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「ドラゴンフライ」2-宇宙空間で危険な諍い

宇宙ステーションで起こるいくつもの争いを冷静に見てみると、それは現実社会(企業社会)で起こる人間関係の縮図のような気がしてきます。

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「ドラゴンフライ ― ミール宇宙ステーション悪夢の真実」(上)(下)
【ブライアン・バロウ(著)、北村道雄(訳)、寺門和夫(監)、筑摩書房、2000年】

「ドラゴンフライ」1-宇宙飛行士の“問題児”たち の続きとして、宇宙ステーションでの人間関係について少しご紹介します。

宇宙飛行士個人の諍いについてあげつらうつもりは毛頭なかったのですが、やはり気になる話題がたくさん出てきます。あらためてこの本を読んでみると、宇宙ステーションという特殊な閉鎖空間の話というより、我々のごく日常的な生活の中で起こる問題が分かりやすい形で切り出されたきた話のように思えます。

■問題に慣れると問題の存在を忘れるようになる
米側の宇宙飛行士は、ミールに入ってすぐ、船内が相当ひどく散らかっていたことに驚かされました。それまでの宇宙生活でたまった残骸(小型コンピュータ、事務用品、道具、音楽テープなど)が、無重力の部屋のあちこちにあったそうです。

また、ミールのモジュールとモジュールが何本もの太いケーブル(換気チューブとか通信ケーブルとか)で無造作に結んであるため、モジュールの間のハッチを閉めることができなくなっているところがありました。万が一あるモジュールで機体破損などの事故が起こった時、他のモジュールまで波及し全滅しないように、途中のハッチを完全に閉めて隔離しなければなりません。ハッチを閉めるためには、数多くのケーブルを無理やり切断することになります(事実、貨物船プログレス衝突事故でまさにその通りの事態が起こった)。

そんな安全上の不安を米側の宇宙飛行士が口にしても、ロシア側の反応はいつも同じで「一応耳を傾けはするが、結局そのまま無視」だったされています。NASAも結局は同じような反応でした。

このあたりの反応(一応耳を傾けはするが、結局そのまま無視)は、ビジネスパーソンなら、というより社会の中でなんらかの組織・グループで活動をした経験のある人なら誰でも、かなりはっきりイメージできるのではないでしょうか。問題を指摘しても、その問題に慣れてしまうと誰も解決しようとしなくなる…。

■優秀な飛行士も、時と場合により問題児になる
ミール・ミッション(フェイズ1)の米側飛行士7人のうち「問題を起こした数人は“問題児”」と前回書きましたが、ジェリー・リネンジャーなどと違い、ジョン・ブラハはNASAではかなり優秀な宇宙飛行士の一人だったようです。それでも彼のミール・ミッションの4カ月は、本書の記述をそのまま受け取れば失敗だったと思わざるを得ません。

ブラハは体力、精神力とも優れ、それ以前のスペースシャトルで船長まで務めたベテラン宇宙飛行士でした。話によると几帳面すぎるほどしっかりと仕事をするタイプの人だったようです。“でも”というべきなのか、“だから”というべきなのか、ミール・ミッションの混乱した仕事の進め方には耐えられませんでした。

彼自身、有能だとはいえ「他の人に、はなはだしく依存する性格がある」ことが、ロシア側が行った性格検査(アセスメント・テスト)から事前に見て取れたといいます。その詳細までは書かれていませんが、推察するに「箸の上げ下ろしも部下や秘書がやってくれるような条件の上で本来の力を発揮できる“お殿様”的リーダー」だったのかもしれません。

そんな人、我々のまわりにもたくさんいますね。「大企業の社長は務まるかもしれないが、実働メンバーの立場になると何一つできない」「公の場では威張っているが、家庭では家人なしにお茶さえ自分で入れることができない」なんていうタイプの人が…。

また、ちょっとしたコミュニケーションのミスで、ミールのロシア人船長ワレリー・コルズンと怒鳴りあいになったそうです。無駄に30分くらいの時間を費やすことになってしまい「あんたのせいで35分も時間を無駄にした…」などと怒り狂ったといいます。こんな人(先輩)も現実の企業世界にいますよね。とくに有能とされる人に多く…。

そんなブラハが、時にはワレリー船長から「アメリカ人なら幼い孫にしか使わないような口調で命令された」といいます。長い共同生活がずっとその調子では、自らのペースをつかみようもありません。

■「まさか私が鬱病になるなんて…」
そんなロシア人に悩まされるよりもっとブラハを苛立たせたのが、米側のサポート体制だったといいます。訓練期間中、ロシア語の習得に費やされた時間はわずか4カ月しかありませんでした。仕事のマニュアルをめぐって、出発前から繰り返しヒューストンと対立します。「何かを求めても結局実現されないやりとり」が繰り返されるとどうなるか。“被包囲心理”、つまり「周りは敵ばかりだから、何もかも自分でやらなければならない」という心理状態が強くなり、結果的に気持ちがどんどん内へ向かうことになります。

