ミール研究所 MIR МИР

3-2事例1 新しい総合印刷サービスの姿とは

事例1は、写植業からいち早く出力サービスなどに踏み出した企業の例です。


3-2 印刷業者の変革 ―― 事例1 新しい総合印刷サービスの姿とは ――A社

■次世代の印刷サービスとは
 電子印刷時代の印刷業者はどんな業務形態をしていて、どんなサービスを提供するのだろうか。顧客と業者の役割が変わるといっても、概念だけでは今一つイメージがつかめないかも知れない。そこで、新しい世代の印刷サービスをの姿を既に実践しつつある株式会社A社の実例を見てみよう。
 「ポスト次世代印刷――21世紀の印刷業界の新しい姿をとらえつつあります」。
 A社の事業案内には、そんな言葉が力強く刻まれている。“次世代”と飛び越え、さらにその先“ポスト次世代”を視野を広げた表現だ。
 同社は各種高度なコンピュータ製版装置を導入し、次々と新たな業務に社業を拡大してきた。プリント・ショップ(出力サービス)はもちろん、デザイン企画業務、入力サービス、情報処理、教育、バイク便、画像データベース提供サービスなど関連する事業に次々と進出、事業を伸ばしている。東京秋葉原の本社のほか、飯田橋にマックを中心とした出力センターを置き、電子印刷の拠点としている。さらに青森県八戸市に“ハイテクセンター”を開設した。
 A社の設立は1980年。長年印刷業を続けている同業者から見れば新参者である。設立当時はどこにでもある写植版下制作業者だった同社が、どのように事業展開を進めてきたのか。

(図3-3)

■24時間稼働の出力サービス開始
 従来型の写植版下請負業務から転換を始めたのは83年のことだ。事業は軌道に乗ってきたとは言うものの、写植版下請負だけでは利益率が必ずしも上がらない。社長はじめ経営幹部は、他社との競争の中で労働集約的な事業だけでは限界があることを感じていた。そこで、思い切って高価な電算写植機(写研のMICRO5)購入に踏み切ることとなった。
 当時社員は組み版オペレーターが20人ほど、営業員や経営スタッフを含めて40人程度の所帯に過ぎなかった。写植出力そのものを他社に頼っていた。生産性を高め現状打破を狙うためには「どうしても高性能な出力ができる機械が欲しかった」(T常務)。業界では新参者であったというだけではなく、典型的な受注型産業と言われる印刷業界において生き残る道を模索したといった方がよいだろう。高価な電算写植出力機を装備できる業者は中小ではそれほど多くなかったが、これが成功へのカギと判断したわけだ。
 とはいえ、売上は数億円の規模の企業が、リースとはいえ定価で1億円以上もする設備を導入するのはかなりの冒険といえる。一つの賭けであったのは間違いないだろう。
 しかも、出力機を導入すると言っても、ありきたりの考え方で他社と同じようなサービスをしている限り成功はおぼつかないと判断した。そこで始めたのが24時間営業の出力サービス・センターだ。今でこそ出力サービスを大々的に行う印刷会社やショップも増えたが、当時「写植出力」を前面に押し出して一般にサービスする企業はほとんどなかった。
 そんな時代に、24時間いつでも受け付ける出力サービスを開始しただけでなく、出力データを電話回線で受け取ることができる体制作りをした。電算写植出力のデータはフロッピー・ディスクや磁気テープで持ち込むのが一般的な方法だが、パソコン通信のような手段でデータ伝送で受け取れれば、より機動的なサービス提供が可能になる。パソコン通信のための機器やソフトウエアなどは出回っていなかったため、通信ソフトそのものを自社開発し、クライアントに提供していくことにした。
 時間との勝負が印刷事業では非常に大きいファクターであることはいまさら言うまでもない。24時間の受付と通信によるデータの受け取り体制は、顧客サービス度を上げることにつながった。
 もっとも、24時間サービスは顧客本位という発想から始まったわけでは必ずしもなかった。「(高価な出力機を導入したから)24時間回さないと元が取れなかったから」とT常務が笑って打ち明けるように、稼働時間を最大限に上げることで、企業規模にしては大きな設備投資をとにかく少しでも早く回収することを目指した結果だった。

