない業界構造だが、最低限電算写植で生産効率を挙げることが必要と考えたわけだ。
 でも、当時は電算写植の評判は良かったとはいえない。活版や手動写植の伝統的な印刷、組版技術から見ると、コンピュータを使ったシステムが必ずしも質の良いアウトプットを出せたわけではないのだ。現在、DTPシステムの組版技術が熟練経験者には不十分と思われるのと同様、当時の電算写植の組版性能は従来型と比べ異なる部分があった。
 しかし細部をこだわる顧客を除けば十分な質のサービスは提供できる。決められた時間内に決められた予算範囲で印刷物を納品すればよいわけだ。処理量を増やすことができれば営業面でもそれに応じた積極策がとれる。そんな意気込みで、同社は果敢に電算写植システムを導入していった。
 導入によりそれまで手動写植機の技術者だった人員を少しづつ転換した。当時の人員構成は、おおよそで手動写植10人強、電算写植5人、営業2-3人、その他数人だった。現在は北見事業所に約100人の入力、編集部隊、朝霞営業所に約50人の電算写植部隊、本社に約10人の営業で構成されている。手動写植機の部隊はわずかである。

(図3-9 B社の組織図)

■電算写植機なのに電算処理は出来ない!
 電算写植機を入れて事業の新たな展望が見えたとは言うものの、大きな不満があった。「電子処理はしているというもののほとんど専用機。単語のソーティング(並べ替え)一つ出来ないし、他のシステムとの連携もだめだ」(B社取締役)。印刷をするという結果を得るだけならこれでもよいのかも知れないが、発展性がない。名簿や予算決算書など、コンピュータから吐き出される大量の数値、データを印刷するニーズは非常に強いものの、いったん印刷されたデータをあらためて入力するようなバカなことをしなければならない。
 写植機メーカーにこのことを相談しても、「できない」という返事ばかりが返ってきてあてにならない。「しようがないので自分達でやるか」。K氏が中心となりコンピュータのノウハウを蓄えることにした。ほどなく、IBMのコンピュータ「システム36」を導入し、情報処理に活用することにした。
 後に普及型日本語ワープロが世に出たとき、すぐにこれを電算写植機の入力機として活用することにした。電算写植機の入力機は高いから代わりにワープロから入力し変換する。必要な変換ソフトも自作する。そんな方針でワープロを取り入れていった。

■戦略子会社でソフト開発
 C社が各種日本語ワープロから電算写植機へのデータ変換技術に強いことを聞き付け、DTPシステムの広がりに応じて他社からの引き合い、開発依頼が舞い込んでくる。内部で情報処理事業のノウハウを蓄積しながら、そのノウハウ自体を事業化できることに気が付いた。そこで積極的な設備投資、事業運営をするため、86年に別会社としてB社を設立した。
 パソコン用ページ・レイアウト・ソフトQuarkXpressからの写研出力コンバータ「QuarkXTension写研コンバータ」はC社が手掛けた。QuarkXPressについては日本での輸入代理権を持っている。その他、IBMのAS/400やシステム/38、富士通IPS、シンプルプロダクツWAVE、住友金属工業SMI/EDIANなど各種DTPシステムから写研製電算出力機への変換ソフトの開発を同社が協力している。
 自動編集システムとしては、就職情報誌、旅行情報誌、不動産情報誌、辞書、名簿、決算書、統計資料、競馬資料、学習参考書、保険料率表、組織票、パーツリスト等各種印刷物を編集するための専用システム開発の実績がある。いずれもクライアントのニーズに応じた情報処理そのもので、いわば“縁の下の力持ち”となっている
 C社で最も目立つ事業は、プリント・ショップの展開だろう。92年5月、東京水道橋にC社が経営するプリント・ショップ「PRESENROOM水道橋店」が開店した。PRESENROOMは、新宿、新橋に続きこれが都内で3店舗目になる。これらの店舗では、出力サービスに加え、ソフトウエア・パッケージの外販も行っている。
 PRESENROOMで備える入出力機器の種類は数多い。ポストスクリプト対応モノクロ・プリンターはもちろん、電算出力機(イメージセッター、タイプセッター)はライノトロニック、アグファProSet9800、SelectSet5000/7000、SCANTEXT2032(独スキャングラフィック社)、サイテックスRayster、写研SAPLS LauraSSなど、カラー・プリンターはソニーテクトロニクスPhaserIII、QMS ColorScript、キヤノンPIXEL DiO、イマプロQCR/PCR(フィルム・レコーダー)など、スキャナー関係はサイテックスSmart Scanner、Raystar、オートコン1000/DE(米ECRM社)、アグファFOCUS S800GSなどを備える(いずれも92年6月時点)。
 PRESENROOMのシステム構成例として、図3-11に水道橋店の様子を挙げた。すべての店舗ですべての機種を揃えているわけではないが、3店舗はそれぞれISDN回線で互いにネットワーク化されており、B社本社を含めどこかの店にあれば通信回線を使って互いに利用できる。そしてどこの店舗からもデリバリーをする。まるで、3店舗が巨大な有機体を作って都内に根を張っているかのようだ。
 これだけの設備投資をしているが、採算は十分にふまえている。急激な店舗展開の予定はないようだが、プリント・ショップを始めて4年目に入り、同社は店舗運営に自信を示している。ちなみに、91年のC社の売り上げは約5億円。B社本体に比べ従業員一人あたりの売上高はかなり高いと推察される。