それでいて、ヒューストンはブラハを完全に自分たちのコントロール下に置くことを疑わず、運用管理者にそれを求めます。両者の認識の違いは広がるばかり。ついにブラハは、ミール内で鬱病にまで陥ってしまいました。

「つねづね自分のことを、物事を前向きに考え、ほかのクルーが気落ちしているときに元気づけてやるタイプの人間だと思っていた。その自分が鬱病にかかるなんて理解しがたいことだった」(上巻p.188。文面は多少変更)。そんな告白を他人事ではないと感じる方もまた、少なくないでしょう。

■現場を知らない本部管理職にコントロールされる恐怖
この経過を現実のビジネス社会になぞらえ、勝手に次のような喩え話にしてみました。

・本社が、支店の営業力向上のため、本社の有能な「幹部」を支店に派遣する
・その「幹部」は、支店では営業現場の最前線で力を揮うことが期待されている
・「幹部」は有能だが、周囲に部下の手足があってこそ力を機能するタイプの人である
・しかし実際には「幹部」に手足となる部下はなく、仕事の手順書もなく、支店の文化も非常に異なる
・「幹部」は支店の現場が頼れないと悟り、本社に手順書などの作成を要望する
・しかし本社はその要望の真の意味が分からず、本社の認識を基本に「幹部」に指示を出し続ける

・「幹部」は本社もあてにならないことを知り、自分流の仕事の進め方に頼る。そして1週間に7日懸命に働こうとする。いちいち細かい動きを本部に伝えても無駄と感じられて、報告も滞る
・しかし本社は、本社の方針に沿って「幹部」に成果をあげてもらわなければならないから、監視役をたてて「幹部」を完全なコントロール下に置こうとする
・せっかく苦労して「幹部」が支店の営業現場に即した仕事の進め方を実行しようとしても、本部は認めず足を引っ張るような結果となる。
・「幹部」は自らを否定されたような立場になる
・本社との溝も、支店の他のメンバーとの溝も、いずれも深まるばかり。しかしそれでも我慢して続けなければならない立場に追いやられる

真面目な人であればあるほど、精神に支障をきたすことになりそうです。そんな話も、この現実のビジネス社会でたくさんありますね…。

■短距離走のつもりで長距離走は走れない
NASAの地上管制官への不信感もあり、ブラハが次の“問題児”リネンジャーに引き継ぎをするとき「地上からの支援はあてにするな。ここで頼りになるのは自分だけだ」とか警告していたそうです。それが今度はリネンジャーの“唯我独尊”を助長してしまうのですから、まさに悪循環です。

ブラハについては、一緒に訓練を受け気心の知れたロシア人クルーたちとはむしろ良い人間関係を作ることができたとしています。ブラハがもとから“問題児”だったのでは決してなく、ミール・ミッションという仕事のシステムとか、与えられた職務内容とかが、とことんブラハに適合しなかったために生じた摩擦といったほうがよいのでしょうか。ブラハに限らず、ミール・ミッションに関するNASAの人選や育成方法は失敗続きでした(誰もミール・ミッションに参加したがらず、他に人選の余地がなかったという現実があったにせよ)。

少し違う視点から見ると、シャトルの1~2週間という「短距離走」と、ミールの3~4ヵ月という「長距離走」の違いということもできるようです。短距離走しか参加したことのない米宇宙飛行士が、同じ流儀で長距離走に参加しようとしてもだめでしょう。短距離走者の育成・コーチ・コントロールしかしたことのないNASAが、配下の選手を長距離走の選手になるべく無理やり選抜・コーチ・コントロールしようとしても失敗するでしょう。ペース配分や考え方自体が、相当に異なっていたのかもしれません。


それはそうと、今まさにスペース・シャトル(STS-115)によるISS(国際宇宙ステーション)組み立てミッションが進んでいます。
また、近い将来ISSに搭乗する予定の若田宇宙飛行士が、ISSでの滞在を念頭に、米国の潜水艦に滞在して閉鎖空間での長期間生活訓練を受けていると伝えられています。若田さんはすでに何度か閉鎖環境テスト(「中年ドクター 宇宙飛行士受験奮戦記」でもちらと書きました)を受けたはずですし、実際の宇宙飛行も経験済みです。さらにロシア語も習得済み。ロシアの星の街・訓練センターでの訓練も経験済み。なのになぜまた今さら閉鎖生活訓練を受けるのだろうと、初めは少し疑問を持ちました。

でも本書に書かれているようなスペースシャトルと宇宙ステーションの決定的な違いを読むと、あらためてはっきりその背景や意味が納得できるような気がします。

「ドラゴンフライ」1-宇宙飛行士の“問題児”たち

あまり広く知られていませんが、宇宙飛行士同士の軋轢と宇宙機関の組織体質のひどさが、宇宙ステーション計画をぶち壊しそうにしたことが過去にありました。


「ドラゴンフライ ― ミール宇宙ステーション悪夢の真実」(上)(下)
【ブライアン・バロウ(著)、北村道雄(訳)、寺門和夫(監)、筑摩書房、2000年】

■宇宙ミッションをめぐるドロドロの物語
なぜこのblogは宇宙モノばかり採り上げるのかと言われそうですが、経営マネジメントの観点からも、当社の社名(ミール研究所)との関わりからも(笑)、やはりこの本に触れないわけにはいきません。この本には、NASA(アメリカ航空宇宙局)やRSA(ロシア宇宙庁)や宇宙飛行士個人の恥部とも受け取れる驚くべき告発が満載されています。あまりに生々しく、にわかに信じられないような(そのまま信じてしまっては物事の半面しかわからないだろうと感じられるような)記述もありますが、組織のあり方を考えるには良い題材となるノンフィクションです。