■バイク便子会社を設立
 電算写植機器のリース代もさることがながら、A社にとって負担になったのは出力結果の配達コストだ。A社では、23区内なら顧客に無料配送をする。短時間でクライアントに届けるためにバイク便を使っているが、そのコストが月100万円を上回ったという。そこで、バイク便によるデリバリー・サービスを自ら始めることを決め、子会社「フラッシュサービス」を設立した。89年のことだった。
 配達員は常に飯田橋出力センターに待機しており、出力が刷り上がるとその場で配達員がバイクに飛び乗り、クライアントに届けることになっている。これも、24時間サービスとかみあうことでサービスの向上をもたらしている。
 少し規模のある印刷業者なら、配達を受け持つ子会社を持つのは決して珍しくないが、フラッシュサービスではA社の仕事以外に一般からの仕事も受け付ける。現在はフラッシュサービス単独で利益が出るまでには至っていないが、いずれ自立できる事業に成長していくことも考えられる。

■出力機器の拡充
 ともあれ、結果的に電算写植出力センター構想は成功だった。このサービスにより資金的な余裕もできた。
 80年代後半になって、写研電算写植機への出力サービスが徐々に広がり始める。A社でもそれに歩を合わせるように、得られた資金の多くを新たな設備投資に当てていった結果、既に写研の電算出力機SAPLS Lauraが4台、SAPTRON Gimmyが2台、普通紙プリンターのSAGOMESが6台に増えた(92年6月現在、以下機器の内容はいずれも92年6月現在)。
 91年8月にはマッキントッシュの出力サービスを開始した。
 欧米ではページ記述言語であるポストスクリプトを標準データとしたプリント・ショップがどの都市にも広がっている。マッキントッシュを中心としたDTP(デスクトップ・パブリッシング)の発達も目を見張るものがある。ただし、日本国内では写研出力のニーズが依然として強いため、マッキントッシュ系の出力サービスが広がったのは90年代に入ってからだ。
 同社では、300dpiレベルの機器としてはポストスクリプト対応のレーザー・プリンターLaserWriter NTX-Jやカラー・プリンターのQMS ColorScriptなど。イメージ・セッターではアグファ・ゲバルト社のSelectSet5000およびProSet9800、さらにはサイテックス社のIPSOシステムなど高級機。その他フィルム・レコーダやカラー・コピー機といった各種出力システムをサービス・センターに完備する。
 飯田橋の出力センターは地下を含めビルの3フロアーを借り切っており、その1階に各種システムが所狭しと配置されている(図3-4)。

(図3-4 A社飯田橋出力センターのフロアー)
(表3-2 入出力機の一覧表)

■印刷工程を総合的にサービス
 初期の事業展開においては出力サービスが大事な事業だったが、単にクライアントからの出力を請け負うだけでは受注型サービスの域を脱することはできない。出力サービスはあくまでもセールス・ポイントの一つであり、出版物や商業印刷物を作成するための工程を総合的にサービスすることが、同社の事業展開の最大の柱である。
 具体的には、文字の入力やイメージ・データの入力から、印刷物の企画・デザイン、顧客のニーズに応じたレベル(品質および価格)の出力まで、総合的なサービスを行ったことこそが、同社が成功した要因であった。入稿から印刷までを次の一連の流れとしてとらえ、以下のすべてについてサポートすることをうたっている。
(1) 企画
(2) データの蓄積(文字情報・画像情報)
(3) レイアウト
(4) 入力・編集・情報処理
(5) 写植版下
(6) 校正
(7) 製版
(8) 検版
(9) 面付
 この一連の業務をこなすためのシステム導入と組織体制を整えることが、A社のいう“ポスト次世代印刷”業を実現するための基本条件になっている。
 写研出力、マッキントッシュ出力に限らず、コンピュータ関連機器をどのように組み合わせて、どのように作業を進めればよいか、コンピュータに詳しいクライアントであったとしても必ずしも十分なノウハウを持っているとは限らない。A社では、顧客のニーズに応じて必要な部分をサービスする一方、印刷工程全体を見通した提案を行う。新しい印刷サービスの姿の中でも、特に「総合サービス」を目標としている企業と位置付けられる。
 上の工程のうち、出力機器については既に触れた通り、要求レベルに応じた各種機器を導入済み。
 入力から編集、レイアウト、校正に関わる過程についても、何種類もの機種を使い分けている。写研の入力校正機SAZANNAのほか、文字処理中心の作業にはWARX-1(アルクス)、ページ物の編集にはSMI/EDIAN(住友金属工業)、端物(1ページ物)にはWAVE:ACAD(シンプルプロダクツ)などが用意されている。
 ここでWARX-1とはパソコンのPC-9800で動くソフトで、エディター(文書編集ソフト)のMIFES(開発販売メガソフト)がベースになっている。文字に加え各種写研の組み版コードを入力していき、写研のデータ・フォーマットに変換して出力することができる。バッチ式であるが大量の文字処理を効率的にこなせるため、A社で導入した台数は全社で50台を数える。同社の制作業務の主力である。
 グラフィックス関連では、カラー・イメージ・スキャナーのFOCUS COLOR(アグファゲバルト)やスマートスキャナー(サイテックス)、色校正用のコンセンサス(コニカ)を備える。
 マッキントッシュ用のソフトとしてQuarkXpress(クオーク)やPageMaker(アルダス)などのレイアウト・ソフト、Illustrator、PhotoShop(いずれもアドビシステムズ)といったグラフィックス・ソフトばかりでなく、表計算ソフトやデータベース・ソフトといったデータ処理関連についても主要なソフトのほとんどが用意されている。マッキントッシュそのものの時間貸しも可能(15分で1000円)だ。クライアント側は、これらのソフト、ハードを組み合わせてサービスを受けられる。