(図3-11 水道橋店のシステム構成概要)

■北海道に高度なシステムを導入
 B社本体では、北見事業所が重要な生産拠点になりつつある。北見事業所だけでパソコンPC-9800が60台以上、マックは十数台、そしてソニーのワークステーションNewsを使ったDTPシステムSMI/EDIANが約10台入っている。
 東京で受注した原稿を通信回線(ISDN)または航空便で北見に送る。それを北見で入力、編集し、今度は朝霞に通信か郵便で処理済みデータを渡しそれをフィルムなどで出力、納品するというのが、標準的なパターンになっている。北見へのデータ通信は、クライアントから直接送られるケースが多い。
 なお、北見事業所では「四勤二休」、年間休日132日の勤務体制をとっている。3グループがローテーションを組み、ゆとりのある勤務ができることを重要視した。北見のハイテクパークに瀟灑なオフィス。ここには、印刷業につきものの3K的な雰囲気は全く感じられない。
 営業面では、写研関係のクライアントからもマックを使った印刷の話が舞い込むことが多くなった。しかし、技術的に深い内容になるとやはり一般営業員が誰でもクライアントの要望を理解し、それを社内で消化できるかどうかを判断できるわけではない。そんな時に営業の補佐ができる技術系人材を数人育てたという。

■欧米を見ると数年後の日本が分かる
 電算写植や情報処理、プリント・ショップ等の新規事業に先手先手で踏み出せたのは、同社が海外動向の視察を重視してきたことが一つの大きな理由と言えそうだ。海外の方が進んでいるから数年後の日本の姿が見える。だから、とにかく機会あるごとに海外を視察することにしているという。一般社員にも欧米のプリントショーと企業視察を兼ねた研修旅行に派遣し、先進事情をウォッチさせている。
 では今後どのような流れが想定できるか、主に技術面のトレンドについてK氏にインタビューした。