ミール・ミッション(正確に言えば「フェイズ1」)で実際にミールに滞在したNASAの飛行士は次の7人でした。

ノーマン・サガード  1995.3-1995.7
シャノン・ルシッド(女性) 1996.3-1996.9
ジョン・ブラハ  1996.9-1997.1
ジェリー・リネンジャー  1997.1-1997.5
マイケル・フォール  1997.5-1997.9
デビッド・ウルフ  1997.9-1998.1
アンディ・トーマス  1998.1-1998.6

■NASAはミール・ミッションを軽視していた
本書によると、このうちまともにロシア側クルーやNASAと良好な関係で仕事を継続できたのは、ベテラン女性宇宙飛行士のルシッドくらいだったのでしょうか(それでも相当に苦労したことが描かれていますし、次任者ブラハとの友情は完全に壊れてしまったようですが…)。フォールも相当良い適任といえる人材だったようですが、なにせその時期(1997年)は、貨物船プログレスのミール衝突などミールに危機的な事故が続きました。

最初のサガードは、ロシア側のキャプテン、デジュロフの権威主義と調子が合いません。プラハ、リネンジャー、ウルフは、それぞれとんでもない問題 ―人間関係上の問題― をミールの中で起こしています。しかも、それらは予測不可能な問題だったのではなく、ミッションに行く前から明確に懸念されていたことでした。

端的に言えば、
・彼らは宇宙飛行士としての資質に欠いた“問題児”ばかりだった
ということになるのでしょう。

もう少しその背景を挙げると、
・NASAはミール・ミッションを完全に軽視していた
・ミールに参加しようという飛行士はほとんどいなかった
・そのためNASAは他に使いようのない問題児飛行士ばかりを仕方なくあてがった
・しかもNASAとRSAでは、仕事の進め方や考え方、文化に大きな隔たりがあった
・それでいてNASAとRSAは責任分担の面で互いに譲らず、軋轢を招いた
などといったマイナス要因の数知れない積み重ねがあったようです。

■火災の危機に直面しても…
特にリネンジャーは相当に問題があったようです。彼はミール・ミッションの前にスペースシャトルSTS-64に搭乗していましたが、この時の仲間からもすでに「謙虚さがなく聴く耳を持たない。最悪の新米」と反発されていました。ロシア「星の街」(Звезда Город)の訓練センターでも、さんざん不満をぶちまけては周囲を困らせていたそうです。ロシアの環境不備に文句を言いまくり、仲間たちと交流を持つことも避け、サポートしてくれる医師や管制センターの担当者に一切感謝することもなく、時には敵意さえみせる。ロシア人医師に要求された検査を拒むようなことさえあったらしいです(リネンジャー自身が医師だったので、ロシア側のやっていることを「無意味」と判断し、かえって見下していたようだとのこと)。

そんな彼がミールに乗るとどうなるか。搭乗前から懸念されていたというレベルの話ではなく、ロシア側は「彼はチームプレーができないので、皆と一緒に働くのは無理だ」とはっきり表明し、リネンジャーを拒否しようとしていました。それでもNASAは「米側が飛べるといったら、ロシア側がなんと言おうと飛べるのだ」と言い張って受け入れません。「NASAの管理下にある者についてロシア側が口を出すな」「合意事項にない検査は受ける必要ない」といった主張を繰り返したとのことです。結局、リネンジャーはミールへと送り込まれることになりました。

結果は予想通り、「彼にとって」というより、「彼と一緒にすごさざるを得なかったロシア人宇宙飛行士にとって」とんでもなく大変なミッションと化してしまいました。あまりに醜くて、具体的な内容をいちいち挙げにくいほどです(詳細はぜひ本書を読んでみてください)。

悪いことに、リネンジャーがミールに滞在している間に、ミールの存亡に関わるような重大な危機、火災事故が起こっています。あわやミールそのものを捨てて脱出しなければならないか、もしくはクルーが全員死ぬことになるかといった大変な危機に直面するわけですが、それを寸でのところでロシア人クルー2人がなんとかくいとめます。しかしそんな危機にいたってさえも、リネンジャーは危機回避やその後の修理を手伝おうとしないばかりか、「問題の大きさをNASAは理解していない…」といった文句(抗議)を繰り返したとされています。

リネンジャーと宇宙空間で何カ月も同居するという“苦行”を強いられた2人のロシア人宇宙飛行士は疲労困憊し、帰還してからもその不満をロシア当局者にぶつけ、二度と宇宙に出ることはなくなってしまいました。人命が失われるような悲劇はぎりぎり回避できたかもしれませんが、やはり事の成り行き全体をみると“悲劇”に近いものだったのではないでしょうか。