■教育ビジネスで子会社設立
 マッキントッシュを制作、編集に用いるデザイナーは増えている。特に広告代理店などのニーズは高い。しかし、マッキントッシュを本格的な製版や日本語を含む組み版処理に使うには、スピードやフォントの点でまだ問題点も多いため、現在のところ顧客側もまだ模索段階のところが多い。そこで、マッキントッシュでデザインを行う制作部隊を組織した。デザイナーがラフで作ったレイアウトからカンプを出す、いわばプレゼンテーションの仕事も受け持っている。
 さらにユニークなのは、電算写植やマッキントッシュに関わる教室(マックスクール)の事業化に踏み出したことだろう。
 当初はクライアントに対する販売促進的なサービスとしてスクールを開いていたにすぎない。電算写植のノウハウについて1カ月強かけたカリキュラムを組み、同業者などを対象に定期的に行っていた。
 これを発展させ、マッキントッシュの大手代理店であるキヤノン販売と業務提携してゼロワン・ショップで各種教室を行うようになる。さらに92年5月には他社(ユニゾン)と提携し教育カリキュラムを提供する子会社「アレグロ」を設立。自前の教室を飯田橋に用意し本格的に教育ビジネスに踏み出した。ハイエンドのデザイナーや同業者向けに、「DTP版下作成講座」「DTPトータル講座」等の名称で写植/製版についての専門的な内容について教室展開を行うのが特徴だ。

■サイテックスIPSOシステムを導入
 文字組み版やマックからの写植出力がある程度実現した今。DTPをトータルに実現するためにネックとなるのがやはり画像処理だ。そこで、A社ではサイテックスの最新システムであるIPSO(イプソ)システムを導入し、マックを用いた製版処理ができるようになっている。
 IPSOシステムとは、入力機のスマートスキャナー、出力機のDOLEV、iRiSなどで成り立っている画像修正、編集システムで、高度なカラー製版処理を行うことが出来る。ただし、入力から製版まで画像の品質を保ちながら的確に処理するには知識や技術が必要であり、一般マック・ユーザーが簡単に使えるものではない。そこで、高解像度のデータ管理および高度な処理についてはA社のスタッフが受け持つ。一方でスマートスキャナで読み取った写真を扱いやすい低解像度のデータでクライアントに渡し、クライアントが自分のデスクのマックを使いレイアウト作業を進めることが出来る。

(図3-5 IPSOシステム利用と画像データベース提供の仕組み)

 レイアウトが終わって出力したいデータを再びA社に持ち込むと、IPSOシステムでは写真の部分だけを自動的に元の高解像度データに置き換えて印刷用データを作ってくれる。後は高級カラープリンターのiRiSでカラー出力しても、4色分解フィルムをDOLEVで出力してもよい。
 このIPSOシステムの利用事例が同社のサービス用小冊子に描写されている。

「A4サイズに3点カラー写真が入るパンフレットにチャレンジ
 デザイナーのA氏はラフレイアウトを頭に描いた。そして、カラーポジを持って出力センターへ向かった。
『イプソで頼む!スキャンデータは通信で送って欲しい』
 3点のスキャンデータは1時間ほどで手元に届いた。
 A氏のマックはMacintoshII。PageMakerで写真の大きさを変えて、色々とシミュレーションしてみる。写真に加工ができないのが少々つらいが、光ディスクがないので仕方ない。EPSF形式に保存してから出力センターへ通信で送り、4色分解出力の指示書をFaxで送り付ける。ほっとしたA氏は、そのまま朝まで眠ってしまった。
 A氏はドアのチャイムで目が覚めた。
 『お早うございます、A社です!製版フィルムをお届けにきました!』」
(A社制作の「MACINTOSH HAND BOOK」より)