――印刷業界の現状をどう見るか。
K氏 米国の動向を見ると、写植業者というものはもうほとんどないようだ。日本でもそうなると仮定すると、印刷業者は写植請け負いだけでは不十分で、製版全体をやらなければだめだ。ただ、DTPによる印刷内製化は進むが、一般企業はイメージセッターまでは普通揃えない。印刷会社では、クライアントが自社でどこまでやりたいか、どのレベルで出力したいのかをはっきりさせ、クライアントが望む部分をサービスするというスタンスをとればよい。
――コンピュータ印刷システムにより日本語の組版処理が乱れているとよく言われる。これまで厳密な組版ルールにのっとって組版処理をしてきた専門家からみると、かなりの批判があるようだが。
K氏 これまでの組版ルールは活版から来ている。活字印刷の制約の中で作り上げたルールである。だから、ワープロやDTPの普及で組版ルールはかなり変わっていくだろう。今は、教育関連の書物はさすがにうるさいけど、一般の書籍の場合はかなりルーズになっている。ワープロで手元で文字を作る機会が増えているが、ワープロの場合は組版なんてあったものではない。さらに、従来型組版ルールの内容が問われなくなっていると同時に、フォントも写研でなければだめだと言われることも、ずっと少なくなってきたように思われる。
――DTPシステムをどう使いこなしてけばよいのか。
K氏 写植機メーカーの専門の組版システムは必ずしも編集の操作性が優れているわけではないので、DTPシステムをフロントエンド(前処理)的に使って写植出力につなげればよい。
 出力機へのインタフェースが問題になるが、コンピュータのコードを使っている限り解決可能と思われる。あとは技術的な問題である。しかし、データ変換はきちっとできなければならない。当社ではこれを武器にしていく。
 写研製電算写植機へのリンクは、スレーブ・データ(座標と内容で表現されるCAD的なデータ形式の一つ)へ展開することが基本である。写研のファンクション・コード(オリジナル・データ)にデータ変換しても表現しきれない。
 また、オンライン環境をきちっとサポートすることも重要である。フロッピーの持ち歩きによるデータ転送は時間がかかるし危険でもある。
 いずれにしても、マックなり特定のDTPシステムなりが組版の世界を席巻するとは考えにくい。システムにはそれぞれくせがあるので、商業印刷物用、ページ物用、図形・グラフ用など長所を生かして使い分けをすることになろう。
――今後、御社における印刷事業とはどういうものなのか。
K氏 文字は情報の一つの形態に過ぎない。グラフィックや音、マルチメディアを含む情報を仕事とする業務に関わっていかなければならないだろう。印刷は、情報を目に見える形に表現することである。
 印刷業はサービス業の一つ。印刷を軸にしながら、一般にも顔向けしたサービス業を行う。

■印刷業の質的変化の時代
 この10年、電算写植に積極的に踏み出したB社のような企業が、印刷業界で大きく伸びた。20人の写植業者から220人の総合情報印刷業に脱皮できたのは、同社の当初の狙い通り生産性の向上が基本であった。量的な拡大を見込めた時代と言ってよいだろう。
 しかし、これからは生産性向上というより、質的な業務改善が一つのキーになるのではないだろうか。具体的には、印刷と情報処理の融合、技術力の向上が決定的な差別化要因になっていく。

■写研とマックで歴然としたお客の違い
 写研関係の仕事とパソコン関連の印刷の両方を手掛けるようになって、B社のメンバーはその客層の違いにおおいに驚かされることとなった。写研出力のクライアントは写植業者、印刷会社など同業者が大半である。逆にパソコン(特にマック)の場合はほとんどが一般企業である。
 考えてみると、どちらもドキュメントとして提供する機能は同じだ。これまで印刷会社の大半は、フロッピー入稿程度には遭遇しても、それ以上の電子出版処理を受け持つところは少なかった。業者に言わせれば「別にそれ以上顧客に求められていない。だからコンピュータ投資もまだ先で良い」とタカをくくっていられたのかもしれない。だが、結局印刷業者がコンピュータ化に躊躇している間、またはコンピュータ化を避けている間に、一般企業の方が新たなステージに進んでしまっているとは考えられないか。


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コメント (1)

自己レス:
B社の2009年現在の従業員数は約240人。一時期300人以上の従業員がいたとの情報がある。記事執筆当時と比べると現在の事業業績は大きい。
子会社C社も当時と同様に活動を続けている。

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この文章は、1992年にJICC出版(現・宝島社)より発刊した「プロフェッショナルDTP」(著者・松山俊一)から本文を抜粋してまとめたものです。内容に少し加筆編集を加えていますが、概ね原文のまま掲載しました。執筆時期が1992年なので、書かれている内容・情報はかなり古くなっていることにご注意ください

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