■後のスペースシャトル事故にもつながる宇宙機関の体質
ここには、当事者であるリネンジャーのメンバーシップ(フォロワー・シップ)意識欠如はもちろん、NASAの組織としての臨機応変の判断もなかったことが明らかです。本書の物語のずっと後、スペースシャトル・コロンビア号の事故でNASAの官僚的組織体質が大きな原因だったという報告がされましたが、その組織体質に潜む問題点はこの時にはっきり表面化していたことがみてとれます(NASAの体質についてはいずれ別に記事に書く予定です)。

なお、リネンジャーは別の著書(自著)があり、タイトルはなんと「宇宙で気がついた人生で一番大切なこと 宇宙飛行士からの、家族への手紙」とのこと。コミュニケーションで問題があった彼がそんな本を書いていることに軽い驚きもあります。その本では「すでに、ヒーローなんかではなく一労働者に過ぎない」とか言い訳を言っているようです。

こんな本を読んでしまうと、別の記事「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」で触れたような、宇宙飛行士の人格や宇宙機関の持つ人材管理(Human Resource Management)システムのすばらしさは幻想だったのかとさえ感じそうです。

まあ、どんな組織もどんな人間も、いろいろな矛盾を抱えながら、進んだり後退したりしながら、長期的にみれば少しずつ進歩しているものだと信じていますが…。

それにリネンジャーのような状況に相応しくない言動についても、よく考えると一般人である私たちが仕事の場でつい口にしている文句のようにも思えます。我々自身が、そこに潜む危険に気付かなければならないのかもしれません。

フォロワーシップ(followership)

本当に有能なプロフェッショナルとは、リーダーシップだけでなく「フォロワーシップ」をきちんと発揮できる人のことなのかもしれないと思うようになりました。

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「指導力革命 ― リーダーシップからフォロワーシップへ」
【ロバート・ケリー(著)、牧野昇(翻訳)、プレジデント社刊、1993年】

■“普通の本物”と“本当の本物”の違い
以前、どこかでこんな話を聞いたか読んだかした覚えがあります。

ある経営者が仕事をその道のプロに依頼しました。ここでは話を少しだけすり替えて、仮に「経営者が名のある絵描きに絵を発注した」とでもしておきましょうか。発注時には描いてほしい絵の条件をきちんと絵描きに伝え、絵描きもその条件を納得した上で制作にかかりました。ところがもうすぐ出来上がるかという段階で経営者が完成直前の作品を見に行くと、発注時に意図した注文とちょっと違う、必ずしも納得できない絵ができつつあるのに気が付きました。絵描きからすると条件を違えたわけではなく、自らのプロとしての能力を発揮してよりよい絵に仕上げようとしたまでのことです。

経営者はここで、絵の描き直しを指示したいところです。いくら絵描きに実力があっても、せっかくできた絵が気に入らないものになってしまっては意味がありません。しかし費用と納期は限られています。それ以上に、当の絵描きにもプライドがあるでしょうから、下手に作り直しを命じると臍を曲げてしまう可能性もあります。

その時どのように対処するか、次のようなケースがあるといいます。

(1) もしその絵描きがプロとしてのレベルがやや低い者であるならば、たとえ相手の感情を害することにつながっても描き直しを要求する。
(2) もしその絵描きがプロとして本物であるならば、相手のプライドに泥を塗ってまで無理な描き直し要求はしない。
ここまでは誰もが普通に考え付きそうですが、その経営者は次のケースも想定していました。
(3) もしその絵描きがプロとして“本当の本物”であるならば、たとえ相手の感情を害することにつながっても描き直しを要求する。

(2)と(3)の違いは、相手が“本物”か“本当の本物”かの違いです。この経営者の考えとしては「せっかくの仕事に注文をつけると、普通に優秀な人はたいてい気分を害してしまうが、本当に優秀な人はむしろやる気になる」。だから無理な注文であっても構わず言う。それで仕事の質が落ちるような仕事相手には次は注文しない、というのです。

■フォロワーあってこそのリーダー
これはかなり自分勝手な論理です。実際にその経営者は強引に仕事を進めるワンマンとして評判で、誰に対しても都合の良い理屈を言って実権を振りかざしていただけのことかもしれません。しかしながら、“普通の本物”と“本当の本物”の違いを上のように言い表していたのは、確かに一理あるような気がしています。

現実のビジネス社会の中で、自らプロとして自負心を持って働いている方々は多数いることでしょう。「リーダーシップを発揮することが成功のカギである」と書物や周囲から数え切れないほど叩き込まれた優秀なビジネスマンや経営者であればあるほど、プロフェッショナルとしての自負心が強ければ強いほど、他人に従うことを快く思わず、威張ったり自己満足に陥ってしまったりしがちなものです。他人からの注文を納得できず結果的に失敗をしてしまった経験が、きっと誰にも多かれ少なかれあることだと思われます。