■画像データベース提供サービス
 注目できるのは、自社で画像データベースを整備し、フォトライブラリーとして一般に提供しはじめたことだ。プロの写真家が作成した写真をポジ写真で3万点集めた。
 これをサイテックスIPSOシステムで素材として利用できる。つまり、スマートスキャナーで読み取って高品質な画像データとして社内に蓄えてある。精密に読み取ったデータは1点で600KBほどの容量を必要とするため、社内では光磁気ディスクで保存してある。それぞれのイメージ・データはジャンル別に分類されているほか、キーワードがいくつか付けられている。例えば「あたたかいイメージ」とか「黄色」といったキーワードで検索すると、数あるサンプルのなかから適当なものを探し出してくれる。
 フォトライブラリー検索システムは4th-Dimensionというデータベース・ソフトで自作した。A社の飯田橋営業所にくれば、お客さんが直接触って画面を選ぶことが出来る(図3-6)。
 この膨大なイメージ・データを低解像度に落としたものをCD-ROMで発売した。マックユーザーなら、A社のCD-ROMを購入して、好きなようにレイアウトを作成できる。これを製版するときに再びA社を頼れば、IPSOシステムの利用で、製版時にはイメージ部分を高密度の元データに置き換えてサイテックスで出力できるわけだ。必要ならポジ・フィルムも1回使用を3万円で提供してくれる。画像データという素材の提供が、結果的にA社のサービスを利用する潜在顧客を数多く創出していることになる。CD-ROMは92年6月に第1巻を発売した。タイトルは「Flower」。美しい花の写真が1000点収められている。2巻目は「Image」。続けて10巻ほど発売していく。
 画像データベースの提供に続き、イラストを満載したクリップアート集も発売した。こちらは1巻が約1600点。続けざまに5巻発売する。

(図3-6 フォトライブラリーの検索の様子)

■新しいマシンは実機調査する
 DTP等の新しいマシンがどこかから発売されたときには、企画部でそのテスティングを行う。クライアントからどのシステムを使えばよいかアドバイスを求められた時に、実際に使ってみないと本当に使い物になるかどうか判断できないためだという。印刷サービスをどのように利用すればよいかを初心者にもわかりやすく解説した小冊子「MACINTOSH HAND BOOK」も制作した。表面的には顧客サービスの位置づけだが、内容的にはシステム・コンサルティングの分野に踏み出しているといってよいだろう。直接プロフィットを産み出さない企画部だが、6人が専属で配属されている。
 また、既に触れたが、原稿の受け取りには通信回線が大活躍する。印刷の電子化が進むと電子データの受け渡しにわざわざ足を運ぶ必要はない。パソコン通信もかなり普及した今、同じ要領で電話回線を通じてデータを受け渡しすればよい。
 A社が開設している通信回線は以下の通り。

・ISDN回線を使った高速通信
 NTTのINS64により6万4000bps(ビット毎秒)のスピードで送受信する回線。対応通信ボード(アンリツ製)と通信ソフトを提供している。
・一般のアナログ電話回線
 一般の電話回線。通信速度は9600bpsと4800bps。通信方式はJUST PC等数種類
・FDトランスファー
 NTTのINS64を用いたフロッピー転送システム

 92年7月には、青森県八戸市のハイテクパークに工場を開設した。基本パターンを飯田橋で設計し、パワーのいるデータ入力、組み版、製版処理等を八戸センターで行う。東京と八戸はISDN回線でつないでおり、電子データをやりとりできる。八戸に限らず、本社や事業所間のデータ相互転送は当たり前に行われている。

