「日本的な」タグアーカイブ

和紙の草履キット

初めて草履を作りました。和紙でできています。そんなに難しい作業ではなかったのですが、やはり慣れないと綺麗にはできません。見本に比べ、やたら細長いものに仕上がってしまいました。こうした和紙の新たな商品企画が国内であちこちに見られます。

和紙の草履
〔キットから作った和紙の草履〕

■繊維が強い和紙
和紙の糸で編んで作る草履のキットです。和紙を縒った糸なので、藁と違いケバケバがありません。表面はさらっとしていて、すべすべのフローリングなどでは少し滑ることもあるかもしれませんが、カーペットだとちょうど良い具合です。暖かい季節、スリッパ代わりの室内履きとして快適かもしれません。
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非関税障壁か、守るべき制度か(「築地」その3)

日本の流通システムは、かねてから閉鎖的と外部から指摘されてきました。しかし少なくとも生鮮品の流通に関しては、ローカルな制度が将来的にも高い価値を持ち続けるであろうことを、この本が示唆しているように思えます。

築地の挿絵
「築地」(挿絵)

テオドル・ベスター氏の著書についての話、「築地」「築地」その2の続きです。

■意図しない“非関税障壁”
またしても築地市場とは少し離れた話ですが、一昔前(1995年くらいまで)の日本のパソコン市場は、今と違って世界標準規格から逸脱した構造の商品が市場のほとんどを占めていました。なかでもNEC「PC-9800シリーズ」がその最大手で、国内でパソコンをまともな業務に使うには「98」以外の選択肢はなかったようなものでした。一方、日本を除くほぼすべての国では基本的に「IBM互換」タイプのパソコンが使われていました(さらに余談ですが、現在は携帯電話がこの状態―いわゆる「ガラパゴス化」―にあるようですね)。

その時代、海外(欧米やアジア)のパソコン業界関係者と話をしたときにときどき出てきた質問がありました。

「なぜ日本は世界標準に従わない? わざわざ独自の仕様を守り外国企業を締め出している。非関税障壁ではないか」
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日本的企業関係の生きた見本(「築地」その2)

築地の取引ネットワークは、上下左右に結ばれる市場のさまざまな関係性に支えられています。かつての縦の“ケイレツ”と横の同業者組合が織り成す日本産業界の特徴的サンプルが生きたまま現存しているかのようです。


〔水産物と自動車、それぞれ縦横の関係〕

テオドル・ベスター著「築地」(前記事参照)には、市場の関係性が具体的な事象から詳しく書かれています。たとえば卸→仲卸→買出人という縦の取引が日々繰り返されること。ここには有形無形の企業系列関係があること。加えて、たとえば多数の仲卸の間での競争と役割分担、さらには資本関係、姻戚関係作りといった横の交流が繰り返されること。そこに強い共同体意識が生まれたり消えたりすることなどが描かれています。

■各自動車会社が一工場の復活で助け合い?
突然話が変わるようですが、2007年7月に発生した中越沖地震で、新潟県柏崎にある自動車部品メーカー「リケン」の工場が被害を受けたことが大きなニュースになりました。リケンの部品を使っている自動車会社が揃って一時的な生産停止を強いられるなど、自動車産業全体に影響を与えました。
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長期雇用と成果主義のゆくえ(JILPT調査より)

いろいろ批判のある「成果主義」ですが、俯瞰してみると日本企業に対してプラスに働いているようです。一方「長期雇用の放棄」は単純に成否を判断できないという報告があります。


【「日本の企業と雇用 ─ 長期雇用と成果主義のゆくえ」(労働政策研究・研修機構、2007年)第2部分析結果をもとに編集】
今回は、成果主義に関する話題提供、サイト紹介、書評を兼ねたような記事です。

■充実した労働経済関連の資料
厚生労働省所轄の独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT) は、労働関連のデータや報告書を積極的にネット上で公開しています。人事系の調査研究では誰もが一度はここのデータもしくは分析結果を参考にしたことがあるでしょう。俯瞰的(学術的、統計的)なスタンスからテーマを掘り下げた研究結果の場合は経営の実際の(ミクロな)場面にすぐに役立つとは限りませんが、人事・労働に関連する客観的な現状を掴むのに役立ちます。
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官営化する卸売市場(「神田市場史」より)

江戸時代の昔から、お上は卸売市場の管理に腐心していました。商人は渋々と管理を受けながらも、お墨付きを得るがゆえのメリットを享受していたようです。

神田市場発祥の碑 「神田市場史」(上・下)
[「神田青果市場発祥の地 記念碑」があった場所]

…神田多町市場があった場所にその後「記念碑」が立てられました。昨年(2006年)、その記念碑は取り外されています。左の赤破線枠は記念碑があった位置。今はその写真説明が脇に貼られています(緑破線枠)。

■卸売市場法の功罪
「神田市場史」(上・下)に書かれている議論を読むと、実に複雑な利害関係があったことがわかります。神田多町の青果市場が秋葉原に移るまで長い時間がかかった(記事「かつての市場移転」)わけですが、市場が移転しようがしまいが、卸売市場が本質的に持っている問題点はあまり変わっていないようです。だからこそ、昔も今も同じ議論が繰り返されているのかもしれません。
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