ところが「リーダーシップ」の重要性は数限りなく語られるものの、人への従い方=「フォロワーシップ」の重要性はほとんど語られることはありません。そもそもリーダー(先導者)に対するフォロワー(従属者)という言葉を使ったことがない方も多いと思われます。でも複数の人が協力して仕事をするときはいつも、フォロワーシップがあってこそリーダーシップが成立することを忘れてはいけません。

フォロワーシップは、盲目的に上に従うべきことを指しているのではありません。人の能力はその職位と不可分ですが、職位が高い人がどの分野でも職位の低い人より優れているというわけではもちろんありません。かりに管理職とか経営幹部のほうがマネジメント能力が優れているとしても、商品開発・営業開拓・事業企画・技術開発などそれぞれの専門分野にはそれぞれの専門知識を持つ人を登用することがふさわしいわけです。つまり、人は常にリーダーにもなり、常にフォロワーにもなるわけで、そこのところを忘れてしまうと、先に触れた「プロとしての自負心があるが故の失敗」≒「フォロワーシップのとり損ない」につながるというわけです。

■フォロワーにも5類型ある?
本書の原題は「The Power of Followership」。1990年代前半に発刊されたこの本は、経営管理に「フォロワーシップ」という概念を持ち込んだことで注目されました。著者のケリー氏はこのテーマを語るときに欠かせない“御大”のような存在のようです。

この本ではフォロワーシップという概念を「リーダーなどに対する、上向きの影響力」と位置づけています。

「まるで大事なのはリーダーだけで、残りのフォロワーは下の立場にあるような階層構造まで作り出してしまった」
「ここ100年かそこらで、“リーダー”と“フォロワー”という言葉には、すっかり現在世間一般に広まっているイメージが植えつけられてしまった」

だからフォロワーシップの重要性をもっと認識し、リーダーシップ開発だけでなく組織のフォロワーシップ開発にももっと力を注げ…、というのがこの本の主たる主張です。

自分がフォロワーとなったときには仕事に対してどう考えればよいのか。自分がリーダーの時に部下のフォロワーシップをどう育てればよいのか。フォロワーにもいくつかのタイプがあり、そのタイプによって望ましいキャリアパスのあり方も育成のコツも違うことなど、日本のビジネス社会でも実感を持てる内容が書かれています。

さらには人のフォロワーシップ型を見分けるテスト項目が用意されています。この簡単なアセスメントテストによって、読者自身が5つの型(消極型、盲従型、批判型、官僚型、模範型)のどれに当てはまるかを判断できます。

※「指導力革命」目次
プロローグ 警告「リーダーシップが危ない」
1章 人々がリードすれば、リーダーは従う
2章 21世紀の組織の盛衰を分かつもの
3章 なぜフォロワーの道を選ぶのか?
4章 人は何に満足するのか?
5章 あなたは、どのタイプのフォロワー?
6章 模範的フォロワーは、ここが違う
7章 人間関係がフォロワーを育てる
8章 リーダーに「ノー」が言えるか?
9章 勇気ある良心を発揮するための10のステップ
10章 模範的フォロワーから見たリーダーシップ
エピローグ フォロワーシップのフロンティアへ

■気軽に読める本
本書に少し不満があるとすれば、フォロワーシップを重視せよという主張とは別に、その奥に厳然とした(先導者-従属者の)階層構造の存在を意識しているように受け取れるところでしょうか。監訳者が「本書は…簡単に言うと“ヒラ”の従業員のあり方を取り上げたもの」という実も蓋もない言い方でこの本を表現しているとおり、「結局のところ人をいかに従わせるか」といった枠組から踏み出していないようにもみえます。そのあたりが個人的には少し引っかかります。

また本書では「職務上の権限を持つ人」と「仕事を先導するリーダー」とを分けて考えていないあたり、現代の組織論、リーダーシップ論からすると物足りないところがあります。

でも、あまり小難しく考えずに読める分、人事の専門家だけでなく一般ビジネスパーソンにも素直に読める内容になっているともいえます。それでいていろいろ示唆に富んだ説明があることは確かです。(ただし日本語訳は中古本などでなければ手に入りにくいようです)

■フォロワーシップの有無が生死を分ける状況
少し前に書いたエントリー「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」で、宇宙飛行士の組織や育成について触れました。宇宙飛行士は、それぞれの役目によって内容は異なるでしょうが、まさにプロであることが求められる職業に違いありません。一方で、宇宙船という閉鎖空間の中で他のクルーと共同して仕事をする場面では、周囲と協調しリーダーにきちんと従うべき秩序が求められます。宇宙空間でメンバーシップがうまく働かなければ、下手をしたら自分と仲間の生死を決定的に左右するかもしれないリスクを持つことになってしまいます。

宇宙もしくは同様の閉鎖空間では、間違いなくクルーにフォロワーシップが必要のはずです。そして少なくとも現代の宇宙飛行士たちは、きちんとしたフォロワーシップを身に付けられる資質を持ち、そのための訓練が施されているのではないかと思われます。公の場で見る宇宙飛行士たちが誰も人格的に優れているかのように感じられるのは、本来リーダーとしての資質を十分に持つプロでありながら、フォロワーシップをも確実に身に付けて行動できることにあるのではないかと推測する次第です。

