ミール研究所 MIR МИР

1-1 フロッピー入稿の現状

当時、印刷物の電子化は、ワープロ専用機やパソコンで書いた文章をフロッピーで入稿するというだけでも十分先進的なこととされていました。そして、手書きではなく自らキーボードで原稿を作るということさえにも、さまざまな反発がありました。


第1章 電子出版の考え方 1-1 フロッピー入稿の現状

■システムの電子化を理解するには
 個人にも広くワープロ(ワード・プロセッサ)やパソコン(パーソナル・コンピュータ)が普及し、印刷業を脅かしている。いや「脅かす」というより、今まで写植や組版を専業として行っていた印刷業者にとって、何とも理解できない変化が進んでいる。
 「原稿はこのフロッピーにワープロの文書で入っていますので、これを使ってください」。1988年の夏、組版と写植版下の作成を行う東京の印刷会社営業マンA氏は、クライアントからそんな依頼を受けてしまった。
 A氏は戸惑った。この依頼を受けてしまってよいものなのか。
 ワープロで文字を書けば素人でも印刷物らしきものを作れることは分かっている。ワープロで作った文書をフロッピー・ディスク(Floppy Disk)という入れ物の中に記録しておけるということもさすがに知っている。しかし、原稿といえば原稿用紙などに書かれた目に見える文字しか受け取ったことのないA氏にとって、受け取ったフロッピーとこれから作ろうとしている製品(版下)の関係が生理的に理解できなかったのだ。
 A氏は迷いながらもこの仕事を請け負った。ところが、今度は現場担当者から非難を浴びる結果となった。「なんで相談もなしにそんなもの引き受けてしまったのだ。我々はフロッピーをどう扱えばばいいかなんて知識は持っていない」。
 これは、筆者が実際に耳にした実話である。当時既に印刷システムのコンピュータ化は進み、電算写植機も各所で導入されていた。ワープロ・メーカーが低価格化戦争に入ったのはこれより前、85年あたりだった。意識されていたかどうかはともかく、印刷や文書作成システム電子化のトレンドは、業界内外で明確に形をなしつつあった。
 ところが、A氏の会社に限らず、電子的に文書データを渡されるいわゆる“フロッピー入稿”に戸惑った印刷業者は少なくないだろう。コンピュータのノウハウを持っているわけではなく人材も少ない中小印刷業者では、電算写植機とかコンピュータ印刷システムとかがどういう役割をするのかを掴むまではどうしても時間がかかる。
 印刷機器の見本市に行っても次々に専門用語や新しい概念説明が登場し、どうも全体像が判然としない。コンピュータを使った印刷システムがすごいことは何となく分かるが、それを業務にどう応用すればよいのか、断片的にしか理解できない。試しに高価なシステムを入れてみたが、有効に活用できずにお蔵入りになったというケースも決して少なくないだろう。
 こうした状況は、別に印刷だけにみられる現象ではなく、コンピュータの新たなテクノロジーに直面した時、どんな産業においても起こりうる。ただ、ワープロはあまりにも急激に一般化していったため、印刷の世界に及ぼす影響もまた、非常に急激なものだった。

■保守的反応、悲観的反応、期待先行的反応
 人間が時代の流れと完全に歩調を合わせることは不可能に近い。この時の印刷関係者の反応としても、次の3種類のパターンが多く見られた。
 その1は、高度なノウハウを持つ印刷業がワープロやパソコンに脅かされることはないだろうとする“保守的”な反応。その2は、印刷業者の出番がなくなると危惧する“悲観的”な反応。そして3つ目は、コンピュータを駆使した印刷のあり方に大きな期待を抱く“期待先行的”な反応だ。
 保守的論者の意見を聞いてみよう。
「ワープロの登場で個人や一般企業がそれなりのレベルの文書作りをできるようになった。でもこれらは機能的な限界があり、印刷のプロフェッショナルからみれば子供だましに過ぎない。あんな低い印字品質では趣味の範囲でしか使えないだろう。仮に印字品質が上がったところで、複雑な日本語の組版処理や制作物作成ノウハウを一般ユーザーは持っていない。印刷物の作成は従来と同じように印刷業者が請け負うことになる」。
 これに対し悲観望的論者は、コンピュータの能力を過大視しがちだ。
「ワープロ普及のスピードはすさまじい。ワープロやコンピュータが進歩すると顧客が自分たちで印刷を行うようになり、我々のような業者を利用するケースは少なくなるだろう」。
 期待先行的反応の場合はどうか。
「コンピュータの能力は無限に近い。コンピュータを道具にして文章や画像を作ることができるようになると、手作業では決してできない作業ができるようになる。コンピュータが進歩すればこそそれを積極的にとりいれていくべきだ」。
 それぞれ真実の一部を表現しており、どれか一つが正しいというわけではない。“期待先行型”が最も前向きの反応をしているように思えるが、半面このパターンの場合は過大な期待を描いてコンピュータ投資をしがちになる。
 ここで挙げた各種パターンをどのようなバランスで理解すればよいかが本書の主たるテーマの一つである。

■データ変換ソフトが問題を解決
 まず、印刷の電子化がどんな変革をもたらすのか、最も単純化した図式を描いてみよう

――― 図1-1 電子化がもたらす印刷の変革概念図(1) ―――
図1-1

 ワープロやパソコンの普及がもたらしたフロッピー入稿は、印刷システムの入力が紙媒体から電子媒体に置き替わることにほかならない。これだけなら、印刷システムにおいてはデータ処理を伴う以外、何ら従来型と変わるところはない。紙に書かれた文章や画像、図版は、電子的データが“内包”しているわけで、インプット側さえ工夫し対応できれば事態は解決できることになる。
 実際、A氏の場合はワープロ・データを電算写植機用のデータに変換するコンバータ・ソフトを用意しただけで問題は一応解決されてしまった。
 データ変換ソフト(コンバータ)とは、フロッピー・ディスクの中に保存されているデータの保存方法を変えてやる機能を持つプログラムのこと。ビデオテープに例えれば、ベータ方式で録画されている画像をVHS方式のテープに入れ替えるようなものである。コンピュータの場合、記録方式の種類はビデオテープのよりずっと多くシステムごとに異なっているが、普及型のワープロから代表的な電算写植機へ変換する機能を持つデータ変換ソフトは各種市販されている。
 持ち込まれた文書データをパソコン上のデータ変換ソフトを介して電算写植機にかけることができる記録方式に変換する。つまり電子媒体を印刷システムにインプットする方法を学んだだけで対応できたわけだ。このケースについて言えば、印刷会社にとっては「案ずるより産むが易し」であった。

――― 図1-2 データ変換ソフトでインプットする方法をシステムにあわせる ―――
図1-2


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お知らせ他

この文章は、1992年にJICC出版(現・宝島社)より発刊した「プロフェッショナルDTP」(著者・松山俊一)から本文を抜粋してまとめたものです。内容に少し加筆編集を加えていますが、概ね原文のまま掲載しました。執筆時期が1992年なので、書かれている内容・情報はかなり古くなっていることにご注意ください

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