■「○○印刷」の社名は避けた
 A社の場合、見てきたようなさまざまな事業展開ができたのは何故なのか。一般の印刷業務から視野を拡大できたその理由は何なのだろうか。経営者に先見性があったとか、自由な社風があったと言ってしまえばそれまでだが、そこにはいくつかの要因があったことを見逃せない。
 創業社長は、A社設立前は別の印刷会社に勤めていた。前職での肩書きは営業課長。70年1月に32歳で退社し、東京神田で創業。当時の資本金は200万円だった。その当時から「印刷を基本としていても、必ずしも印刷にこだわらない」との意気込みだったという。
 83年に現在の社名に変えた。ちょうど写研の出力センターを展開する時期である。ここで社名変更にあたって、経営陣の間で一つのコンセンサスが得られていた。それは「“○○印刷”という社名にするのはやめよう」ということだ。それまで写植版下の作成を行っておりその業務を外部に認知させるには“印刷”という単語が社名に入っている方が分かりやすいに違いない。だが、あえてそれだけは避けた。「特に何業と限らない社名にしよう」との意図からだ。
 現在のA社の社名は変わっている。「面白いものが見つかればそのつど取り込んでいこう。その中から基本的に商売になりそうなものは積極的にやっていこう」。業種を特定せず、しかも自然体と感じられる雰囲気は、まさにこの10年間、同社が推し進めてきた事業展開そのものを表現しているようだ。
 このトップの経営方針は、無理のない形で社内に浸透しているようにみえる平均年令は26歳と若い。組織図を見れば分かるように、作業チームや営業所は「ブルータートル(BLUE TURTLE)」「ユービー(YOU-BE)」「スペース20」などの名称がついている。ちなみに「ブルータートル」とは「ゆったりと海図なき大航海を続ける青海亀。仕事オンリーのスタッフはいない。マンガ描いている奴、ミュージシャン、アーチストetc.。それぞれに豊かなキャラクターの集団です」と説明されている。印刷などという狭い枠はとっくの昔に取り払ってしまったかのようだ。既存の価値観にとらわれない経営方針が若い社員を自然に育てているのだろう。

(図3-7 A社の組織図)

 経営会議も一風変わっている。役員が密室で行うような会議ではなく、役員5人のほか一般社員から推薦されたメンバーを6人加えて経営会議を開く。社員メンバーが経営会議で話し合われた課題などを職場に持ち帰り、あらためて開かれた経営会議で結論を出すというやり方をとっている。

■先行すると情報も集まりやすい
 もう少し現実に立ち返って考えてみると、A社の場合、印刷業として後発だったことが新分野の開拓をやりやすくする要因だったと言えそうだ。既に確立している既存市場だけでは十分な事業展開は難しいからこそ、新たなチャレンジにこだわりがなかった。
 資金的には、最初に始めた電算写植出力サービスが成功し、資金的な余裕ができたことが大きい。出力サービスをしかも24時間受け付けることで、先行者利益を得ることができた。
 コンピュータ化に関しては、T常務が大きな役割を果たした。出力サービス、製版、マック、画像データベース、教育など、これまで述べてきたさまざまな電子印刷の事業の種も、技術に詳しいT常務がいたことでスムーズに展開できたと考えられる。
 さらに重要なのは「新規事業が成功し、大きくなることで情報も集まりやすくなった」(T常務)ことだ。一般に、情報発進基地には集まる情報も多い。ユニークな事業が新たな情報を集め、それがまた新たな事業展開、情報発進を生んでいく。
 現在の顧客は、印刷会社の企画部門や出版社、広告などの代理店、メーカーを主とした一般企業の3種類に分れる。年商は24億円。人件費と機器リース料を中心に固定費がかなり高いが、マックや製版工程のコンピュータ化がいままさに立ち上がりつつある時期だけに、他社が進出する直前の今でこそ投資しないといけないと判断しているようだ。
 人材面では、古い3K的印刷業のイメージがないことなどから、人手不足のなかでもとりあえず人材を確保できたとしている。八戸ハイテクセンター開設もあり91、92年だけで100人ほど採用した。社員は約250人まで増えた。
 ちなみに人材採用のコツを尋ねてみたところ次のような説明が返ってきた。
「昔は“写植オペレータ募集”でも人が集まったが、だんだん反応が弱くなり“ワープロ”のオペレータ募集とした方がよくなった。さらに、ワープロより“パソコン”に反応を示すようになり、今最も募集がうまくいくのは“マック”のオペレータ募集とすることだ」。
 時代を読むというのは、例えばこんな微動を感じ取ることなのだろう。


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コメント (1)

自己レス:
A社2009年1月期の売上高は約100億円。従業員数は400人超。グループ会社数も増。記事執筆当時より業績を拡大していることになる。

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この文章は、1992年にJICC出版(現・宝島社)より発刊した「プロフェッショナルDTP」(著者・松山俊一)から本文を抜粋してまとめたものです。内容に少し加筆編集を加えていますが、概ね原文のまま掲載しました。執筆時期が1992年なので、書かれている内容・情報はかなり古くなっていることにご注意ください

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