冒頭で「“本当の本物”は、無理な注文を受けても臍を曲げない」という話を書きました。これは実のところ、当人が無理難題があっても我慢できるとかいう低い次元の問題なのではなく、フォロワーシップを身につけていることがより自らの仕事の質を高めることを知っているのではないか…。そう考えると妙に納得する話なのですが、いかがでしょう。

「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」

宇宙飛行士の人選、育成、組織は、実に興味深いものがあります。

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「月の記憶 アポロ宇宙飛行士たちの『その後』」
【アンドリュー・スミス(Andrew Smith)著、鈴木彩織訳、2006年刊、ソニー・マガジンズ】

■月を歩いた人類はわずかに12人
21世紀になって70歳を超えようとするアポロの“ムーン・ウォーカー”たち(12人中、存命の9人)に再び焦点を当て、彼らアポロ宇宙飛行士たちの生き様をインタビューおよび周辺取材でまとめたものです。エッセイともノンフィクションともいえる書物になっています。個人的には、「宇宙」というテーマだけでなく「人材マネジメント」という視点から興味深く読みました。

原題は「Moondust」(2005年刊)。もちろん「人材」のあり方をテーマに書かれているわけではありません。宇宙飛行士をヒーロー視する物語や宇宙飛行士本人たちの自著による直接的な発言と違い、40代半ばである著者が当事者とは少し離れた視点で描いています。読んでみるとなかなか新しい発見がありました。

■宇宙機関はすばらしい組織モデルか?
本書の内容から少し外れますが、以前から私は1つの問題意識を持っていました。それは、
・NASA(アメリカ航空宇宙局)をはじめ宇宙飛行を実現させていく組織は、どんな人材管理(Human Resource Management)システムを築きあげたのか
・宇宙関連機関は、どんな優れた人材養成プログラムを持っているのか
・宇宙飛行士たちは、なぜ皆すばらしい人格と能力を身につけることができたのか
などです。

たとえば日本人宇宙飛行士の毛利さん、向井さん、土井さん、若田さん、野口さんといった方々のTVなどで報じられる人柄や振る舞いには、いつも感銘させられます。肉体的にも精神的にも強く、確実に実績を残していく。一般向けに話す内容は科学的な説明であっても実にわかりやすく、それでいて人間味のある暖かな話しぶりが魅力的です。何度同じような(つまらない)質問をされても笑顔を絶やさず、丁寧に対応していく。しかも驕りのようなものはみじんも感じられない…。

一般企業の人材マネジメントに携わることもある者にとって、こうしたすばらしい人材を選んだり育てたり、組織システムとして実現するためのヒントを、宇宙機関や宇宙飛行士たちから探したくなるのです。

しかし一方で、NASAにしても旧ソ連/現ロシアの宇宙機関にしても、きれいごとではないドロドロの顛末が過去にあったことが明らかになっています。映像化された「人類月に立つ」「ライト・スタッフ」「ロスト・ムーン(アポロ13号)」「宇宙へ ~冷戦と二人の天才~(スペース・レース)」といった映画やドラマを見るだけでも、たとえば

・月着陸という冒険が、今から考えると実はとんでもない高いリスクのもとで敢行されたプロジェクトであったこと
・NASA内部のいざこざおよび政治の世界との軋轢は絶えず、どう見ても健全な組織運営とはいえなそうな現実があったこと
・宇宙飛行士たちは「人格者」「ヒーロー」といったイメージからはかなり外れた、どちらかというと欠点が目立つ人たちであった(らしい)こと
などが見てとれます。

ほかにも米国や旧ソ連の宇宙競争を描いた書物や映像、宇宙飛行士自身によるエッセイなどいろいろ出ています。とくに「ドラゴンフライ―ミール宇宙ステーション・悪夢の真実)」では、宇宙ステーションミールに滞在していたスタッフの人間関係が一時期相当に険悪だったことが暴露されています。2003年のスペースシャトル・コロンビア号の空中分解事故では、NASAという組織の体質が重大事故を引き起こした大きな原因だったと事故報告書で指摘されました。日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)およびその前身だった組織も、ロケット打ち上げ失敗などでさんざん非難を浴びています。

いったい、宇宙飛行士および宇宙機関の実像はどんなものなのでしょうか?

■付き合いにくそうな人ばかり…
少し偏った表現かもしれませんが、本書で登場する宇宙飛行士9人のうち“常識的なコミュニケーションがとれる魅力的な人”と感じられるのは、アラン・ビーンとチャーリー・デュークの2人くらい。あとの人たちはおしなべて“いかにも人付き合いの難しそうな”輩ばかりです。

バズ・オルドリンは、一時期深刻な鬱病だったことが知られています。とても気難しい雰囲気が漂ううえ、「一言一言、慎重に言葉を発するのだが、…(中略)…独特の文法のせいで話の筋があちこちに逸れて、何を言っているのか理解するのに時間がかかる…(後略)」(上巻p.209)とあるように、著者がインタビューでいかにも苦労したことがわかります。著者は最後に「疲れ果てた」とさえ書いています。インタビューの最後は信頼感も築かれたのか、著者は「本物の好意と賞賛の気持ちがこみあげた」(上巻p.244)ようですが、誰とでもそうした緊張の解けた付き合いができる人ではないことがはっきり読み取れます。

ジョン・ヤングは、アポロより前のジェミニからつい最近のスペースシャトルまで現役の宇宙飛行士を続けた、それこそ全地球人を代表する“最も経験のあるプロ宇宙飛行士”でしょう。ところがヤングとのインタビューもこれまた大変気を使わなければならなかった様子が描かれています。大変博識でかつ強靭な人であることはすぐにわかるし、結果的に非常に興味深いことをあれこれ話しているのですが、一つ間違うとまともに口を開かなそうな頑固な様子が感じられます。

“最初のムーン・ウォーカー”ニール・アームストロングにいたっては、どんな取材も受けないのが鉄則で、本書の著者も最後まで追いかけ続けたあげく、イベント会場での短いやり取り以外はついに長時間のインタビューができずに終わってしまったようです。もともと相当の口下手で朴訥、それでいて独断で物事を判断する傾向があるといわれていました。月着陸で世界中から注目された後は、隠遁生活といってもよいほど世間から逃れてすごしているそうです。

・アラン・ビーン(アポロ12号月着陸船パイロット)
・チャーリー・デューク(アポロ16号月着陸船パイロット)
・バズ・オルドリン(アポロ11号月着陸船パイロット)
・ジョン・ヤング(アポロ16号船長)
・ニール・アームストロング(アポロ11号船長)

■競争が好きではない? 宇宙飛行士もいた
もっとも、アポロより前の初期の宇宙飛行士たち(マーキュリー計画やジェミニ計画を引っ張ったいわゆる「オリジナル7」のメンバーなど)はもっと強烈な個性を持っていたともいわれます。むしろアポロで何人かの常識人がいたということは、この頃はNASAの人材マネジメントも少し進歩していたのもしれません。

アポロ宇宙飛行士の中で人間的な魅力をとくに感じさせるのは、アラン・ビーンでしょう。ビーンはNASAをやめた後芸術家に転進し「月面での体験を描くアーチスト」として活躍しています。インターネット上の Alan Bean Gallery に作品が紹介されています。ドラマ「人類月に立つ」を見たことのある方は、ビーンを語り手にしてクルーのチームワークを描いたアポロ12号の回のことをきっと覚えていることでしょう。

アラン・ビーンは、名誉ある役を我先に得ようとする野心家揃いの宇宙飛行士の中で異質な存在だったようです。他のライバルに比べると競争というものにさほどこだわっておらず、“たまたま4番目に月を歩く役が回ってきた”だけだという。月から帰ってきてからも競争を引きずっている過去の仲間たちについて一歩引いて見ている様子があります。アーチストになって、他人と競争するのではなく、自分で「何かをやってみて、それがうまくいくかどうかを見ているほうが良い」(下巻p.60)。この言葉は必ずしも本音とは異なるのかもしれませんが、そんな彼が、結果的にたった12人しかいないムーン・ウォーカーに選ばれていたということは面白いですね。

もう一つアラン・ビーンの話で興味深いのは、宇宙での行動もさることながら、最も感じるところがあった出来事が「月から帰ってきたあとの地球上での日常生活だった」という点です。「ショッピングセンターでアイスクリームをなめながら何時間も座って周囲を眺めていた。その光景に対して、月旅行に負けないくらいの胸の高鳴りを覚えた…」といいます。

■アポロ宇宙飛行士に求められた資質とは?
本書にもありますが、クルーの人選は当時の宇宙飛行士室長ディーク・スレイトン(「オリジナル7」の1人だが、7人のメンバーのうちマーキュリー計画で唯一宇宙に出られなかった人物)が強い影響力を持っていたことが良く知られています。そのため、ディーク・スレイトンに好かれれば宇宙に旅立てる可能性が高くなり、疎まれれば絶望的といわれていました。

実際、何人かのメンバーはスレイトンの逆鱗に触れてその後一切メンバーに選ばれなくなったとか伝えられています。システマチックな人選とは程遠く、公平な人材マネジメントとはとてもいえそうにありません。こうしたアポロ時代の人選・人材養成のシステムと現代の宇宙飛行士たちが選ばれ養成されるシステムとのギャップは、私にとってずっと謎でした。

しかし本書から、これに関連した面白い記述を2つほど見つけました。芸術家肌のアラン・ビーンは、クルーの人選に大きな力をふるっていたスレイトンに必ずしも高く評価されていなかったらしい、というのが1つ。それでもビーンが選ばれたというのは、やはり1人の人の好き嫌いだけに左右されない、何らかの選抜基準があったということなのでしょう。

■「想像力をしっかりと封じ込める力」
そしてもう1つは、「船長」と「月着陸船パイロット」の役割の違いが人選に影響していたらしいという点についてです。

船長はまさにミッションを成功させるためのすべてについて責任を持つべき立場の人間。それに対して月着陸船パイロットは、もちろん責任という点でも実際の飛行業務でも大変重要であることは間違いないのですが、月着陸についてさえも最終的には自分ではなく「船長」が責任を持っていたわけです。そのため、船長に比べると少しだけ本来業務から離れたことを考える余裕があり、その分「感動」を目の当たりに体験できる立場にあったとされています。

エドガー・ミッチェル曰く、「自分たちが強烈な体験をしたと口にしていたのは月着陸船パイロット。船長は自ら責任を持って操縦する役割を持っていた」(下巻p.331~)。著者はこれらから、ディーク・スレイトンが選ぶ船長の条件として「ずば抜けた集中力と、想像力をしっかりと封じ込める力があること」と推測しています。もっと端的にいえば「冷徹な人」になれるかどうかが、アポロのような仕事に必要だったことをうかがわせます。

・エドガー・ミッチェル(アポロ14号月着陸船パイロット)

■人間臭さと職務の役割
これがどこまで本当かはわかりませんが、ニール・アームストロング、デイビッド・スコット、ジョン・ヤング、ジーン・サーナンのいずれもが「逡巡や動揺といった感情を持ちそうにない性格の人々だ」としています。すでに亡くなったアラン・シェパードとピート・コンラッドについてははっきり言及していません。

半面、この「船長」たちは皆敬意を抱くことのできる優秀な人たちではあるが、揃いも揃って人当たりは悪いか、少なくとも気の置けない仲間といった存在ではないわけです。隠遁してしまったり(アームストロング、スコット)、逆に「昔、ほんのひととき月を歩いた」という名声を利用して活躍する、自らを脚色しているような、鼻に付く存在だったりします。いずれも、周囲の人から見てあまり評判が良いとはいえません。

一方バズ・オルドリン、アラン・ビーン、エドガー・ミッチェル、ジム・アーウィン、チャーリー・デュークといった「月着陸船パイロット」たちは、信仰の道に入ったり、芸術家になったりと、月に行く前の宇宙飛行士としてのキャリアからは直接的に想像できない道を歩んでいます(ジャック・シュミットは、ムーン・ウォーカーの中で唯一学者出身なので、ちょっと事情が違う)。このグループにも人あたりの必ずしも良くない人(オルドリンがその代表)もいますが、そうであっても、インタビューから垣間見られるそれぞれの人柄や生き様はじつに人間臭さが漂っていることがわかります。

・ピート・コンラッド(アポロ12号船長)
・ジーン・サーナン(アポロ17号船長)
・アラン・シェパード(アポロ14号船長)
・デイビッド・スコット(アポロ15号船長)
・ジム・アーウィン(アポロ15号月着陸船パイロット)
・ジャック・シュミット(アポロ17号月着陸船パイロット)

■すぐに結論を求めすぎるな
ほかにもいくつか、本書を読んでいてはっとさせられる記述がありました。

「すぐに結論を求めすぎるな」
「宇宙飛行士だって怖いもの知らずというわけじゃない。恐怖感を克服して目の前の仕事をやりおおせる方法を見つける」
「月に行った経験を話すだけで高慢になることがある。でもそれはうぬぼれだ」
など。いろいろ示唆に富んでいます。

なお、この本の欠点は、構成や文章がかなり冗長なことです。たとえば宇宙飛行士へのインタビューにしても、インタビューそれだけでなくアポをとる過程とか昔話とか著者の回り道が非常に多く、なかなか本論に入らないので飛ばし読みしたくなるところが何個所もあります。テーマをきちんと整理して核心をもっとコンパクトにまとめれば、1/2から1/3くらいのページ数で済み読みやすくなるでしょう。

でも、インタビューの骨子を簡潔にまとめる手法ではなく冗長にあれこれ描写しているところが、出てくる人物の人間味とかとっつきにくさとか時代背景との関係とかを浮かび上がらせているともいえそうです。その意味で「すぐに結論を求めたくなる」我々を、わざと遠回りさせることに成功しているのかもしれません。

本書からあえて人生訓のような結論をとりだすのなら、「人生の勝利」というのが、決して名声や富を得ることではなく、またスピリチャルになることでもなく、困難を飲み込み克服していくことのような気がしました(あまり適当な表現ではありませんが…)。

■中年ビジネスパーソンにとっての「人生の見直し」?
あとがきで訳者が「“中年の危機”を意識するようになった作者が、帰還後に世間の荒波に放り出されることになった宇宙飛行士たちの生き様から有意義な教訓を得られるのではないかという期待をこめた旅」と評しているのには、ニヤリとしながらも、自らギクリとさせられてしまいました。著者は、10歳前後で月着陸のニュースに感銘を受けた世代。この文を書いている私もまさに同世代です。

たとえば、これまで懸命に働いてきたものの、時代の変化があり企業組織で半ば居場所がなくなった40代くらいのビジネスパーソン、リストラや転職という転機があったがまだ定年までには時間があり中途半端な今後に不安を抱いている中年。そんな方々には、「宇宙飛行士の」というより「著者の」危機意識がいろいろ伝わってくると思われます。